夜の潮騒

 1、潮騒の聞える家

 

沖縄本島は南北に細長く中南部は比較的になだらかな丘陵地で形成され、北部地区には恩納岳、名護岳、多野宇岳、与那覇岳が連なっている。山と言っても尤も高い与那覇岳が標高503mである。細長い島の中央よりやや北寄りに本島北部の西海岸にマッシュルームの様なこぶ型の本部半島が突き出ている。中央部に標高450mの嘉津宇岳、八重岳の二つの琉球石灰岩からなる山が突き出ている。細長い沖縄本島と本部半島に挟まれた部分が名護湾である。湾の北側の本部半島の二つの山が中国大陸から東シナ海を渡ってやって来る冬の低気圧が引き起こす強く冷たい季節風を遮ってくれる。沖縄では北の方角をニシと呼び、秋から冬に変わる時に吹く最初の北風をミーニシ(初北風)と呼んでいる。沖縄本島の北に面した海岸はミーニシが吹き出すと突然に白波が立って海が荒れるので漁師の脅威となっている。名護湾の名称は湾の付け根にある地域が琉球王府時代に名護間切りと呼ばれる行政区分であったことに由来する。名護間切りは湾に注ぐ名護岳水系の幸地川の東側の集落の東江集落。琉球王統の第一王統、尚巴志が三山を統一する際に北山城を攻略するのに名護城主の豪族が協力したと言われており、その名護城址の祭祀に関わる集落が城集落である。漁港があるのは王府時代に年貢米や燃料の薪を運搬する山原船の接岸港が整備されていたことに起因するようだ。昭和30年頃までは小型の捕鯨船の着岸桟橋があり、近海で捕獲したマッコウクジラの解体処理加工場を備えていた。名護岳山系と嘉津宇岳山系の間の丘陵地に形成されたのが大兼久集落だ。名護間切りの最も西に位置するのが宮里集落である。後背地には屋部川水系からなる豊かな水田が広がっている。屋部川の西側からは屋部間切りとなっている。嘉津宇岳を越えると本部間切りである。明治新政府の行政区分改定で名護町、屋部村、本部町となった。名護間切りは琉球王府氏時代から南北交通の要であり、人や物の往来で栄えてきた。王府からは年貢米検収や治安統治の役人が定期的に派遣されていた。王府から派遣された役人の中には任期が終了しても首里王府に戻らず、名護間切りに豪族として居を構えるものがいた。首里王府から手当てを貰う直轄の士族ではないが、王府との関りを持ち続けて広大な農地を所有する地域集落の世話役あるいは名主的存在となったのだ。広大な土地を小作人に貸し付け、年貢米の徴収にも一役買っており、当然のことながら王府の徴収財務の収益の利便性に役立つ存在でもあった。首里王府から派遣された役人の岸本親雲(ペーチン)は名護間切りの宮里集落に豪族として住み着いた。彼が屋号をハサマと称する一族の初代である。明治の中期にハサマ一族の6代目仲村渠宏源の次男の宏友は宮里集落の西の外れの海岸近くに土地を貰って独立した。屋号をハサマ小(グァー)と称した。この頃の習慣で分家筋は小(グァー)を称するのであった。本家は分家独立に際して生活に必要な井戸を住宅地内に掘り、住まいを立て与えた。住まいと言っても本家は赤瓦の屋根で分家筋は茅葺屋根であった。生活に必要な最小限の田畑を分け与え、必要に応じて小作地として貸してくれた。ハサマ小の3代目宏の次男として大戦後に生まれたのがカズである。ハサマ一族は名前に宏の文字を付けるのが習いである。しかし戦後生まれの男子で宏の文字を冠する者は本家以外にはいなくなった。ちなみに現在の本家は10代目が頭領で11代目は中学生だと聞いている。9代目と10代目は那覇市で医者をしており、宮里集落の実家は独身の叔母が管理している。宮里集落の水田地帯は本土復帰後に住宅、商業施設が林立して、既に田畑は消えて小作人の存在は無いのだが、8代目までの収入源である小作料よりも遥かに高額の借地賃料を得ているだろう。王府時代から明治維新後の日本政府時代、敗戦後の米国統治化時代、そして本土復帰後の日本政府時代とハサマ一族は血族の血の濃さを薄くしながらも未だハサマ一族という名を何とか保っている。しかしいずれ血族の記憶から消えてどこかの民俗資料に記録に残るだけかもしれない。もしかしてそれすらも消えるのが時の流れであろうか。

 カズがハサマ本家から分家したハサマ小の実家で暮らしたのは5歳の幼稚園児から地元の高校を卒業するまでであった。5歳までは宮城家の養子として暮らし、高校卒業後は那覇市首里の国立琉球大学に進学した。卒業後は就職、結婚と続いて独立して住宅を構えたので、5歳から18歳までの13年間が名護湾の海辺に近い家で暮らしたことになる。

 ハサマ小の家の前には小さな集落内道路あり1筆の芋畑の向こう側を東西へ向かって本部半島を巡回する県道が走っていた。小さな土手の向こう側は広い砂浜が名護湾の波打ち際に傾斜して続いていた。この辺りは2次大戦で上陸した米軍が偵察機用の臨時飛行場を建設したので見通しを遮る海岸と集落の境界となる自然防風林をなぎ倒しており、自宅から名護湾とその向こうの恩名岳方面が見えた。時折小さな白い帆をはった漁船がキラキラと反射する波間をゆっくりと移動していた。夏の蒸し暑い昼下がりに縁側でうたた寝をしていると、防風林のオオハマボウの間を抜けて来る潮の香りを含んだ海風が心地よかった。尤も台風の荒波は怒涛の潮騒と伴って県道まで打ち寄せることも少なくなかった。カズの実家の屋敷林はオオハマボウであった。初代の宏友が植えたのである。オオハマボウは台風で枝が簡単に折れてしまうが、成長が早く直ぐに元の樹形に戻ってしまう。オオハマボウの若い茎葉を刈り取って田んぼにすき込む緑肥としてのメリットが大きかった。ハサマ小の屋敷林のオオハマボウは自宅の屋根の高さより大きく伸ばすことはせず、剪定して太い幹からたくさんの細い枝を出させていた。2月の1期作の植え付け前に剪定して水田の緑肥に使っても、8月の台風シーズンまでには萌芽して防風林としての役目も十分に果たしてくれていた。空気が淀む真夏の熱帯夜には寝室の一番座敷に蚊帳を吊り、雨戸を開いて夜気を取り込んで寝るのが常であった。そんな夜は決まって潮騒が子守歌のようにカズの耳に届いた。真夜中にふと目覚めて蚊帳の中から庭に目をやると、月明かりに浮かんだオオハマボウの大きな丸い葉が暗い樹陰とコントラストをなして夜空に浮かび上がっていた。夜の潮騒は小学生のカズの心に奇妙な波動を送りこみ、心が何となく浮き上がって、足は何処かへ出かける準備で、指先を曲げたり伸ばしたりした。そんな夜は寝返りを打ち、夜の潮騒に背を向けて自分の気配を消して、両手を足の内股に挟んで足が動き出すのを押さえて眠りに就いた。子供心にも自分の内に棲む得体の知れない何者かが、夜の潮騒に誘われて行く先の知らない何処かに暴走するのを恐れていたのだろう。

 中学校二年生の夏休みの終わり頃、ヤンチャ盛りの悪たれ共と砂浜で相撲を取り、夕方は海に入って泳いで日暮れまで遊び、クタクタに疲れて夕食もそこそこに、午後8時には蚊帳を吊った部屋で寝ていた、カズの何時もの日常であった。何時か知らないがノドが乾いて夜中に目覚めた。暑苦しくて明けた雨戸の間から月明かりが射していた。カズは寝静まった家の中を通って、台所の水タンクから柄杓で水を汲むのが億劫になった。月明かりが庭を照らしており、草履を突っ掛けて井戸まで歩いて行った。音を立てぬように鶴瓶をゆっくりと降ろした。カズの家の井戸は水脈が通っているらしく、4m足らずで水が湧いていた。鶴瓶の紐を軽く揺すって水を入れて汲み、引き上げた。5リットル程の水が入る金属の桶であった。井戸水の水温は安定しており、夏は冷たく、冬は暖かく感じた。鶴瓶から直接水を飲み、近くにあった洗面タライに移して顔を洗った。そして着けていたTシャツの前をめくり上げて顔を拭いた。暑さと眠気が引いた。空を見上げると、満月の余韻を残して陰りを持った十八夜の月が天頂の少し東にあった。カズは急にションベンがしたくなって門の外に出た。門の外で立ちションベンを終えると、右肩の方向で羽音がした。半身になって顔を向けた。屋敷林のオオハマボウからコウモリが飛び立って、西の森の一本松に向かって羽ばたいていった。

カズはフゥーと大きく息を吐いた。踵を返すと東側に名護岳が見えた。その稜線が宜野座岳、恩納岳と続いてゆっくりと南側に低くなっていた。静かな夜の空間から潮騒が聞こえて来た。カズは何かに誘われるかのように、屋敷の横から浜へと続く道に向かっていた。月明かりに白く浮かぶ砂交じりの道路を、50m程進むと砂浜に出た。月影が静かな波間に小刻みに揺れていた。潮が既に引き始めていた。浜は方言でウルウと呼ばれるサンゴジャリの盛り上がった部分と波が浜の奥まで押し寄せる細砂の部分とが大きなノコギリ状に断続に続いていた。カズはフカフカの乾いた細砂の部分をから降りて、既に潮が引いて固く締まった湿った砂の上に立った。押し寄せる波の幅は狭まっており、やがて海底が姿を現すであろう。しかし、海底が姿を現すのは3時間以上も後のことであった。カズは何も考えることも無く、大石と呼ばれる西の小さな森に向かって歩き始めた。森の上には数本の松の大木が点在していた。その上に銀河が流れ込んでいた。宵の明星は既に森の裏側に落ち込んでしまって見えなかった。手には波が運んできた2尺ばかりの小枝を持っていた。何かのリズムを取るように、手首を捻って小さく振り回していた。500m程歩くと大石の森の外れが海に落ち込んだ岩場に着いた。最大干潮時には歩いて裏側に回りこめるが、今は腰まで浸かって歩かねば渡ることが出来なかった。カズはウルウが集まった砂利の段差の上に座って海を眺めた。50m程先の海上にカズの家の屋敷の半分ほどの岩山がプカリと浮いていた。岩山の上には雑木が生えており、風に揺れていた。カズの座っている場所は森が海風を遮っているようだ。岩場の陸地に面した部分には縦に走った切れ込みがあった。切れ込みの下の部分が少し奥にえぐれて暗く湿った穴になっていた。岩山の両側から波が巻きもむように打ち寄せてきて、その暗い穴の中になだれ込み、小刻みにドボン、ドボンと小さな音を立てていた。その音は砂浜にリズムよく打ち寄せる潮騒と異なって、何か意味のある気配があった。岩山の上の雑木を揺らす風と相まって、何か見知らぬ生き物の存在が漂っていた。

 カズの正面に月明かりにキラキラと揺れる名護湾を挟んで宜野座岳が星明かりを背にシルエットになっていた。山並みの端で残波岬の灯台が定期的に小さな明かりを発していた。カズは宜野座岳の裏側の村で、小学校入学前まで暮らしていたことを思い出していた。養母に手を引かれて麦畑や大豆畑のある農道を歩いていたことや、養母の連れて来る女の子達とオハジキやお手玉、アヤトリ等の女の子の遊びをしていた。男の子と遊んだ記憶はない。女の子は、サダコ、クニコ、リエコと呼んでいた記憶があるも、その子たちの顔を思い出すことは出来なかった。カズは夏休みが終わる4日前に養母の家から帰宅したばかりであった。夏休みと冬休みを養母の家で暮らし、学校の授業が始まると実家で暮らしていた。自分の納まるべきねぐらが何処であるかが分からないままであった。ただ、そのことへの不安があるわけでもなかった。何となく淡々と時が過ぎて行くのが不思議に思うことがあっただけだ。それもほんの一瞬だけで、直ぐに日常の変化の中に埋もれて消えて行った。カズは自分が何処の家の本当の子供であるかを考える知恵、或いは感性を失っていた。それ故に時折、目的も無くただ歩きたいとの、放浪癖にも似た無意識の感性が湧いてくることがあった。今夜もそうであっただろうが、意識の外の世界であった。カズは月影が作る海のさざめきを何も考えずに眺めていた。薄い雲が流れて月影を消し去った。その変化がカズを立ち上がらせ、自宅に向かって歩みを促した。雲は直ぐに流れ去って、月明かりが浜辺を照らした。潮は随分と引いていた。しかし海底が姿を現すまでには至っていなかった。月に照らされた浜辺は、カズに何も教えてはくれなかった。ただ、月影が作る海のさざめきだけであった。自宅の門前に立つと、オオハマボウは出た時と何も変わらずにそこにあった。カズは静かに部屋に入り蚊帳の中に入って眠りの続きに落ちていった。

その日以降にカズが夜の潮騒に誘われることは無かったが、夜の潮騒は奇妙な気配を残したまま心の中にしっかりと刻み込まれていった。

 沖縄県は米国民政府の支配下から日本政府へと移行した。日本政府によるインフラ整備が急速に進んだ。名護湾の浅瀬が埋め立てられた。カズの家から海岸の波打ち際が200mも沖に離れていった。台風時の防風林の必要性は無くなった。引き上げた。実家は木造建築から鉄筋コンクリート造りの住宅に建て替えられた。そして防風林としての機能を失った屋敷林は取り除かれてブロック積の塀へと変わった。カズの実家だけでなく周辺の民家も屋敷林を失った。都市化した住宅地の夏は、アスファルトの脂臭を含んだ熱風が通り抜けた。カズの実家から潮騒の夜が消えてしまった。遠い日の夏の夜の出来事がアルバムの一枚に閉じ込められてしまった。

 カズは幼少の頃から棲家を転々と変えて暮らして来た。そして15回目の棲家を屋部川の東の小高い丘の上に自前の家を建てた。50坪の住宅の2階から北に嘉津宇岳、西に屋部中学とその向こうの名護湾が見えた。嘉津宇岳の南の山は採石場となっており、なだらかに傾斜して東シナ海に流れ込んでいた。その遥か先には水平線が見えた。しかし潮騒は聞こえず、夕方になると水平線にあかね雲をなびかせる風景を見るだけであった。気がつくとカズは57歳になっており、4名の娘達は既に家を出ており、2階建ての8部屋の住宅に暮らすのは妻と二人だけとなっていた。カズは子供の頃から早寝早起きの習慣があった。午前4時に寝室を出てトイレで用を足し、応接間の籐家具のソファーに横になり、妻の寝息から逃れて朝日が窓の外に気配を見せるまで、暗い室内で微睡むことが習慣となっていた。日常の喧騒から乖離して自分を取り戻す時間でもあった。室内には時折冷蔵庫の製氷機がカラリと氷を貯蔵箱に落とす音と、玄関の靴箱の台の上の熱帯魚水槽の循環水の音だけが小さく聞こえるだけであった。カズは障子越しに近くのアパートの街灯が僅かな明かりを送りこむ室内で、水槽の循環水の音が、遠い日に実家の1番座敷で聞いた夜の潮騒のようにも聞こえていた。そして半世紀の間に15回も住居を代えた人生の旅路で誰かに出会うも、その誰かを傷つけたまま置き去りにして身勝手に旅を続けた過去があった気がした。夜明け前の微睡の中でカズだけに聞こえる夜の潮騒は、遠い日に親しんだ人々が彼を呼ぶ声にも似ていた。

2、台 風 (その1)

 赤道の北側の太平洋マリアナ諸島の付近で発生する熱帯低気圧は高い海水温の影響で上昇気流が活発化して次第に気圧が下がり、台風となって西北西に進み、やがて琉球列島付近で北に針路を変えて北上する。その後は日本本土、中国北東部海岸、韓国などへと針路を変えて進み、海水温の低い地域で温帯低気圧になって消滅する。中国大陸からの高気圧と太平洋高気圧に挟まれて沖縄近海で針路を北へ帰るのだ。二つの高気圧の勢力の強さ加減で沖縄の東の太平洋側岸を通るか西の東シナ海を北上するかが決まるのである。沖縄近海で針路を変えるのでこの地域を人間の往来が激しい東京銀座になぞらえて台風銀座と呼ばれることもあった。大型台風が来るのは大抵秋口の9月、10月である。昭和26年10月9日に太平洋ミクロネシアのグアム島近海で発生した大型台風15号ルースは西北西に進み10月13日の夜に宮古島と沖縄本島の間を抜けて北へ針路を変えて、翌日の夕方に鹿児島県に上陸した。そして九州を縦断して中国、四国地方を巻き込んで15日に三陸沖に抜けた。九州、四国、中国地方に高潮・大雨をもたらし、572名の死者・371名の行方不明者を出した。当然のごとく沖縄県でも甚大な台風被害が発生した。カズが生まれて2週間後のことだ。当時のカズの実家は父の宏と母とカズの兄の康志、祖母に二人の宏の弟が同居していた。7人が4畳半3部屋に台所ある茅葺屋で暮らしていた。初代の宏友の家が大戦で焼け残っており、それを改修してテニアン島から引き上げてきた一家が暮らしていたのだ。宏の弟一人と妹二人は就職で家を出ていた。宏が結婚して3年目のことである。

 その日の夕方、宏は西の空を見上げて弟の宏次に言った。

「見ろよ、夕焼けが赤紫色に変わって天の頂上まで染まっているぜ。こいつはかなり大型の台風がやって来るかも知れないな」

「一昨日から米軍の台風情報コンディション1が発令されたと公民館に連絡があったそうだ」

「マズいな。米蔵の籾袋にシートカバーをかけて雨漏りで濡らさないようにしよう。せっかく収穫したばかりの籾を濡らすと芽が出て食えなくなってしまうぞ。次の米の収穫は来年6月の1期作だからな」

「雨戸を釘で打ち付ける方が良いですかね」宏次が言った。

「台所の一枚を残して全部の戸に釘を打とう。それから風で飛ばされそうな籠はスコップで砂を詰めておけ」

「分かった」

「それから井戸に蓋をして重石を乗せておけ、ユウナ(オオハマボウ)の葉が井戸に溜まると水が腐るぞ。井戸の中の落ち葉を取り除くは手間がかかるからな」

「他にはないですか」宏次が言った。

「そうだな。藁綱が残っていたな。効果ないかもしれないが屋根の茅が飛ばないように固定しておこう。お前、縄を準備しろ。俺はオカアにご飯を炊いておくように言っておく。明日は飯が炊けないかもしれないからな」

2人は薄暗くなるまで台風対策を続けた。隣近所から雨戸を打ち付ける金槌の音が聞こえた。薄暗くなって異様な赤色に染まった空には赤トンボと蝶々トンボが群れていた。小学生の末弟の宏光が竹竿を振り回してトンボを追っていた。

宏次がボソリと言った。

「トンボが群れているから台風はやって来るね」

「ああ、この家が持てば良いがな。何しろ宏友オジイが建てた古い家だからな」

宏がため息交じりに言って煙草に火を着けた。煙がゆっくりと南の海の方角に流れてユウナの葉の間に吸い込まれて行った。海は既に荒れ始めており、北風に煽られて波頭が立っていた。南東からやって来る台風はかなり接近するまで風雨を伝えない。台風の進行方向の暴風域は狭く、反対側は暴風域が広いのである。それ故台風の中心から抜ける時の返し風の方が強く長い時間吹き荒れるのである。北上する台風の右側は強い風が発生するのだ。台風15号ルースは宮古島と沖縄本島の間を抜けて北上したので、台風の右側に位置した沖縄本島は強く長い間暴風雨に晒されてしまった。

「宏光、そんなもんで遊んでいないで、手足を洗って家の中に入れ。台風がやって来るぞ。トンボを獲っても食えないぞ」ヒロシが怒鳴ると宏光は捕まえていたトンボを空に放り投げて言った。

「トンボさんまた明日ね」

「しょうも無いガキだ」宏次が井戸端の水がめに向かって歩き出した。夜がゆっくりと辺りを覆いつくし始めていた。

 夕食を食べてしばらくすると外のユウナの枝が風で揺れ始めた。宏と宏次は外の様子を見に台所から外に出た。空を見上げると雲が高速で流れ下弦の半月が雲の上を走り回っているように見えた。時折ユウナの枝が大きくしなり、一陣の風が門から抜けて海に向かってユウナの葉を千切って飛ばしていた。潮騒が大きくなって荒波が門のすぐそこに迫っているように聞こえた。

「兄さん、波が家まで押し寄せてこないかな」宏次が言った。

「前の芋畑までは来るかもしれないが、ユウナの根元で止まるだろう。うちよりも金次郎さんの家が海に近いからもっと危ないだろうな」

「そうだね。うちよりも海に近い家もあるからね。台風は何度も来ているが台風の高潮で家が流された話は聞かないからね」

「台風対策で出来ることはやった。風が治まったら仕事が増えるぞ。早く寝て台風が過ぎ去るのを待とう」宏は台所の入り口に向かって歩き出した。月が厚い雲に隠れて強風と共に雨粒の大きな雨が降って来た。二人は台所の雨戸を裏表から太い竹竿で挟んで綱で縛り付けた。

キュウリとナスの一夜漬けにお茶漬け腹に詰めて寝間に行った

「今晩は荒れるな」ボソリと言って宏はランプの灯を消した。宏光と康志の寝息が聞こえた。宏は康志の側に横になって眠りに付いた。

 夜中に柱がギチッ、ギチッ音を立てた。宏は枕もとのネジ巻き目覚まし時計を手に取った。夜光塗料がぬられた時計の針が午前3時半過ぎを示していた。南側の雨戸と板壁に雨が激しく叩きつけていた。いつの間にか風向きが北から南に変わっていた。激しい風と雨の音に混ざって波の打ち寄せる音が聞こえた。宏は膝を立てて雨戸にすり寄って耳を澄ませた。打ち寄せる波は屋敷の前の芋畑まで来ているが屋敷の中までは来ていないようであった。

「お父ちゃん」と妻の初代が声を掛けた。柱がギチィと鳴った。

「赤ん坊を抱いてヤス坊の側におれ」と宏が言った。隣の襖を開けて隣の部屋の宏次に声を掛けた。

「宏次起きているか。オカアと宏光を起して動ける準備をしておけ」

「ああ、起きている」

「ランプは点けるな。火事になったら大変だ」

縦柱と天井の横軒柱が時折キチィ、キチィと鳴った。二つの部屋で宏の親子と宏次の親子が肩を寄せて座っていた。1時間ほどしただろうか家がギーと長く鳴って大きく揺れた。ガチャンと茶碗が落ちる音がした。仏壇に供えた湯吞であろう。妻の初代が「キャッ」叫んだ。襖が外れてバタンと音を立てた。宏光が「アガー」と悲鳴を上げた。宏光の上に倒れたのであろう。家は音を立てなくなった。外では相変わらず暴風雨の吹き荒れる音がした

「みんな、大丈夫か」ヒロシが呼びかけた。

「兄さん、家が傾いたみたいだ」

「ああ、その様だな。家が傾いたおかげでユウナの影となって屋根の上を風がすり抜けていくみたいだ。風向きが南に変わっているから次第に台風は遠ざかっていく、2時間もすればかなり治まるだろう。もうすこしじっとしておけ」

「宏光、じっとしておれ」宏次が怒鳴った。

雨音が止み、風がユウナの枝を揺らす音が小さくなった頃、雨戸の隙間から光が差し込んで来た。目を凝らすと家の中の様子がぼんやりと分かった。

「宏次、家が傾いて雨戸が開かないから風の当たらない北側の高窓を開けよう。くぎ抜きバールを置いた場所が解るか」

「ああ、台所の外の庇の壁に掛けてある」

「台所の床板が2枚外れるようになっている。そこから外に出てみよう」

2人は床板を外して外に出て行った。風は随分と治まっており、時折強い雨交じりの風が体に当たった。風は海水を含んでいた。ユウナの葉が千切れて吹き飛び、太い幹の間から屋敷の外側が透けて見えた。波は一定のリズムで県道の土手を乗り越えて白い泡を撒き散らしていた。県道は砂に埋もれ道路の境界を失っていた。屋敷の前の芋畑は流木や青い草木の束やアダンの実が流れ着き、砂やサンゴジャリが散らばっていた。

 二人は3番座敷の北側の高窓の釘をバールで抜き取り戸を開けた。宏光が待ちかねたように顔を覗かせた。母親のウト、妻の初代も外の様子を見に出てきた。

「外に出るのはもう少し風が治まってからだ。待っておれ。俺たちは折れた枝などを片付けておく」宏と宏次は鉈と鋸を手にその場を離れた。

風が治まってきて暫くすると通りから歩く人影がポツリポツリと出てきた。その中の一人が声を掛けてきた。宏と宏次が働く比宮組の現場主任の大城健司だ。2軒隣りに瓦屋根の新築住宅を建てて住んでいる。

「宏さん大変でしたね。怪我人は無いですか」

「皆無事だ。爺さんの建てた家だからガタがきていたみたいだ。少し押し戻せば何とかなるだろう」

「晴れたら屋根の茅を少し降ろして会社のトラックで引っ張りましょう。反対側に電柱のツッパリを入れると修繕できるでしょう」

「頼むよ。土木現場の工事が終わった夕方で良いから」

「都合が付いたら声を掛けてください。家が片付くまで仕事は休んでかまいませんから」

「ありがとう。世話をかけるな」

健司は片手を上げて去って行った。

「家は傾いているが、雨漏りはしないし、立て直しに1週間程度は必要だな、後で神山組の定和さんに会って相談してくる」

高窓を振り返るといつの間にか宏光が草履を履いて外に出て立っていた。

「こら、家の中にいろと言っただろ」宏次が叱った。

「だって、雨も風も止んでいるのに」

「このバカ、屋敷の外に出るんじゃないぞ。海へは絶対に行くなよ」

宏光は珍しそうに傾いた家を眺めていた。

「宏次、お前は家の片づけをしていろ。宏光も手伝え。俺は神山組の定和さんに会って来る」そう言って転がって砂まみれになっていた自転車のサドルの砂を草履で叩いて、自転車に跨りペダルを逆回転してチェーンの動作を確認してから門を出て行った。不安そうに宏が出て行くのを見ていた初代の前に女の人がやって来て声を掛けた。

「おはよう、ハッちゃん、大変だったね。赤ちゃんは大丈夫。」

隣の兼松さんの家に部屋を借りている北部農林高校の英語の先生の奥さんである。

「おはようございます。奥様、家が傾いているけど、雨漏りもしないし誰も怪我をしていなわ」

「そう、よかったわね、ヒロシは何処へ行ったの。さっき自転車で出て行ったけど」

「神山組の頭領に会って家の修理の相談をすると言って出て行ったの」

「そう、大変ね。カズちゃんを渡して、外の空気を吸わせなくちゃ体に毒ヨ」そう言って赤ん坊を取り上げるように受け取った。初代はヤス坊を抱き上げて宏次の手に渡した。台所から自分の草履を獲って来て高窓から壁を伝わるように外に出た。傾いて90cm程の高さになっていた。

「私の家で少し休ませるわ。宏が帰ってきたら連絡してね」宏次にそう言って歩き出した。初代は宏次から康志を受け取って奥様の後ろを追った。宏次が家の中を覗くとウトは傾いた柱にもたれて膝を立ててうたた寝をしていた。テニアン島で戦火を免れて帰郷した戦争未亡人にとって、家が傾いたぐらいで騒ぐことも無かった。

「宏次兄さん。来て」宏光声が門の近くで聞こえた。

「ねえ、見て。亀だよ」そう言って竹竿で亀の甲羅を軽く突いた。甲羅が60㎝程もある大きなウミガメである。ユウナの根元にうずくまっていた。台風の荒波で打ち上げられたのであろう。

「デカイな」宏次が言うと

宏光は竹竿を杖にヒョイと亀の甲羅の上に乗った。

「兄さん、浦島太郎みたいだろう。竜宮城に連れて行ってくれるかな」

「連れて行くかもしれないな。でも直ぐにお前は爺さんになるぜ」

「それは嫌だな」宏光はカメの甲羅の上からヒョイと飛び降りた。

この村では九月の豊年祭で浦島太郎の芝居をするのである。宏光は2週間前に見たばかりであった。

「ヒロシが帰ってきたらこの亀の足を針金で括って井戸の側のユウナの根元に括っておきなさい。水を掛けると1週間くらいは生きているから。家の修繕が終わったら大工にご馳走を振る舞うことにしよう」いつの間に家から出てきたのか母親のウトが立っていた。

 しばらくして宏が戻って来た。

「神山の定和は何と言っていたかい」ウトが尋ねた。

「台風の被害がいくつも村内にあるらしい。後で調べに来て作業の段取りをするそうだ。俺の家の被害は小さいらしい。2日では直せると言っていた。比宮組のトラックで引っ張って傾きを戻して完了だ」

「そうかい、炊き出しが必要だな。この亀を潰して振る舞うことにしよう」カメを指差して言った。

宏と宏次はカメの甲羅を持ち上げて井戸の側に運んだ。甲羅を針金で十字に括り付けて3本に撚り合わせて太くした藁綱で井戸の側のユウナの幹に繋いだ。

「宏次、台所の戸を外して出入りが出来るようにしよう。ハツはどうした」

「姉さんは宮城の奥様が連れて行った。ヤス坊も一緒だ」

「そうか、有難い」

2人は台所の戸をバールでこじ開けた。宏は戸口の柱を両手で叩いて言った。

「家は傾いているがこれ以上傾くことも無いだろう。しばらくここから出入りすることにしよう」

「そうだね。しかし、良く見るとくたびれた家だな」宏次が言った。

「宏光、ハツを呼んできな。お前は学校に行くのだろう」

「家が壊れても学校へ行かないといけないかな」

「バカ野郎、学校が壊れていなければ朝飯食って学校に行け。サッサとハツを呼んできな」

「兄さん、大工が来る前に屋敷の折れ枝を片付けよう。畑も見回りしないといけないね」

「そうだな、畑はお前が行ってきな。俺は定和さんを待って作業の打ち合わせをする」

 宏光が宮城先生の家に行くと、縁側にカズを抱いた奥様と初代の膝の上でせんべいを齧っているヤス坊がいた。

「ハツ姉さん、兄さんが戻って来てと言っているよ。僕は学校へ行けとさ」

「あら、うちの先生はさっき学校に行ったわよ。宏光君も学校に行かなくちゃ。ハツちゃん。カズちゃんとヤス坊は預かっているから家に戻りなさい。ウト姉さんが目を吊り上げて待っているわよ」

「すみませんチョット行ってきます。ヤス坊、奥様と一緒にいてね」初代は急いでユウナの垣根の間を潜って傾いた家に戻って行った。

「カズちゃん、お家が傾いて大変だって。しばらく私と一緒にいましょうね」喜久子は宝物を抱くようにカズを抱いて軽くおしりをポンポンと叩いた。カズはニコッと笑って喜久子の目を射貫くように見つめた。喜久子は体の中を電流が流れたような奇妙な感覚を覚えた。どうしようもなく欲しいものを両手で抱えている気がして、一瞬だが心が空白になっているのを感じていた。

「おばちゃん、どうしたの」ヤス坊の声に我に返った。喜久子は初代が出て行った垣根を見つめて誰もいないのを確認した。そして今の自分の表情を見ていたのは2歳のヤス坊で良かったと安堵した。自分が何かにとりつかれた顔をしていたのだろうと思った。それは子供が出来ない女の執念が体から噴き出していたに違いない。そのことが恐れにも似た感情として湧いてきて後ろめたさを覚えた。再びカズを見ると狼狽した喜久子の表情が如何にも面白いと感じているようで嬉しそうに見上げていた。この瞬間にカズと喜久子の二人の前に何処からかやって来たバスが停まり、行く先も確認せぬままバスの扉が開いたので何も考えずに乗り込んでしまったのだった。二人が座席に座ると紺色の制服の襟を立て、運転手特有の鍔が短く白い多い覆いを掛けた帽子を被った顔の見えない男が乗降扉を閉め、白い手袋をした手でギアを入れバスを発車した。二人はうつろな目で車窓から流れる風景を眺めるだけであった。神が気まぐれな風を送り、喜久子の心に僅かなさざ波を起し、やがて大きな波へと発達して音叉の共鳴の如く互いの耳に潮騒を届けるていることを知らなかった。カズと喜久子の旅の始まりであった。

 宏達はおにぎりと大根の漬物で朝食を取り、宏光はしぶしぶと学校へ出かけた。屋敷の折れ枝やらの片づけを終えた昼前に神山組の定和がやって来た。宏次は既に田畑の様子を見に自転車で出かけていた。定和は家をぐるりと周りながら柱や壁と手で叩いて調べていた。一通り調べた後で井戸の側の木陰に立っていたウトの前にやって来た。

