ボルネオ(5)

9月27日(土)

午前9時30分、ホテルのチェックアウトを済ませてロビーで秦を待った。ロビーでは観光案内相談コーナーの設置作業が始まっていた。会議用テーブルにクロスが掛けられパンフレットが並べられている。キナバル登山、サンダカンの動物探索等のパンフレットだ。秋の観光シーズンが始まるのであろうか。地元の英字新聞を拾い読みしていると秦と黄が迎えに来た。ルイスの兄のジョーがトヨタのランドクルーザーで待っていた。屋外電気配線の会社に勤めているとのことだが、腰痛が悪化してハードな現場作業から退いているらしい。それでも時折、この4輪駆動車で田舎の集落を回って電気配線の改修工事が必要な地域の調査を担っているとのことだ。キナバル山の南側を下った集落の調査を兼ねて1泊2日の案内をしてくれるのである。ジョーは建築と不動産業を行っている色白で外交的なルイスと異なり、色黒で体格も大きく外線工事業の親方の風体だ。口数が少なく強面であるが優しい目をしている。ランクルの後部ドアを開けて荷物を積み込んでくれた。半袖シャツに半ズボン、スニーカーのスタイルだ。それでもトランクには安全ブーツとヘルメットが載っていた。

海岸線をしばらく走ると小さなフィリピン人の水上集落があった。そこは陸からの侵入橋が無く、船で往来する漁民の集落のようである。円筒型のメタリックカラーの奇妙な建築物を左側に見て、州議会の白い建物を過ぎ、ゆっくりと山道を登り始めた。道路脇には山採りの植物を販売する露店や軽食店が4、5軒連なって点在した。その中の一つにジョーが車を停めた。僕らは朝食のサンドイッチとコピアを手にして露店の中を覗いた。デンドロビューム、バルボフィルム、グラマトフィルム、シンビジューム、デモルフォルキスもある。私は輸入サイテスが不要な植物であるビカクシダを一株買った。新聞紙に包んでもらいリュックに突っ込んだ。

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グラマトフィルムの花

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バルボフィルム

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蟻の巣に生えるビカクシダ

道路は軽いアップダウンを繰り返しながらゆっくりと登っている。1,000m程登っただろうか少し耳鳴りがしたころから雨が降ってきた。キナバル山の岩山が雨霧の中に見え隠れする。ランクルの窓からは容易に写真が取れない。

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雨中キナバル4号線

キナバル山の稜線を超えると雨が上がった。車はサバ州の南東の地区に下って行った。ジョーは時々車を停めて送電線を見ては手持ちの地図に何かを記入していた。この辺りはコタキナバルよりも乾いた土地の風景に見えた。マンゴー、ドリアン、パラミツの大木が民家の周りに植えられていた。道路を我が物顔でジャージー種に似た赤毛の牛が数頭で歩いている。ジョーはクラクションを鳴らすこともなく車を路肩に寄せて牛様のお通りを妨げずにすり抜けた。

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牛様の散歩

ブルランの町で車を停めて軽食店に入った。2時過ぎの店の中は閑散としていた。コピアとヌードルで腹を満たして雑貨店に入った。秦に言われるままに頭痛薬、湿布薬、ビスケット、缶ビール1ダースを買って金を払った。この町の植栽ではゴールデンシャワーが多く使われており、鮮やかな黄色の花が垂れ下がって風に揺れていた。この4号線をさらに進み左折して22号線の終点にサンダカンの町があると道路標識が示していた。

ジョーは4号線を引き返しながら支線の集落を2か所ばかり点検した後でキナバル山の管理事務所前に車を停めた。今夜の宿の代金を払って鍵を貰ってきた。代金は秦が払った。

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ジョーのランクルと管理事務所

キナバル公園の中には大小幾つかのコテージがあり、僕らは一番奥の建物を借りた。床が少し高くなった造りである。途中のコテージの2か所だけ車が止まっており、この時期は未だシーズンの最盛期ではないようだ。施設の入口の左が娯楽室で、7つの寝室の他に大きな厨房と食堂があった。寝室にはシャワー室があったがお湯は出ず、水温20度の凛とした天然水であった。