「ウト姉さん久しぶりです。お元気ですか。城村の泰三兄さんは元気ですか」

「最近会っていないが元気みたいだね」とウトが返事した。

「この家のことだがね」

「宏の話では2日もあれば修繕できるらしいね」

「傾いたこの家を直すのは面倒ではないがね。今年はもうこんな大きな台風は来ないだろうが、来年も大きな台風が来るとこの家は持ち堪えきれないね。この家の材木は相当に痛んでいる。宏友爺さんの建てた家らしいね。そろそろ寿命ですよ。建て替えをした方が良いですよ」

「定和よ、簡単に言うね。住む家が無いと明日からの暮らしが成り立たないよ」

「あちらこちら柱の継ぎ口が腐って折れているが、カスガイで繋げば何とか住めるようになりますよ。ただ、今度のルース台風よりも弱い台風でも倒れるでしょうね。完璧に倒れますよ」

「お前、あたしを脅かすのかい」

「オカア、定和さんの言うとおりだよ。一緒に調べたけど確かに寿命だな」

「それでね、ウト姉さん。ここは屋敷が広いから、この家を屋敷の西の角に移動して、仮住まいにするのです。来年の台風が来る前の6月迄に新築すれば良いです。これから図面を描いて、材料を集めて工事を進めると来年の4月頃までには完成できますよ。今は本土からの木材もどんどん入って来るし、セメント瓦工場に注文すれば十分に間に合います」

「お金はどうする」

「今は戦前と違って銀行がしっかりしているから、戦前のように高利貸しから金を借りるのとは訳が違いますよ」定和が笑いながら言った。

「そんなもんかねー」ウトが言うと

「姉さん所は息子が3名もいてハサマ一族の田畑も多いでしょう。食べるだけの米はあるでしょうが」

「宏、できるかねー」ウトが宏に拝むような目付きで言った。

「建て替え時期だね。意地を出して仕掛けよう。宏安が今日の夜に来るから話してみよう。定和兄さん新築でお願いいたします」

「よし、分った。手始めにこの家の屋根の茅を取り除き、壁板や床板を外す。それから骨組みをカスガイなどで固定して補修しよう。それが終わったら村の若い者を集めて家の骨組みごと屋敷の角に移動しよう。何度かやった事があるので問題は無いよ。それから半年住める程度に直して新築の準備に取りかかろう」

「修理代はどうする」

「姉さん大丈夫だよ。新築の工事費の中に組み入れるから。村の青年の手間は何か食べさせて酒を飲ませばオッケーさ」

「いつから仕掛けるのかい」

「村内にはもっとひどい所があるから、姉さん所は10日後かな。この家は直ぐに倒れることは無いから、申し訳ないが少し待ってください」

「分かりました。改修工事が始まったら俺も宏次も手伝うから何でも言ってください」

「アンタら兄弟が手伝うなら3,4日で片付くだろう。細かいことは仕掛ける前に連絡するから。ワシは台風被害のある他の家を廻って来る」そう言って自転車に跨った。

「宜しくお願いします」宏が頭を下げた。

 昼過ぎに宏光が帰って来た。

「宏光チョット来な」宏次が呼んだ。

「兄さん何、亀太郎は元気かな」宏光がやって来て亀に井戸水を溜めた甕から水を汲んで甲羅や頭にかけた。

「亀の世話はお前の係だ」

「世話と言っても亀は何を食べるのかな」

「砂浜に穴を掘って住んでいる蟹がいるだろ。あれを14,5匹つかまえて亀の餌にしな。出来るだろ。稲わらの先に蟹を結んで亀の口の前に出しな。ぱくりと食いつくから。手でカニを食べさせるとお前の指なんか簡単に食いちぎるぞ」宏次が笑いながら言った。

「分かった」宏光はそう言うと、勉強道具の入った風呂敷包みを高窓から放り込み、バケツと穴掘り用の空き缶を手に海岸へ走って行った。

 1週間後には傾いた家を屋敷の西の隅に移動して一件落着となった。そしてその年の台風シーズンも終了した。宏光の亀の飼育係も終わった。亀は初代が台風で落ちたパパイヤとサツマイモをぶつ切りにして大なべで煮込んで亀汁にした。茅が取り除かれて骨組みだけの家の移動にやって来た青年たちに亀汁が振る舞われた。カズとヤス坊は宮城先生の家で過ごした。

新しい住宅は年が明けて1月の中頃に着工して3月の下旬に完成した。家の構造は矩形で5部屋に広い土間とレンガ造りの大きな窯を備えた家であった。菓子職人の修行に出ていた宏安が帰って来て彼の菓子工房となった。そして屋敷の北側に豚を養った。豚の餌となる芋を煮る大なべを据える窯でもあった。古い茅葺の家はヤギ小屋に変わった。昭和26年10月にやって来た台風15号ルースはハサマ小一家に大きな変化をもたらした。この変化は大戦でテニアン島から引き上げてきた一族の新しい時代の幕開けとなったのである。カズが喜久子に連れられてこの地を離れるまで2年の歳月が残っていた。

3、台 風 (その2)

 沖縄県は本当に台風の多い地域である。台風が接近すると落日後の西の空が紫を帯びた橙色に染まる。普段見馴れない夕焼けの色が天空に広がるので心が騒いでしまう。奇妙な色彩に心が迷うのは大人も子供も同じだ。ただ、台風で家屋を倒壊したり、豪雨による浸水など直接的な脅威が発生したのは昭和30年代の中頃までであろう。治水事業の進展で河川の増水対策が整い、鉄筋コンクリート家屋が増えて防風への耐性強度が高くなってからは、台風による観光業、農業への影響が多くなっていった。

 カズが小学校高学年になってからは護岸整備が整い、台風による高波が住宅地に押し寄せて来ることは無くなった。防潮林としてアダンが列植され幅5mで高さ3m程の緑地帯が県道と砂浜を遮るように形成されていた。台風の度に高波の被害が県道に及ぶこの地区は、県の管轄で砂浜の最上部に砂防コンクリート護岸工事が施工されていた。その護岸と県道の間に防風林が形成されたのだ。アダンが植えられたのは暴風林の役目より防砂林としての機能を求めたのである。緑化木の生産者がいない時代であり、ぶつ切りのアダンの幹を砂に差し込んだだけの植栽工事であった。それでもアダンの生命力は抜群であった。たちまち緑地帯を形成した。建設直後は威容を誇った護岸は設計ミスか或いは自然の驚異なのか数年で砂の中に埋もれてしまった。それでもアダンの防砂林は砂を被っても砂の上を這うように成長して県道に海砂が入り込むのを許さなかった。カズの家からはアダンの防風林に遮られて名護湾の海面が見えなくなっていた。それでも南からの風で海が荒れるとアダンの葉の間を抜けて潮騒が聞こえてきた。カズが中学生になってからは台風で倒壊した家が出たとの噂を聞くことは無かった。強風で屋敷林のユウナが大きく揺れるのを見ると多少の恐怖感が湧いてきたが、台風が持ってくる僅かな楽しみがあったのも確かだ。

 その夏の夏休みの終わりにやって来た台風は、前夜から吹き荒れたが次第に沖縄から離れつつあり、昼過ぎは南南東の風に変わっていた。日暮れには間があるが太陽の射す気配は全く無かった。連続した雨は絶えていたが、時折強風と共に単発的に降って来た。

カズは風下の戸を少し開けて強風がユウナの枝を揺するのと見ていた。

「お母さん、風が治まったから外に出ても良いでしょう。兄さんと一緒に海を見てきたい」

「まだ風が強いでしょう。いけません」

「兄ちゃん、もう風は弱まっているよね。大丈夫だと思うけど」兄の康志に相槌を求めた。

「ダメです。もう少し待ちなさい」母の初代がピシャリと撥ねつけた

「チェッ、ツマラナイ。家の中だけに入ると退屈だ。はぁ、退屈だ。ヒマだ、退屈だ、退屈だ」そう言って枕を部屋の端に投げつけた。

兄の康志はただ外の風に揺れるユウナの枝先を見ていた。父の宏は背中を向けて横たわり、いびきをかいていた。1週間もすると夏休みが終わる8月の終わりごろであった。

「カズ、夏休みの宿題は終わったの」

「チェッ、あんなもんやったって頭が良くなるわけないジャン。夏休みの宿題なんて頭の悪い奴のすることだヨ。俺には必要ないよ」

「バカもん」怒鳴りつけて、初代は夕食の下ごしらえをする為に台所に立って行った。カズは少しだけ雨戸を押し開き、膝を抱えて座り、顎を膝に乗せて不貞腐れた顔でユウナの枝の揺れるのをぼんやりと見ていた。ふと後ろに人の気配を感じて振り向いて見上げると父が立っていた。

「風が治まって来たな、どれ、畑を見て来るか」そう言って壁に掛けてあった作業上着を取った。カズはしめたと思った。

「父ちゃん、俺らは浜に行って来る。良いだろ」

「浜からだけ歩いて、波の中には入るなよ。足を取られて冲に流されるぞ」

「解ってるよ。兄ちゃん、お父ちゃんが海に行っても良いってさ。行こうぜ」

父の目が笑っていた。「ヤス坊、大石(ポーイシ)の崖から先には行くなよ」

「解ってるよ。あそこは波を被るから危ないよ」兄の康志が言った。

2人は急いで草履を履いてバケツを持ち、台所の戸を少し開けて外に出た。雨交じりの風が門のユウナの間から吹き込んで来た。雨は塩交じりであった。半ズボンに半袖Tシャツ姿の二人は少し前のめりで風に逆らうように海鳴りのする浜に向かって門を出た。芋畑からキビ畑に変わった自宅前のキビが大地に這いつくばるほど深々とお辞儀を厭きることなく繰り返していた。県道は雨水とも海水とも分らぬが15㎝程溜まったままであった。その向こうから荒々しい潮騒が聞こえた。自宅の東側の道路が県道に突き当たり、その先の防風林が5m程途切れて浜に降りることが出来た。村人が砂を採取したり、潮干狩り等する生活道路の一部となっていた。こんもりとした砂の土手を上がると強風と共にいつもと異なる強い海の香りが二人を包んだ。

「兄ちゃん、海は荒れてるね」

「もう、誰かが歩いているぜ。行こう」

波は泡を立てながら浜のかなり奥まで押し寄せていた。深く這い上がる部分と船の舳先のように突き出た荒い砂利の部分が交互に連続していた。100m足らずの間隔で数名が下を向いて何かを探しているように歩いていた。目的は皆同じで荒波で打ち上げられた貝やワタリガニ、手のひら大の魚、タコ、イカを探しているのだ。少し歩くとハマグリ、高瀬貝、ティラジャと呼ばれる巻貝が荒いサンゴの砂利の間に転がっていた。海蛇が波にもてあそばれるように砂浜に打ち寄せる波に打ち上げられては引き潮で戻りつしていた。

「兄ちゃん、あれは何かな」カズが指差した。

打ち寄せる波にぼろ雑巾のように寄せては戻る塊を指差して言った。

「オッ」とひと声言ってジャブジャブと浅い波の中に入って言ってその塊を拾い上げた。足元の砂が波に削り取られ足をすくわれないように注意しながら戻って来た。手にしているのはタコである。タコに顔を近づけて臭いを嗅いで言った。

「カズ良い物を見つけたな。未だ食えるぞ。死んでいるが腐っちゃいない」

バケツにタコを放り込むと急に重くなった。康志がカズの手からバケツを受け取った。二人は大石の岩場まで行かず、途中で引き返した。帰る途中でもいくつか貝を拾った。荒波は次々と海底から弱った魚介類を打ち上げるのだ。只、台風の贈り物である魚介類の獲物は夏の強い熱射によって一気に腐蝕してしまい、人間の食料からカニ、ヤドカリ、フナムシ等の浜の小動物の食料となり、やがて微生物が自然界に還元してしまうのである。台風は通過後のほんの短時間だけ現役を離れた老人と少年たちに楽しみをもたらしてくれるのだった。一家の主である大人は台風による諸事情の影響に頭を悩ませるのが常であった。

 台風通過後の浜辺は1週間程魚介類や海藻の腐蝕した臭いがした。カズたちは少し波が治まると直ぐに泳ぎに行った。夏は何処の家でも風呂を沸かすことが無く、子供たちの多くは海で泳いで帰宅して井戸水の被るのが常であった。只、子供たちを悩ませたのはカツオノエボシだった。カツオノエボシは波間にプカリプカリ浮きながら台風の南風に乗って南の海からやって来た。細い帯状の蝕手には強い毒があり、触れた皮膚に電気ショックにも似た痛みを伴い、細長い赤いかぶれを生じるのだった。カズたちは通称イラーと呼ぶカツオノエボシを見つけると浜から棒切れを拾ってきてそれに蝕手を巻き付けて砂浜に放り出して翌日の太陽で干物にした。カツオノエボシは波が穏やかになる頃には消えていた。浜に打ち上げられて干物になっていたのかも知れない。1972年の本土復帰により、日本政府の予算で名護湾は東江集落前から宮里集落前まで埋められてしまった。潮騒はカズの家から300m先まで退いてしまった。同時に台風通過後の子供と老人達の細やかな楽しみも過去の風景となってしまった。カズの実家で聞くのは潮騒に変わって国道58号を走る車両の騒音だけである。

4、隣の金次郎さん

 カズが中学1年生の頃、東京オリンピックがあった。未だ本土復帰していない米国施政権下の沖縄でも東村嘉陽集落から那覇市までの聖火リレーがあった。正確な聖火のリレールートは覚えていないが、地域の陸上競技選手が隊列を作り先頭の体格のしっかりした男が金属の棒を持って先導して走り抜けた。金属の棒は聖火と呼ばれる神聖な火で遠くギリシャのアテネから運ばれてきたと学校の授業で教わっていた。小中高の生徒が沿道に並んで声援を送っていた記憶がある。カズはふと父親が冬の夜にイザリに出る時に使う石油缶の松明を思い出していた。父が海に向かう時に手にする石油缶松明の黒い煙を連想させた。形が随分と異なるが白くたなびく聖火の煙が父の勇ましい姿と重なって連想させたのであろう。未だテレビのないカズの家では東京オリンピックは聖火リレーだけで終了であった。県民の中から一人でもオリンピック選手がいれば興味も湧いただろうが、カズにとってスポーツは遊びの延長線上にしかなかった。本土復帰は9年後でカズが成人してからのことだった。聖火リレーとて村の豊年祭で通りを練り歩く旗頭にも似たお祭りの一つに過ぎなかった。

 この頃の住宅はほとんどが木造セメント瓦造りであった。瓦屋根には漆喰が必需品でありその原料は消石灰と稲わらであった。稲わらの入手は水田地帯を控えており容易であったが、消石灰を本土から導入するには製造単価が上がってしまう。そこで消石灰を自ら作る者があった。遠浅の海の干潮時にバレーボール程の大きさのサンゴ石を採取するのだ。300m先までも干上がる宮里集落の前の海でサンゴ石を拾うことは容易であった。荷馬車で建築用の砂やバラスを運搬する業者に委託して浜まで運び上げるのである。広い砂浜の一角に大きな焼き物窯を作り、その中でしばらく日干しにして水気を飛ばしたサンゴ石を焼くのだ。もともとサンゴの死骸であったサンゴ石は柔らく容易に石灰に変化した。その焼いた石を取り出して水を掛けると高温を発して反応して石灰紛となって崩れた。石灰紛と稲わらを混ぜて練り込むとセメント瓦の尾根を固定する漆喰となるのだ。日本本土の漆喰壁の原料として製造するのではない。あくまでもこの頃の主流のセメント瓦屋根の建築材料、或いは少なくなった赤瓦屋根の繋材としての需要であった。ニッチな産業であり、本島北部ではカズの同級生の実家が唯一の生産者であった。

 カズの家の前の芋畑は漆喰造りの屋良産業が漆喰造りのヤードに使っていた。10坪ほどのセメント造りの倉庫と、その横にコンクリート土間の焼き石灰岩に水をかけて粉にする溜まり場があった。そして敷地の大部分はサンゴ石灰岩を焼くための木材が積まれていた。ほとんどが火力の強い松材であった。この頃はパイン生産が始まっており、山林の開墾地からの採取が容易であった。

 聖火リレーが終了した週の日曜日の夕方のことである。バスケットボールのドリブルの練習をしてヒマを潰しているカズを自宅裏の四つ角の斜め向かいの豆腐屋の恒造が訪ねて来た。カズの知らぬ間に裏門を潜って入って来た恒造が声を掛けた。

「カズ兄さん、これ見てよ」その声に振り向くと、手に棒状の変わった物を持っている。

「なんだそれは」

「オヤジがイザリに使うと言って作ったのだが、少し小さいと言って放り出してあった」

良く見ると松明である。片手で握ることが出来る棒切れの先に小さな空き缶を括り付け、灯油を入れてぼろ布を押し込んであるチャチな道具である。カズの父の松明は2ℓほどの灯油が入り、灯火を引き立たたせる反射板を備えてある。兄が高校生になれば父に代わって二人でイザリに行きたいと考えていた。遠浅の海は冬になると幾つものイザリ火が灯るのが常であった。一月もするとシーズン到来である。恒造の家は昨年に羽地村の山間部の村からやって来たのだった。カズの家の隣の兼松さん所有の借家住まいで、オヤジは豆腐造りを生業としていた。山暮らしで馴れないイザリの松明の試作の失敗品であろう。

「これではイザリに使えないな、直ぐに燃え尽きてしまうぜ」

「そうかな」恒造は言った。カズの一つ下の小学校6年生である。転校生で友人が少ないのか何かとカズの尻を追いかけていた。

「お前、この間の聖火リレーを見ただろう。せいぜいそれの真似事にしか使えないな。どれ貸してみな」そう言って松明を取り上げた。缶に灯油は入っていないが、一度火を着けて消した跡があり、灯油の臭いがした。

「チョット待っていな」そう言ってカズは家に上がって仏壇の引き出しから小さなマッチを持って来た。

「俺が火を着けてやるから聖火ランナーの前をしてみな。確かお前足が速かったよな。県道の所まで行って引っ返してきな。俺が見ていてやるから」

「カズ兄、こうかな」恒造は松明を高く掲げて言った。

「お前この間の聖火リレーをちゃんと見ていなかったな」

「うん、俺は背が低いから、前に出て見た時にはたくさんの人が走る後ろ姿と煙だけだった」

「こんな感じだ」カズは聖火ランナーの真似をして見せた。

「こんな感じかな」恒造が真剣な目つきで問い直した。

松明に火を着けてからカズは言った。

「松明は真っ直ぐに立てろよ。速く走る必要は無いからな。松明の火がお前の頭に燃え移ると、お前の天然パーマの髪の毛が焼けてもっと縮れてしまうぜ」

「うん、分った」真剣な顔で返事をした。

2人は四つ角に出て車や人影が無いのを確かめた。

「よし、行け」カズはパチンと両手を叩いた。

恒造が緊張した面持ちで走り出した。夕方の凪の中で灯火の煙がゆっくりと流れた。

 恒造が漆喰工場の敷地の横に来た時に大きな人影が現れて恒造を怒鳴りつけた。

「おい小僧何を持っている」カズの耳に届く声であった。

その声に驚いた恒造が立ちすくんだ。そして松明を放り出して男を見つめた。

大男はカズの家の斜め向かいの家の金次郎さんである。カズはその男が苦手であった。赤ら顔の声の大きい威張った態度の男で、父より10歳くらい年上に見えた。何やら恒造を叱りつけているようだ。恒造の頭を手のひらで叩くような、押さえ込むようなしぐさを数回繰り返している。やがて恒造は泣き出して引き返してきたそしてカズの顔をチラリと見て自宅に走って行った。カズは嫌な予感がした。金次郎さんはカズを見つめて右手を横に振って自宅に戻るような仕草をした。そしてカズの家の門に向かって歩き出した。カズは観念した。金次郎さんが文句を言いにカズの家に向かったことを悟った。

「クソッタレ、赤ら顔の酒のみオッサンの奴、オヤジに文句を言うつもりだな」カズは小さく呟いて裏門から住宅の横を前庭に向かった。父が縁側に座って煙草を吸っていた。今しがた畑から帰って来たようだ。ズボンの裾をまくり上げ井戸端で手足を洗ったばかりの様子であった。

 金次郎さんが太いユウナに挟まれた間からも松明を持って入って来た。大人が持つととても小さく見えた。金次郎さんが父に声を掛けた。

「宏よ、子供の教育も満足に出来ないようだな」

父が立ち上がって言った。

「どういう事かね、金次郎さん」

「アンタのそこにいる次男坊がな、この松明で其処の松の材木に火を着けろと真謝の豆腐屋の息子をそそのかしたのさ。学校の出来は良いようだが大した息子を教育したもんだな」

「カズ、どういう事だ」

カズは大人に口答えをしてもことは治まらないと解って黙って金次郎さんを睨み付けた。金次郎さんは意外な表情でカズを見た。何か言い訳をするだろうから叱りつけて凹ましてしまうつもりであったのだろう。

「ほう、悪びれることも無い大したガキだぜ。宏ヨウ、アンタもよく躾をしているみたいだな」金次郎さんが勝ち誇り見下したように言った。

父が立ち上がって言った、

「カズ向こうを向いて立て」父がそう言って箒を手にするのを見た。

カズは早く事を済ませたいと思って何も言わずに金次郎さんに背を向けて立った。父はぶかぶかのカズのズボンの尻を外箒の柄で強く叩いた。バーンと大きな音がした。箒は宏の手の中でミシリ音を立てた。宏が「もう一度だ」と言って箒を振り上げた。箒の柄が刷毛の部分から折れて金次郎さんの持つ松明の手の甲に当たった。金次郎さんは「ゲェッ」と小さく声を出して松明を落として後ずさった。父は少し怯えた目付きをした金次郎さんに近寄り、松明を拾った。

「少し力が入りすぎたな。これが俺の教育さ。この子もこれで悪い遊びはしないだろうよ」と父が言った。カズは振り返って父と金次郎さんの様子を見ていた。

「その松明を返せ、証拠品だ」金次郎さんが言った。

「何の証拠品だ。アンタ警察官になったつもりかい。警察署の経理担当事務員だと聞いているぜ。ほしかったら本物の警察官を寄こしな」父が唇の横に薄ら笑いを浮かべて言った。

「二度と大人の手を煩わすことの無いようにガキをちゃんと教育しなよ」

「解ってるさ、こいつも二度と悪さはしないさ」

金次郎さんは右手の甲を擦りながら門を出て行った。

「この松明はどういう事だ、カズ説明しろ」父が笑いながら言った。

「どうもこうも無いよ、松明は真謝のオヤジが作った物らしい。それを恒造が持って来たので聖火リレーの真似事をさせたのさ。石灰工場の横で金次郎さんに怒鳴られて道路の上で松明を落としただけだ。キチガイじゃあるまいし誰が材木に火を着けるかよ。恒造のやつ泣いて家にすっ飛んで行ったよ」

「ふん、そんなことだと思ったよ。明日は学校だろ。サッサと手足を洗って家に入りな」父は豚の餌を炊く薪を積んだ上にあった鉈の刃の後ろで松明の缶を叩き落とし、松明の柄の部分の棒を薪の上に放り出した。缶はゴミ置き場に放り出した。そして何か独り言を言いながら箒の柄を拾いあげて大工道具を置いてある納屋に向かった。多分折れた箒の修理をするのだろうとカズは思った。

 夕食時にカズの座り方がおかしいので母が言った。

「カズ、ちゃんと座りなさい。尻でも痛いのかい」

「何でもないわい」そう言って夕飯をかき込んで立ち上がった。尻が痛くてうつ伏せに寝なくちゃいけないなと考えながら勉強机のある部屋向かった。

「気の強いガキだぜ。金次郎さんにねじ込まれてな、成り行き上でアイツの尻を箒で叩いたのさ」

「あたしも金次郎さんは苦手だね。何か威張り腐って人を見下しているみたいだから」

「アイツは警察官ではないぜ、ただの事務員だ。人の話ではナ、町役場の臨時職員をしていた頃、何やら予算絡みの失態で自主退職したそうだ」

「何だか酒癖が悪いとの噂を聞いたわ」

「ああ、警察官の制服を質屋に入れて酒代を借りたそうだ。警察行事の時に慌てて質屋に駆け込んだそうだ」

「可笑しな人ね。でも嘉手納署迄バス通勤するのは感心ね」

「バカ言え。アイツは警察官でもないのに通勤時には警察官の服を手に抱えて無賃乗車しているのさ。通勤手当もせしめているとの噂だぜ」

「いやな奴ね。貴方を嫌っているみたいね」

「それはな」宏は晩酌の酒を口にしてから言った。

「ほれ、戦後の土地区画確認事業があっただろ。お前が宏秀叔父さんの悪だくみを見抜いた1年程前のことだ。金次郎さんが俺に言ったのよ」

「お前の敷地の境界はもっと西側にあったんではないか。戦後の区画確認のドサクサに敷地を拡げただろう」そう言ったのさ。

俺は言ったのさ

「金次郎さん、名護町の土地台帳は焼けずに残っていて、役場の用地課の職員がその公図を基に測量してくい打ちをしたのさ。アンタ役場に勤めていたから分かるだろう。ああそうか。アンタは役場の汚職事件で辞めさせられたと聞いたぜ」

「そんなのデマだ」と彼が言ったので

「ああそうかい。確か事件が発覚する前に自主退職したらしいとの噂だぜ」

「だからデマだと言っているだろ」

「俺も本当だと言っていないぜ。噂だよ。俺は終戦で海軍の潜水艦を降りて大阪にいたからな、名護町役場の汚職事件は大工仲間から聞いた噂だヨ」

「そんなこと言ったの。金次郎さんが怒るわよ」

「俺もあの頃はお前と結婚する前の独身で、海軍の兵隊クズレの気質が残っていた頃だからさ」

 カズは腹ばいになって薄っぺらな敷布団の上で何となく父母の会話が聞こえていたがすぐに眠りの中に落ちて行った。夜の暗闇の中で微かに潮騒が聞こえていた。金次郎さんが暮らしていた土地は妻のユキさんの従弟の土地で、南大東島でサトウキビ工場に関わる事業をしていたらしい。現在はその息子が土地を不動産業者に売却してアパートが立っている。真謝の豆腐屋はカズが大学を出るために家を出た頃に何処かへ去っていた。兼松さんの土地は養子の兼安がアパートを立てている。名護湾は埋められてスポーツ公園となり、潮騒の浜は実家から300mも沖に後退してしまった。カズが遊んだ潮騒の浜の上を国道58号が走り、深夜でも緊急車両のサイレンが響くだけである。夜の潮騒はカズの心の中に時折聞こえるだけとなってしまった。

5、漁り火

          (1)

 カズはその日の夕食を父と二人で取っていた。半年前から父母の介護を5人の兄弟が交代制で行っている。介護と言っても夕食は専門業者の栄養管理の行き届いた宅配弁当が夕方の4時頃に届くのでそれで父母の夕食として、朝食は妹達が作って冷蔵庫に入れた食材を温めて父母の食卓に出すだけだ。只、朝晩の食後に父母に出す常習薬を与えるのが主な作業である。血圧薬、便秘薬、気管支薬、睡眠薬と90歳前の年寄りは製薬会社の貢献者である。カズは自分の食事をスーパーマーケットで調達して実家にやって来るのである。一泊して翌朝9時前に迎えに来るデイケアサービスの職員に引き渡すと任務完了だ。デイケアセンターで昼食をとり、健康体操やテレビを観て過ごし風呂に入って帰宅する生活を2年前から続けていた。この日は母が風邪気味で3日ばかり入院であった。肺と心臓に難がある母は時々病院の世話になっていた。父はいたって健康でデイケアセンター通いを楽しんでいるようだ。脚力が衰えており4本足の歩行補助具の世話になっていた。人は生まれると先ずハイハイの4本足で移動し、やがて立ち上がり2本足の行動で長く暮らす。老いてくると杖をつく3本脚、そして補助歩行器具の6本足、それが過ぎると車椅子となる。父は4本足の歩行補助器具で室内をガタン、ガタンと音を立てて移動するが、いたって健康そのものである。カズの宿泊当番は木曜日であった。夕食時に父の好きな刺身、或いは握り寿司を小皿1枚だけ宅配弁当に付け加えるのが常であった。父は海辺の家で育ち、青年期に太平洋マリアナ諸島のテニアン島に渡り、志願兵として長崎の海軍基地で終戦を迎えた。人生の殆どを海辺の環境で暮らしてきたのだ、魚介類が好きなのは当然である。カズは本部町の海洋博公園で仕事をするようになってからは、初カツオが本部漁港で上がると毎年届けていた。この日はタコの酢の物を小鉢に入れて出した。茹でたタコに醤油と酢と自宅裏からシークワーサーを2個捥いでその汁を振りかけてあった。

「シガイダコかい」一切れを口に運んで言った。

「ああ、昨晩採って来た」

「何処でイザリをしたのだ「

「屋部中学校の前の海岸だ」

「あそこも遠浅で夏は潮干狩りが出来るとオカアが言っていたな」

「うん、屋部川の側から西のスンジャガーの離れ岩まで1時間ばかり歩いて小さなシガイダコ3匹しか取れなかった」カズが言った。

「イサリをする人は他にもいたかい」

「漁り火は2個ばかりあったかな。今の人はイサリ漁をしないようだな」

「久しぶりにシガイダコを食べたな。美味いな」

「高校生の頃に兄貴と二人で家の前の海でイサリをしたが、獲物が豊富だったな」

「宮里の海は特別だったな。俺は埋め立てに反対だったが政府の方針だから仕方がないさ」

カズは遠い日の事を思い出した。

 父は左官大工の頭領になってからはイサリ漁に出ることは少なかった。夜中まで海に出ると翌日の仕事に差し支えたのだろう。休みの前日が大潮になるとは限らないしイサリ漁への興味も薄れていたのだろう。イサリ漁は大潮の夜の干潮時に行われた。満月の夜より新月の夜が良いと言われていた。月明かりで漁をする人間の姿が見えると魚が逃げると言われていたが良く分からない。

 カズと兄は父がブリキ職人に作らせた灯油松明を手に真っ暗な海に出た。灯油が2ℓほど入り握り拳2個程の大きさの麻の芯が差し込まれ灯火となっている。30㎝幅の反射板が付いている。長く持って歩き続けるには結構な重さだ。二人は交互に松明を持った。一人が取った獲物を刺し通して引きずる太いテグスの縄を引いている。縄の先端は千枚通しの針金が付いていた。通しの縄の端は獲物が抜けぬように止め浮きが付いている。取った獲物を海面に浮かして引きずっていくためだ。止め浮きは浮き球でなく下駄が結わえられていた。何故か知らぬが縁起が良いと言われていたのだ。それぞれ自分専用の1本銛を持っていた。むろん手作りである。

 夜の最大干潮は深夜零時から午前1時頃だ。その前後2時間が漁の出来る時間帯だ。二人は午後9時ごろに浜に出て潮の引くのを待った。夏の日の水遊びで飛び込みをして遊んでいる岩が次第に海中からせり上がっていくのをみていた。ズックに長ズボン長袖シャツ姿で砂浜に座っていた兄の康志が言った。

「行こうか」そう言って上着のポケットからマッチを取り出して松明に火を着けた。遠くに漁り火が点々と見えた。二人は砂浜に沿って西の大石の方角に歩いた。干潮が進むにつれて膝の深さを目安に冲に向かって歩いた。

「カズ見な、シガイだ」銛で指した先に淡いピンク色の丸い塊があった。荒いサンゴ砂利の上に丸くなって座っているように見えた。その塊を銛で突いた。シガイダコはおとなしく銛で突き抜かれた。そして8本の手を銛に絡みつけて暴れ出した。その頭に千枚通しの針で指し通して下駄付きの紐の中に抜き取った。

「良い形の初得物だな」カズが言った。

「ああ、縁起がよいぜ」兄が歩き出した。東の方角にはイザリ火が増えていた。灯火は暗い海面に反射して揺らめいていた。カズはふと鬼火もこんなものかなと思った。何匹かシガイダコを突き、渡りガサミを突いた。

「ガサミを銛で突くとその穴からダシが抜けて旨味が少なくなるぜ」康志がいった。

「兄さん、俺らの周りを海蛇がぐるぐる回ってついて来るぜ。銛で叩き殺そうか」

「待て、縁起でもない。向こうのイザリ火が近づいてきたら銛で引っかけて投げ飛ばそうぜ。そうすればあの松明の周りをグルグル回るさ」康志はそう言って何事も無いように一番近い漁り火に近づいた。

「松明と弾き綱を持っていろ」そう言ってカズに渡した。康志は両手で銛の柄を握り近づいて来た海蛇の胴の中央部を銛の先端で引っかけ、竿を大きくしならせて海蛇を遠くへ飛ばした。海蛇はカズらの松明より近づいて来た誰かの松明に近い位置に落ちた。暗闇の中で魚が跳ねる音にも似て水しぶきが上がった。

「海蛇が戻ってくる前に急いで離れようぜ」康志は松明を受け取って早足で歩きだした。カズもつられて急ぎ足となって兄の後を追った。潮はかなり引いており、普段はほとんど行かない場所まで歩けるようになっていた。普段は砂浜から50m程離れた場所で波頭を立てているトンガリ岩が右手に見えた。その周りは既に干上がっていた。最初に入った砂浜から500m程ジグザグに歩いてきていた。目の前に大石の離れ岩が黒々と水面に浮かび、波にえぐられた岩が巨大なキノコのような形を見せていた。岩の上に生えた草木が風に微かに揺れていた。

「あの岩を廻って引き返そうぜ」康志が言った。

「うん、随分歩いたみたいだね」カズが返事した。

二人はその岩の裏側に向かって歩き出した。岩のすぐそばを歩いた。岩から少し離れると急に深くなっていた。二人は岩の西側から浅くなっているのを泳ぎ馴れて知っていた。

「カズ、面白い物を見つけたぜ」灯火を持ち上げて康志が冲を照らした。棒が水面から数本出ており網が帯状に冲に伸びていた。

「兄さん何だいあれは」

「刺し網だ。今日は最大干潮だ。あそこ迄歩けるかもしれないぜ。行ってみよう」

2人は太ももまで水に浸かって歩いた。松明は水面を引きずっていた。そして刺し網の端にたどり着いた。

「見なよ、チヌが網に絡まっているぜ。松明と引綱をもっていろ」康志はカズに松明を渡した。銀色の魚を康志が銛で突いて網から外した。魚は身動きしなかった。

「兄さんこの魚死んでいるのかな、動かないぜ」

「いや、長い間網に絡まっていたから弱っているのさ。死んで腐ってはいなさ」

カズは魚を手に取って臭いを嗅いでみた。

「うん、腐ってはいないな。目が濁っていないしね」

2人は下着が濡れそうな深さで引き上げた。30cm程度のチヌを3匹取ることが出来た。二人はゆっくりと引き返した。2時間ほど歩いただろうか。大石のキノコ岩の岩ノリが海面から150m程上に付着していた。満潮時には岩ノリは海中にあるはずだった。20個ほど見えた灯火が数点に減っていた。康志は獲物で重くなった通し糸を銛の柄に巻き付けて担いだ。干上がった干潟の上を歩き疲れた足取りで自宅に向かった。そっと台所の戸を開けた。母が起き出してきた。

「あら、お父ちゃんより獲り上手ね。これに入れておいて、明日の朝に料理するから」そう言ってアルミの大なべを持って来て渡した。大きなあくびをして戻って行った。二人は井戸端に建てた風呂場で井戸水をくみ上げて臍から下を洗って首に巻いていた手ぬぐいで拭いた。井戸水は暖かく感じた。

「明日は金曜日で学校の授業がある、早く寝ようぜ」康志がいった。カズは急に疲れを感じた。寝室に戻って目覚まし時計を見ると午前0時半であった。

 その頃に自宅前の夜のイザリで取れる獲物は、タコ、イカ、クブシミ、ウツボに似た大ウナギ、アンコウ、ミノカサゴ、大型のハリセンボン、渡りガサミであった。

        (2)

 カズは大学の農学部を卒業して沖縄本島北部の東洋果樹園の管理業務に従事した。8ヘクタールの大規模温州ミカン果樹園であった。同級生の上原チカオと地元の作業員山城幸雄さんの3名で管理していた。所有者は建築用タイル販売の沖縄タイル商会と貸しビル業の松屋産業のオーナーである比嘉松栄氏であった。果樹園は比嘉社長出身地である国頭村安波の集落の西側の山であった。果樹園は安波集落の中央部を流れる安波川の河口近くに合流する普久川に挟まれた丘陵地であった。現在では両河川の上流にそれぞれダムが建設されている。果樹園は開園して5年が経っていたが適切な管理者が定着せず雑草の中に果樹が頭を出した状態であった。地元の臨時職員の二人の青年が2トンダンプに米軍のアルミ製給水タンクを積んで殺虫剤や除草剤を撒いていたが、非効率的な作業に悲鳴を上げて辞めてしまっていた。前任者の大学の先輩宮城典夫さんから業務を引き継いだカズと上原が着任した時は比嘉社長の従弟の幸雄さんが辛うじて残っているだけであった。

 カズとチカオが最初に始めたのは、管理作業の効率化であった。果樹園の隅々まで薬剤散布用の配管を巡らし、バルブ操作と高圧ホースを取り換えるだけで果樹園の隅々まで薬剤散布を行えるようにした。1カ月間は水道工事業者のようであった。そして2週間ほどで除草剤を散布すると果樹園の雑草が枯れ始めた。カズらが着任して3カ月目には赤茶けて枯れた雑草のなかに整然と緑の果樹が浮かび上がった。除草剤として当時は一部の生産者だけが知っていた根茎から吸収するハイバーXと接触した茎葉だけを枯らすグラモキソンの2種類混合液であった。むろん農林水産省の推奨農薬では無かった。果実を肥大させるには少し遅い玉肥料を7月に施した。10月になると興津早生温州ミカンが色付き始めた。この東洋果樹園で初めての収穫であった。収量はミカンケース120箱の3トンであった。国頭農協に出荷した。しかし収穫者はカズらだけでは無かった。新種の鳥類ノグチゲラが発見されるほど自然が豊かなこの山林にはイノシシが生息しており彼らも収穫者であった。昼間でもイノシシを園内で見ることは珍しくなかったが、ミカンを食害するとは思いもよらなかった。二人は秋の作業を一段落した頃を見計らって猟銃の免許を取得した。そしてカズが学生の頃に通っていたエアーライフル射撃場の内間店長の紹介で仲本銃砲店よりレミントンM870を買った。そして11月25日~2月25日までの狩猟期間に備えて狩猟免許の講習会を受講して資格を得た。

 カズらの食事は、朝晩の食事を交代で作るも、昼飯は山城さんの奥さんが作ってくれた弁当であった。年間の管理スケジュールは自分たちで組み立てており、日常の作業は気の向くままであった。10月の終わりなると山の上の果樹園は夜の冷え込みが顕著になって来た。二人は米軍の払い下げ品の寝袋を使用していた。上質なダウン羽毛であり十分な暖をとれた。

 そんな日の昼食後に山城さんが声を掛けた。

「カズさん、名護の人なら今帰仁の鍛冶屋さんを知ってるかい」

「オヤジが大工仕事で使う開墾用の鍬を今帰仁の鍛冶屋で手に入れたと言っていたな。市販の鍬より頑丈に作られているらしい」

「まだその鍛冶屋さんはあるかな」

「分からないけど、村役場のある仲宗根辺りで人に訊けば判るだろ。鍛冶屋に用があるのですか」

「うん、寒くなって来ただろ。そろそろイザリが出来そうだから銛が欲しいのさ」

「銛なら辺士名の街の釣具屋で売っているだろ。今日の仕事を3時で切り上げて車で行ってみようか」

「こないだ家内の買い物のついでに辺士名の釣具屋を覗いたけど無かった」

「1本銛、それとも3本銛かい。先週釣具屋に寄ってテグスを買ったら、川エビのタナガー網の側に5,6本立てられていたぜ。そんなに売れるかな」

「あれは弱くて使い物にならないよ」

「おいおい、山城さん、イザリで何を突こうと言うのだい」

「タコだよ」

「あの銛でもイザリのシガイダコくらい突けるぜ」

「カズさん、ワシが行っているのはシガイダコでなくて真タコだよ」

「真タコは大きいとオヤジが言っていたが見たことは無いな。そんなに大きいのかい」

「うん、大きいのは5キロくらいになる。1升炊きご飯釜の一杯の大きさのもあるんだ」

「へぇ、そんなに大きいならそこいらの釣具屋の店先の銛では持たないな」

「このぐらいの太さの3本銛が欲しいのだよ。魚もタコも付ける銛が欲しいのさ」人差指を突き出して言った。

「今度の土曜日に今帰仁経由で帰ってみようか。俺もイザリしてみたいし」チカオが言った。

「しかしよ、幸雄さん。安波川の河口の海は急に深くなっていて潮が引くとは思えないがな」

「安波川の海ではなくて、安波と安田の間の集落の海だ」幸雄さんが言った。

「ええっ、そんなところに人が住んでるの。初めて聞いたよ。道案内の看板を見たことも無いぜ」

「今は無人の離れ集落さ」幸雄さんが頭を掻きながら言った。

「ヨシ分った。この太さだな。幸雄さんの期待に沿えるかどうかわからないが、一番頑丈な銛で、俺らの分も一緒に3本銛を3本買って来るヨ」カズは人差し指を立てて言った。

「カズさんに任せるよ。辺士名の釣具屋より丈夫な銛を頼みます」

カズは久しぶりのイザリに興味が沸いた。しかし沖縄県の東海岸は東村宮城集落辺りから海岸段丘となっており緩やかな丘陵地が続くも海岸線は崖が続いている。海岸のある集落の浜辺は砂浜が短く急に深くなっており、潮干狩りができる遠浅の海岸は無いのだ。安波、安田、楚洲集落にも砂浜はあるが遠浅の海岸ではない。幸雄さんに何か策があるのだろうと考えた。

 土曜日の午後は早めに引き上げた。果樹園のゲートを午後5時に閉鎖してくれと幸雄さんに頼んだ。幸雄さんは除草剤で枯れずに残ったススキの根を夕方まで掘り取る作業をして引き上げると言って片手を上げてカズらを見送った。

 本島北部には町村ごとに1軒の鍛冶屋があったが、昭和40年代にはほとんどが廃業した。鍛冶屋は丈夫な鍬、鉈、鎌などの農機具の他に資材運搬や農耕用の馬の蹄鉄を作っていた。しかし、本土との物流が頻繁となると、安価な大量生産の農機具が入荷し、運搬トラックの普及や農耕馬に変わって耕運機トラクターが普及したのだ。鍛冶屋の役目は終わっていた。それでも農業に適した広い耕地のある今帰仁村には1軒の鍛冶屋が残っていた。この頃の鍛冶屋はトラックのシャフトのクッションに使われている鋼鉄製の板バネから鋼を取り、刃物の合わせ鋼の軟鉄の部分は鉄工業者が使う120cm×180cmに5ミリ厚鉄板を切り取って使っていた。樹木の枝打ちに使う厚みのある鎌や、鉈、斧、平鍬の背の部分に斧を取り付けた通称開墾鍬は、畑地の周りの雑木林の雑木を取り除くのに便利であった。造園用の根切棒等も造園業者の注文に合わせて作っていた。

 カズとチカオは今帰仁村の最も人通りが多い仲宗根集落の雑貨屋でタバコとコーラを買いながら鍛冶屋の場所を訊ねた。鍛冶屋は村役場入り口の看板を過ぎた次の通りに入って3軒目であった。工場とも店舗ともいえない鉄錆び色の埃にまみれた頑丈な木造の柱とセメント瓦屋根の建物があった。駐車場も無いので建物の前にピックアップトラックを停めた。車を降りると中から金属を叩く音がした。

「カズ、工場らしいぜ、覗いてみよう」チカオがさして広くも無い開け放した間口から中に入った。カズも続いて入った。中は薄暗く、丸い傘付きの白熱電灯の下で初老の男が頭に手ぬぐいを巻き付け、カズらに背を向けて金槌を振るっていた。赤く熱せられた鉄板から男の金槌が火花を弾き飛ばしていた。その向こうに五右衛門風呂の竈にも似た高炉があり、2,3本の鉄の棒が突っ込まれて焼かれていた。棒の先は赤い木炭に抱かれて真赤に燃えていた。男の金槌が火花を飛ばさなくなったところでヤットコで挟んでいた鉄板を香炉の中に差し込んだ。そしてこちらを振り向いて言った。

「何か欲しい物があるのかい。今のところ、そこの棚上と壁に掛かっているだけだ。あったら声を掛けな」そう言って再び別の棒を高炉中から取り出して置いて金槌で叩きだした。二人は展示作品を見て回った。農機具から造園道具、大工道具、漁具が分別されて並んでいた。カズが銛の中から1本を手に取って言った。

「オイ見なよ。こいつは投げて使う銛だぜ。この棒を挿す部分の横にリングが付いているだろ。ここにロープを付けるのさ。イルカ狩りの時に漁師が使うのを見たことがあるが、この銛をイルカの頭に打ちこんでロープを船の縁に括るのさ。何本も打ち込むとイルカは海中に潜ることが出来なくなるのさ。海は血だらけだったよ」

「兄さん達は名護の人かい。イルカ狩り用の銛が欲しいのかな」振り向くと汗まみれのシャツをきて顔の汗を手拭いで拭きなら立っている男がいた。

「仕事中すみません」

「どんな銛が欲しいのかな」

「いえね、国頭の人から頑丈な3本股の銛を頼まれましてね。無いですか」

「今のところこれがあるだけだ」そう言って銛の根元が人差指大の三本銛を棚から取り出して見せた。銛の長さは15㎝程で更に20cm程の柄を差し込む筒が付いていた。

「うん、これらなら幸雄さんの言う5kgのタコでも折ることは出来ないな」

「ハハハ、こいつを折るタコは沖縄近海にはいないさ」オヤジが笑いながら言った。

「では、僕らの分も入れて3本下さい」チカオが言った。

1本1,500円の3本を買った。

「イザリでもするのかい。国頭はあまり荒らされていないから獲物が多いだろうな。でも馴れない場所の夜の海は気を付けろよ。アンタら二人で行くと危ないから必ず地元の人と一緒に行くことだな」

「ハイ、ありがとうございます」そう返事すると、オヤジは手ぬぐいを頭に巻いて高炉の前に向かって歩いて行った。二人はピックアップトラックを反転して名護に向かった。そして2日後の月曜日の朝に出勤してきた幸雄さんに銛を見せた。

「カズさん、これですよ。これが本当の銛ですよ」

「幸雄さんの期待にこたえられるか心配だったよ。これより大きいのはクジラ用の銛しかなかったぜ。あれと交換してくれと言われたらどうしようかと心配していたよ」

幸雄さんが嬉しそうに大声で笑った。

「幸雄さん、銛の柄はどうする」チカオが言った。

「大丈夫ですよ。これから24林班に行ってチャーギ(イヌマキ)を切ってこよう」

「なんだ、24林班とは」カズが尋ねた

「この辺の山は植林されている場所があってな。ワシはその植林の仕事を一時していたのさ」

「そう言えば外国の樹木のユウカリや沖縄には無かったはずの杉の植林地が林道に点々とまとまって生えていたな」チカオが不審そうに言った。

「ワシらが植えたのさ。この果樹園の仕事に就く前だ」

「それで幸雄さんの家の近くに営林署の看板が掲げられている家があったのか」

「うん、前は職員が駐在していたが、今は名護市の北部林業事務所に吸収されていて無人の調査用資材の倉庫になっている。管理人はいないから3本くらい切り取っても解らないでしょう」片目をつぶって笑った。

「銛に取り付けるにはこのサイズかな」カズが親指と中指で輪を作って言った。

「行こうぜ」チカオがテレビの横の壁のフックからピックアップトラックの鍵を取って安全靴を履いた。

 果樹園のフェンスに沿って少し走り草の繁った林道を1㎞ほど進むと植林地が続いた。杉林の次にイヌマキの植林地があった。その先のユーカリ林は雑木林に変わっていた。営林署の目的は生育調査であるらしくユーカリは適正樹種から外れたようで管理の対象外となっているようであった。イヌマキは良く成長しており沖縄での適正造林樹種のようであった。太く成長したイヌマキは銛の柄としては太すぎた。造林地の外れの既存の雑木に混じった中でやっと見つけて地際より切り取った。数本の枝を払って車に乗せた。4輪駆動でないピックアップトラックは林道を覆いつくした草でタイヤが滑ってしまいUターンするのに手間取った。それでも午前10時には果樹園の倉庫に戻った。樹皮を剥いで日向に3日ほど吊るしておくと随分と軽くなった。根元を鉈と鎌でとがらせて銛の筒の部分に押し込んだ。そして筒の部分に空いた穴に釘を打ち込んで留めた。銛の柄の長さを180cmにして余分な部分を切り落とした。イザリのシーズンまで1月があった。イザリで取った獲物を入れる竹籠を銛と同じく今帰仁村の手作りバーキ屋(竹籠細工屋)で求めた。後はイザリのシーズンを待つだけだ。

 寒さはいきなりやって来た。安波川の河口から集落の間を抜けて東洋果樹園の丘の斜面を駆け上がりフン川の谷間の渓谷に沿って吹き抜けて行った。既に11月に入っていた。果樹園の100トンの貯水タンクの上に登って海を見ると太平洋は酷く荒れていた。冬の名護湾と大きく異なっていた。この地域のイザリは月の満ち欠けが決める潮の干満以外に北風のご機嫌が伴うようであった。そんなある日幸雄さんが言った。

「カズさん、今度の満月の晩は北風が納まりそうだね」

「ああ、テレビの天気予報では中国大陸からの低気圧が弱まるので久ぶりに小春日和の終末となるそうだ」

「今度の金曜日にイザリに出たいのだが、車を出してくれないかな。隣近所の人が同行したいと言っているのでピックアップトラックの荷台に乗せてくれないかな」

「構わないぜ、何時にする」

「7時半にワシの家に来てくれ」

「早くないか。干潮は早くても午後10時以降だぜ」

「車に乗せてもらう代わり夕飯をワシの家で食べてくれ」

「では、ご馳走になりますか。やっと今帰仁で買った銛と籠が使えるな」

「カズさん籠には小型の金槌を入れておくと良いね。タコは頭を叩いて殺さないと籠から這い出て逃げるから。俺は小形の鉈を入れておく」

「分かった。俺の村と随分異なっているね」

「この辺りは冬に海が荒れるからイザイの出来る日は少ないのですよ」頭を掻きながら幸雄さんが言った。目が楽しそうに笑っていた。

 その日の午後7時過ぎに幸雄さんの家をチカオと二人で訊ねた。ピックアップトラックを隣の空き地に止めて門の階段を上がった。玄関脇に大きめの竹籠と銛、カーバイトランプが置かれていた。カズとチカオは肩掛け紐を取り付けた単一電池3連結の懐中電灯を籠の中に入れ車の荷台に括っていた。電池切れに備えて予備の電池3個をビニール袋に入れて上着の内ポケットに入れていた。幸雄さんの奥さんが直ぐに夕食を運んできた。ソーメン汁、大盛りのご飯、ポーク卵に自家製の大根の漬物であった。幸雄さんの奥さん礼を言って中学2年生の一人息子と4名で夕食を食べた。幸雄さんには6歳年上の娘がいたが既に辺士名高校を卒業して那覇市内で働いていた。月に一度帰省する程度であった。夕食が終わった後はテレビのお笑い番組を見て過ごした。9時になると玄関の外から女性の声がした。

「幸雄、準備出来たよう」

「みんな揃ったようだ。そろそろ行きましょうか」幸雄さんがそう言って立ち上がった。

「干潮は早くても10時だぜ。早くないかい」

「浜に降りて待とう。干潮の具合を見て海に入りましょう」

薄暗い街灯の下に停まった車の荷台から女性の声が一斉に聞こえた。

「こんばんわ、よろしくお願いします」5名の女性が既に乗り込んでいた。

幸雄さんは自分の荷物を荷台に放り込むと助手席に乗り込んで来た。真ん中に幸雄さん、窓側にチカオが座った。車を本通りに出して安波共同売店の前を通った。売店は既に電灯が消えていた。車は幸雄さんの指示で国頭村の西海岸の与那集落と東海岸の安波を結ぶ横断道路を西に向かって進み急な坂道を2㎞ほど登った。道路の勾配が緩やかになった頃、幸雄さんの指示で右折して安波集落のパイン畑がある海岸段丘の農地へ向かった。この辺りは以前に何処かの企業が牧場を計画したが頓挫して草原となっていた場所を村人がパイン畑にした場所である。草地は未だ残っており車のヘッドライトの届かぬ先まで続いていた。赤茶けた赤土の道路をハイライトにして低速で進んだ。道路の凹みで車が跳ねて車の荷台の女性たち悲鳴を上げては困ると思ったからだ。道路の中央から左側に2m足らずの黒い棒切れに似た物が落ちていた。幸雄さんが指差して言った。

「カズさん、大きなハブだ。草むらに逃げ込む前にタイヤで轢いてくれ」

ハブは逃げる様子も無く横たわっていた。カズはハンドルにポコン、ポコン右前輪と後輪が何か棒切れと異なる塊を踏んだ感触を覚えた。

「確かに轢いたよ。荷台のおばさんたちの重みでハブの胴体の骨がペチャンコになっただろう」そう言った。

「今夜は春先みたいに暖かい夜だからハブが出てきたのかな」チカオが言った。

「ハブは冬眠しないぜ」と幸雄さんが言った。

暫くして幸雄さんの指示で左折して細い道に入った。200mほど進んで車がUターンできる広場に出た。

「車はここまでです。ここからは歩きます」幸雄さんが言った。

カズは車を反転して広場の赤土のむき出しとなった場所に駐車した。そこは潮騒の聞えない海岸段丘の上部であった。道路の先は細くなって崖の方に続いていた。

「幸雄さん、海は見えないな」チカオが言った。

ガヤガヤと女性たちが車から降りて来てカーバイトランプの上部の蓋を開けて持参した水筒から水を注入して蓋を閉じてガス弁のコックを捻ってマッチで火を着けた。青白いカーバイトの光が辺りを照らした。女性たちは馴れた手つきでガスの放出量を調整してそれぞれの籠を背負って歩き出した。幸雄さんがワシらも行きましょうと促した。

 人がやっとすれ違うことが出来る細い道を右に左にとつづら折りで20分ほど歩いただろうか。やっと浜に着いた。女性たちは既に浜辺に着いており、カーバイトトーチの灯りを消して月明かりの下で砂浜に座っていた。月明かりの中に浮かんだ海岸風景は500m程の砂浜と両サイドに崖が続く小さな入り江となっていた。沖にリーフがあるらしく白波が立っていた。満月の明かりで見る限り民家の気配は全くなかった。

「幸雄、もう少し待たないといけないみたいだね」冲を眺めて女性の一人が言った。カズは海面を懐中電灯で照らしてみた。砂浜は波打ち際が沖へと退いていたが歩ける程浅くはなっておらずイザリどころでは無い。

「幸雄さん、この浜はイザリが出来る程潮が引くのかい」

「浜辺でなくて、あの白波が立っているリーフに行くのですよ。右側の崖下からリーフに行けますから。もう少し待てばリーフが干上がります」

20分ほど待っただろうか。一人の女性が言った。

「幸雄、もう渡れるのではないかい」

幸雄さんは砂浜で膝を抱えてうたた寝をしていたが立ち上がって言った。

「姉さんたち行きましょうか。引き上げる時は私が合図しますから、一人歩きして離れないで下さいよ。遅れたら歩いて家まで帰ることになるよ」

女性たちが一斉に笑い出した。そしてそれぞれにトーチに火を着けた。女性たちは竹籠を肩から掛けて入りえの右側の崖下に向かって歩き出した。午後10時であった。干上がったゴロ石のだらけの崖下が終わると場所からサンゴ礁が浮かび上がっていた。沖へ向かって50~70mの幅で左側に300m程伸びており、入り江の左側の崖下から伸びたサンゴ礁が途中で途切れていた。海水はその切れ目が水路となっており沖へと流れ出る地形となっているようだ。黒い海水が河川の急流にも似て冲へ音を立てて流れ出ていた。浮き上がったサンゴ礁で囲まれた内海はさざ波も無い静かな海面であるが、反対側の外海は波頭が立っており、黒い波がリーフを乗り越えてやって来る気配に満ちていた。夜の海でこの黒潮の流れに引きずり込まれると果てしない闇の世界を漂うだろうと誰もが恐怖を覚える風景を満月が浮かび上がらせていた。しかしながら果てしない太平洋の闇の中から盛り上がって来る波はカズらを押し流すことなくサンゴ礁の端に吸い込まれるように消えた。ただ満月が苔に覆われた緑色の岩礁を浮かび上がらせるだけだった。サンゴが成長して出来た岩礁は小さな入り江が幾重にもジグザグと広がっており、浅く、深く、或いは直径2m~15mのツボとなっていた。灯火で岩礁の潮だまりを探索して、浅い入り江の岩陰に眠るゴマアイゴ、オニカサゴ、ブダイ、小型のハタ、シガイダコ、マタコ、クブシミを銛で突き、サザエ、アワビ、シャコガイ、タカセガイ等の大きめの貝類を拾い。時にはワタリガニ、エビを突くこともあった。

「カズさん」20m程先を歩いていた幸雄さんが呼んだ。

声の方角を見ると手を振って呼んでいる。チカオと二人で駆け付けると30㎝程の丸い穴を指差している。15㎝程海水が溜まっており、その中で灰色の斑模様の何かが膨らんだり縮んだりと動いている。丸いいぼの先に黒い眼玉が見え隠れしている。

「これがタコだよ」幸雄さんが言った。

「真タコはこんな穴に潜んでいるんだ」チカオが言った。

幸雄さんはカズらが買ってきた銛を穴の中に突き刺した。銛の柄が大きく揺れた。幸雄さんが捻じるように様にしながら上下させた。穴の中はたちまち粘り気のあるタコ特有の茶褐色の墨に染まった。幸雄さんが銛を引き出すとつられてタコが穴から這い出てきた。タコは3本銛に絡みつき柄の部分から捻じり切るように体をくねらした。幸雄さんは急いで肩に掛けた籠から小型の鉈を取り出すとタコの頭と足の間にある目の部分に叩きつけた。目の間がぱっくりと空いた。タコの勢いが急速に弱くなった。しばらくするとタコは動かなくなった。しかし頭を銛で刺された状態でも足の吸盤は柄に絡みついたままだった。頭から足までの皮膚は未だに変化を続けていた。幸雄さんは鉈の刃の裏側でタコの頭を軽く叩きながら銛からタコを外した。頭の部分は胴体であり、内臓が治まっている。その付けには鰓に当たる空洞があり、そこに指を入れて持ち上げた。160cm前後の身長の幸雄さんの胸元まであった。全長1m前後であろう。満足そうに笑って二人を見た。そして籠に放り込んだ。

 岩礁の切れ目までやって来てから幸雄さんが言った。

「潮目が変わるな。海水の流れが止まっている。引き上げましょう。潮の満ちるのは早い。潮が引くのはこのリーフの切れ目からだが、満ちるのはリーフの上を越えて来る。そうなれば危険だ」辺りを見渡して仲間を探した。灯火のカズを数えてから大声で言った。

「潮が満ちるから引き上げるぞー」2度、3度と大声で呼びかけた。五つの灯火がこちらに向かって動き出した。それを見て幸雄さんもゆっくりと歩き出した。しばらくすると灯火が一つの群れになった。そして8個の灯火が隊列を成して入江の東の崖下に向かって移動を始めた。砂浜に上がって振り返ると、先ほどのサンゴ礁のイザリ場は既に白い波頭が満月の明かりの中で白い列となっているのが見えた。

「姉さんたち、明日の御馳走は獲れたかい」幸雄さんが言った。

威勢の良い主婦たちが口々に「久しぶりにイザリが出来て楽しかった」と楽しそうに言った。

 砂葉を20m程登って上り坂に差し掛かった。今度も女性たちが先頭になって登り出した。20代の半ばにもならないカズとチカオは、この村の中年を過ぎた女性たちの脚力には敵わなかった。息を切らしてやっとのことでピックアップトラックに戻ると、女性たちは既にトーチの火を消して月明かりの中でトラックの荷台に乗ってお楽しそうに笑い声を立てていた。

「チカオ、ここでのイザリは当分お休みだな」カズが息を切らして言うと

「俺もだ、今夜は十分に運動した。海に行ったのか、山に行ったのか分からないぜ」

2人は車に乗り込んだ。幸雄さんは荷台に乗っておばさんたちと雑談を始めていた。カズは車をゆっくりと発進した。途中でS時に曲がって白い腹を上にしたハブが道路の中央から左に寝そべるように横たわっていた。カズは再びハブの上をタイヤで通過した。ゴムホースを踏んだ感触がハンドルに伝わった。

 30分ほどで幸雄さんの自宅横の空き地に着いた。午前0時を少し回っていた。

おばさんたちが口々にお礼を言って小さな懐中電灯を手に自宅に向かって散って行った。幸雄さんと共にそれを見送った。

「カズさん、チカオさん今日はありがとう。おばさんたちも喜んでいたよ」

「しかしよ、この村の青年も、オヤジ達もイザリはしないのかい」

「みんな、酒を飲むのが趣味でイザリは難儀と思っているのさ。ワシは酒を飲まないからイザリをするのさ」頭を掻きながら幸雄さんが言った。

「明日はお休みとするか。俺らは明日の昼前に帰るから、昼後に農園の点検をお願いします」

「良いですよ。今日はお疲れさまでした」そう言って竹籠を担いで自宅の門に向かって歩き出した。カズは車のエンジンを掛けてライトで幸雄さんの方向をしばらく照らした。門の階段を上っていく後ろ姿が見えなくなったので車を反転して果樹園の宿舎に向かった。珍しく太腿に張りを感じていた。

6、猪撃ち

 4月に東洋果樹園に赴任したチカオとカズは前任者のノリシゲ、幸雄さんの4名で8ヘクタールの果樹園に薬剤散布用の定置配管とスプリンクラーを整備した。それによって除草剤、殺虫剤、殺菌剤の薬剤散布能力が格段に向上した。業務引継ぎが完了してノリシゲは別の赴任地に転勤して行った。4月に開花した早生温州ミカンは、農園の全ての株が満作ではないが樹勢の強い株には着果して成長した。農園の傾斜に沿って横幅200mに縦幅25mの圃場が管理道路でセパレートされていた。1区画4面の圃場が事務所兼倉庫の3方向に広がっていた。もう1方の北側が事務所から50m程離れて北向きの崖となっていた。はるか遠くに両側の山林の斜面の間を海に流れ込む安波川の河口と太平洋を望むことが出来た。冬になると太平洋のからミーニシと呼ばれる冷たい北風が果樹園に向かって吹き上げて来るのであった。それ故、圃場は事務所を頂点に東から南南西へと下り傾斜で広がっていた。4月迄雑草の中に緑が見え隠れした段々畑は縦縞模様の緑のベルトが整然と広がった。この年の収量は僅か3トン程度の見込みであったが、樹勢の回復が著しく向上しており、翌年は一桁増える収穫が見込まれた。温州ミカンの樹形は開芯自然形と呼ぶ樹冠を広くして高さを押さえる選定方式にした。ミカンの成長の任せるままに伸ばすと2m以上にも伸びてしまい、多くの実が着いても女性労働者には収穫できない不便な樹形となってしまうのである。前任のノリシゲが既にその剪定方法を確立してあった。果樹園の一角に20本ほどのサンプル樹木があり、順調に着果していた。カズたちは定期的に実を取って食べては果実の熟度を調べていた。サンプル木の数本は出荷の対象とせずに残しておくつもりであった。本社への贈答用と自家消費用としてであった。

 8月の上旬からJA沖縄北部支所が青切早生温州ミカン選果場の操業を開始した。東洋果樹園も地元安波集落の女性を一時雇用して収穫を開始した。8月の下旬を待たずに収穫を終えた。サンプル木は未だ実が着いていた。早生温州ミカンが本当に美味くなるのは9月の下旬である。僅かに皮が黄色くなった頃に果実の糖度が上がるのだった。

 8月の出荷を終えた次の週の朝に幸雄さんが渋い顔で出勤してきて言った。

「カズさん、あの収穫をしないで自家用に残しておいたミカンがイノシシに食べられた」

「イノシシがミカンを食うのか」カズとチカオはそう言って、朝食のパンをコーヒーで胃袋に押し流し込んで雨靴を履いて急いで外に出た。事務所から300m程離れてゲートと中間地点にある圃場に車で乗り付けた。その圃場は小石交じりの埋め土で造成された陽当りと排水の良い場所であった。幸雄さんの後に続いてミカンの木の下にやって来た。樹冠の下にはミカンの皮が散らばっていた。誰か数名の不心得者がミカンを獲って食べ散らかしてあるかのようだった。人間の足跡では無くイノシシの二股の足跡が無数に点在していた。真新しミカンの皮が散らばっているのを見てカズが言った。