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コテージは十分に離れて設置されている

時刻は午後4時、山の日暮れは早いとはいえ日没までは間があった。黄と共に30分ほどあたりを散策した。キナバル公園には幾つもの散策路があり、その中の一つは山頂へ向かうと表示されていた。木製の表示板には「写真以外は何も取るな」。「足跡以外は何も残すな」と書かれていた。

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写真以外は何も取るな(施設案内)

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メディニラと異なるノボタンの一種、ナリヤラン、ヘメロカリス。タンポポに似たキク科の植物を見つけた。私は表示板に従って採取をやめることにした。

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花の大きなナリアラン

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見事な株立ちのナリアラン

コテージに戻ると秦が娯楽室でビールを飲んでいた。

「先輩、この時期はレストランが早く閉まります。今日の夕食はビスケットとビールだけです」と秦が笑って言った。

「オーマイガッド。シャワーを浴びて早寝するか。TVも無し、バーも無しでは何もすることが無い」

「先輩、冷たいシャワー大丈夫?心臓危ない」と言って再び笑った。

秦は既に冷たいシャワーを体験したらしい。私が自分の部屋に向かうと秦が後ろから声をかけた。

「先輩、明日はポーリン・ホット・スプリングです」

私はキナバル山の近くに温泉保養地があることを思い出した。

私がシャワーを浴びて娯楽室に戻ると秦が嬉しそうに言った。

「シムが夕食を持って近くまで来ています。ゲストと共に」

「そいつはラッキーだ。あいつの車でよく此処まで登れたな」

「イエス、ベリー・ラッキー」と私の後ろから黄が手を叩いた。

ビールを一口飲む間もなく、シムの車のクラクションが鳴った。黄が立ち上がって玄関のドアを開けた。

「ハロー、グッド・イブニング、ナイス・ミーチュユー」とシムと一緒に騒々しく入ってきたのは昨夜のバーのホステス4名であった。秦が手を叩いて大笑いした。シムによるとこの時期の繁華街は閑古鳥が鳴いているそうだ。それにフィリピン系のホステスは信心深くて日曜礼拝を欠かさないので土曜の夜は遅くまで働かかないのだそうだ。キナバル山荘のパーティだと誘うと皆喜んで応じた。

「ただし、俺の車に乗れる体重の軽い女を選んだのさ。なにしろ古いアウディでの山登りだろ。デブはカットしたのさ」手を広げてアクションを交えながら話すとホステス共が大笑いした。何とも陽気な性格である。

ホステス相手の遊びは決まっている。男女がペアになって2個のサイコロを転がすのだ。2個のサイコロの数字の合計が少ないほうが負けである。ゾロ目も負けだ。負けた者がグラスの酒を飲み干す罰ゲームだ。ビールでは酔いが回らないので、私が持参した泡盛を水で割って飲むことにした。このゲームは単純で言葉のハンディが無くどの国でも遊べるゲームだ。サイコロ又はトランプがあればよいのだから。実際僕らは、マレーシア本国、タイ、中国、台湾でも同じように遊んでいる。

ホステスの中には酒に弱い娘もいて、代わりに誰かが飲んでも構わない。その中の一人ジュディは最も元気であって、美人ではないが陽気な女の子だ。真っ先に出来上がってしまいテーブルの上に立って踊りだした。他の女子はジュディの癖を心得ていてタガログ語で囃し立てた。僕らも手拍子で囃し立てた。ジュディは腰を振り、ジーンズをずり下ろして赤いTバックの下着の尻を見せて踊った。原生林の一角でのショウタイムの始まりだ。各コテージの間は十分に離れており、辺りの闇に騒音をまき散らしながら僕らは大いに盛り上がった。無口なジョーでさえ痛む腰をさすりながら笑いこけた。