「安波のイノシシは器用だな、まるで人間か猿みたいではないか」

「全くだ、皮を残して実だけを食っちまいやがった」チカオが言った。

ミカンは80cm程の高さまで取られていた。垂れ下がったミカン程美味いのだ。

イノシシの足跡を追いかけていた幸雄さんが戻って来て言った。

この先のフェンスが破られていた。ススキが生えてフェンスを押し上げおまけに錆びついていた。そこから頭を突っ込み入り込んだのだろう」

「チクショウ。味を占めてまたやって来るかも知れないな。どうする」チカオが言った。

「ワイヤーメッシュの切れ端で補修するか。倉庫にフェンスの補修用が残っていたはずだ」カズが言った。

3名は車で事務所に戻った。補修材料を探しながらカズが言った。

「腹の立つイノシシだ。鉄砲でもあれば打ち殺すがな。昨年園芸教室に研修にやって来た米盛さんが言っていた。西表島では罠を仕掛けて獲るそうだぜ」チカオが言った。

「ああ俺も聞いたぜ。幸雄さんこの辺りではイノシシ罠を仕掛けないのかい」

「ワイヤーで罠を仕掛けて獲るのだが、ワシのワイヤー錆びて使えないからな。辺士名の金物店では売っていると思うよ」

「そうか、それならひとっ走り行って来るか。2時間では行って来るな。何ミリサイズだ」

「太いと締まりが悪くなるので2ミリ程度のワイヤーを使っている。2mもあれば仕掛けが作れるよ」

「よし分かった。予備として10m程度買って来る」

「俺は幸雄さんとフェンスの破損個所を点検しておく。イノシシの出入りがあるなら幾つか仕掛けておこう」チカオが言った。

カズは昼前に戻った。12#2.5m/mのワイヤーを¥200/mで10mほど買った。

仕掛けはいたって簡単であった。締め輪を作ってイノシシの通路に立てて仕掛け、そこにイノシシが頭を突っ込むと喉を締めて窒息死させる方式である。幸雄さんの意見では、イノシシは前進が得意で後に下がることしないそうだ。米盛さんの説明した西表島での仕掛けの罠は、細めの立木をタメてバネを作りその頂部にワイヤー結び、ワイヤーの先に占め縄作り、羽板と小さな落とし穴でイノシシの前足を括り付けて立ち往生させるそうだ。前足が不自由で後ろ脚だけで半立ちの姿勢で5日ほど生きているそうだ。安波方式は罠に掛かると30分も持たずに死ぬらしい。それ故毎朝罠の点検が必要で、それを怠るとイノシシは腐敗してしまうと幸雄さんが説明した。

 イノシシ罠はいたってシンプルであった。ワイヤーを2mに切断して、その先端に1cm程の輪を作り何度も潜らせて強度の強い輪とした。そこにワイヤーを通して締め縄を作った。そしてもう一方の先端にも丸い輪を作った。フェンスに固定する時に便利なようにするためだ。

イノシシの通り道は今朝確認したサンプルミカン畑のフェンスの破れ穴だけであったが、そこ以外の2か所にも仕掛けた。2本は予備に取っておいた。

「幸雄さん、悪いが明日から出勤前に罠の点検をしてくれ。俺たちはイノシシを特に食べたいと思わないから、もし獲れたらアンタの好きにしてくれ。カズ、アンタは食うかい」

「いや、野生の豚よりステーキが欲しいな。食えるなら味見くらいはしたいがな」

「ありがとう。獲れたら料理してアンタたちに振る舞うから。でもよ、新品のワイヤーはオイルの臭いがするから罠に掛り難いという話だ。一度雨に当たってから出ないとイノシシは寄らないかもね」

「後は、幸雄さんに任せます。俺はミカンをこれ以上食われたくないからね」カズが言った。

遅い昼飯を食べて午後3時から剪定作業を始めてその日を終えた。

 その日の夕食を食べてカズがチカオに言った。

「俺は学生の頃にな、那覇の一銀通りにあった那覇エアーライフル場に通っていたのさ。そこの社長の上間さんは今帰仁の方で銃砲所持に詳しいはずだ。猟銃の所持許可を取ってイノシシ撃ちをしてみたいがどうかな」

「面白いな、電話して聞いてみなよ」

カズが射撃場に電話すると上間さんがいた。現在の仕事場の話をして散弾銃を取得したいと話すと、自分の銃は使っていないから譲ると話した。中古のスライドアクション散弾銃は4,5万円が相場で、所持許可は本籍のある警察署が所轄だと話した。県内には仲本銃砲店の他に2店舗あるが、仲本さんは親しいからそこで弾を買えば良いだろうとも言った。

二人は次の休み明けにそれぞれ那覇署と名護署に寄って必要書類を整えることにした。普段と同じように夜が更けていった。タンクの横の電柱の登り用の鉄のピンにフクロウが停まってホウ、ホウと夜の縄張りを主張していた。

 翌朝、カズは朝食を済ませて外の水道で歯を磨いていた。高台の果樹園の朝は太平洋から安波川の河口の谷間を抜けて駆け上がって来る潮風が心地よかった。沖縄では珍しい耳が痛くなるほどの寒風がやって来るのは4カ月先のことであった。急ぎ足で雨靴をバタバタさせて小走りにやって来る男の姿がソウシジュの並木に見え隠れしてやって来た。その小柄な男は足のサイズより大きめの雨靴を履くのが常であった。ゆっくりと歩いてもバコバコと音を立て、小走りになると雨靴が抜けるのもしばしばであった。案の定、事務所前の300坪ほどの芝生の広場で雨靴を脱いで小脇に抱えてやって来た。カズは歯磨きの泡を水道水で漱いで言った。

「幸雄さん、大イノシシにでも追われたのかい。口から泡を吹いているぜ」

「カズさん、昨日仕掛けた罠にイノシシが掛かっていた」雨靴を履きながら早口で言った。

「ホントかよ。新品のワイヤーには警戒心の強いイノシシは近寄らないと言っていたぜ。それで暴れているのかい。根切棒で突き刺そうか」

「いや、既に死んでいるよ。早く解体しないと腐っちゃうから慌てているのさ」

「それで、3ケ所の罠の何処だい」

「あの、ミカンの実っている場所だ」

「ざまーみろだ。俺らのミカンを食った罰だな。チカオを呼んでくれ、車を出してくる」

 三人は果樹園のゲートの近くで車を停め、ミカンの枝をかき分けてフェンスに仕掛けた罠に歩いて行った。イノシシは横向きに倒れていた。ワイヤーがピンと張りフェンスが少しだけ膨らむようにイノシシ罠のワイヤーで引っ張られていた。イノシシは断末魔の足掻きで土を蹴散らしていた。しかし、大した量では無かった。目はしっかりと見開き、幾分灰色が掛かった膜がかかっていた。半開きの口の上あごの中ほどに小さな牙が分厚い唇から覗いていた。尻から鼻先まで80cm程度であった。ワイヤーカッターでフェンスに括り付けたワイヤーを切断した。フェンスがポンと弾かれて元の位置に戻った。チカオがペンチでワイヤーを引っ張ってイノシシの喉から抜き取った。カズはイノシシの後脚を両手で持ち上げて言った。

「30kg程度かな」

チカオが代わって持ち上げて「そんなところかな。幸雄さん、このイノシシをどうするのかい」と言い返した。

「ポンプ小屋の所まで運んでくれ。そこの川で腹を裂いて内臓を取り除いて洗い、後は持ち帰ってから料理する。包丁を貸してくれ」

カズとチカオはイノシシの前足と後足を掴んでピックアップトラックの荷台に乗せた。事務所で包丁を取り、農場の貯水タンクに普久川から水を揚げるために川の側に設置したポン場へと降りて行った。滝と滝つぼで有名なタナガーグムイの上流1km付近である。4インチの5段式渦巻ポンプで50m上部の農場の貯水タンクに揚水する為の5坪程のコンクリート製の施設だ。ポンプ小屋の側から4m程の高さの階段があり、川に降りることが出来た。汲水口のメンテナンスの為に設けられていた。雨季や台風で増水すると、汲水口に枯木が詰まることがあり、その度に取り除く必要があった。揚水システムは自動給水では無く、2基のタンクの水が少なくなった時にポンプ小屋迄降りて行って、電気スイッチを入れて手動で揚水ポンプを作動させていた。コンクリート製の40トンタンクが2基あり、3カ月に1度の揚水作業を行っていた。飲料水用のタンクには次亜塩素酸ナトリウムを定期的に混入していた。

 イノシシを河原の狭い砂利の上に置いた。幸雄さんは馴れた手つきで腹を開いて内臓を取り出した。肝を切り離し、持参した肥料袋に入れた。その次に胃袋を裂いた。中から小豆が出てきた。ミカンは出てこなかった。

「農場のミカンを食う前に首を括られたようだな」とチカオが言った

「こいつは美ら作村からやって来たな」と幸雄さんが言った。

「美ら作村と言うと農場の向かいの谷を隔てた丘の上の10軒ほど民家のある離れ村のことかい」カズが問うと、

「今頃、小豆を作っているのは美ら作村の比嘉さんだけだ。下の安波村で小豆を作っている人はいないよ」

「ホントかよ、車で15分の距離だぜ」

「イノシシは車道を通らず、雑木林の中を最短距離でやって来るので、1kmも無いさ」

「そう言えば農場の貯水タンクの上から美ら作村の民家が近くに見えるな」チカオが言った。

「これは川のタナガーエビの餌だ」幸雄さんはそう言って贓物を川の中に放り込んだ。

「このイノシシはどの様に料理するのかい」チカオが尋ねると

「取りあえず、ワシの家まで運んでくれ。カカアと二人でイノシシ汁にする。この村では、山で獲れたイノシシはね。山の神の恵みだから村人皆で食べることになっているのさ。夕方までに準備できるから家に回って来てくれ。一番汁を出してあげるから」そう言って満足そうに笑った。

 幸雄さんの自宅に彼とイノシシを降ろして、4時半にイノシシ汁を食べにくる約束で引きあげた。事務所に戻ると二人は手に着いたイノシシの臭いを石鹸で丁寧に洗い落とした。二人の人生で初めてのイノシシとの遭遇であった。その日の夕方に食べたイノシシ鍋も初めての体験であった。イノシシの肉と共に大根、青パパイヤが入っており、少しヨモギを加えて食べた。肉は硬くなく、野生動物特有の臭みも無かった。ヤギ汁よりも淡白であった。

 その後も3頭ほど獲った。ミカンが消えるとイノシシ出没は少なくなった。台風がやって来て果樹園を閉めた日があった。台風通過後の翌日に幸雄さんが2日ぶりに罠を見回りに行くと50kg程の大物がかかって死んでいた。既に腹がパンパンに張って爆発寸前であった。目の周りに女性のマスカラのように点々とハエの卵が産みつけられていた。よく見ると口の周り、尻の穴の周りなど柔らくて最初に腐敗が始まる内臓に繋がる部分にハエが産卵しているのだ。ハエにとっては上質なたんぱく質の塊に過ぎないのであろう。

 カズとチカオは10月の終わりまでに、散弾銃を入手した。金武町のクレー射撃場での訓練としてのトラップ射撃や狩猟講習会を受講して狩猟期間を待った。

銃はレミントンM870 12番26インチの標準狩猟用であった。銃の性能など解らず狩猟が出来れば良いと考えていた。銃の他に弾を携帯するガンベルト、弾は鳩用の7.5号、カモ用の4号、イノシシ用のスラグ弾、9粒弾を一箱ずつ買った。

沖縄県の狩猟期間は11月15日~2月15日までである。それ以外の時期にパンパンと銃声がすると警察官が飛んでくることになる。その時期以外で散弾銃を打てるのは金武町のクレー射撃場だけであった。国頭村安波集落の高台の果樹園は太平洋からやって来る北風が安波川の谷間を駆け抜け普久川との合流点の斜面を駆け上がり果樹園の防風林を揺らした。南向きの斜面に開かれた農地に北風が当たることは無かったが、気温はカズの実家の名護市やチカオの実家の那覇市では経験できない寒さであった。レミントンM870を肩に掛けて果樹園をうろつくも既に果実の収穫を終えた農園は、イノシシの興味の対象から外れているらしく全く姿を見せなくなっていた。カズはカラス、フクロウ、コウモリ、キジバトを撃つも拍子抜けであった。そんな時に旧友のテツが果樹園にやって来た。名護市羽地の水田地帯の稲作農家である。一晩泊まって酒を酌み交わしている中で、水田の稲刈りが済んでおり、2km程離れた農業用ダムから夕方になるとカモが飛んでくると話した。翌日、カズとチカオはテツの実家を訊ねた。羽地の水田は川上集落、田井等集落、振喜名集落にまとまっていた。テツは川上の水田所有者である。銃による狩猟時間は日の出から日没の時間までである。カモが飛んでくるのは夕方だ。大抵は日没後である。しかし鉄砲撃ちが細かい時間を気にしては猟にならない。暗くなる前に撃てが基本だ。カズとチカオは藁縄を作るために稲藁を干してある竹竿の干場を背に山に向かって立った。カモは二人の背の方角の農業用ダムから飛んでくるのだ。テツが後方を確認して合図する役を引き受けた。二人は10m程離れて銃を肩に掛けて立った。正面の畦道の右側に来たカモをチカオが撃ち、左側に飛んできたカモをカズが撃つことにした。しばらくしてテツが言った。

「右後方からカモが飛んできた」

カモはいきなり乾いた水田に降りることは無い。10羽程度の編隊を組み高い位置を山際まで飛んでいく。そこでターンして水田を旋回しながら高度を下げていくのである。カモは単純に飛んでいるのではない。首を右に左に振りながら地上を観察しているのだ。安全を確認してから水田に着地するのである。鉄砲撃ちは姿を隠してカモが着陸寸前まで高度を下げさせてから発砲するのが猟果を得る方策だ。それに4号弾では30mまでが射程距離だ。それとレミントンM870のスライドアクションでは2発が射撃限度だ。レミントンM1100オートマチックなら3発は打てるだろう。スキート射撃のプール、マークのダブル撃ちの要領だ。カモは縦横400mほどの水田地帯の周りの上空を飛び、ゆっくりと旋回の直径を狭めて降下しながら2回ほど旋回して鉄砲撃ちの真上を通過して行った。

「カモが降りて来たぞ」二人の間に立って後方を見ていたテツが言った。

「よし、撃とうぜ」カズがチカオに向かって言った。そして銃を前方の山の方角に向けて構えて引き金の後ろにある安全ピンを人差指で押した。パチンと小さな音と共にピンが左側に飛び出て赤いマークが出た。人差指は未だ引き金に触れずにトリガーガード沿って伸ばしていた。

「来た」とテツが二人に聞こえるように言った。同時にカモの羽音が後ろからやって来て前に飛び出した。二人は自分に近い側のカモを頬付けした銃の照星の上に載せて引き金を引いた。まるでトラップ射撃の要領である。カモは弾かれたように羽を散らして回転しながら落下した。カズはすかさず発砲の反動を利用して左手をスライドして薬莢を後ろに飛ばし、次の弾を薬室に送りこんで左に逃げてゆくカモに向かって第2弾を発射した。カモはゆっくりと左に旋回しながら60m程先に落下した。右に逃げるカモをチカオが撃ち落としていた。二人は銃の残弾を抜き取り、安全ピンをロックした。撃ち落としたカモを拾い、テツが用意した肥料袋に4羽のカモを放り込んだ。首を垂れてうなだれたカモ胴体は未だ暖かく、己の死が予期したものでないことを訴えていた。銃をケースに仕舞い、急いで車に戻り羽地大川の川向こうにあるテツの自宅に向かった。遥か西の嘉津宇岳の尾根は僅かに赤みが残った空にシルエットをなしており、狩猟時間は完全にタイムアウトであった。しかしサイレンの音は何処からも聞こえなかった。

 テツの家には80歳を超えた元小学校教師の父と母親がいたが既に老人ホームに入居していた。古い家にテツが一人で暮らしていた。時折、2つ離れた村の国道沿いで薬局を営む2歳上の兄が酒を飲みにやって来るだけであった。3名は大なべに湯を沸かし、カモを放り込み、直ぐに取り出して毛をむしり取った。そして足と頭を切り離し、内臓を取り除いた。洗い直した大なべにカモを適度な大きさに切り離して入れて煮込んだ。箸で刺して肉が煮えたのを確認して醤油で味を調えた。テツは台所の隅に転がっていたショウガを刻んで放り込んだ。テツが電話で呼んだらしく、兄の咲良が同級生の飲み友達で、ペンキ屋の喜納と二人でやって来た。ビールが数本と泡盛の1升瓶、そしてレジ袋に何やら持って来たらしく座卓の上に置いた。

「咲良さん、喜納さん、久しぶりです」

「カズ、カモを撃ったそうだな」

「4羽ばかり。もう少し待てばもっと撃てたけど、暗くなると警察官が飛んでくるので引き上げました」

「俺の薬局の隣の駐在所の石垣は、家内と同じ宮古島の男で飲み友達だ。話しておくから日暮れなど気にせずにパンパン撃ちな」

「ハハハハハ、ありがとうございます。」とカズは笑えない声で言った。

「お待ちどうさま」テツがチカオと二人で大皿2枚にカモを入れて持って来た。

「おお、中々大きいではないか。どうせ鳩より少し大きいだけの小さなカモで、口寂しいだろう思ってな、刺身とオニギリ、摘み菓子のエビセンも持って来たよ。テツ、小皿を持って来な」咲良が嬉しそうに言った。

「兄貴どうぞ」とチカオがモモ肉の部分を小皿に取り分けて咲良と喜納さんの前に出した。

「どれどれ」咲良がモモ肉を咥えて縦に切り裂くようにして口の中で噛んだ。「思いの他美味いな。喜納食ってみな」そう言ってビールを一口飲むともう一度残った部分に嚙みついた。

「うん、何だこれは」口の中に指を入れて何かを摘まみだした。

テーブルの上に取り出してカズの前に転がしてよこした。カズが取ってみると直径1.5m程の鉛玉である。

「4号散弾の弾だな。野生のカモの筋肉は硬くて突き抜けなかったみたいだね」

「オイオイ、大丈夫かよ」

「なに、肉の表面に丸い穴のある部分に気を付ければ食えるさ」そう言ってカズが笑うとつられて皆が笑った。

「カズよ、次はイノシシを撃って持って来な」そう言って酒を勧めてくれた。

11時頃まで雑談をしてお開きとなった。

「カズ、今度は名護市内のスナックでカラオケでも歌いに行こうぜ。休みの時におれの薬局に遊びに来な」そう言って迎えに来た喜納さんの弟の車で帰って行った。3人は食い散らかしたカモの残骸を肥料袋に入れてピックアップトラックの荷台に積み込んだ。食器を洗いテーブルを拭いて一段落すると、残ったポテトチップスを摘みにして、雑談の続きでしばらく飲んだ。12時を過ぎた頃、車に積んでいた寝袋を取り出してきてテツの家の畳の上に広げてその中に潜り込んだ。この日はテツの家で泊まった。

その頃のカズには、神がそれぞれの生物に与えた生き様の中で、渡り鳥と言う宿命を背負って長い旅路の途中で不用意に4号散弾の餌食になったカモの生き様など考えることは無かった。まして自分が何処に向かって進んでいるのかは考える余裕もなく、暗闇の中に意識を落とし込んでいく日常の連続であった。

 冬の終わりと共に狩猟期間も終わった。カズにとって狩猟免許を取得した程の成果は無かった。カモ撃ちも2度目に2羽と撃ち落として終了であった。カモは川上集落の田んぼを避けて、我部祖河川周辺の田んぼや川面に飛んでくるようになっていた。その周辺は散弾銃の射程に民家が多く、発砲禁止の地域であった。その年のカズの猟果カモ、カラス、フクロウ、キジバト、バン、ハブであった。イノシシに向けて発砲したことはあったが、80mも先の農場の交差点付近であり、スラグ弾、9粒弾の跳弾が上げる土ぼこりに驚いたイノシシが足早に茂みの中に逃げ込んだだけであった。晩秋から冬の間のイノシシは果樹園を離れて、広大なイタジイの原生林がばら撒く椎の実やドングリの実が落下したのを食料とし、その時期が終わると、農家のサトウキビ畑を餌場として徘徊していた。

 春が来て、ミカンの花が咲き、サトウキビの収穫期が終わるとイノシシは時折果樹園に姿を見せるようになった。陽当りの良い果樹園はフェンスに沿って野生のリュウキュウバライチゴが3月頃から実を着け始めていた。ツルグミも点在していたが、実が落下する時はかなり萎びていた。山野のヤマモモ、シャリンバイ、ギーマの果実が熟するのはもう少し先であった。果樹園の未耕作の空き地のワラビやタマシダがほじくり返されており、地下の新芽や塊根を食べた跡が発生していた。カズはバライチゴの実が熟するとイノシシがやって来るのを確信していた。

 その日も朝日が上がる前にピックアップトラックで宿舎を出て、バライチゴの繁るフェンスから100m手前の果樹園の園路の分岐点で車を停めた。吸いかけのタバコを車の灰皿でもみ消し、未だ温まらぬ早朝の空気の中を外に出て銃を肩に担ぐとゆっくりと音がせぬように運転席のドアを閉めた。ジーンズのズボンに米軍の野戦用のカーキ色の厚手の長そでシャツを着け。その上から腰の部分に散弾銃の弾を込めたガンベルト。靴底が硬質のゴム製で踝までは革製でその上は厚めの布製の40cmのブーツを履いていた。散弾銃はレミントンM870スライドアクションで照星と星門をアタッチメントで取り付けてあった。1発弾のライフルドスラグ弾の照準を合わせ易くするためである。弾は1発目の発射にスラグ弾、2発目と3発目に9粒弾、4発目にカラス撃ち用の4号弾が入っていた。4号弾は前日のカラス撃ちに使った弾の抜き忘れであった。50m程歩くと立ち止まりキャップを後ろ向きに被り直し銃を肩から降ろし、両手に持っていつでも撃てる体制で持ち直した。そして一度正面のイスノキの幹に向けて銃を構えて肩に添え、頬を銃床に押し付け照星と照門をイスノキの根元のコブに合わせた。人差指はトリガーガードの外に添えたままで息を止めて10秒ほど静止した。フーと息を長く吐いて射撃体勢を解いた。右前方のバライチゴの茂みに向かって再び歩き始めた。バライチゴの最も繁った場所の道路脇に防風林として植えられた幹回り50㎝程のイスノキが生えており根元からヒコバエが多数芽吹いていた。カズはヒコバエの後ろに屈み込み、身を隠してバライチゴの茂みを見渡した。射撃のポイントとして格好の場所であった。立ち上がって茂みの左手に続くフェンスを眺めた。数日前に20m程先にフェンスが腐食してめくれ上がりイノシシが出入りした痕跡を確認していた。カズが毎朝この場所に銃を持ってやって来るのは、タマシダやワラビの新芽を食い尽くしたイノシシはやがて熟したバライチゴの果実の香りに誘われてやって来ると予想したのである。

 30分ほどイスノキにもたれてフェンスの破れた場所の茂みを眺めていた。安波集落の谷向の丘のはるか遠くの空にたなびく雲が茜色に染まり出していた。今日も空振りかと思い、左のポケットの煙草に手を伸ばそうとした時にフェンスの破れた部分の横のシャリンバイの枝が小さく揺れた。そしてフェンスに沿って繁っているススキ、チガヤ、バライチゴの茂み小刻みに揺れて何かがフェンス沿いに移動している。揺れ幅は時折見かける赤い嘴に縞模様の胴体をして駆け足の早い長い脚をした野鳥のクイナではない。もっと大きな動物が茂みの中を移動しているのだ。イノシシに違いない。バライチゴの最も繁ったカズの正面の茂みにやって来るはずだ。カズはゆっくりと腰を下ろして左膝を立てた肘撃ちの姿勢を取った。銃の吊革のスリングを左手の前腕に巻き付けて銃身のブレを安定させた。銃床を肩に押し当て右頬で軽く抑えた。銃身の上に取り付けた照星と照門が水平に並びその先にバライチゴのひと際大きな茂みが見えた。その辺りの枝に多くのイチゴの果実が実っているはずだ。射程距離は8m程だ。フェンスの東側の茂みを揺らしてやって来たイノシシと思われる動物はその茂みを揺らし始めた。カズはトリガーガードの根元にある安全装置のピンを押した。カチンと乾いた音がしてトリガーガードの左側に赤色の印の付いた部分が飛び出した。引き金が引ける状態になったのだ。カモ撃ちの時には気付かなかった安全ピンを外す音がひどく大きく聞こえた。イノシシの耳に届いたのではないかと心配したが、茂みは相変わらず揺れている。しかし姿は見えない。自分の心臓が爬龍船競争の銅鑼のように聞こえる気がした。イノシシは確かにいる。しかし標的は未だに絞り込めない。早くバライチゴの高い場所の実を食べろ。そうすればその胴体の位置が解る。カズは小さく息を吸っては吐き、イノシシの姿を待った。やがてバライチゴの葉の間からイノシシの鼻が見えた。小さな舌を出してイチゴを加えた。もう少し立ち上がれ、そうすれば胴体の位置が解る。照準を定めることが出来る高さまで背伸びしろ。カズは夢中で念じた。その時茂みが大きく揺れてバライチゴの茎葉の上にイノシシの顔が出た。牙が上唇からほんの少しのぞいていた。可愛い大きな優しい眼をしていた。動物園で見る肉食獣には無い草食動物特有の穏やかで人懐こい眼である。ヤギや馬、子牛に見られる大きな黒目であった。ほんの一瞬であった。茂みは再び下の方が揺れていた。イノシシは下枝のイチゴの果実を食べているようだ。しかし、バライチゴの上部には未だ赤い果実が多数残っている。奴はもう一度立ち上がるはずだ。カズは銃床から右手を離し、手のひらを広げて握り直す屈伸を2度して再び引き金に指を掛けてイノシシの立ち上がるのを待った。カズは学生の頃、那覇市内のエアーライフル射撃場に足繫く通っていたので両眼で射撃する習慣が身についていた。次の射撃のタイミングが来るまで右目が疲れることは無かった。やがて奴はバライチゴの枝に前足を掛けて上部の枝を引き寄せた。半立ちの状態のイノシシの姿が茎葉の上に現れた。首から上の部分がハッキリと現れた。カズは茎葉に隠れた前足の付け根の部分と思われるポイントに照星を合わせて引き金を絞った。エアーライフル射撃で幾度となく訓練した引き金は絞るのでは無く押すのだという標的射撃の基本を忘れていた。スラグ弾の威力は凄まじく、強烈な発射反動が右頬を叩いた。同時にイノシシはピーと言う甲高い悲鳴を上げてバライチゴの茂みを揺らした。カズは立ち上がり左手をスライドしてスラグ弾の薬莢を排出して次弾の9粒弾を連発した。イノシシが蹴散らしたバライチゴの茂みが開けて横たわったイノシシが断末魔の動きで後ろ脚をバタつかせていた。カズはすかさず4発目を至近距離から頭部に打ち込んだ。さらに5発目を打ち込むために引き金を引くと乾いた撃鉄の空虚な音がした。散弾銃の弾倉には3発のイノシシ用の弾を装填したことを失念していた。4発目の4号散弾すら想定外のはずであった。最初のスラグ弾のタンブリングで背筋を10cm程吹き飛ばされ、歩行が困難になってもがき、さらに数粒の9粒弾が体を貫通していき絶え絶えの状態に止めの4号散弾を打ち込まれたのである。若いイノシシは左目が潰れ、今しがた食べたばかりのイチゴを自らの血と共に口から垂れ流していた。カズは呆然と散弾銃を抱えたまま、蹴散らしたバライチゴの中に横たわって息絶えたイノシシを眺めていた。

 カズは首筋に暖かい日差しを感じて振り返ると、安波集落の谷向の丘から朝陽が昇っており辺りが柔らかな茜色を帯びていた。レミントンM870散弾銃を右肩に掛けて左胸のポケットから愛用のタバコのセブンスターを取り出し、右端に咥えてオイルライターのジッポで火を着けた。大きく吸い込んで煙を吐き出した。朝凪が解け始め、煙がゆっくりとフェンスの向こう側の原生林に流れて行った。カズは車に戻り銃を助手席に置いてバックでイノシシの横たわるバライチゴの茂みに戻ってきた。後ろ脚を掴んでイノシシを引きずりながらトラックの横まで運んだ。イノシシの口から流れていた血は既に止まっていた。前足と後ろ脚を掴んで持ち上げた。30kg程の重さに感じた。荷台に放り込むと何かがパラパラと金属音を立てて荷台に落ちた。ピックアップトラックの波状の荷台の谷の部分に見慣れた鉛玉が数個落ちていた。指で撮むと4号散弾の粒である。カズが止めを差した最後の一発は装填した記憶になかった弾であったとこの時初めて知った。猪撃ちはカモ撃ちとは異なる狩猟である。これ程までに自制心を失う狩猟であると知った。朝日は安波集落の東の山林の上に姿を現して勢いを増していた。車内の日除けを立てて宿舎に向か車の中で、カズは大型狩猟獣のイノシシを倒した高揚感よりも、無心にバライチゴを食いちぎるイノシシの穏やかな瞳が脳裏に蘇っていた。農耕民族にとっての大型獣の狩猟は、身近な体験では無く、ゲームフィッシングとは異なる非日常の極致に近い異常な世界であると悟った。

しかし、人間とは節操の無い動物でもある。カズは果樹園のイノシシ被害が出ると国頭村の農林課に申請して有害鳥獣駆除の許可を取り、狩猟期間と関係なく猪撃ちを行った。何しろイノシシの下顎を持っていくと補助金が貰えた頃である。その年のミカンの収穫が終わる頃までに数頭のイノシシ撃った。猪撃ちとて馴れてしまうと単なる有害鳥獣駆除作業に変わってしまい、感傷の情が湧くことも無くなるのだ。カズは翌年の春に東洋果樹園を卒業した。

7、サロン・楓子にて

 カズが2歳の娘を抱いてアパートの3階の階段を登り切ったところで、屋上から降りてきた男と出会った。

「カズ、今帰ったのかい」

「保育園でこいつを迎えてカカァが帰って来るのを待つところだ。サクラ兄はどうして上から」

「女房が家の中で煙草を吸うなとうるさいのよ」

「ベランダがあるでしょ。俺はそこで吸ってるぜ」

「俺は、お前と違って顔が知られているだろ。後で店に来た客があれこれ言うのよ」

「いわゆるベランダ亭主ですか」

「地元のババア共の噂が煩いのよ」

「俺は兄貴程有名人でなくて良かったよ、ハハハハハ」カズが冗談交じりに言った。

「カズ、今晩ヒマかい」

「ああ、一昨日仕事で指を怪我して2日ばかり休みだ」白い包帯を巻いた左手の小指を見せて答えた。

「そうかい、香港のヒロに泣き事があるらしくてな。お前も付き合ってくれ」

「レストラン香港のオーナー・シェフが泣き事ですか」

「まあ、訳ありだ。8時に下で待ってくれ。アイツがタクシーで拾ってくれるから。名護のみどり街に行こうぜ」

「解った。カカァが間もなく帰って来るから、付き合いますよ」

カズは階段から誰かの登って来る足音がしたので、何事も無かったように3階の一番奥の306号室に向かった。

 6時過ぎに妻が帰宅した。いつもの様に夕食を済ませ、シャワーを浴びてタオルで頭を拭きながら妻に言った。

「隣のサクラ兄貴と一緒に名護街まで出かけて来る。レストラン香港のヒロが何か悩みの相談があるらしい。チョット付き合ってくる」

「貴方が相談相手になれる悩みなんてあるの。怪しい話に乗らないでね」

「サクラ兄貴の誘いだ」

「尚更、危ない話ね。ヤクザだか、薬剤師だか分らない人でしょ」

「よしなよ、俺の同級生のテツの兄貴だぜ、怖いのは顔だけで人情持ちだぜ」

カズは妻との会話が煩わしくなって着替えを始めた。小学校の教員をしている妻は2学期末の生徒の評価とクリスマスウイークが重なった忙しさで神経がピリピリしていた。妻の仕事上の立場や心境は米兵相手の臨時タクシードライバーで日銭を稼ぐ風来坊家業を善しとしているカズにとって理解できない存在であった。多分、妻にとっても学卒で風来坊家業を続ける夫を理解できない存在であっただろう。

 紺色のスラックスに黒いポロシャツ、その上から濃いベージュ色にヒョウ柄の斑点のある綿毛のジャンパーを羽織った。妻は娘とお手玉で遊んでおり見向きもしなかった。アパートは伊差川三叉路に建っていた。近く走る国道58号の支線となっているので交通量は少ないが、救急センターを抱える県立病院への動線となっていて救急車が夜中まで通行した。何しろ名護市の旧羽地村、屋我地村。本部半島の今帰仁村、大宜味村、東村、国頭村からの救急車が通過するのである。アパートの向かいには給油所まであるので町はずれにしては騒々しい場所である。サクラの妻はその県立病院の外科病棟に勤務していた。

 程無くしてサクラがやって来た。黒のスラックスに赤みを帯びたポロシャツを着け、その上から黒の革ジャンを羽織っていた。

「兄貴、先ほど救急車が通ったが奥さんは仕事でないですか」

「いや、今日は休みだ。それでヒロの泣き事を聞こうと思ったのさ」

5分ほどしてタクシーが二人の前に停まった。カズはタクシーのドアを掴んでサクラを先に乗車を勧め後から乗り込んだ。

「みどり街の楓子を知ってるか。そこにやってくれ」サクラが運転手に言った。向かいの給油所から出てきた乗用車を先に行かせてからタクシーが発進した。

タクシーは名護十字路を右折して、二つ目の交差点を左折して一方通行のみどり街の中心を進み、みどり街十字路から5,6件目の店の前で停まった。助手席のヒロが金を払って最後に降りた。赤い格子柄の派手なワイシャツの広めの襟を紺色のジャケットの襟の外に被せて出していた。淡いベージュのスラックスに白の革靴を履いていた。パナマ帽にスティックを持てばキャバレーの舞台でラインダンスの踊り子に混じってタップダンスを踊れそうな装いであった。只、タップダンスを踊るには体重オーバーの重量感で調理人特有の丸刈りであった。十字路の方角を振り返るとキャバレークイーン、クラブナイヤガラ、バー大倉、バーセブンスターのネオンが点滅していた。

サクラがサロン・楓子と書かれた薄ピンクの小さなサイン看板の店のドアを押して中に入った。ヒロ、カズと続いて中に入った。カズにとって初めての店であった。6人が何とか座れるテーブルが2台とカウンターの回転イスが5脚のこじんまりした店であった。ママともう一人のホステスで客の相手をするだけであった。ホステスを除けばアパートの1階にあるスナック銀河と変わらぬ店であった。3名は奥のテーブルに席を取った。カウンター席に3名の客が居た。

「俺のカティサークを出してくれ」サクラが言った。

ホステスがグリーンのボトルに白い帆船の絵がるカティサークと3個のグラスと氷を盛ったアイスペールを盆にのせてやって来た。ボトルに桜と書かれていた。「おひさしぶりです」ホステスがそう言ってグラスに氷を入れ、ミネラルウォーターで割って酒を作った。

「お疲れ様です」そう言って3名は乾杯した。カティサークは羽地仲尾次集落の地酒泡盛龍泉の味がした。ボトルの中身はサクラの好みの地酒に入れ替えられていた。カズはアパートの1階のスナック銀河で経験済みであり何の反応も示さなかった。

「おでん屋・味覚に足テビチの出前を3人前注文してくれ」ヒロがホステスに言った。

「ヒロ、お前夕飯を食ってないのか」サクラが言った。

「調理の味を見る度に少しづつ口に入れるので夕飯を食うことは無い。今日は店を早終いしたので腹が減っているのさ」

「だからオメエは腹が出るのよ」

「兄貴だって、薬局に座ってばかリでこのところ腹が出始めているぜ。ヤサ男のカズを見なよ」

「俺は仕事柄食事が不規則だから太らないのさ」カズが不愛想に答えた。

「お兄さんその指の包帯はどうしたの」ホステスが酒を注いでグラスを渡しながら訊ねた。

「こいつは不始末をしでかして組織のボスから小指を摘めさせられたのさ」

「ホント、ああ怖い」

「こいつは真面目な顔をしているが、ドンパチが専門の男だ。気負付けなお姐さんよ」サクラが笑った。

「ヨッチャン、チョット手を貸して」カウンターからママの楓子が呼んだ。ホステスが立ち上がって行った。

「カズ、その傷はどうした」ヒロが訊ねた。

「一昨日のことだが、キャンプ・シュワーブから普天間まで乗せたクロンボーがフレンドから金を借りて来る、とかなんとか言って料金を払わずに降りようとしたので、そいつの持っていた大きなラジカセを掴んで取り合いとなった時に小指を傷つけたのさ」

「それで金は取れたのかい」

「逃げ出すので追いかけて、道端に転がして腹を2度ばかり蹴ったら泣き出したのよ。騒ぎを聞きつけてやって来た普天間神宮前の駐在所の警官に渡したのさ」

「アメリカー兵相手のタクシー運転手は難儀な仕事だな」

「宜野湾署まで同行して調書にサインしてラジカセを運賃の代わりに取り上げて会社に飾ってある。ところが傷口が少し化膿してな、そこの中央外科病院で化膿止めの塗り薬と抗生物質の飲み薬を貰って2日間の休職中の訳ヨ」

「カズ、国立大学卒が風来坊家業をしているとカカァに逃げられるぜ」サクラが笑いながら言った。そしてヒロに向かって言った。

「ヒロ、お前、電話でカカァが何とか言っていたがどういう事だ。それで今夜の俺たちはお前に付き合っているのだぜ」

ヒロはうつむき加減で手にしたグラスも酒を一気に飲み干した。カズが酒を作っているとポツポツと話し始めた。

 先週の水曜日の店の定休日のことである。休みの前の晩は下働きの若者や隣のペンキ屋の喜納と飲みに行くのが常である。飲み仲間は翌日の仕事の事を考えて、ポツポツと引き上げたが、ヒロは飲み屋を3軒ばかり渡り歩き、4時前に帰宅していた。子供が目を覚まさぬようにと気遣って一人で畳の部屋に横になり爆睡した。いつの間に夜が明けたのか知らぬが、閉じていた厚手のカーテンが開け放されて妻が掃除機をかけていた。二日酔いで頭がガンガンする中で窓の反対側に向いて寝がえりを撃った。ヒロが寝返りを打ったのを見て、妻はわざとらしくヒロの周りで掃除機をかけた。掃除機の排気がヒロの顔に吹きつけた。「たまの休みぐらいゆっくりと寝かせろ」そう言って怒りに任せて近くにあった目覚まし時計を掴むと投げつけた。目覚まし時計は襖にぶつかり小さくチリンと音を立てた。掃除機の音が小さくなっていった。妻は隣の部屋の掃除を始めたようだった。ヒロは再び眠りの中に落ちて行った。ヒロが目覚めたのは12時を過ぎてからである。喉が渇いたので冷蔵庫からペットボトルの冷や水を取り出してがぶがぶと飲んだ。食堂の椅子に座り溜息と共に両手で丸刈りの頭を前から後ろに搔き上げて首筋を軽く叩いた。台所の壁の時計を見ると12時40分を指していた。

「良子、何か食い物は残っていないか」くたびれた声で怒鳴った。しばらく待つも返事がない。「ちぇっ、買い物にでも行きやがったか」再びペットボトルの水を飲んで、両手で頬を叩いて辺りを見回した。テーブルの右端に白い封筒が置かれてあった。立ち上がりもせず体を伸ばして封筒を取った。宛名も差出人も書かれていなかった。ゴミかと思って握りつぶし、屑籠に捨てようとすると封筒の口が僅かに開いて中に紙が入っていた。取り出してくしゃくしゃの白紙を両手で伸ばしてひっくり返すと何やら書かれていた。

≪前略、広志殿。貴方とは十分に暮らしました。これ以上は共に暮らせませんので美香と二人で大阪の実家へ帰ります。貴方も健やかにお暮し下さい≫

                      草々 良子より

ヒロは慌てて立ち上がり寝室に行ってクローゼットのカーテンを開けた。中にあったはずのスーツケースの大小が消えていた。

ヒロは美香の通う保育園に電話した。園長に美香の事を訊ねた。10時頃お母さんがやって来て、大阪の実家のおじいさんの体調が急変したので急いて帰ると言って美香を引き取りましたと返事した。ヒロは市内の沖縄ツーリストに電話して大阪への航空便を確認した。午前8時30分、11時、午後4時であることを確認した。アイツが乗る飛行機は4時の便だけだ。ヒロは急いで空港に向かった。そして出発カウンターで2時半から待ち受けた。しかし、午後4時になっても二人は現れなかった。二人は午後1時発の福岡行で飛んでいたのである。そこから新幹線で大阪に向かったのであろう。昨日、大阪の良子からヒロ宛に郵便小包が届いた。預金通帳と印鑑と共に手紙が入っていた。当面の美香の養育費として大切に使わせてもらいますと書かれていた。現金800万円が引き出されていた。

「ヒロ、災難だったな。良子も内気な優しい女に見えたがやるもんだな」サクラが言った。

「カズ、お前も気を付けろよ。教員の女房と風来坊のタクシー運転手は不釣り合いだぜ。それによ、彼女のオヤジさんは県警本部の警視だと聞いたぜ」

「カズ、女はイザとなったら怖いぜ」ヒロが肩をすくめて言った。

「サクラ兄さんだってヤバいぜ。アパートのおばさんたち達の愚痴を聞いたぜ」

「何だよ、カズ」

「奥さんが夜勤の時はアパートの1回のスナック銀河でリョウ君を連れて飲んでいるだろ。子供の教育によろしくないと評判らしいぜ」

「ありゃーお前、出前を取って夕飯を食べさせているぜ。俺の作るインスタントラーメンより栄養満点だし、リョウの奴も美味いと喜んでいるぜ」

「カズも兄貴も稼ぎの良い女を嫁にしているからな。そのうち俺みたいに厭きられてな、逃げられるぜ」とヒロがしんみりと言った。

「辛気臭い話は辞めだ。カラオケにしようぜ」サクラが両手を叩いてホステスを呼んだ。ホステスは心得た様子でマイクと選曲パットを持ってやって来た。

 店のドアが開いた。足元をふらつかせ肩を組みあった3名の若者が入って来た。既に居酒屋辺りで飲んで来たらしく随分と出来上がっていた。

「ママ、一昨日のキープ出してくれ」一人がそう言ってカズらの隣のテーブルに着いた。若者たちは席に着くなりジングルベルを唄い出して騒ぎ出した。

「兄貴、裕次郎の赤いハンカチから始めるが良いかい」

「ヒロさんは北国の春。俺は小林旭の明子はもう一度だ」

3名が歌っている間も隣の若者は大声で騒いでいた。カズはグラスに氷を入れ、酒を注いでいるホステスに訊いた。

「あの若者はこの店の馴染みかい。少しうるさいな」

「いえね、本土の大学に通っている子供達ヨ」

「へえ、そうかい。元気が良いが、行儀を知らないようだな」

「ママの姉の子供が混じっているの。あの背の高い子。ママは

姉の家に少しばかり借りがあるらしいの」

「金持ちのボンボンか」

「年上の旦那がチョットした不動産業をしていてね。この古びたビルもその人の所有なの」

「そうかい。誰かが行儀を教えないといけないな」

「ヨッチャン、チョット」ホステスがママに呼ばれて立ち上がった。

ヒロが「ああ北国の春~」と歌うと若者たちは合いの手のつもりか「ああ、北国の春」と一緒に歌った。ヒロがしかめ面をした。

カズが「明子はも一度一から出直します」と歌うと再び「一から出直します」

若者の騒ぎが気になったのかカウンター席の3人が席を立って勘定を済ませて出て行った。

「お待たせ」そう言ってホステスのヨッチャンがおでん屋「味覚」の足テビチを運んできた。

「今日の足テビチは少しばかり量が少ないな」ヒロが言った。

「隣の子たちに一切れずつ分けたのよ」代金は割り引くとママが言っていたわ。

「ほう、俺に断りも無くかい」サクラが澱んだ目で言った。

「すみません、御代は要りませんから」

「この二人は俺の客だが。隣の若造共を俺は知らないぜ。俺達をカラかっているのかい」

3人は黙ってテビチを食べ続けた。

「このテビチ美味いな」若者の声が聞こえた。

「ヒロ、足りたかい」空になった皿を前にサクラが言った。

「さあな」ヒロが小声で返事した。

「カズ、入り口のドアを閉めてきな。そしてカウンター席の端に座ってガキどもが逃げないように見張っていな。左手はポケットに入れておけ、お前の手を見てガキ共が逃げ出してはかなわん」

カズはグラスの酒を一気に飲み干し口元に楽し気で残忍な笑いを溜めて立ち上がった。カズはジャンバーのポケットに左手を押し込み、ガキどものに視線を送ることなく入り口のドアに向かって歩いた。一度ドアを開けて外を覗いた。通りは人影がまばらであった。ドアを閉めノブの下のピンを捻ってロックした。そしてドアの上部のピンロックを跳ねてロックした。ドアに一番近いカウンター席に座ってクルリと振り向いてヒロを見た。ヒロがサクラに何かを告げた。

サクラが席を離れて若者の後ろに立った。カラオケの選曲でパッドを操作している三名は気付かなかった。カラオケマイクで一人の頭をコツンと叩いて言った。

「兄ちゃんたちよ、俺達のテビチを盗み食いしたようだが美味かったかい」

丸坊主頭で薄い眉毛の細い眼の顔の半分がカラオケテレビの光に照らされていた。タコ入道のような顔に細い眼が光っているだけだ。サクラの目は人を看ているのでなく、屑籠の汚物を見ているような感情の無い眼で若者を見据えていた。若者が一斉に立ち上がって入り口の方角を見た。カズが醒めた顔でその場を見ていた。

「誰が立っても良いと言ったかな。座っておれ」ヒロが言った。

「ヒロ、こいつらが外に出たいなら行かせてやれ。2,3日前にクロンボー兵隊を蹴り倒したカズの前を通り抜けるか見てみようぜ」

「カズ、クロンボー兵隊ほど面白くも無いが俺らのテビチを黙って食ったドロボーだ。その顎を砕いて構わないぜ」ヒロが低い声で言った。

背の高い若者の目がカウンターの内のママの姿を探した。ママもホステスもグラスを洗ったり戸棚の酒を並べ替えたりしてその場を見ぬふりをしていた。カズは若者を見据えたまま左のポケットから煙草を取り出し、ジッポのオイルライターで火を着けた。若者たちの目がカズの左手の小指を見つめて狼狽えた。

「お前ら、ヒロさんと俺が歌っている時に邪魔をしたな。どういうつもりだ」そう言って長く煙を吐き出した。煙が若者たちの顔にかかった。3名は黙って煙の中に佇んでいた。嵐が過ぎるのを待っている街路樹のように黙って立っていた。

「楓子、包丁があるだろ貸してくれ」サクラが抑揚のない声でカウンターに向かって言った。

「何するのよ」

「詫びを入れさせるのさ。小指の先の1関節を切り離そうぜ」

「やめて頂戴よ」

「なら、お前が代わりに指を摘めるか。そのきれいな小指をな」

「それはもっと嫌」

「そこのチビから始めようか」ヒロが100kg軽く超える体をカウンターに寄りかかりながら右手の平を上にしてテーブルをタンタンと軽く叩き包丁を要求する仕草で言った。ハリウッド映画のマフィア物のシーンのようであった。そもそもヒロの今夜の服装はこの界隈で見ることが出来ない姿であった。

三名が一斉にテーブルに頭を擦りつけた。その肩が小さく震えていた。

「心配するな、何も痛いことは無い。この人がお前らを蹴って気絶させている間に切り取るから」

「カズ、この近くの外科病院の医者は何て言う名だ。アンタのガキの頃の同級生だろ」

「ああ、名嘉真トオルだ」

「急いで小指を持っていけば繋がるかもな」

「トオルの奴酒好きだから、晩酌で酔っているかもな」カズは小馬鹿にした笑いを口元に浮かべて言った。

若者は恐怖から泣き出した。三名ともテーブルに手を突いて米つきバッタのように何度も頭を擦りつけて泣きながら「ゴメンナサイ」と繰り返していた。

「チェッ、ガキ相手に辛気臭い酒になったぜ。カズ、入り口のカギを開けな。帰ろうぜ。楓子、又来るからな。今度はヒロに腹一杯テビチを出してやりな」

「横流しは米軍基地キャンプシュワーブの売店のバドワイザービールだけかと思っていたぜ」カズが自嘲気味に言った。カズはカウンターイスから降りて入り口のカギを開けて引き返してきた。サクラ、ヒロの後ろに続いて出入り口に向かう途中で一瞬立ち止まり、振り向きざまに両手を交差させてから両脇に手を引き付けて一気に掌底の両手中段撃ちを若者たちに突き放った。カズの体中から殺気が噴き出し、「ハッ」と鋭く短い気合が部屋に響いた。剛柔流空手の形の一つセーサンの両手掌底撃ちを若者に放ったのだ。ソファーから立ち上がり、3名の悪党を呆然とした表情で見送っていた若者が「ヒッ」小さく叫んで再びソファーに座り込んだ。カウンターの中でグラスが床に落ちて割れる音がした。

 サクラとヒロは飲み直しだと言って別の店に向かった。カズは明日の朝に子供を保育園に送り、タクシー乗務員に戻ると二人に告げて一人で繁華街のネオンの下を歩き出した。みどり街の喧騒の中でクリスマスの気配が繁華街のネオンに絡みつき、カズは未だに明日の風景を夢想できずに軽い片頭痛を抱えたまま歩いていた。ネオンの明かりの中から酔い客が次々と湧き出てきてカズの影を容赦なく踏みつけて何処かに去って行った。影は見知らぬ誰かに踏まれても啜り切れることも無く、カズの後を素直にトボトボとついて行った。

8、由布島の水牛車

 その日は本部町の海洋博公園で働く業者仲間で作るゴルフコンペ「ニライ会」が恩納村の大京カントリークラブで開催された。3パーティ12名のメンバーが参加して午後1時にスタートした。ゲームが終わると風呂に入ってクラブハウスで表彰式を行った。参加費1,000円で作った優勝、ニアピン賞、ブービー賞等の賞金が表彰式で分配され、新しいハンディキャップの改定を済ませるとこの日のコンペの終了である。ゴルフ談議の雑談が終わって散会となったのが午後5時半であった。名護市と本部町に住む8名のメンバーが帰宅途中で名護市内の居酒屋「大左衛門」に立ち寄った。本部町内のベルビーチゴルフクラブが毎月一度の定例開催コースであるが、3カ月に1度は別のゴルフコースに遠征しているのだ。カズを含めてベルビーチゴルフクラブの会員が数名おり、ニライ会以外の遊びと仕事絡みのゴルフコンペも同ゴルフクラブで毎月開催されており、誰もが厭きて来るのである。国営公園の総務部が2名、施設管理部が2名、公園内の植物管理部が4名であった。

 馴染みの居酒屋「大左衛門」に着いたのが6時過ぎであった。掘り炬燵席を予約しており、直ぐに生ビールのジョッキを注文して雑談が始まった。料理は安くて腹の足しになる海鮮サラダ、トーフチャンプル、ゴーヤチャンプル、ソーメンチャンプルを2皿づつ注文した。雑談はどうしても仕事の話に移って行くのが常である。総務部と施設管理部は設備管理と営業店舗管理の話題を4名で愚痴っている。植物管理部は同じ大学の先輩後輩であり、国内各地の植物園の話題が多くなった。カズの1年先輩の花城が口を開いた。

「カズ、先月箱根のホテル小涌園で総会があっただろ。君と玉城君が参加していたが、総会終了後はどうした」

「花城さんとは小田原の駅で別れましたよね。アポック社の毛藤さんに誘われましたが、断って玉城と二人伊豆に回りました」

「俺は毛藤と一緒に東京都内の植物園を幾つか回った」

「新宿御苑や神代植物公園ですか」

「毛藤の作った樹木銘板を見て回ったのさ。うちの公園の樹木銘板の参考にするためだ」

「公園内の銘板はもう少し増やすべきですね」

「そうだね。君たちは何処を見て帰ったのかな」

「伊豆急で下って、熱川バナナワニ園を見て終点の伊豆下田に泊まりました。そこから西伊豆線をバスで廻って、石廊崎のジャングルパーク、堂ヶ島洋ランセンターを見て修善寺駅から三島に出ました。三島からは新幹線で名古屋まで行きました」

「伊豆の植物園はどうだった」

「熱川バナナワニ園は東伊豆の入り口で熱海からも近いので観客もそれなり入っていましたね。ただ、石廊崎から西伊豆は伊豆半島の過疎地で電車も無いでしょう。ゴールデンウイークが終わったこの時期は客足が少なかったですね。とりわけジャングルパークは苦戦しているようでした」

「ジャングルパークは持たんかもしれないな。堂ヶ島も相当苦戦していると聞いているぜ」

「温泉が無いので暖房のオイル代がかさむと嘆いていましたね」

「名古屋から帰ったのか」

「玉城君の姉が名古屋に住んでいるらしく姉の家に泊まったようです。私は一人で夜遊びしていました」

「名古屋のランの館の竹川さんには会ったのかい」

「さすがに都会の真ん中の植物園は繁盛していましたね。近隣の園芸業者の協力も大きいようですね」

「愛知県は園芸が盛んな地域だからね。沖縄からも観葉植物が安く大量に持ち込まれて商品化されているのだ」

「私たちは小牧空港から帰りましたが、花城さんはどうしました」

「それがよ、毛藤に誘われて新宿のサロンに行ったのさ。君も知ってる珍しい方に会ったよ」

「誰です」

「みやらびという名のサロンを知ってるかい」

「行ったことは無いですが、以前に元財団理事長の三好さんからの依頼でフクギの葉を100枚と2mのトウズルモドキのツルを10本ばかり送ったことがあります。時々沖縄芸能の歌や踊りを披露する店だとか聞いていますが」

「そんな店だ。そこで懐かしい由布島の映像が出るカラオケが流れ始めたのだ」

「安里屋ユンタですか」

「そう、《君は野中のいばらの花ヨ》と誰かが歌い出したのさ。聞き覚えのある下手くそな声だと振り返ると勝浦理事長だったのよ」

「三好先生だけでなく勝浦さんも隠れ家にしていたのですか」

「勝浦理事長に見つかってさ、八重山民謡のトラバーマを歌う羽目になったのさ。酔いが醒めたよ」

「由布島と聞いて思い出した」隣にいた安文がカズに向かって話しかけた。

「由布島にピンクの花が咲くデイゴがあるらしい。開花株が数本あるので1,2本貰っても良いと言っていた」

「赤花と白花種はあるがピンクは見たことが無いな」カズが返事した。

「多分、白花種に赤花種が交配されたのだろう。由布島の住民は立ち退いてリゾート施設が立っているはずだが、所有者は誰かな」八重山出身の花城が言った。

「ビニール袋を生産しているリューセロの上原社長が運営しているそうです。先日、本部町の青年会議所のメンバーとして参加した地域おこし講演会の後の懇親会で知り合いました。対岸の西表島に生えていた株を掘り取って挿し木で十数本に増やしたそうです」

「カズ、出かけて行って2本ばかり掘り取ってきなよ。但しあそこは海抜1mで砂地だぜ」花城が言った。

「デイゴは根鉢を付けずとも移植は簡単です。幹をぶつ切りにして地面に挿すだけでも発根しますから。石垣市には造園建設業協会員の南西造園の宮良さんがいますので、2名ばかり職員を借りて掘り取ってきますか。2泊三日で片付きますよ。掘り取って翌日の船便で送れば、3日後には公園内の熱帯ドリームセンターに植栽できますが」カズが答えた。

「安文、早速手配して手に入れろ。経費の決済は俺が許可するから」花城が言った。

「明日にでも上原社長に連絡してみます。カズさんの予定はどうですか」

「カズが不在でも会社は動いているさ。台風が来る前に片付けることだ」

「俺はいつでも行けますよ。県の農業改良普及センターに同級生の武原がいるので久しぶりに飲めるな」

 大左衛門での飲み会は9時に終了して運転代行を呼んで散会となった。

 カズは月が開けた7月の最初の週に八重山に向かった。大左衛門で飲んでから2週間後のことである。旧石垣空港は市街地から近く、タクシーで南西造園の事務所まで2区間のメーター料金であった。鉄筋コンクリート平屋の事務所で宮良社長が待っていた。5月に那覇市内の都ホテルで開催された沖縄県造園建設業協会及び沖縄県緑化種苗協同組合の総会で会って以来である。宮良社長は4業者からなる八重山支部の理事をしていた。海洋博公園植物課の内原課長と八重山農林高校での同窓生である。応接室に招かれ、那覇空港で買った土産を渡してコーヒーを飲みながら雑談となった。

「八重山の景気はどうですか」カズがあいさつ代わりに問うと

「新石垣空港の工事が始まると忙しくなるが、今は台風前の静けさだ」

「前に送ってもらったナリヤランは順調に成長していますよ」

「そうかい、あれは西表島では良く育つが石垣では良くないな」

「そうですか。植え込み材料を鹿沼土にすると上手く行きますよ」

「そうかい、さすがラン屋さんだな」

「新空港の工事に使う材料は何か準備していますか」

「オレンジ色の花が咲くカエンボク(アフリカンチューリップ)を見つけたので畑に200本ばかり植えてある。2.5m程度で咲くのだよ」

「ほう、赤でなくてオレンジですか。珍しいですね。帰ったら花城主任と内原課長に話してみます」

「二人とも元気かね」

「花城さんとは6月の植物園総会で一緒でした。彼に話して国内の植物園に売りこんだら良いですよ」

「そうだな、帰ったら話を付けてくれ。後でカエンボクの植えてある農場を案内するよ」

「社長、明日は由布島のデイゴを掘り取りに行くつもりですが、作業員を2名ばかり貸してくれませんか」

「ああ、手配してある。僕の会社の職員は国道390号の草刈り業務に出ていて動かせない。それで、西表島の人間に頼んである。西表島の大原に野底モータースという車やボートの修理工場がある。そこの社長と職員達で何でも屋さんだ。西表島の県道215号の維持管理工事の応援部隊だ。以前にそちら送ったナリヤランを採ってもらった男だ」

「それは助かります。掘り取って由布島から石垣の港まで持って来ますので、そこから那覇港まで送ってもらえませんか」

「ああ、いいですよ。由布島は砂地だから根鉢の土は着かないだろう。ハイタフで根を巻いてから那覇港行のコンテナに積み込むことにしよう。根巻きは私の職員がするから」

「すみません、お手数かけます。人夫賃、運賃、その他経費を加算して私の会社に遠慮なく請求して下さい。私は内原さんの海洋博公園管理財団に請求しますので問題ないです」

「由布島に行ったことはありますか」

「いいえ、無いですね。学生の頃仲間5人で大原の名嘉真川沿いの西表横断道路から入って、道路が途切れた場所から原生林の中で2泊して浦内川を下り、星立で1泊、白浜まで行って1泊しました。そこから先は道路が無いので船で鳩間島を経由して戻りました。10トン未満程度の連絡船でしたね。美崎町の港から大原まで1時間半ぐらいでしたね。白浜港からの帰りは2時間以上でしたよ」

「15年以上前のことですね。美崎町の前の海は埋めたてられて新石垣港となっています。今の美崎町から海は見えませんよ」

「そうですか。同級生に唐真君がいて、彼が西表島横断のガイドをしてくれました。当間でなく唐の付く珍しい苗字です」

「知ってるよ。彼のオヤジは石垣の郵便局長をしていたよ」

「那覇港から午後3時頃におとひめ丸に乗船して、宮古島経由で翌朝石垣に下船しました。石垣出身の同級生が4名いますよ。県農業改良普及所の八重山支所に同級生の崎浜則雄がいますよ。明日の晩に会う予定です。大学の恩師も多いですね」

「石垣・西表大原間は安栄観光の高速艇が定期便として出ているので40分程度で着きますよ。ただし掘り取ったデイゴは運べないので、帰りはサトウキビ運搬の貨物フェリーだね。昔と同じで1時間半ぐらいかな。那覇港向けの貨物ターミナルに接岸するから好都合だよ。大型船の船着き場は安栄観光の船着き場と別の場所だ。デイゴの輸送手続きは僕がするから那覇港で受け取ってくれ」

「すみません、お手数かけます」

「明日の午前10時に由布島の水牛車乗り場で待ち合わせとしますか。大原の船着き場の近くにレンタカー会社があるからそこで車を調達すると良いですよ。この時期は観光シーズン・オフだから車はあるしょう」

「水牛車ですか、カラオケの《安里屋ユンタ》に出て来る牛車ですね。子供の頃に馬車に乗ったことはありますが」

「水牛はおとなしくてバカ力があるが馬のようには機敏に働かないのですよ。水辺に浸かってばかりでね。暑さに強いのが取り柄だな」

「のんびりとした亜熱帯の西表島の風景に馴染む動物ですね」

「さて、私の農場を見てもらおうか。その後で船着き場に近いビジネスホテルに案内しよう。宿の予約をしてありますか」

「いえ、シャワーがあって2泊できれば十分です」

 南西造園の圃場は事務所からピックアップトラックで10分の高台にあった。カエンボク、ヤエヤマヤシ、テリハボクが整然と植栽されていた。カズは海洋博公園におけるココヤシはキムネクロナガハムシやタイワンカブトムシの食害に弱く、ヤエヤマヤシが県内のヤシ類の緑化木としての主流になるだろうと話した。石垣の米原地区にはヤエヤマヤシの自生地があり、10cm程の苗が幾らでも入手できるのである。ただし、緑化木として使える樹高になるまでに10~15年の育成期間が必要である。

 その日は石垣港離島ターミナル近くのビジネスホテル・やいま日和に宿を取り、近くの郷土料理店で夕食をご馳走になり、9時前に宮良社長と別れた。ホテルから武原に電話してやいま日和に宿泊しており、明日の夕方5時には仕事が片付いている旨を伝えた。ホテルのロビーの自販機で買った缶ビールを片手に窓から夜の港町の沖合を眺めると、石垣港の灯台の灯りと港への誘導ブイの灯りが点滅しているのが見えた。そしてはるか遠くに大原の集落の灯りが微かに見え隠れしていた。ふと闇の中から潮騒が聞こえて来る気がした。

 翌朝、ホテルのモーニングサービスで軽い朝食を取り、フロントの係に教えてもらった路地を進むと直ぐに港に着いた。小さなセカンドバッグにオリンパスの一眼レフカメラOM-10を入れて肩からぶら下げ、黒のスニーカーに作業ズボン、会社のネーム入りの作業上着姿である。手には土産を入れた紙袋を下げていた。西表島へ何らかの建設関連の仕事をする男の服装であった。8時30分の安栄観光の高速船に乗った。30名乗りの船に10名足らずの客であった。今は観光シーズンがオフのようであり、地元の八重山の住民のようであった。カズも八重山の住民の一人となっていた。高速船は右に竹富島を見ながら浅いサンゴ礁の海を滑るように進んだ。海底の薄い緑のサンゴ礁がマダラ模様に変化する中を白く泡立つ航線を引きずりながら美崎町の港を離れて行った。やがて左手に黒島、パナリ島を見て進むと西表島の鬱蒼とした緑の山並みが迫って来た。高速船は減速して右手に仲間川の河口を見ながら大原港の細長い桟橋に停泊した。

 大原の連絡船事務所でレンタカー会社の場所を尋ねると、そこの坂を登った辺りだと指差して教えてくれた。桟橋から直線に伸びたなだらかな坂を100mほど登り、県道215号線に面した場所にあった。大原レンタカー会社と真新しいベニヤ板を掲げたプレハブの事務所の前に5台の乗用車が遊んでいた。カズは由布島で3時間ほどの仕事を片付けて午後3時までに戻ると告げた。そして免許証を提示してトヨタカローラを借りた。車の鍵と一緒に西表島観光案内地図を渡してくれた。9時20分に大原から由布島に向かった。仲間川の長い橋を渡り、大富共同売店の前を通った。学生の頃売店の向かいの道路を山に登って行ったはずだ。その道路は西表横断道路として切り開かれたのであるが山中で突然途切れていた。建設省が開発の為に着工するも環境庁が西表島の貴重な野生動物の環境を破壊すると抗議して中断したと聞いていた。イリオモテヤマネコの発見と関連していたようだ。日本復帰後3年目のことであった。前良橋を渡り古見の集落に入った。点在する民家の間を抜けて林の中を進むと由布島水牛車乗り場の看板が見えた。県道215号線を右折して緩やかな下り坂を海岸に向かって進んだ。直ぐに海岸に出た。波打ち際が広くなっており右側に水牛車が2台停まっていた。御者が一人だけいて煙草をふかしていた。カズは駐車場と書かれた看板の前にレンタカーを停めて外に出た。水牛車に近づくと牛特有の牛糞の臭いが漂っていた。アダン林の中に水牛の排せつ物を放り込んであるのだろう。水牛車の近くに刈り取ったばかりの牧草の束が置かれていた。1m近い角を持った水牛がのんびりと刈草を食んでいた。