その絶好調の時に何かが飛んできてジュディ尻に着地した。驚いたジュディはそれを払落し、ズボンを引き上げて仲間のホステスの間に飛び込んだ。ジュディに弾き飛ばされた生き物は私が買ったビカクシダの上に止まった。よく見ると蛾の一種である。シムとゲストを招き入れた際に特別ゲストとして同行したらしい。シムは毒蛾ではないからと腕に移動させて外に逃がしてやった。ホステスが安堵の溜息をついた。

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本日の特別ゲスト

シムは私のシダを見て言った。

「このシダは栽培できませんよ。蟻の巣の上に生えるシダだから。ほら、この穴は蟻の巣の跡です」と説明した。

確かにシダが着生した木質の部分に白蟻の巣のような穴が無数に開いている。蟻と共生関係にあるシダ植物の様だ。

突然の来客にパーティが白けてしまった。

「オーケー、蟻の話をしょう。ボルネオの昔話です」とシムが語り始めた。

≪蟻と蛙が河原でお喋りをしていた。近くで洗濯をしている女性を見て蟻が言った。先日の事だがとても怖い目に遭った。河原で餌を探して歩いていると小雨が降ってきた。俺は急いで女の人の腰巻の下に隠れたのさ。雨がひどくなったので女は立ち上がって移動していった。俺は振り落とされないように必死に上に登って行った。すると黒い針山にたどり着いた。俺はもう登るのに疲れ果ててあたりを見回した。すると近くに洞穴があった。少し湿っていたが中に潜り込んで休むことにした。どのくらい寝たのか知らないが洞窟の入り口が騒がしいので外を覗いてみた。すると恐るべきものがこちらを見ているのだ。なんだと思うかい。

それは龍だよ。2個の銅鑼をぶら下げてこちらにやってくるのだ。俺は急いで穴の奥に引き返した。すると龍は口を開けて俺を飲み込もうと穴の中まで追いかけて来たんだ。俺がさっとよけると銅鑼をゴーンと大きく鳴らして戻っていくのだが、再び追いかけて来るんだ。そのたびに銅鑼がゴーンと大きく鳴るんだぜ。その度に洞穴も大きく揺れ、俺はもう必死だったね。さすがの俺も今度だけは生きて帰れないと思ったとき、突然龍が口からネバネバした白い液体を吐きつけてから出ていった。しばらくして俺が洞穴の外を覗くと龍の奴が小さくなって寝ているではないか。龍の奴が目を覚まさぬように足音を忍ばせて逃げてきたのさ。

そうか、それは災難だったな。俺なんか蛇ですら怖いのに、龍だとそれは恐ろしいのだろうなと蛙が納得顔で言ったそうだ。おしまい≫

「どうだい、ボルネオには怖い話があるんだぜ」とシムがホステス共に言った。

「あら、あたしはその龍に会ってみたいわ」とジュディが少し酔った眼差しで言い返した。他の女子も口々に「あたしも、あたしも」と言って笑った。

「シャラップ、アイ・ノゥー、ア・イノゥー、イエス、ゴーバック、レディ、トゥモーロー、ウワーシップ」シムがそう言うとホステス共は立ち上がった。ジュディはチャッカリと飲み残しの泡盛のパックを手にシムの後に続いた。口々に黄色い声で「グッド・ナイト」手を振ってキナバル山の闇の中に消えていった。

2,000mの山荘は既に20度を下回っているのだろう。冷たい夜風が吹き込んできた。僕らも急いで部屋に戻って毛布にくるまった。

 

9月28日(日)

キナバル公園の中にレストランがあり、朝食をとること出来る。その施設はキナバル登山の案内所も兼ねており、公園管理の現状を写真パネルで紹介している。そこで登山手続きをして弁当を持って次の山小屋で一泊して山頂に登るとのことだ。キナバル登山は1泊2日の行程である。