「おはようございます。由布島まで乗せてくれませんか」

「おはようございます。仲底モータースの関係者の方ですか。後から仲間が来るからと話していましたので」

「そうですが、彼らは先に行ったのかい」

「デイゴの掘り取り作業があるとかで、2名の方が先に行きましたよ」

「そうですか。私が石垣の南西造園の宮良さんを通して依頼したのです。ところで事務所の管理責任者は出勤していますか」

「ええ、レストランやお土産店の職員は8時出勤です」

御者の出した踏み台に片足を乗せて荷台に乗り込んだ。御者がアダンの幹に繋いでいた引綱を外して乗り込み「ほーい」と声を掛けて引綱で水牛の尻を叩くと荷車が動き始めた。2トントラックのシャフトで作られた車軸がキィキィと音を立てて回り、ゆっくりと水辺に向かって坂道を降りて行った。午前9時30分、この日の干潮の時間帯とはいえ、小潮の日の海面は十分に干上がっておらず、青く濃い色をした深めの水深の場所が点在していた。水牛車は左に右にと進路を変えながら対岸に向かって進み始めた。荷台のすぐ近くまで水面がせり上がってくる場所もあった。右手に朝の光を浴びたさざ波がキラキラと光っていた。ふと御者の右上のトタンの雨除け屋根の軒に三味線が吊るしてあるのが見えた。御者に声を掛けた。

「そう言えば、カラオケで歌われる《安里屋ユンタ》は由布島の向こう側の竹富島が歌の発祥らしいですね」

「歌謡曲と地元の民謡は歌詞も歌の趣も随分と異なっていますがね。流行歌の歌謡曲は宮良長包先生が一般向けにアレンジしてヒットしたのですよ」

「先日会った大学の先輩で西表の北側にある鳩間島出身の方が言っていましたよ。先月の初めの東京出張の折、新宿のバーで取引相手と飲んでいると安里屋ユンタが流れていてびっくりしたそうです。歌っていたのは発音から本土の方だと言っていました」

「そうですか。本土でも流行っているのですか。八重山の人間としては嬉しいですね」

「私も飲み屋のカラオケで歌う時の映像に出て来る水牛車に乗るとは思いませんでしたね。のんびりとした風景の中で浜風にさらされると平和な気持ちになりますね」

「平和ですか、こんな風景の中でも変わったことも起きるのですよ。先日チョットした騒動がありましてね」御者が苦笑して言った。

「水牛車が転覆したのですか。私は泳ぎが得意ですから心配なさらないで良いですよ」カズは面白半分に笑いながら言った。

御者が淡々と話し始めた。

「この島の管理運営はリュウセロの上原社長です。観光園のプロモーションビデオを作成するために映像会社が2年前に入ったのです。当初、映像は観光関連の業界に流れていたのだが、その映像の水牛車の部分をカラオケ映像会社が利用させてくれと申し出てきたので、映像の何処かに由布島観光の文字を入れることを条件に権利を売却したそうです。ヒット曲のカラオケ画像なら由布島の宣伝にも役立つので了解したそうです。今では御者の誰もが三味線で安里屋ユンタを弾く業務を取り入れていますからカラオケの効果は大きいのでしょう」

「そうでしょう。私が歌うぐらいですから」とカズは相槌を打った。

「ところが騒動は思いもよらぬ所から発生したのです」御者が苦笑いしなら話を続けた。

「御者仲間に山本と名乗る他府県からやって来た男がいましてね。話が上手くて職場の人気者でした。顔中に髭を生やしていたので素顔は分かりませんでした。その山本がレストランのウエイトレスと良い中になりましてね。女がそのむさ苦しい髭を剃れとしょっちゅう小言を言っていました。そんな折、プロモーションビデオの撮影の話があったのです。上原社長が直接この由布島にやって来て、御者の制服、クバ傘、三味線迄全員に支給したのです。写真映りが引き立つように荷車も補修しました。水牛の手入れもしろとの気合の入れようでした。正装した御者を水牛車の前に並ばせて記念撮影をしました。その時髭面の山本を見て施設管理責任者の米盛支配人に命じました」

「あの髭面の男の髭を剃り落としてから記念撮影だ」

「上原社長の命令は絶対服従です。15分後に記念撮影を終了して社長は引き上げました。喜んだのは恋仲の女でした。ワシらは何のことも無く新しい制服で業務につきました。プロモーションビデオの撮影が始まったのは2週間後でした。その頃には山本の髭剃り後の青白かった顔も十分に日焼けして普通のオッサンになっていました。撮影はワシらの仕事に全く影響しませんでした。彼らは望遠レンズ付きの大きな機材で撮影していました。ワシは映画の俳優かモデルになれると少し期待していたが拍子抜けでした。二日間の撮影でスタッフは引き上げて行きました。米盛支配人と撮影会社のマネージャーが事務所で打ち合わせをしていましたがワシら現場の者とは全く接点がありませんでした。後で米盛支配人が話していましたが、素人相手の撮影は遠くから自然な状態の映像を撮るのが一番大切だと言っていました。当然出演料はありませんでした」そう言って高笑いした。

「それが大層な騒動の話かい」

「いいえ、本当の騒動は2年後にやって来たのですよ」

「何ですか、忘れた頃にやって来た騒動とは」カズが問い直した。

「先月のことです。東京の警視庁の私服刑事が5名やって来て山本を逮捕して連行しました。ワシらは何ことだか分かりませんでしたが、米盛支配人が事務所で詳しいことを知らされたそうです」

「東京の警視庁のお出ましとは大層な事件だね」

「東京の土地売買に関わる詐欺事件に関わっていたそうです。詳しいことはワシらには教えませんでしたが、警視庁の捜査網を潜り抜けて逃亡中の詐欺事件の最後の容疑者の一人だったそうです」

「失礼だが、こんな沖縄の最果ての由布島に潜伏しているのをよくもまあ見つけたものだね。警視庁の捜査網は素晴らしいね」

「いえね、捜査の起点は安里屋ユンタにあるのですよ。兄さんもカラオケで歌う時に水牛車が出て来るでしょう。その中に御者も何名か出てきます。ワシも山本も出ています。ほんのチラリですけどね。東京のカラオケバーで警視庁の捜査員の一人が見逃さなかったのです。米盛支配人の話しでは捜査員はカラオケテープを取り寄せて何度も確認して逮捕状を作成したそうです。なにしろ映像にはご丁寧に由布島観光と地名と会社名まで出て来るのですから、警視庁の捜査員は大喜びですよ。」

「上原社長の依頼したプロモーションビデオの撮影が起点となっているわけですか。そして記念撮影をするときに髭を剃ったことも素顔を晒した原因だな」

「話し上手の気の良い男と思っていたけどね。人は見かけによらないね」

「ところで、恋仲の女性は嘆いただろうね」

「いえね、女と言うのも恐ろしい生き物でね。山本が逮捕される半年前のクリスマスの前の週に一人で那覇の街に出て行ったよ。山本が忘年会の二次会でやけ酒を飲みながら泣いてワシに話したよ。女は山本の中に何か危ない気配を察知したのだろうかね」

「その山本さんも完治したと思っていた脛の傷が再び化膿して致命傷になったのだろうね。怖い話だ」

「兄さんは脛に傷を持っていないかい」

「傷跡は幾つかあるけど、傷が再発して化膿する様子は今のところ無いね。大小の違いはあるが脛の傷ぐらい誰でもあるさ」

「怖いね、ワシは年寄りだから枯れてしまって古傷のことなど忘れたよ」名も知らぬ御者は乾いた声で笑った。

 午前10時少し前に対岸の由布島の砂浜に上陸した。カズが荷台から降りて御者に「ありがとうございます」と礼を言うと事務所の方角を指で示して言った。

「米盛支配人は既に出勤していますよ。仲底モータースの皆さんもいるはずです」

御者は荷車を固定して水牛を解き放した。水牛は心得たようにゆっくりと歩き出し、100坪程の池となった水場に向かって行った。池の中に4頭の水牛がへたり込むように体の半分を水没させていた。朝風に乗って牛特有の臭いが流れてきた。

 事務所の中には50代半ばと思しきかりゆしウェア姿の米盛支配人と作業着を着た60代前後の二人の男が作業台のようなテーブルに向かい合って折り畳み式のパイプ椅子座って気軽な面持ちでコーヒーを飲んでいた。

「おはようございます」とカズが声を掛けると3名が同時に立ち上がった。

カズは海洋博公園から来た旨を告げて名刺を差し出して3名に渡した。名刺には沖縄熱帯植物管理(株)課長 一級造園施工管理技士と記されていた。米盛支配人から名刺を受け取ると持参した土産の菓子を渡した。米盛支配人は表情を崩して着席を勧めた。カズはショルダーバッグから熱帯ドリームセンターのパンフレットを取り出して渡し、女子事務員が運んできたインスタントコーヒーを飲みながら訪問の経緯を話した。既にリューセロの上原社長から連絡が入っていて作業の話は短く済ませた。国営海洋博公園のことに興味があるらしく色々と質問を投げかけてきた。

 ひとしきり雑談を終えるとデイゴの植栽された圃場に案内された。樹高3m程のデイゴが20本ばかり3m間隔で植えられていた。その中から枝の幅が2mを越えない直立した樹木を2本選んだ。運搬に便利なように高さを2.5m、樹冠を1.5mに切り詰めるように指示した。根は根元から60cmの長さで切り取りハイタフを巻くように頼んだ。赤土であれば根鉢を作って藁綱蒔くことが可能であるが海抜1m地帯の砂地では無理である。カズは作業の段取りを説明してから米盛支配人に請われて観光農園の中を見て回った。由布島の面積は0.15㎢である。大戦後は150人ほどの住民が済んでおり、小学校もあったが昭和44年の台風で高波を被り住居が崩壊したことから対岸の古見集落に移動したとの説明であった。この島に人が済むようになったのは対岸の西表島ではマラリアの伝染病が流行しており、その感染媒体となる蚊がいないこの島に感染から逃れるために住居が建ったとの言い伝えがある。マラリアが撲滅された後もこの島に人々は済んでいたが、度重なる台風の高潮で島民は再び対岸に戻ったのである。現在は観光農園の管理スタッフが住んでいるだけである。米盛支配人はカズが海洋博公園の熱帯ドリームセンターの管理会社の職員で一級造園施工管理技士あることから、観光農園の管理についてのアドバイスを求めた。上原社長からもアドバイスを貰うように指示されていたようだ。カズは説明した。

「15年前の大学生の頃に初めて西表島を訪れて大原集落から星立集落まで横断したが随分と環境が変化しています。それでも観光客はそれ程多くはありません。しかし、新石垣空港が完成すると状況は一気に変わるでしょう」

「そうですね。我々もそれを期待しています」

「水牛車は面白い風物ですが、そんなものは他の島でも真似が出来ます」

「そうですね。水牛は西表島のどこにでもいますから。誰でも真似が出来ます。水牛による農耕が盛んな頃は荷車として利用していましたから」

「我々の管理する熱帯ドリームセンターのコンセプトは非日常的空間の演出です。この島も《水牛車で行く熱帯の楽園》のコンセプトで観光農園を演出すると良いでしょう」

「水牛車で行く熱帯の楽園ですか。何だかワクワク感がありますね。具体的にはどうしますか」

「海洋博公園は日本植物園協会に加盟しています。私も国内の有名な熱帯植物園は全て見学しました。客を呼び込むには熱帯の花と水辺の調和です」

「花と水辺ですか」

「国内の熱帯植物園はすべて温室です。しかしここでは温室は必要がありません。豊かな天然の熱量があります」

「確かに夏はもとより冬でも寒くはありませんね。でも海に囲まれていて水辺は海水ですよ」

カズは水牛を指差して言った。

「そこに水辺はあるではないですか。仲間川の広大な水辺は必要ないです。この池を少し整備して熱帯スイレンの花で飾るのです。睡蓮の向こう側に寝そべる水牛は絵になりますよ。熱帯ドリームセンターでもロータスポンドがありますが200坪程度ですよ」持参したパンフレットを開いて説明した。

「花はどうしますか。ブーゲンビリアとハイビスカスならありますが」

「花は赤色系と黄色系が一番です。ブーゲンビリア、ハイビスカス、アラマンダをアーチ、生け垣などに仕立てるのです。本土の観光客が写真を撮る場所はそこです。熱帯ドリームセンターの珍しい果樹の前で立ち止まる人少ないです」

「そうですか、何処にでもある植物ですから僕らにも出来そうな造園計画ですね」

「新空港が完成するまでに造成すれば良いですよ。新空港は大型のジェット旅客機が就航するので、この島にも毎日500~800人の来場者になるはずですよ。石垣から4時間以内の観光コースになるでしょう。飲食店やお土産店の施設は半年で整備できますが、花と緑は時間がかかりますよ。トップと相談して早めに着手すると良いですね」

「良い話を聞きました。早速、社長に連絡してスタッフで整備を始めてみます」

「沖縄本島に来るときは海洋博公園まで足を延ばして下さい。公園植物管理の責任者は前石垣市長の弟です。その下の主任も鳩間島の出身です」

 カズと米盛支配人が敷地を探索して圃場に戻ると、既に掘り取り作業が終了して煙草を吸っていた。藁綱で枝が絞られており運搬が容易になっていた。

「ご苦労様です。大原港の貨物運搬船まで運んでもらえますか」カズが声を掛けた。熱帯農園のスタッフが手伝ってくれて水牛車に積み込んだ。3台の水牛車は米盛支配人に見送られて由布島を後にした。

 対岸の古見の水牛車乗り場で仲底モータースの2トン車にデイゴを積み替えて大原港に向かった。そして12時半には貨物運搬船にデイゴ積み込み、仲底モータースの二人に別れを告げた。出航は午後1時30分であった。港の待合室の一角の食堂で昼食の沖縄そばを食べ、沖縄本島より3割増しの値段の缶ビールを3本とピーナッツの小袋を買ってショルダーバッグに押し込み板張りのタラップを駆け上がって船に乗り込んだ。船内の30畳程の客室には数名の乗客がいたが観光客の風体では無かった。窓辺の4人掛けの席に座った。潮風で窓ガラスの淵に塩がこびり付いたペンキの臭いのする窓から西表の古見岳が見えた。カズは奇妙な疲れを覚えてフゥーと大きく息を吐きだした。程なく船の機関音が大きくなり汽笛がなった。運搬船はゆっくりと大原港の貨物桟橋を離岸した。帰りの航路は高速艇と異なり、新城島とその隣のパナリ島の南側の外洋に出て石垣港に向かった。海の色は夏の陽光を受けて輝きながら変化する浅いサンゴ礁のグリーンではなく、光を吸い込んで跳ね返すことのない深海へと続く暗い紺青色であった。帰りは2時間近い船旅である。3本目の缶ビールを飲み干し、窓枠に左腕を寄せて目を閉じると、貨物船特有のゴンゴンと響く重たい振動が伝わって来た。船の機関室から伝わる振動はカズの中に遠い記憶を呼び起こしていた。あれは大学三年の終わりに国内の大学の研究施設を尋ねた帰りに東京晴海ふ頭から乗った客船の事か。それとも大学4年の夏休みに園芸サークルの仲間5人で西表島横断の旅行に出た時のおとひめ丸の船内で感じた振動であっただろうか。未だ心に無垢な部分が多く残っていた頃の事だ。あれから十数年の月日が経ち、企業人として利害関係の先端に立ってわき目もふらず前に進むことだけの日々を送って来た。或いは男のつまらぬプライドで誰かに足払いを食らわせたこともあった気がする。4名の子の親となり、40名余の職員の頭となり竹藪を切り開くことが自分の使命だと勝手な快楽に身を置いて来たのではないだろうか。誰かを傷つけることへの自己嫌悪感を忘れ、錯誤した優越感に浸っていたのではないだろうか。進むべき本通りを外れて何かに誘われて行く先の分らない山道に迷い込んだ気がした。水牛車の御者の言葉の中で見つけた数知れない脛の傷が運搬船の単調な振動で疼きだしてきた気がして、無意識に脛に手を伸ばした。焦りとも、不安とも、後悔ともつかぬ不可解な感触が船底の機関室からカズに向かって意図的に送られていた。

 カズの不快な浅い眠りを運搬船の警笛が止めた。エンジン音が穏やかになり石垣港への到着を示していた。頭を二度三度と横に振って意識を現実に戻した。ペンキの臭いがする窓から石垣島の於茂登岳が見えた。カズは立ち上がり肩を廻し固まっていた体の筋肉を解して深く息を吸い込んでから長く吐きだした。甲板に出て外の桟橋を見ると荷台の枠に南西造園と書かれた2トンユニック車が停まっており2名の職員が車の横に立っていた。予定通りに進んでいることに安堵した。時計は午後4時を指していた。

 板張りのタラップを降りて南西造園の職員に挨拶をした。宮良社長は所用があるらしくデイゴを受け取りにきたと答えた。船会社の職員が盤木に乗ったデイゴをホークリフト車で運んできた。それをユニックのクレーンで車に積みこんでこの日の作業がすべて完了した。

「明日の午後の那覇港向けの便に乗せるのはこちらでやります。ホテルまで送るように社長が言っていました。車へどうぞ」そう言って皮手袋を脱いで運転席のドアのポケットに押し込んだ。デイゴには棘があり、手慣れた庭師は手袋を使い分けているのだ。ビジネスホテル・やいま日和でトラックから降りて社員に礼を言ってホテルに入った。シャワーを浴びて5時半にロビーに降りると則雄が待っていた。

 二人はホテルを出て美崎町の通りを200m程歩いて二つ目の交差点の市役所通りに出た。通りの道向かいの八重山料理の看板を掲げた居酒屋の紺色の暖簾をくぐった。日暮れには間がある6時前の店内には一組の男女の客が居るだけだった。則雄がカウンターの中の板前に手を上げると笑顔で片手を上げた。奥の4人掛けの席に座った。

「よく来る店なのか」とカズが尋ねた。

「役場の職員との打ち合わせの後で立ち寄る店だ」

40過ぎの女性店員がおしぼりを持ってやって来た。

「いらっしゃいませ。いつもの役場の方たちではありませんね。地元の方では無いですね」そう言った。

「大学の同級生だ。ビールと何かあり合わせの摘みを先に持ってきてくれ。刺身の盛り合わせと、近海魚の煮付けを頼む」

「小振りなミーバイ(ヤイトハタ)があるので煮付けにどうですか」

「それでよい、ビールをジョッキでたのむ」

おしぼりで手を拭きながら武原が言った。

「予定の仕事は片付いたのか」

「由布島でデイゴを2本掘り取っただけだ。大原の人間が二人ばかり手伝ってくれた」

「そのデイゴは持って来たのかい」

「ああ、南西造園の職員に頼んで明日の那覇行の船に積みこんでもらうことになっている。彼ら2トン車の荷台に乗っているさ」

「馴れたもんだな」

「大した仕事でもないさ」

生ビールのジョッキが2杯と小鉢に入ったタカセガイとモズクとキュウリの酢の物をテーブルに置いて「ごゆっくり」女将が言って戻って行った。

「カンパイ」ジョッキを合わせて飲み始めた。

「数年前に那覇市内の同級生会で飲んで以来だな」則雄が言った。

「そうだな、八重山支所の勤務は長いのかい。県職員は転勤があるだろ」

「5年に一度は沖縄本島での本所勤務があるが1年後には戻って来ている。八重山勤務を希望する人間は少ないからな」

「そうかい、失礼だがこんな八重山の田舎勤務では退屈しないかい」

「女房・子供も住んでいるし気軽なもんさ」

「奥さんは専業主婦かい」

「登野城小学校付属幼稚園の先生だ」

「アンタはどんなだ。民間の造園会社で海洋博公園の管理をしていると聞いたが」

「大学を卒業して、果樹園の管理、農業の真似事をしていたが30歳前から今の仕事だ。大学を卒業して20年近いな」

2杯目のジョッキと共に刺身の盛り合わせが出てきた。タマン、イラブチャー、アカマチ、ガーラ、などの近海魚である。

「会社の景気は良いのかい。どのくらいの仕事をしているのだ」

「海洋博公園の仕事が中心だ。1億5千万円程度の受注金額だ。下働きのおばちゃんたちをふくめて40名程度の人間を抱えている」

「アンタの立場は何だい」

「管理課長だ。但し、俺の上には海洋博公園からの天下りの専務取締役がいるだけだ」

「社長は誰だ」

「造園建設業協会の会長だ。今は沖縄庭芸の渡嘉敷社長が非常勤で名前だけを置いている」

「変わった会社だな」

「海洋博公園の業務を随意契約しているのさ。」

「それで、アンタの仕事の中身は何だい。デイゴの掘り取りが仕事でもないだろ」

「俺は一級造園施工管理技士で契約上の主任技術者だが現場は担当の現場代理人に任せてある。業務の受注契約、施工管理書類のチェック、従業員の採用、職員の勤務配置その他諸々だ」

「お山の大将か。親分の立場か」

「アンタはどうして八重山に居座っているのだ。同期の小橋川は本島内の勤務地を渡り歩いているぜ。奥さんは那覇の賑やかな街の出のはずだったな。都会が恋しいのじゃないのかい。アンタの結婚式の友人代表のスピーチをしたので奥さんのことも覚えているぜ」

2本目のジョッキが空になったので地元の泡盛八重泉に切り換えた、女将が泡盛の4合瓶とグラスと氷と水を持って来た。ミーバイの煮付けも同時に運んできた。

「豆腐をたっぷり入れたゴーヤチャンプルを一皿と握り寿司の竹の2人前を後で持って来てくれ」則雄が言った。

店内に少しづつ客が増えてきて人の声が大きくなってきた。本土からの観光客も混じっていたが地元の客が多いようだった。泡盛の水割りで再び乾杯してから、則雄が遠い過去から何かを引きずり出すように話し出した。

「学生のころ、桜坂の飲み屋街で俺の兄貴がやっている食堂とも居酒屋ともつかない店に遊びに来たことを覚えているかい」

「確かテツと小橋川、チカオが一緒だったかな」

「ああ、その店だ。俺はその店で働いていたのだ」

「お前からキャベツの微塵切りのレクチャーを受けたのを覚えている」

「俺は八重山農林高校を卒業して4年間はその店で働いていたのだ」

「板前になるつもりだったのかい」

「八重山の田舎から出ることが出来るなら何処でも良かったのさ。食い物商売は腹を空かすことは無いからな」

「なんでまた大学の農学部に鞍替えしたのだ」

「大学の非常勤講師に多本さんがいただろ。農林高校の陸上部での兄貴の先輩だ」

「あの人は長距離が得意だったな。声が太く熱血漢だったね」

「それで彼が俺の兄貴に言ったのよ。お前は弟を食堂の下働きにするつもりかい。大学は金がかかる場所では無いぞ。半年の授業料もたった15ドルだ。1年間だけ受験塾に通えば合格できるぞ。多分来年は本土復帰するので国立大学になるだろう。そうなれば他府県から成績優秀な子供たちがやってくる。八重山農林高校の卒業生が入学出来るチャンスは無いぞ。それで俺は琉大に行くことになったのさ。結局4浪生と言うことになった訳だ」

「確かに、僕らの30名の同級生で現役合格者は、小橋川、安田、伊礼の3名だけだったな。俺も唐真も2浪入学だ。良い兄貴を持ったな」

「俺は5人兄弟の末っ子だ。長男兄は那覇市内で税理士だ。姉は一人が地元で看護婦をしている。もう一人の姉は那覇市内で事務員だ。姉は二人とも結婚している」

「八重山で暮らす身内は姉さんと君と二人だけだか」

「僕らの家は戦争前に本部町から移住してきた一族だ」

「崎浜という姓は本部町に多いね。移住してきた者は多いだろ。ボクシングの元世界チャンピオンの具志堅用高だって両親は本部町からの移住者だろう」

「ところがさ、大学に行く条件として於茂登の農地、住宅、位牌、墓の管理一切を引き受けることだったのさ。農学科を選ばされたのも進学条件の一つだったのよ」

「そう言えば、大学時代の西表島横断キャンプの帰りに君の家に仲間で立ち寄った記憶がある。あまり手入れされていないパイン畑があったな」

「其処だよ。今はキビ畑に替えたけどな」

「県職員をしながら農業もしているのか」

「俺は、予備校で受験勉強をしている時は理工学部に行きたいと思うこともあったが、兄貴との約束だったからな。多本さんも兄貴の店に来ては俺を励ましてくれたから、進路変更は出来なかったのよ」

「公務員農業は大変だろ。感心するぜ」

「そうでもないさ。農業改良普及員と言う仕事柄、農業機械の情報は必然的に早く入って来るのだ。キビの植え付け機械、収穫用のハーベスターも県の指導との名目で自分の畑で実験的に導入したのさ。実際のところ新しい農業システムを農家は簡単には取り入れないのだ。生活がかかっているから収量低下を危惧して新しいシステムを取り込まないのだ。その点、俺の農業は単なる土地の有効利用に過ぎないから、沖縄県農業試験場のオペレーターをタダで使っているのさ」

「でもよ。沖縄の本所勤務があっただろ。畑の管理は出来たのかい」

「ああ、毎月2回の半日年休を取って里帰りしたのさ」

「何だい、その年休処理とは」

「金曜日の午後に年休を取って船で石垣港に着くのが土曜日の9時だ。日曜日の午後の便で那覇港に着いてそのまま出勤だ。1時間の年休処理だ。毎月5時間の2回の年休処理だ。畑仕事が忙しければ年休を1日延ばすだけだ。飛行機で通っていては出費がかさんで採算が取れないからな。その点、船賃は那覇市内のタクシー代みたいなものだ」

「働き者だな。俺には無理だ」カズは頬を擦りながら言った。

「馴れだよ、気分転換になるし、子供はオヤジが那覇に出張していると思っていたようだ」ハハハと笑ってグラスを突き出して乾杯を促した。カズは心底エライ奴だと感服した。自分が能天気に学生生活を送っている頃から則雄は避けることの出来ないしがらみを背負っていたのだ。カズの目に少しの影も見せることなくである。則雄は脛の傷をスラックスの中に隠して平然と農学部ビルを出入りしていたのだろう。

「カズ、お前のその拳のタコは何だ。空手をやっているのかい」

「造園建設業協会という世界は何かと縄張り争いと言うか。先輩業者の意見が通る世界みたいだ。正社員5,6名もいれば名のある会社だ。時には煩わしい出来事が起こるものだ。息抜きでやっているだけだ」

「お前は段持ちかい」

「まあ、そうだな」

「俺ら公務員には分からないが、民間の造園業者にとっての煩わしいこととは何だよ」

「俺の会社は随意契約だ。発注元の海洋博公園管理財団から専務取締役を迎えている。いわば天下りの席を開けておいて仕事を入札無しで受注するわけだ」

「随意契約は県でもあるが厳しい条件があって追加工事などの付加的業務に1度だけ行うのが原則だ」

「俺が入社した時は年間受注金額が4千万足らずであったが、現在は1億5千万前後だ。沖縄国体までは造園バブルがあったがそれが弾けて造園会社は厳しい経営にさらされているのだ」

「新石垣空港の建設が始まると地元の業者は多少潤うだろうな」

「それは土木業者が一番で造園会社の仕事はさほどでもないさ。それに土木業者も造園施工管理技士の資格者を育てて造園作業込みの土木工事を受注しているのだ。発注者も一括発注方式が経費削減になる」

「造園土木工事も熾烈な競争社会に入っているわけだ」

「仕事が少なくなると俺たちの公園管理業務に造園会社が不満をぶつけて来る訳だ。俺の周りが騒々しく煩わしい環境になっているのさ」

「造園土木業者は今でも昔のヤクザモドキの性格を残しているみたいだな」

「そうなのよ、それでストレス解消のガス抜きをする為に道場に通っているのさ。造園業界の面々と付き合いゴルフもするが、全く利害関係の無い道場仲間と約束組手や自由組手で汗を流すとスッキリすることが出来るのだ」

「俺達公務員の世界でも出世にエネルギーを向ける奴はいるが、俺はそれなりに生きれば良いと考えている」

「そうか、羨ましいね。俺らの世界は談合、引き抜き、足払いは当たり前の世界だ。それに俺が入社した時は常勤、非常勤が12名の小さな会社であったが、いきなり頭として入社したものだから古参の職員の中には多少の不満が常に燻ぶっているのだ。40名の人間を各部門に割り振ってそこに部門長を充てる訳だ。1千万以下の工事だと誰が現場代理人に就いても完工するが、8千万円ともなるとそれなりの力量が求められるわけだ。古参の職員が顔パスで務めるには荷が重いのだよ。力量の足りない奴ほど自信過剰でナ、自分が登用されなかったことへの不満が募って俺へ向くわけだ。刃物沙汰とまではいかぬが目がギラギラするのを見ることは何度も出て来るのさ。これは全くたまらんぞ」

「お前は学生の頃から他人に物怖じすることが無かったからな。学生運動を牛耳っていた革命マルクス派の学生自治会に怒鳴り込んで作物園芸クラブの部活費を分捕って来たし、手作りの部室を火災で焼いて始末書を大学の学生部に提出してサッサと西表島横断キャンプ出かけただろ。なんて奴だと同級生で噂していたぜ」

「気がつかなかったな」

「お前は、相変わらず昔の土建屋の組頭みたいな生き方をしているみたいだな」

「人間は変わったようでも根元は同じだ。多少の枝葉が繁った挙句に体に世間の水垢が付着しただけだよ」

「言えてるな、大学時代の無垢な心と体は世の中の人混みを渡り歩く間にいつの間にか脛に傷を作っているのだな」則雄がしんみりと言った

「ああ、酒を酔ってふと歩いて来た道を振り返ると、何時の間にか脛にいくつもの傷が付いていることに気付き、そしてその傷が疼くのよ。石原裕次郎が、《男と男の付き合いは、学生時代のままで行く》と歌っているがホントだな」カズが応えた。

「そうだな、裕次郎の歌の通りだな、何しろ俺たちは昭和の時代の卒業生だからな」則雄が笑いながら言った。

 女将がグルクンの唐揚げを2匹持って来て言った。

「大将のサービスです」

店の中はいつの間にか賑わっていた。則雄が振り返って大将に手を上げて会釈して軽く頭を下げた。

カズと則雄は大学の同級生の消息をネタに杯を重ねた。20年間が長いか短いかは分からないが、消息の途切れた者もいた。人はゆっくりと霞の中に紛れ込んでいくものかも知れない。もはや水牛車の御者の山本の話題は酒の褄にもならぬ存在であった。否、カズにとって山本の話題は自らの脛の傷に塩を擦りこむような気がして酒の肴として話題に出来なかったのだった。

 閉店前の午後11時に引き上げた。2本目の八重泉が4分の1だけ残っていた。

「島内を案内しようと思っていたが、明日は二日酔いで中止だな」則雄がゲップをしながら言った。

「ああ、それがいい、俺も少し朝寝をしてチェックアウトするよ。機会があれば那覇市内で飲もうか」カズがあくびをしながら返事した。

割り勘で精算して店の外で右と左に別れた。翌朝の10時にチェックアウトしてホテルから南西造園の宮良社長に電話した。デイゴの件を確認してお礼を言って電話を切った。ホテルのモーニングサービスの時間が過ぎており、朝食を取らずに外に出た。二日酔いの頭を目覚めさせるため、ホテルの前の路地を昨日のルートで歩いて高速艇桟橋まで歩いた。朝の光で明るくきらめくサンゴ礁の海の向こう側に西表島が明るい緑色で浮かんでいた。潮の香りを含んだ海風を大きく吸い込んだ。いつもの日常を戻って来た気がした。桟橋からターミナル内の食堂に入り、モーニングサービスのトースト、目玉焼き、刻みキャベツにマヨネーズドレッシングかけて食べた。お代わり自由の美味くも無いインスタントコーヒーの2杯目を飲んで港ターミナルの外に出た。退屈そうに煙草を吸っていたタクシー運転手に声を掛けて空港に行ってくれと言った。カズは意味を持たずに街の風景となって行きかう車の流れの中で、明日のデイゴの受け取りと植栽方法について考えていた。スラックスの中の脛は何処にも痛みは無かった。カズは特定の顔を持たない一介の造園技術者に戻っていた。

9、亀

 鶴は千年、亀は万年という諺がある。古代中国の神仙伝説や淮南子の「説林訓」が日本に伝わった説であろう。しかし動物学的には鶴の寿命は25年程度だ。鳥類として長寿であるが千年も生きることはない。亀の寿命はもっと長くゾウガメの仲間は150~200年も生きると言われている。沖縄県には「鶴亀松竹梅」の舞という琉球古典舞踊があり、祝いの宴席での舞台舞踊として舞うことが多い。県内各地の豊年祭の定番舞踊だ。沖縄県への鶴の飛来は無く、鶴にまつわる伝説は無い。しかし亀は陸にも海にも生息している。陸亀ではリュウキュウヤマガメ、ヤエヤマセマルハコガメが国の天然記念物に指定されている。海にはアオウミガメ、アカウミガメ、タイマイ等が生息している。陸亀は小さくて人間との関りは少ないが、ウミガメは大きく、定期的に砂浜に産卵のためにやって来ることから人間との関りが深い。豊年祭では浦島太郎物語の組踊が演目に載っている地域も少なくない。海からやって来る果報の一つとして捉えられているのだ。

 カズの実家は広い砂浜の続く名護湾の海岸に近く、少し海が荒れると潮騒が庭先の如く聞える場所であった。自宅前に砂地の芋畑が一筆あってその脇を県道が海岸線に沿って本部半島を周回道路として走っていた。防風林のオオハマボウに囲まれた門前に立つと、自然植栽アダンの防風林の途切れた空間を通して名護湾とその向こうの宜野座岳の山並みが見えた。この辺りは太平洋戦争の頃、米軍の偵察用軽飛行機の仮設飛行場があったらしい。カズの家の横から海に300m程の滑走路が伸びでおり、艦載機の見通しを遮る海岸線の防風林はブルトーザーでなぎ倒されていたらしい。カズが物心ついた頃にやっとアダンやモクマオの防風林帯が出来たのだった。カズが生まれた終戦後6年目には、未だ暴風林は形成されておらず、夜になると屋敷のすぐ外に波が打ち寄せるような潮騒が聞こえていた。台風ともなると広い砂浜を波が押し寄せて、海岸に沿って走る県道と砂浜を隔てる土手を駆け上がり、生えかけたアダンやモクマオをなぎ倒して県道を海水と砂で満たした。自宅と県土の間にある100坪のサツマイモ畑まで貝、小魚。海藻、木切れその他の芥を打ち上げた。台風が去り夏の強烈な陽光が降り注ぐと忽ち海産物は腐食して、異臭が浜風に乗って集落に漂った。それでも夏の通り雨のスコールが2,3度も通り抜けると1週間ほどで異臭は消えた。夏から秋の台風シーズンはそれの繰り返しであった。台風は災難だけでなく、時には果報ももたらした。カズが生まれて2週間後に大戦後最大級の台風・ルースが沖縄県の宮古島付近から北上して、九州鹿児島に上陸後、四国に抜けて数百名近くの死者行方不明者を出す被害をもたらした。カズが生まれた茅葺の家も傾いてしまった。台風通過後に雨戸が軋んで開かず、高窓から外へ出たのだった。父の宏が屋敷林のオオハマボウの折れ枝を片付けていると、地面に落ちた枝葉に埋もれて、甲羅の長さが70cmあるアオウミガメがうずくまっていた。宏は自宅の立て起しにやって来た村人に亀の料理を振る舞って大いに面目を立てたとのことだ。

 沖縄には亀の字の付く姓がある。亀田、亀谷、亀川等だ。渡久地門中、福地門中、国吉門中はカメの肉を食べないと言われている。幸いなことに宏の傾いた家の立て起しを手伝った近隣の人々にその一門の者はいなかった。本島北部の本部町に渡具知姓があるだけだ。未だ豊かさに程遠い大戦後6年目の村人にとって、大いに元気の出る海からの贈り物であっただろう。

 カズが高校生の頃の思いである。カズの家の隣に古宇利島から天久一家が越してきた。その家の3兄弟の三男に佐吉と言う30歳前後の男がいた。元自衛官でその頃は山林を開墾してパイン畑にするブルトーザーのオペレーターであった。空手の真似事をするカズの武道の先生でもあった。佐吉は沖縄拳法の仲村道場に通う黒帯であった。色黒で背丈はカズよりも低く160cmを超えた程度であった。しかしプロボクサーのように引き締まった体をしていた。佐吉がサンドバッグを蹴るとパーンと乾いた音がした。特に横蹴りが得意であった。カズの為に巻き藁を立てくれ弟のように付き合ってくれた。二人は砂浜で沖縄相撲を取ることがあったが、カズが全く相手にならないほど強かった。相撲の後で海に入って300m程先の岩場までしばしば泳いで渡った。平泳ぎだけはカズが早かった。多分手足が長い分だけ水をかく量が多かったのであろう。二人の共通の趣味は絵を描くことでもあった。カズはもっぱら風景や静物のスケッチであったが佐吉は風景に水彩絵の具で色付けした。彩色はゴーギャンのタヒチの女を題材にした絵よりも赤系の着色が強く出た。佐吉が外出中にその絵を佐吉の家の窓越しに見たカズの母は、佐吉の絵の中にある種の狂気を見出していた。カズに佐吉と遊ぶのは辞めなさいと何度も言った。しかし、カズにとって母の忠告は馬耳東風であった。佐吉に伴われて空手道場で汗を流し、銭湯で湯を使って帰宅することもあった。そんなある夏の日のことだ。夕食を終えた午後8時過ぎに1番座敷の自分の部屋で町営図書館から借りてきた小説を読んでいた。佐吉が窓からぬっと顔を出して言った。

「カズ君、亀を見つけた。チョット手伝ってくれ」

カズが草履をつっかけて外に出ると、天秤棒にモッコ吊るして懐中電灯を手にしていた。「チョット浜まで行って来る」家の中に声だけを投げかけて佐吉と共に門を出て行った。県道を横切って防風林の切れ目から浜に降りた。満月が海を照らし、穏やかな波間に煌めいていた。干潮の中半であろうか砂浜が広くなっていた。カズはグンバイヒルガオを踏みながら佐吉の後についていった。少し歩くと佐吉が懐中電灯で30m程先を照らした。ライトの先に豚の餌の芋を煮る丸い大なべを伏せた塊が浮かんだ。佐吉が「亀だ」と小さく言った。近づいて良く見ると甲羅の長さが80㎝程の海亀であった。亀はひれとなった後ろ脚で器用に垂直に穴を掘っていた。

「卵を産むための穴だ」佐吉が言った。しばらく待っているとポトリと卵を産み落とした。1個、2個、3個と次々に産んで言った。穴の中ほどまで卵が埋まった頃、「この辺で良いだろう」そう言って亀の甲羅に手を掛けてヒョイとひっくり返した。そしてモッコを広げてその上に亀を再びひっくり返した。モッコの端を括り付け背負い棒通した。亀はなすがままで暴れることも無かった。佐吉が足で砂を寄せて卵の入った穴に砂を放り込んで埋めた。

「時期が来れば子亀が卵から孵って海に出て行くだろう。親亀の役目は終わりだ」佐吉がそう言った。

懐中電灯に照らされた亀は粘着性のあるぬるりとした涙を垂らして泣いていた。カズは涙を流して泣く動物を始めて見た。奇妙な罪悪感がした。

「カズさん。天秤棒の端を担いでくれ」そう言って背中を向けて腰降ろして天秤棒を肩に据えた。カズも天秤棒を肩に据えて言った。「オーケーです」

立ち上がるとさしたる重量は無かった。しかし一人で担げる重量では無かった。

300m程担いで歩き、佐吉の家の貯水タンクの横に降ろした。

「明日の朝解体してお前の家に届けるよ。頭はお前にやるよ」そう言った。

「美味いかな」カズが言った。

「俺は食ったことは無いが、美味いらしいぜ」

「期待しています」そう言って自宅に戻った。

佐吉と二人で亀を浜辺から担いできたことと、明日の朝佐吉が亀の肉を分けてくれることを母に話して自分の部屋に戻った。

 翌日、学校から帰ると亀は既に茹でられて刻まれた肉片に変わっていた。庭のゴーヤー棚の株元に亀の頭が転がっていた。既に亀の頭皮が剥かれて目の窪んだ骨だけの頭蓋骨となっていた。握拳2個を合わせた大きさであった。手にすると少し生臭い魚臭がした。カズは頭蓋骨が妙に気に入った。6ポンドパイン缶詰の空き缶に入れ、水を満たして洗濯用の漂白剤ブリーチを垂らした。そしてその缶を床下の人目の付かぬ場所に保管した。

 亀の料理が夕食に出た。茹でてあく抜きした肉に大根、ニンジン、ジャガイモ、ニンニクの茎葉が入っていた。奇妙な獣臭が少し残っていたが美味かった。2週間ほどして亀の頭蓋骨のことを思い出して床下からパイン缶詰の缶を取り出した。缶の中の水の表面に灰色の泡が浮いていた。屋敷林のオオハマボウの根元に残った水をこぼして海に向かった。ズボンの裾をまくり上げ、干潮で浅くなった水の中に踏み込んで砂で亀の頭蓋骨を洗って磨いた。頭蓋骨は真っ白になった。カズはカメの頭蓋骨が気に入ってしまった。自宅と離れた風呂場のトタン屋根に1日乾すと頭蓋骨は更に白くなった。亀の頭蓋骨を勉強机の上に置いて飽きずに眺めた。海から新しい友人がやって来た気がした。しかしその新しい友人を殺す手伝をしたのは自分だと考えることは無かった。しばらくしたある日、帰宅すると亀の頭蓋骨が消えていた。カズは母の仕業だと解っていたが何も問わなかった。夕食時に母が言った。

「机の上に変な物を置くんじゃないよ。亀の罰が当たるわよ。今朝のゴミ収集車に出して捨てたわ」

カズは気に入っていた海からやって来た友人が母に追い出されたと思った。特に母に口答えをすることは無かった。亀の祟りか知らぬがその年の大学受験にしくじってしまい、翌年は自宅を離れて那覇市の予備校に通う浪人生活を送る羽目になった。18歳の頃の記憶である。

 カズは結婚して3人の子供がいた。実家から1km程離れた父の土地を貰って新築して暮らしていた。実家は独身の兄と父母の3人暮らしであった。ある初夏の晩に兄から電話があった。釣り好きの兄は夜釣で北部農林高校前の浜にいるのだが、大きな海亀がグンバイヒルガオに絡まって身動きできないでいる。グンバイヒルガオの蔓を切り離す鎌を持って来きてくれとのことであった。屋敷の一角にある父の倉庫から鎌を取り出して妻に言った。

「北部農林高校前の浜にグンバイヒルガオに絡まっているウミガメがいると兄から電話があった。チョット行って助けて来る」

「ウミガメを助けるの、浦島太郎みたい」彩夏が妻の横から言った。紗香は幼稚園で浦島太郎の物語を絵本の読み聞かせで聞いたばかりであった。

「彩夏貴方もお父さんと一緒に見てきたら」妻が言った。

「うん、行きたい」彩夏が手を叩いて言った。

カズは居間のサイドボードの引き出しから懐中電灯とフジのコンパクトカメラを取り出して彩夏と共に自家用車で自宅を出た。半ズボンにTシャツ姿のくつろいだままの姿であった。誰かに会うことも無い車を横づけできる浜辺までだ。名護バスターミナル前の交差点を右折して北部農林高校の東側から県道に出て直ぐに浜辺に繋がる小道に車を入れた。浜辺近くに見慣れた兄の車が止まっていた。兄の車の後ろに車を停め、車から降りてカメラを首から掛け、懐中電灯と鎌を手に、彩夏の手を引いて浜辺に降りた。カズの懐中電灯の灯りを見て30m程離れた場所から兄が懐中電灯を回して合図した。グンバイヒルガオの蔓に足を取られぬように注意しながら兄の元に近づいた。兄の照らした懐中電灯に甲羅の長さが80㎝程のウミガメがいた。グンバイヒルガオに絡まってもがいたのか甲羅中が砂まみれであった。

「彩夏、浦島太郎みたいに亀に乗ってみるかい」カメラを手にカズが言った。

「うん」と紗香が言った。

兄が紗香の腰に手をやって持ち上げて亀の背に乗せた。両手を広げた紗香の片方の手を兄が掴んでバランスを取ってくれた。カズがフラッシュをたいて写真を撮った。亀はもがき疲れたのか或いはグンバイヒルガオに強く絡みついているのか身動き一つしなかった。紗香を亀の甲羅から降ろして兄に鎌を渡した。グンバイヒルガオはカメの首や手足に幾重にも絡みついていた。カズが懐中電灯で照らす中で兄が丁寧に蔓を切り離した。体の自由が利くと悟ったウミガメはゆっくりと海に向かって砂浜を下って行った。亀が通った後にはトラクターのタイヤの跡に似た模様が波打ち際に向かって続いていた。

「魚は釣れたかい」と尋ねた。

「亀騒ぎでこれから釣り始めるところだ。魚の食い気が出る満ち潮はこれからだ」

「釣果を期待しているよ。紗香帰るか」

「彩夏ちゃん浦島太郎になったみたいだね。亀の御礼があるかもね」兄が笑って言った。

「おじちゃん、バイバイ」彩夏がそう言って、二人は車に向かって歩き出した。

亀の恩返しは直ぐにやって来た。カズの車はバスターミナルの横で検問に遭った。週末の酒気運転検問である。

「酒気運転検問です。免許証を拝見します」

カズはポケットに手をやって気付いた。免許証は外出用のズボンのポケットの財布の中である。

「すみません。兄からの電話があって、グンバイヒルガオに絡まった亀を助けに飛び出して来たのです。運転免許証はこの先の自宅に置いたままです」

「何処の海だ」

「北部農林高校前の浜です。自宅は農協前です」

「お嬢ちゃん、亀を見たのかい」

「ウン、大きな亀さんだったよ。その上に乗ったのよ。お父さんと叔父ちゃんが助けてあげたの」

「そうか、よかったね。お父さん、慌てても免許証は持ってくださいよ」検問の警察官は苦笑いしながら懐中電灯を横に振って出発を促した。

カズは警察官に頭を下げてから車のギアを入れてゆっくりと発進した。不思議な亀の縁である。それ以来、野生の海亀を見たことは無い。

10、ダイナマイト漁 

 カズは父と二人で夕食を取っていた。九〇歳を超えた父母を五名の兄弟姉妹で当番を決めて介護をしているのだ。母は気管支の調子が悪く四日前から県立北部病院に入院していた。介護と言っても父はいたって健康であり、四本足の補助歩行器を使って広い家の中を歩き回っている。二年前まで同居していた兄夫婦が、仕事の都合で少し離れた隣町のアパートに引っ越したので、カズと四名の妹達が自分の家庭からやって来て一泊するのである。父は午前八時半にデイケアセンターの車が迎えに来て、午後四時半には自宅に送り届けてくれるのだ。父の夕食は、カロリーを計算された宅配弁当が届けられており、電子レンジで温めて父のテーブルに並べるだけだ。夕食後に父の定期薬の封を切って渡すのが大切な仕事であった。血圧剤、睡眠導入剤である。年寄りは錠剤のアルミ梱包材ごとのみ込むトラブルを起こすこともあるのだ。老眼と指先の機能の低下から、錠剤をアルミ製の梱包材から取り出せないのである。カズはスーパーマーケットで自分の為に買ってきたカツオの刺身のパックから数切れを父に取り分け、宅配弁当に付け加えるのが常であった。小さな巻きずしのパックと刺身を夕食にして、ビールを飲みながら六時過ぎのローカルニュースを見ていた。テレビでは那覇港での不発弾処理の様子が放映されていた。沖縄には第二次世界大戦の不発弾が相当数残っている。港の浚渫工事で発見されたアメリカ軍の大型艦砲騨であるが、サンゴの付着がひどくて信管の抜き取り作業が出来ず、自衛隊の爆発物処理班による水中爆破処理を行ったとの放映であった。テレビの画面では、爆破処理責任者の合図で、三、二、一、ゼロ、爆破開始の合図があり、海面から五m程の水柱が上がった。そして白い泡の波紋が広がった。食事の箸を止めて見ていた父がポツリと言った。

「あの爆発の周りの魚は死んだな」

「爆発の衝撃波は凄いだろうね。港の中だから、サンゴ礁の周りの様には魚はいないだろうよ」

「そうかもしれないね」と、父は言ってから汁椀を手にした。

カズは父の食事が終わったのを確認してから、曜日ごとに分別された1週間分の薬ケースから、この日の夕食後の薬を取り出して、水の入ったグラスと共に父に渡した。そして父の食器をキッチンのシンクに運んだ。宅配弁当専用の弁当容器を水洗いして専用のパックに納めて蓋を閉めた。オカズもご飯も汁物も中身がこぼれない様にパックされた便利な容器セットである。名護市の高齢者福祉助成金が使われており、一食当たり二五〇円である。カズの今夜の缶ビール1本の値段だ。

「戦争が終わって五十年も経つ今頃に不発弾処理とはね。沖縄の戦後処理は終わりが見えないね。それにしてもさっきの爆発は凄かったね」と、カズは言ってコップに残っていたビールを飲み干した。

「終戦直後の食料の乏しい時期のことだがな。ダイナマイト漁が流行ったそうだ」と、父が言った。

「ダイナマイト漁とは、あの砕石場で岩石を爆破する時に使われるダイナマイトを使った漁かい」

「いや、砕石採掘場でダイナマイトが使われるようになったのは随分後のことだ」

「では、何で海中爆発を起こして魚を獲るのだよ」

「日本軍が残した手榴弾を使ったらしい。俺は戦争が終わっても3年ばかり大阪で暮らしていたから良くは知らない」

「ふーん、手榴弾を使ったわけだね。確かにアメリカ映画のコンバットを見る限り、大した爆発力だな」と、カズは感心しながら返事した。

 沖縄県は二期作米を生産していたが、種籾の不足や大戦で荒れた農耕地が復活するまで随分と時間がかかった。それまではアメリカからの食料援助に頼っていた。米国米、小麦粉、トウモロコシなどの炭水化物は支給されるも、タンパク質は容易に入手出来なかった。それで、目の前の海から魚介類を採取することも食料調達手段の一つであったようだ。

「お前、ウンチュー小屋(ウンチューグワーヤという屋号)の叔父さんを覚えているか」

「あまりよく覚えていないが、市会議員の神山マサキのオヤジだろ。俺の一つ年上のマサアキとは、子供の頃キャッチボールでよく遊んでいたな」

「当時は手榴弾を使った漁をダイ玉漁と言っていたらしく、神山の正次兄さんが時々やっていたらしい」

「ダイナマイト漁は、今では禁止された密漁だろ」

「ダイ玉漁は当時から禁止されていたさ」と、父は笑いながら言った。

 カズの記憶にある正次叔父さんは浅黒い顔で髪が短く、あまり背丈は高くないが肩幅の広い、人懐っこい人であった。少しだけビッコを引いていた。一つ年上のマサアキの父であり、農業をしていたようだ。戦争中は海軍の兵士であった聞いていた。

 1944年10月10日、日本海軍の潜水艦迅鯨は本部半島のすぐ横の瀬底島の沖で、米軍機B29の攻撃で沈没して、135名の死者を出した。その潜水艦の乗組員の生き残りの一人が正次であった。正次は右の尻に傷を負いながらも、名護湾の湾岸流に乗って5km以上も泳いで実家のたどり着いた強者であった。その傷がもとでビッコになってしまい、軍隊への復帰を諦めて自宅で養生するうちに終戦となった。ただ、その傷がもとで半年ばかりビッコひき、杖をついていたので、米軍の兵隊捕虜にならずに済んだのは幸運であった。正次は船から脱出する際に、手榴弾を1包み3個入りをズボンに差し込んで海に飛び込み、帰宅していた。手榴弾は水洗いして菜種油をしみこませたタオルに包んで、裏山の集団墓地の一族の墓の香炉の裏に隠してあった。幸いにも一家に戦没者は無く、墓を開けて納骨する機会はなく終戦を迎えた。手榴弾はそのままであった。羽地の捕虜収容所では、正次の傷も米軍の適当な治療のおかげで回復して帰宅できた。正次の家は宮里集落の西の外れであった。終戦の1年後には南洋群島に出稼ぎに出ていた近隣の人々も帰還して来た。生活が少し落ち着き、大戦前の10軒ほどの茅葺住宅が出そろった頃のことである。本格的な水田耕作は未だ始まっていない冬のことであった。種籾を確保するも来年の春の一期作の収穫は初夏の6月であった。誰もが米軍からの配給物資が生活の支えであった。そんな年の年の瀬のことである。名護の市街地に出て、配給物資を調達してきた青年が面白い話を持って来た。

港の裏通りで、魚を格安で物々交換している漁師がいたらしい。魚は中骨が折れており、痛みやすいからとの理由であった。漁師の立ち話を聞いているとダイ玉漁らしい。見知った男に小声で尋ねると、手榴弾を魚の群れに投げ込んで爆発させて爆死させる漁のことのようだった。沖のリーフで手榴弾を爆発させ、魚を爆死させたのちに潜って魚を回収したようだ。戦争で刺し網を失い、素潜り漁での漁獲量は知れたものであった。ただ、ダイナマイトは容易には手に入らず、何度もダイ玉漁をすると噂を聞きつけて、米軍のMP憲兵が出て来るらしい。それ故港の路地裏で魚を売り払っているのだと知り合いの男が話していた。

「ミジュンが沢山寄ってきているがな。投網も戦争で焼けてしまって手に入らないし、指を咥えて見ているだけだ」

「網があれば投網を作れるけどな。今時、網なんて城村の漁師でも手に入らないらしいからな」と、誰かがため息をついた。

「ヨシ坊、俺が魚を捕ってやるぜ。ミジュンが寄ってきたら教えてくれ」と、茶飲み話の席で聞いていた正次が言った。

「エッ、正兄さんどうするんです」と、ヨシ坊と呼ばれている青年が言った。

「俺が手榴弾をミジュンの群れにぶち込んでやる」と、正次が言った。

「正兄さん手榴弾を持っているのですか」

「ああ、潜水艦から脱出した時に自爆用に持って来たヤツを隠してある」

「危なくないですか」

「なに、一度は死にかけた命だ、どうってこともないさ」と、正次は小さく笑った。

 1週間ばかりしてヨシ坊が正次を訪ねて来た。村はずれにミジュンの黒い集団が寄って来たとの知らせである。早速、二人で見に行った。確かに直径20m程の黒い塊がユックリと動いていた。

「明日の朝一番にダイ玉漁をやるぜ。手伝ってくれ」と、正次が言った。

「正兄さん、俺はどうすれば良いですか」と、ヨシ坊が言った。

「俺はダイ玉を海に投げて爆発させると直ぐに逃げて家で寝ている。アリバイ作りだ。お前は隣近所にダイ玉漁をしたから魚を拾いに行けと、おばさん達に連絡しろ」と、正次が言った。

「分った。おばさん達に竹籠をもって浜に行けと言うのですね」

「ああ、しばらく待って、ミジュンが上げ潮に乗って浜に打ち上げられたら拾うのさ」

「俺は連絡だけで良いですか」

「お前はゆっくり後で行け。おばさん連中が拾ったミジュンの籠を担ぐ役と、隣近所に家族の頭数で計算して届ける役割もしてくれ」

「そうですね、浜に行けない婆様もいるし」と、ヨシ坊が言った。

「俺はこれからダイ玉の準備をしておくから、お前は浜に行けそうなおばさん達に今から耳打ちしてくれ」

「わかりました」

「ああ、そうだ。誰か知らない人に聞かれたら、浜に魚が打ち上げられていたから拾いに来ただけと、おばさん達に口裏を合わせるように言ってくれ」

「分りました。せっかくの正月の食料ですからね」と、ヨシ坊が嬉しそうに頷いた。

「ヨシ坊、俺が捕まったら、お前も同罪で捕まるぜ」と、正次が脅すように言った。ヨシ坊が肩をすくめて小さく笑った。

 翌朝早く、正次とヨシ坊は浜でミジュンの群れが浜に近づくのを待った。7時前になってようやく辺りが明るくなった頃、ミジュンの群れが50m程前方に現れた。群れは右に左に移動しながら近づいて来たが、浜に近づかないでいた。

「正兄さん、ミジュンが近づきませんね」と、ヨシ坊が言った。

「慌てなさんな。やがてガーラやシジャーの大型魚がやって来る。そうすれば驚いたミジュンは砂浜近くまで逃げて来る」

「正兄さん、遠くでシジャーが飛びました」と、ヨシ坊が言った。

「ヨシ坊、お前は下がってアダンの影に隠れていろ。ダイ玉が爆発したらお前はおばさん達に合図しに行け」と、正次が言った。

ヨシ坊はミジュンの群れに目を向けながら浜を登って行った。やがて、正次の予想した通りに大型魚がミジュンの群れを追い回した。ミジュンの群れは海面にジャンプしながら砂浜の浅瀬に近づいて来た。正次は手榴弾をポケットから取り出しピンの糸を引き抜き、手の平より少し大きなサンゴ石を左手に持って立ち上がった。ミジュンの群れが波打ち際近くに寄って来た。正次は右手に持った手榴弾の信管をサンゴ石に叩きつけた。プシュッと音がして雷管に火が付いた。正次は波打ち際から15m程離れた水深1m足らずのミジュンの群れに手榴弾を投げた。1、2、3、4、と数えたところでボンと音がして1m程の水柱が立った。

正次が振り返るとヨシ坊がアダンの影に立っていた。正次は手を振って追い返す仕草をして浜を上がって行った。

その日の午前10時過ぎにヨシ坊が60cm程のシジャー1匹と2kg程のミジュンをもってやって来た。

「隣近所に配ってきました。全てのミジュンを回収することは出来ませんでした。水の中に残したミジュンが浜に打ち上げられると、何らかの噂になるかもしれませんね」と、ヨシ坊が言った。

「この辺りで軍隊上がりは俺だけだ。警察が来るかもしれないが寝ていたことにするよ。誰も俺の姿を見た者はいないし」

「そうですね。おばさん達にも話してあります。ところで正兄さん、手榴弾はお終いですか」

「未だ1個残っているが、皆がミジュンの味を忘れた頃にやるとするか」と、正次は言って笑った。

「年が明けて2月頃になると、ミジュンは大きくなって卵を持っているでしょう。その頃が良いかもしれませんね」と、ヨシ坊が言って、大きく笑った。

2月にダイ玉漁を行って手榴弾は尽きた。3個持ち帰った中の1個は海水の中を持ち帰った影響で腐蝕が進んで廃棄した。正次の戦後は終了した。3月からは伝統のイルカ狩りが復活して町民のタンパク質の供給源が増えた。正次たちの隣組も海外からの復員男子が増えた。仲間で船をあつらえてイルカ狩りに参加した。ダイナマイト漁よりも大量の良質なタンパク質が補充できた。戦争の影が遠のき、アメリカ統治の世の中が世間を覆って行った。

 正次たちの宮里村の隣の屋部村でもダイナマイト漁をする者がいた。この村には陸軍の管理する弾薬保管豪あり、そこに残っていた手榴弾でダイナマイト漁をする者がいたのだ。宮里村と屋部村は屋部川を挟んで東の宮里村、西の屋部村に別れていた。宮里村は広い水田に恵まれているが屋部川の西には水田地帯が少なかった。琉球王府時代の年貢米の査定は、宮里村は2等査定であり、屋部村は4等査定であった。屋部村は年貢米の収益が少なく、村民の生活も豊かでは無かったのであろう。豊かな水田を有する宮里村の住民の気質は穏やかであり、屋部村の住民の気質は荒いのはその生活の格差に起因していたのかも知らない。彼らの言葉使いは、誰彼となく挑むように、声高々に話すことから「屋部乱暴」(ヤブランボウー)と近隣の村々から脅威と蔑視の意味で呼ばれていた。

 屋部村は宮里村の境界を流れる大きな屋部川と、嘉津宇岳からの谷間を流れて来る西屋部川に挟まれた扇状地に形成されていた。琉球王府時代時代には屋部間切りと区分されていた。西屋部川の河口から1km程上流の前田原に古い時代の貝塚と洞窟があり、前田原遺跡の洞窟に日本軍の弾薬倉庫があったのだが、1944年4月の米軍上陸に伴う艦砲射撃で弾薬保管豪が潰れてしまっていた。ほとんどの弾薬は日本軍の嘉津宇岳裏への撤収に伴って移動されていたが、砲弾を除く銃弾や手榴弾の一部が残っていたのである。戦時中は軍隊の下働きをする護郷隊と呼ばれた18歳未満の未成年者はそのことを知っていた。その者達がダイナマイト漁を始めたのだ。屋部川と西屋部川は河口で合流しており、川幅が100m程もあり、水深も深くイルカが迷い込んだとの琉球王府時代の記録があった。護郷隊で鍛えられたクソ度胸のある青年たちにとって、川に寄って来る魚の群れに手榴弾を投げ込むダイナマイト漁が流行るのは当然であった。食料の乏しい時代でもあったのだ。屋部乱暴の村人は警吏等を恐れることは無かった。警吏が密漁の調査に来ても、大勢の村人が警吏を取り囲んで罵声を浴びせるので、騒ぎが拡大するだけで取り締まりが叶うことも無かった。それ故に魚の群れが入る度にダイナマイト漁が行われた。そもそも敗戦によって日本軍の鬼の憲兵が解体され、敵国であった米国軍が認可した日本人の警吏に恐怖感を感じる訳が無かったのだった。危険な作業の事故は、その操作に馴れた頃に発生するのが人間の行動の常である。戦時中は貴重な武器であった手榴弾を、戦争で使ったことの無い連中がダイナマイト漁をするのだ。手榴弾の本当の威力や危険を知ることは無かった。手榴弾が水中で爆発しても、ボンというくぐもった音と1m程の水柱が立つだけであった。大戦中に護郷隊の青年部に所属していた、清吉という名の気性の荒い青年が手榴弾事故の犠牲となった。ある時、中々近づいてこない魚影の群れに苛立った、清吉青年が手榴弾をより遠くに投げるために、後方に大きく振りかぶった時に爆発した。清吉青年の右手の平が吹っ飛び、破片の一部が尻の筋肉の一部を貫通し、右頬にやけどを負い、右耳の鼓膜が破れた。破片が頭に当たらなかったのは不幸中の幸いであったのだろう。この事故を最後に屋部村からダイナマイト漁をする者が消えた。日本軍の残した手榴弾も尽きたのかも知れない。しかし10年を経ても余韻が未だに残っていた。

 1955年、米国統治下の琉球民政府でも日本政府からの委託を受けて、戦争傷痍軍人年金の対象者の調査が始まった。各市町村の役場職員が調査員として参加した。屋部村でも調査が開始され、村役場のロビーで総務課職員が対応していた。従軍兵士や軍属として戦争に参加して体に障害を負った者が登録にやって来た。足を失った者、手を失った者、目や耳に障害を負った者など様々であった。障害の程度や所属部隊、負傷場所などを記入して、日本政府に申請したのだ。その中の一人にダイナマイト漁で手を失った清吉も混ざっていた。次々と申告を済ませて、清吉の番になった。清吉は担当者と向かい合って席に着き供述を行った。戦時中の状況通りに宇土部隊の屋部村護郷隊青年部所属、手榴弾の爆発による右手の損傷と記入させた。利き手の損傷は障害の等級は高かった。所属部隊は口述通りであったが、右手の損傷の原因は戦争によるものでは無かった。記入を終えて立ち上がると、ロビー前を通りかかった農林課の若い職員が清吉に声を掛けた。

「清吉兄さん、どうして此処にいるのですか」と、言った。

受付担当の職員が顔を上げて答えた。

「宇土部隊配下の屋部護郷隊員で、手榴弾の暴発による右手の負傷の申告です」と、答えた。

清吉は顔色を変えずに薄笑いを浮かべて言った。

「そういう事だ」

農林課の若い職員は申告書類を見て言った。

「清吉兄さんは確かに護郷隊に所属していましたが、その傷は戦後のダイナマイト漁で負傷したものでしょう。私はその様に聞いていますが、違いますか」

「ほう、君は確か義男さんの息子さんだな」と、清吉が言った。

「ええ、そうですが、何か」

「おい、若いの、俺の手を吹き飛ばしたのは宇土部隊の残した手榴弾だよ。違うかい」

「確かに、日本軍の手榴弾で密漁が流行っていたと聞いていますが、直接の戦争ではないでしょう」と、青年が反論した。

「バカ野郎、日本が戦争に負けるから、屋部村民は食い物も無くなって、手榴弾で魚を捕って食料にしたんだよ。俺達屋部青年会の仲間が宇土部隊の代わりに食料調達をして、その魚をお前ら親子も食べて生き延びたのだよ。違うかい」

「それは屁理屈でしょう」と、青年が真赤な顔で反論した。

「日本政府が戦争に負けなければ、俺の手も残っていただろうよ。日本政府に責任を取ってもらうのが当然だろうが。違うかい」と、言うが早いか、清吉の丸太のような右手が青年の腹にめり込んだ。「ウッ」小さく呻いて右手で腹を抱えてうずくまった。

「俺たちの手榴弾による戦果の魚を食って生き延びた奴が、一人前の口を利くんじゃないぜ」と、言って若者を見据えた。そして視線をゆっくりと調査を受け持っていた総務課の職員に向けて言った。

「こんな人情も無い非国民が増えて困ったもんだぜ。君たちは琉球民政府の職員ではなく日本政府の職員かい。戦争の犠牲になった沖縄人が、日本政府から弔慰金を貰うのは悪いことかな」