僕らは朝食の後でキナバル山周辺に見られる植物を収集した植物園を見学した。

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キナバル公園の蘭収集施設

そしてのんびりとポーリン・ホット・スプリングに向かった。温泉でリラックスして帰るだけだ。しかし思惑は外れてしまった。今日は日曜日である。山奥の道路は地元の行楽客で混雑しているのだ。僕らは温泉保養をあきらめて近くの動植物園見学に切り換えた。

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植物園入口

動植物園の開園時間は午前9時から午後4時30分で入館締め切りは午後3時30分だ。動物園ではオラウータンとシカを見ることが出来た。ラン管理センターと表示された植物園ではカランセ、バルボフィルム、P.gigantea等多くの品種が収集されていた。

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カランセの収集

 

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Dimorphorchis rossii 上段の花が黄色で 下段の花は白

 

Vanilla kinabluensisは通常のVanilla planifoliaよりもはるかに大きい果実を着ける。

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本種は花も実も大きい

かなり数のバニラの株が丸太に着生栽培されていた。秦にそそのかされて蔓に手を伸ばした途端、後ろに物音がして振り返ると管理人が立っていた。すかさず「ハロー、グッド、ボタニカルガーデン」と言って伸ばした手を上げて挨拶を送った。相手も心得たもので「サンキュー、サー」と笑顔で答えた。秦が笑いを堪えるように口元を手で押さえて歩き出した。雑木林の落ち葉の中から大コンニャクが芽を出していた

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芽を出した大コンニャク

。金網フェンスにはヒハツモドキが絡みついていた。私の実家のコンクリート壁に着生している品種よりも実が長いようである。品種が異なるのか環境の違いかは定かでない。

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ボルネオのヒハツモドキ、実が下垂する

自宅ヒハツ

私の実家のブロック塀に着生したヒハツモドキ。実を乾燥させて挽くと香ばしい。コショウ科の香辛料(苗を近日中に販売予定)

僕らは近くの集落に車を停めて果物を売る屋台を物色するなど寄道をしながらゆっくりと下山した。途中で小ぶりのドリアンを買って食べた。タイの品種改良された大きな果実よりも濃厚で美味い。少し果肉の残った果実を店の横で寝そべった赤毛の犬に投げると旨そうに食べた。ドリアンを食べる犬がいることを初めて知った。貧相な顔に似合わぬ美食犬である。

僕らは退屈しのぎに奇妙な形をした金属調のメナラ・ツゥン・ムスタファビルやサバ州モスクを遠目に見て、サバ州鉄道のタンジュンアル駅に寄った。線路はテノムまで続いているとのことだ。列車が出てしまった駅は閑散としており活気が失せて、さながら廃墟のようであった。ホテルは一昨日と同じベバレイ・ホテルである。前回と異なるのは寝室の他に応接間のあるハイクラスの部屋であった。ジョホールバルのリーさんが手配してくれたらしい。料金はごく普通のツインルーム並である。ホテルの株式をマレー航空が保有しており、リーはマレー航空の株主の一人で株主特権があったようだ。秦が素っ頓狂な声で言った。

「先輩、明日は皆ここに集まってパーティをしましょう」

この日の晩はシムから貰ったチケットで公式レセプションパーティーに参加した。ルイスにジェリーウォン、その妻アリスと同じテーブルであった。レセプションの内容はサバ州が自然保護に取り組んでいることの紹介と次回の展示会がフィリピンで開催されることなどが話題であった。只、私の英語力では学術的な報告内容を理解するには至らなかった。国と州政府の役人も参加したお堅いパーティである。食事もローカル色の少ない上品でごく普通の料理であった。パーティが終わるとシムの家に送ってもらい少し飲み直してホテルに戻った。ベットに横になり、白い天井板をぼんやりと眺めていると旅の終わりが近づいていることに気付いた。私は未だにテノムの農業公園を探索していないのだ。もはや秦の案内では退屈なだけだ。明日の朝、ホテルのフロントで国内旅行のガイドプランを探してみようと考えながら眠りについた。

2015年8月19日 | カテゴリー : 旅日誌 | 投稿者 : nakamura