「いえ」と、引き攣った顔で返事した。

「そうだろ、俺達沖縄人は日本政府から少しでも多く負担金を引き出すべきなんだよ。手続きはこれでいいかな」と、清吉が手榴弾事故でアバタとなった右の頬を奇妙に引き攣らせながら薄笑いをした。まるで先の大戦で生まれた悪霊のような清吉の薄笑いに、近くで騒ぎを見ていた者達が背筋を凍らせて黙って見つめた。清吉は手の無い右手の先でテーブルを小さくコツコツと叩いて返事を促した。

「はい、手続きは完了しました」と、上ずった声で返事した。

「では、良しなにお願いします」と、清吉は慇懃に言って、ビッコを引きながら会場を去って行った。辺りからホッとしたため息が漏れた。

「あれは、屋部乱暴ではなく、戦争が生んだ鬼だな」と、誰かが囁いた。

この頃から、日米交戦の影は消え、米軍による朝鮮戦争、ベトナム戦争へと戦争の気配が変化して行った。ダイナマイト漁は完全に遠い過去の古傷となって忘れられて行った。4年後の1959年、傷痍軍人弔慰金の支給が始まった。清吉は弔慰金を貰う事とが出来たが、5年を待たずに交通事故に遭って、壮年期に世を去ってしまった。清吉にとっての弔慰金は、敗戦を受諾した日本政府への恨みの代償であったのだが、その代償を長く受け取ることは出来なかった。短気な屋部乱暴者の気質そのままの清吉の人生であったようだ。


2024年10月24日 | カテゴリー : 短編小説 | 投稿者 : nakamura

ミジュンの群れ

午前8時30分、私はファーマーズマーケットにコチョウランの鉢植えの納品を済ませて名護市営21世紀の森公園にやって来た。久しぶりに朝のウォーキングをしようと思ったのである。定年退職後に始めたラン栽培の成果品をJAファーマーズマーケットの店内に納品しているのだ。納品時間は午前7時から午後6時までだが、開店前の午前9時までに納品と簡単な手入れを済ませている。朝食後の軽い運動で老化が進行中の体を少しばかり活性化したいのだ。
ファーマーズマーケットに納品する農産物生産者は、専業農家よりも少量生産の農家モドキが多い。私の様な定年退職後の暇人の小遣い稼ぎにも似た生産者達である。自ら管理できる範囲の農地で生産した農作物を少量出荷しているのだ。生産者の表情にはサラリーマンのストレスにも似た影は見つからない。それぞれが自慢の農産物を持ち込み、自らの評価で値段を決めて出荷するのである。上司も部下もいない一人親方としての自信に満ちている。私の所属する店舗には、若くもない年齢の人々が1,400名も会員登録されているが、常時活動する会員は400名程度である。老いが進みすぎた生産者は離脱しているのかもしれない。次々と参入してくる世代との更新リセットがなされているのだろう。しかし農協口座から自動的に引き落とされる年会費1,000円を止めることもせず払い続けているのだ。人間の生産活動のエネルギーにも限界があるのは否定できない。それでも農産物生産の喜びを知る人々にとって、ファーマーズマーケットは老いてなお僅かなエネルギーで社会との繋がりを保つことが出来る場所なのだ。それ故に体調や気力が整えば市場に出荷したいとの思いが脱会を思い留まっているのだろう。10年ほど前に出現したこの市場は、農家の血を吸って成り立っている日本農業協同組合の数少ない社会貢献の一つだと私は思っている。
私は三十数年に渡り造園建設業界に携わってきたが、退職後は造園業界から完全に離脱して農業という異なる業界を垣間見ている。造園建設業も植物を扱う仕事であるが庭師の共同作業による成果品の作出だ。農業には一人で植物に向き合って成果品を作出する楽しみがある。とりわけ私の様な農業入門者にはその感覚がたまらなくうれしくてモノづくりに自然と熱がこもるのである。私の場合、冬から春にかけての洋ランの開花期に作業のピークを迎え、5月の母の日セールで一段落となる。気がつくと沖縄の「うりずん」と呼ばれる短い春が過ぎて雨季が来ているのだ。
21世紀の森公園のラグビー場横の駐車場に車を停めた。冬の間落葉していたコバテイシは既に若葉から青葉に変わって豊かな樹冠を作っていた。梅雨空の厚い雨雲が日差しを遮って大気が湿っている。私は浜風を求めて公園の南の海岸に向かって歩き出した。21世紀の森公園は野球場、ラグビー場、200mのショート・トラックの競技場、シャワー室を備えた海水浴場、雨天練習ドーム、体育館等の運動施設と児童センター、大小のコンサートホールと幾つかの研修室を備えた中央公民館とそれらの施設を取りまく緑地帯で構成されている。施設を連結するように遊歩道が設けられており、ジョギングやウォーキングを楽しめる造園修景となっている。この公園は1972年頃、名護湾の遠浅の海岸を埋めて作られた。海岸線は東西にW字型に三つの突堤が作られていて、その内側に広い砂浜を持つ美しい入り江が形成されている。

私は中央の突堤に続く遊歩道を歩き始めた。歩道の両脇が松並木となっていて左側がラグビー場、右側が野球場である。野球場はプロ野球日本ハムのキャンプ場としても利用されている。1月、2月は野球選手と観客で賑わうが今はオフシーズンである。

松の枝をわずかに揺らして緑陰の中を磯の香りを含んだ浜風が通り抜けていく。200mほど歩くと浜辺に出た。正面に恩納岳の山並みが右肩下がりで緩やかに連なっている。砂浜に降りて波打ち際を歩くとサンゴの細長い枝片が打ち上げられ、波形に積もって続いている。その上を歩くとジャリ、ジャリと靴底から軽やかな音が伝わってくる。サンゴの砂利のことを沖縄の古い言葉ウルウと呼ばれていて、琉球の別名うるま島はウルウから派生した名前だと94歳の父が話していたことを思い出した。この浜辺を歩くのは4カ月ぶりだろうか、もっと前であっただろうか。ミーニシと呼ばれる晩秋の北風が吹いていた頃だ。このW字型の突堤に挟まれた西の入り江には、ミーニシと共にミジュンが群れでやって来る。

直径20m程の不安定な円形の魚影が入り江の中をゆっくりと移動する。ミジュンの到来と共に暇を持て余した釣り好きな老人共が集まって来る。この時期だけ魚釣りをする老人達である。安物の振出竿にリールと300円前後の疑似餌のグルクンサビキがあれば遊べるのだ。釣ったミジュンは塩コショウと軽く小麦粉をまぶして、油を薄く敷いたフライパンで焼けば晩酌の肴となるだろう。同じ顔ぶれの4,5人の老釣り師が毎日のように夕暮れの日差しを浴びて竿を振っている。時々高級ルアー竿を手にミジュンの群れを追ってやって来るガーラ等の大型回遊魚を狙う若者を見かけるが多くはない。仕事持ちのシーハンターは老釣師程の暇を持ち合わせていないのだ。老人釣師が2度、3度と竿を振ると、竿を少しだけしならせて巻き取った糸の先にミジュンが1匹、あるいは2匹と食いついてくる。夕日を浴びてミジュンの銀色の腹がキラキラと光って跳ねる。老釣り師の顔が輝いて子供の笑顔のように弾けている。数十万匹のミジュンの群れはは幾ら釣っても減ることは無く彼らの楽しみを叶えてくれる。只、時折やって来るガーラ(オニヒラアジ)、イケカツオ、シジャー(ダツ)はミジュンの群れを蹴散らして浜辺から沖へと追いやってしまう。老釣師のキャスティングで届かぬ距離へと去ってしまうのだ。活力に満ちていた老人のエネルギーは一気に萎んでしまい、砂浜に座り込んでしまう。老人が本来の姿に小さくまとまってしまうのだ。老人の期待するミジュンは容易には戻ってこない。やがて陽が西に傾いた頃、縮めた振出竿を杖代わりにして歩き出し、自転車で浜辺を去って家路に着くのだ。ルアーフィッシングを楽しむ友人によると、昼過ぎから毎日のように4時間近くも釣っている老人もいるようだ。彼らは釣果を近隣の知り合いに配って回り、名を上げているのだろう。日頃は家計の戦力外の老人にとっての数少ない名誉挽回の機会かもしれない。今日の5月の梅雨空の下の浜辺には、老いた強者どもの夢の欠片さえ残ってはいない。足元から伝わって来る砂利の音と寄せては返す波だけが変わらぬ風景である。

砂浜の西の入江の端に岩山がある。埋め立て前は砂浜から100m程離れた海中に佇んでいた異形の岩礁だ。名護間切りの住民は畏敬の念を込めて岩礁のことを大石(プーイシ)呼んでいた。ところが現在は陸続きになってしまいネコ捨て山となってしまった。呼び名もネット上で猫島と呼ばれているらしい。心優しい愛猫家或いは寂しさを紛らわす孤独な人々の持ち込む餌に引き寄せられた野良猫が増える一方である。遠い日にこの島に向かって何かの思いを祈願した故人には如何に映るだろうか。この岩山の陸地に面した部分は既にアコウ、クロツグ、オオハマボウ、モクマオ等の潮風に比較的に強い海浜植物が繁っている。しかし南側の海水を被る岩礁にはハマボッス、ウコンイソマツ、野芝等が生えている。未だ人間の悪癖に染まらない植物群が残っているのだ。只、この岩礁が陸続きになる前に群生していたヒレザンショウは盆栽ブームによって盗掘されて消えてしまった。

私は岩礁の脇から続く西の突堤の先端で折り返して海岸の遊歩道を東に向かって進んだ。東の入り江は遠浅で海岸中央部に位置する公園管理事務所と海水浴場がある。クラゲフェンスの周りをビーチ監視員が泳ぎながら始業点検を始めている。ハブクラゲ、オニオコゼ、ゴンズイなどの危険生物の除去作業である。ハブクラゲはいつの頃から現れたのだろうか。私がこの海辺で泳ぎ回っていた頃には存在しなかった生物である。まるで人間社会の悪しき慣習に誘われてマリアナ海溝の海底深く沈んでいたパンドラの箱から抜け出して来たようだ。
ビーチの利用時間は午前9時半から午後6時までだ。地元の利用客は少なく県外や台湾からの観光客が殆どである。そもそも最近の沖縄県民は海水浴に馴染まない傾向がある。私が子供の頃は、夕方になると遠浅の海岸は海水浴をする子供達のはしゃぎ声に満ちていた。あの頃、この辺りの庶民の生活は、子供の海水浴が風呂代わりになっていた気がする。湯を沸かす五右衛門風呂は短い冬の間のことであった。湯の出るシャワーなど想像もできない半世紀も前のことである。

管理事務所の後ろから東西に管理用車道が続いている。車道の南側に歩道がありコバテイシの並木が続いている。私は歩道ではなくコバテイシの植え込みに広がる芝生地の上を歩いた。洋芝のセントオーガスチンの上に一条の獣道にも似た踏み跡が続いている。高麗芝だと歩行者の踏圧で枯れてしまうが、セントオーガスチンはわずかに踏み跡が残るだけである。太くて硬い茎が踏圧に耐えるのだ。この芝は日陰にも強く、高麗芝の広場に侵入を許すと、たちまち凌駕してしまう勢いがある。まるで欧米から移入した文化に容易に染まってします日本人社会の様である。少し明るくなった空から注ぐ陽光が暑さを運び始めたのでコバテイシの木陰となっている芝生の上を歩くことにしたのだ。靴底から心地よい芝生地特有のクッションが伝わって来た。

コバテイシの木陰の下を500m程歩いた所で、東の突堤と護岸に沿って直進する遊歩道の交差点に着いた。右に行けば突堤の先端へと続き、護岸に沿って直進すると港川の河口に至るはずだ。私は立ち止まって背伸びをして護岸の1m程の高さのコンクリートの堤防に足を掛けてストレッチをした。久しぶりの散歩でふくらはぎに重みを感じていたのである。深呼吸をして市内のアパート群から名護岳へと続く爽やかな朝の景色を眺めた。穏やかな名護湾の海面に深い緑の名護岳の山並みが映って落ち着いた景観を成している。絵筆を取りたくなるような爽やかな朝の風景である。私は見慣れたはずの名護漁港のドックの手前に橋らしきものを見つけた。早足で歩いていると見落とす僅かな構造物だ。私は気になってその方向に歩き始めた。東の突堤を折り返して戻るのがこれまでの散歩道であったが、ドックに向かって真っ直ぐに伸びる防波堤に沿って進んだ。
400m程進むと港川の河口に着いた。その川向うは名護漁港である。確かに河川の最先端部に橋があった。こちら側の港地区と名護漁港を繋ぐ橋である。港地区は元来漁師の集落であった。名護湾の埋め立て地は名護岳の麓の東江集落から城、港、大南、そして西の外れの宮里集落まで直線で造成されている。埋め立て地を幸地川、港川の二本の河川が横切って名護湾へと流れている。この二本の河川に挟まれて名護漁港がある。埋め立て地に宅地が配分されたのは港区だけだ。漁民の入会権が関わっているらしい。国道と港川が交差する埋め立て地の一角に港区公民館が建っている。

橋は集落の路盤より3m程高くなって建設されている。防波堤から橋に向かって緩やかなカーブとなっている坂道を登った。橋の欄干を見ると橋の名前が刻印されていない。橋の上で立ち止まり川面を眺めた。満潮の上げ潮に載って数十匹の若いボラの群れが上流の昭和橋に向かってゆっくりと泳いでいく。ふと橋脚に目をやると平成13年大米建設施工と名版が埋め込まれている。十数年も経っているのだ。150m先の国道に架かる昭和橋を何度も通過しているが気付かなかったのだ。国道58号のフクギ並木を高速で走り抜けると、川下の景観の少しばかりの変化には気付かないものだ。

名の無い橋を渡るとそこに漁船用のドックがあり、船底を塗装中の漁船があった。船底に付着した貝を取り除いて塗装するのだ。貝が付着すると船足が鈍くなり燃費が悪くなるらしい。船を遊ばせて係留期間が長くなると貝が付着するのだろう。人間もロクな働きもせずに世間に漂っていると心身に余分なものが付いて動きが鈍くなって来る。桟橋にはロープで係留された漁船が退屈そうにプカリ、プカリと浮いている。人の気配がなく貝の付着を誘っているようだ。幾艘も並んだ漁船の舳先の向こうに競り市の建物がある。人の動きがあるので競り市が開かれているのかもしれない。少しのぞいてみようと思ってそこに向かってゆっくりと橋を下って行った。

鮮魚店のワゴン車や○○水産と書かれた海産物仲卸業者の車が並び、競り子威勢の良い声が聞こえた。競りは既に終盤に入っていて競り落とされた魚介類に紙が貼られていた。サンドイッチ、おにぎり、天ぷら等の総菜を小さなテーブルに並べて売っている者もいる。競り場の隅で競りの様子を眺める私の様な野次馬もいて中々活気がある。小腹が空いたのでおにぎりを買って食べながら様々な種類の魚介類を眺めていた。銀色の腹をしたアジ、イワシ等の青物から赤色、緑色をした熱帯魚のグルクン、アオブダイや10kg程のシビマグロ、タコ、セーイカ、シャコガイ、カニ等、さながら近海の海洋生物の標本箱である。ほんの半日前までは自然界の一部として躍動していた彼らは、既に競り市のベッドに横たわる海産物としての食品の一部に変わっている。口を半開きにしたシビマグロの顔を見ていると「死んだ魚の目」の意味が良く分かる。瞼の無いシビマグロの目は淀んだ霞が掛かっていて、生命体としての活力が失せた脱力感が漂っている。大型魚には失われた命の哀れさが如実に表れるようだ。競り市の魚やセリの活気を眺めていると、突然後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「爺さん、台車に寄り掛かるんじゃないよ。危ないじゃないか」
振り向くと80歳前後の男が頭を掻きながら怒鳴った男に向かってペコペコと頭を下げている。台車の縁がその男の足に軽くぶつかったらしくふくらはぎを擦っている。漁港の制服を着た青年が近づいてきて笑いながら穏やかな口調で爺さんに言った。
「また、アンタかよ。あぶねーから向こうへ行って遊んできな。セリ場は滑るから気を付けて歩きなよ」
周辺にいた人々が声を出さずに苦笑した。私もその老人の服装を見て苦笑いした。紺色のズボンにTシャツ、その上から冬物の背広を着け、ヤンマー船外機と書かれたキャップを被り、黄色い手ぬぐいを首に巻いている。足元は薄汚れたスニーカーだ。蓄えた無精ひげと同じく全体が垢じみた風体である。何ともこの場所と初夏の季節に似合わない格好だ。この市場によく来る人物であるようだが、そのアンバランスな存在が奇妙な景色となって馴染んでいる。若い頃に漁師をしていたのだろうか。
爺さんを怒鳴った男に見覚えがあった。
「よう、タツ兄さん久しぶりだな」と声をかけた。以前住んでいた住宅の近くで冷凍機器の整備や重機のオペレーター等をしていた男だ。日に焼けた顔に丸刈りのギョロ目が特徴の男だ。突き出た腹を擦りながらニコニコして私に近づいてきた。
「どうして此処にいるのかい」と言った。
「散歩の途中さ、あんたは」
「魚を買いに来たんだよ。カツオが未だにキロ800円もしては高くて買えないよ」
「アンタ、セリで魚を買えるのかい」
「いや、知り合いの競り子に頼んで落としてもらうのさ。少しばかり手間賃を払ってな」
「ほう、そんなことが出来るのか」
「家内の食堂で使う魚の仕入れとな、友達の家の祝い事に使う刺身用の魚を探しに来たのさ」タツオはそう言って連れと思しき男のところに戻り、小さめのシビマグロを指差して何やら話し始めた。競り子の威勢の良い声は消えて競りは終わったようである。漁協の職員が伝票を手に競り落とした者と魚に張られた荷札の照合を始めている。
「ヨウ、カズさん」と声をかけた者がいた。振り向くとゴルフ仲間のカツジがいた。手にはトロ箱を引っかけるギャフを持っている。
「アラ、友利プロそんな恰好で何をしているのですか。仕事を替えたのかい」
「バカ言え、これが俺の本業だよ。女房が鮮魚店をしているので仕入れに来たのさ」と小指を立ててはにかんだ笑い顔で答えた。カツジは大京カントリークラブ所属のハンディキャップ2の男だ。私が幹事をするコンペに時々参加しているのだ。
「へぇー、大京のクラチャンでゴルフ工房が仕事だと思っていたがな。髪結いならぬ魚屋の亭主かい」そう言うと、カツジは笑いながら答えた。
「このギャフだがな、ドライバーの古いカーボンシャフトに鈎を差し込んだのさ。ボールは飛ばせないが軽くて便利だぜ。ちなみにフジクラのスピーダーシャフトXだ」
「なんだよ、相変わらずクラブ工房の真似事をしてるじゃないか」
カツジはゴルフ場の臨時職員として、カートの手入れや客のキャディーバッグ積み下ろしをしていた。そしてゴルフ場の工房で何処からかダンロップ社の無印のアイアンヘッドを入手しては、友人の好みに応じたカーボンシャフトを差し込んで安価で売りさばいていた。ゴルフ仲間の技量を読み取ってシャフトのフレックスやしなりの調子を選択していたので彼の仕立てるクラブは人気があった。おまけにヘッドに持ち主のイニシャルまで刻印してくれた。ゴルフが上手く穏やかなで控えめな性格はゴルフ仲間から評判が良かった。
「ところでカズさん、さっきの腹の出た男と知り合いかい」
「ああ、市内にある実家が4軒隣りでガキの頃から知っている。俺より一つ年上だ」
「何をしている男だ」
「確かアイツの兄貴が冷凍機器の販売や修理をしていてそれを手伝っていたが、最近はダンプや重機のオペレーターの真似事をしているようだ。良く分からいな。そうだ、嫁さんがバスターミナルの近くで食堂をしているらしい。嫁さんは愛想のよい働き者だがタツの奴は定職を持たない遊び人かな」
「そうかい」
「働き者の女房持ちはアンタと似ているかな。紹介しようか」
「よせやい、俺と比べるなよ。あいつは食わせ物だぜ」
「アンタ、タツのことを知っているのかい」
「ああ、噂だけだがナ」
「何だよ」
「名護漁協は埋め立て地の入会権で相当な収入があっただろ。この漁港の敷地は県の所有だが管理者は漁協だ。消波ブロックを作る業者からのブロック置き場の賃料や名護市の催事やプロ野球球団のキャンプ時の来客用駐車場としての利用料金収入などがあるらしいぜ。そんな訳で名護の古くからの漁師はあまり働かないのさ。この競り市の魚介類もほとんどが伊江島、本部町、今帰仁村、屋我地、羽地等の漁協からの持ち込みだ」
「へぇ、そうかい、俺もそんな噂を聞いたことがある。そう言えば俺の中学の同級生も家業の漁師を継いだ奴はいないな」
「それに今度は、辺野古基地の埋め立てで再び莫大な収入が入る予定だ。既にかなりの金が防衛庁から漁業組合に流れ込んでいるらしいぜ」
「かなわんな。だけどタツの奴とどんな関係があるのさ」
「跡継ぎのいない漁師も齢を取るわな。年金以外の小遣いも必要だろ。ところが休み馴れた年寄り漁師は船があっても漁には出る気力がないのだ。そこにあいつが目を付けたのよ。定置網の権利を買って船の名義もあいつの物だそうだ」
「へぇ、そんなことが出来るのかな。漁協は規制しないのかい。俺の知り合いで市内に住む城間と言う漁師がいるがな、彼は定年後に12トンのセーイカ漁の船を買って名護漁協の組合員になろうとしたが拒否されたらしい。それで親父のつてで生れ故郷の本部町漁協に加入したと聞いたぜ」
「それは当然だ。良いかい、辺野古基地の利権の旨味がぶら下がっているときに組合員を増やして分け前を減らすバカはいないだろ」
「それもそうだな」と私が答えるとカツジは話しを続けた。
「しかしだな、年寄り漁師共が働かなると漁協の水揚げ高が減るだろう。そうすれば県の評価や防衛庁からの補償費の額に響くのよ。補償費の金額は水揚げに応じて査定されるらしいからな」
「名護漁協の競り市は他の町村の漁民の水揚げに頼っているが、自らの組合員の水揚げ金額も確保する必要があるのだな」
「そういう事なのよ。それであいつのような隠れ網元がいても見て見ぬふりするのさ。表立った不正行為として官公庁からの指摘も受けないのよ。それに定置網は水産資源保護の政策から誰でも新規設置が出来るわけでは無いのさ。漁協を中心にした権利の存在だけが継続するのよ。名護漁協は埋め立てによって近代的な漁港へと変貌したのだが、漁師は釣果を上げるより楽をして暮らせる味を覚えてしまったようだな。」
「そうかい、雲の動きや潮の流れを読んで漁の成果を探る力の代わりに、世の中の政治の流れを読み取り、金の臭いに腐心するようになったわけだ」
「そうなのよ。アンタの友達のタツ兄貴が競り市に顔を出すのは、あいつの定置網の水揚げの日だけだ。臨時雇いの観光ダイバー人夫達が漁獲量のごまかしをしないか見張っているのよ。まったく食えないやつだぜ。陸にいる遊び人が漁師の真似事をしやがって、潮に揉まれて働く本物の漁師を舐めてるぜ」不愉快な口調で言った。
「おはようございます」
声のする方を見ると上間鮮魚店のサブが立っていた。
「ようサブ、今日も那覇漁連からの帰りかい」とカツジが声をかけた。
「ええ、本マグロは此処の競り市では買えませんから。伊江島漁協や本部漁協のマグロ漁師は那覇漁港に直接入港して水揚げするのですよ。大型の高級品は本土に空輸もできますからね」
「ご苦労さんだな。後で俺にも少し分けてくれよ」
「ハイ分かりました」
「来週のコンペだがカツジさんがハンディ15をあげるそうだ。参加できるかい」と私は声をかけた。
「大丈夫です。魚の配達を済ませてから行きますので最後のパーティに組んでください」
「ああ、そうするよ。待ってるぜ」私はそう言って競り市を後にした。
いつの間にか雲が割れて隙間から天使の梯子の光が漏れ始めていた。私は漁港のドックの横から緩やかな坂を登って名無し橋の上で立ち止まって海を眺めた。心地よい海風が河口から市街地に掛かる昭和橋の方向に流れていた。名無し橋の上から護岸を取り巻く消波ブロックの辺りを見下ろすと十数匹の小魚がフラフラと泳いでいる。ミジュンである。産卵を終えたミジュンが大きな群れを失い、満潮の流れに抗いながら懸命に体を振って力尽きそうに泳いでいる。梅雨が明けてカーチベーの風が吹くころには、リセットされた新しい幼魚の群れに変わっているだろう。老いて命が尽きたミジュンは海の滋養となって新しい命を育んでいくのだ。太古の時代から自然界の動植物は変わらぬ輪廻で更新を繰り返している。ミジュンは1年のサイクルでリセットを繰り返す勢いのあるライフスタイルだ。人も又、地球という器の中で生命体としてのリセットを繰り返しながら歴史を刻んでいるが、身勝手な文明の利器を求めて悪しき知恵を身に着け、節操のないサイクルが加速しながら進んでいる気がする。名の無い橋を降りると雨雲が去って日差しが強くなった。私は首筋に不快な暑さを感じてポロシャツの襟を立て、21世紀の森海浜公園の緑陰に向かって早足で逃げるように進んだ。

「完」

2017年11月29日 | カテゴリー : 短編小説 | 投稿者 : nakamura

ウサギは満月の夜に跳ねる

     (一)

 立秋とは名ばかりで、相変わらず猛暑が続いている。お昼のニュースでは、昨日埼玉県熊谷市で最高気温38度を記録したらしく、熱中症予防が全国ネットで流れている。本日の名護市の最高温度は33度の予報だ。沖縄は東シナ海に点在する島々からなり、風の通り抜けが良く、内陸地的な蒸し暑さはない。しかし真夏の太陽は凄まじい紫外線を放出して、地表面でうごめく生命体を焼き焦がす勢いだ。既に海も陸も十分に過熱されている。旧盆の祭事はこの頃にやって来るのだ。

沖縄の三大祭事は正月、清明祭、旧盆だろう。正月には本家に集まって一族の開祖に祈願する神御願、初夏には分家の一族がそれぞれの墓に集まって祈願する清明祭、そして初秋には仏壇に先祖の霊を迎えて祝う旧盆がある。これらの祭事は血族の絆を保つための古くからの慣習しだ。三大祭事の他にウマチー、アブシバレー、豊年祭等、生活に密着した地域祭事もあるが、既に途絶えた祭事も少なくない。都市化の進展はコミュニティの形態を変化させ、利便性と言う名の新しい神器によって、地域の神々と住民とを繋いでいた穏やかで情緒に満ちた暮らしをも風化させていくようだ

 さて、旧盆の作業は、七夕の日に墓掃除を行うことから始まる。私も昼間の強い日差しを避けて午後3時頃から墓掃除を始めた。草刈機で墓の周りの雑草を刈り払い、墓の庭に溜まった落ち葉を掃き取るのだ。密生したチガヤの刈り払いは難儀な作業であるが、根茎が赤土をしっかりと掴んでくれるので土砂の流出を防いでくれる。この辺りの地形は、地質学的に見ると屋部川の周辺に広がる湿原の一部である。集落の形成に伴い水田地帯となり、集落の後背地の農耕に適さない雑木の繁る丘陵が墓地となったのだろう。集落からそう遠くない場所に自然発生的に形成された場所で現在は公有地となっている。それ故、人口の増加と共に墓も必然的に増えてしまい、現在この丘陵地に墓敷地を求めることはできない。都市に流入した多くの住民は、新しい墓を民間の墓地公園に求め、あるいは臨済宗やら日蓮宗等の他府県から布教した寺に永代供養を依頼することも増えている。辛いことだが、人間は己の身の始末を誰かに委ねるという宿命を背負って世に生まれて来る。この宿命は血族によって完結されるのだ。血族の絆の原点がそこ存在する。

 それにしても真夏の墓地は暑い。かつて、先人が湿原を開いてできた水田は、青々とした二期作米の緑地を育て、稲田を渡って来る真夏の風を冷やして穏やかな涼風をもたらしていた。しかし、今では秋茜の如く無作法に流入した人々によって、水田は食い散らかされてしまい、半世紀も経ずに消えてしまった。顔の無い人々の発する喧騒は、彼らの暮らす無機質な構造物に反射してすべての空間を過熱している。もはやこの地に点在して残った僅かな墓地や拝所の森に涼風が届くことは無い。

 七夕の墓掃除の次に、13日の午後に仏壇を掃除して花や果物を供え、ご先祖を迎えるウンケー(お迎え)の行事をとり行う。果物はバナナの上にミカン、リンゴ、ブドウ等を載せる。バナナを手の平に見立てて果物を載せる形だ。スイカとパイナップルを脇に置き、サトウキビを仏壇の両サイドに立て掛ける。サトウキビは80㎝程の長さで、ご先祖様がお帰りの際に使う杖の意味らしい。以前は山野の果実であるサルナシの実、グァバの実、ヒメユズリハの実を採取して供えた記憶がある。夕暮れにウンケージューシィ(沖縄風炊き込みご飯)を供えてご先祖のお迎えをする。仏壇のお供え物は、全てスーパーマーケットで調達できるのも時代の利便性のおかげだろう。

中日の14日には、3食の他におやつのアマ菓子(ゼンザイ)供える。夕食にはソーメンの汁物を供えるのが定番だ。そして、午後から中元の品を携えて直近の親戚に線香を上げに行くのが一般的である。私の場合は、妻の実家、母の実家、父の弟である叔父の仏前、それに本家である。本家へは脚力が衰えてしまった93歳の父の名代として行くのだ。

本家の屋号はハサマと呼ばれる。琉球の三山を統一した尚巴志の五男尚泰久王の次男から6代目の分家筋を始祖とする。そして今から約300年前に王府から名護間切り(現在の名護市)に派遣された豪族らしい。私の実家の屋号はマガイハサマグァー(曲がり角にあるハサマ小)と呼ばれている。分家筋にはグァー()と言う呼び名が付くのがこの辺りに習わしのだ。本家の頭領である叔父によると、私の実家は4代前に分家した頃、本家から二つの通りを隔てた曲がり角の土地を分け与え、一家を構えさせたことからその呼び名が付いたとのことだ。私の一族は父の代まで宏の名がついている。宏友、宏春、宏正、宏秀等だ。一代目はコウと読み二代目はヒロと読む呼び名を繰り返すのだ。必然的に同じ名前が世代を超えて名付けられる。沖縄県内ではよく見られる命名様式だ

 本家の仏前に線香をあげ、出された冷たいゴーヤージュースを飲みほした。

「ご馳走さま、適度な苦みがあってさっぱりしています。暑い夏には嬉しい飲み物ですね」とお礼を言うと、頭領の叔父が言った。

「今年は7年巡りの年に当たるので心得ていてくれ。涼しくなる10月頃に予定するから」

「ついこの間、ヘーカタマーイ(南部巡り)したと思いましたが、もう6年が経ちましたか」

「うん、月日が経つのは早いものだ。僕が老いてしまうのも仕方ないな。ところで満君は元気かな」

「はい、義父は毎日元気にウォーキング出かけ、時折老人会のグランドゴルフを楽しんでいるようです。」

「そうか、元気で何よりだ。僕らは三中学徒兵として徴兵され、本部町の八重岳周辺の山中でずいぶん苦労したよ。多くの学友が戦死した中で、自分たちが生き残ったのが不思議だよ」

義父は叔父より1歳年下で戦前の旧制沖縄県立第三中学(現名護高校)の同窓生である。大戦後の混乱の時代に叔父は産婦人科医、義父は沖縄県警察の警視となって一家を養ってきた。異なる人生の航路を歩み既に現役を退いている。70年後の現在でも互いの近況を案じる朋友である。私も旧制三中(現在は名護高校)の出身であるが、彼らの様な同窓生の強い絆は無い。最近届いた25期生同窓会の案内ハガキを見ても卒業時の同級生の顔を多くは思い出せない。

 叔父の弁では、「自分たちは第一尚氏に由来する一族である。私には頭領として一族を束ねて先祖の足跡を訪ね、子孫の繁栄を祈願する務めがある」。この行事がいつの頃から始まったか定かでないが、自動車の無い時代に米・味噌等の食料を携え、徒歩で数日間の参拝旅行をした記録がある。相当古くから続いているようだ。叔父は人口の多い那覇市で開業したこともあり、実家の祭事に積極的に関わらなかった負い目があるようだ。両親の死後は自費で大型バスをチャーターして、先代の残した資料を基に拝所巡りを企画している。人は老いてくると先祖の事がことさら気になるようだ。自分のルーツが気になるのは人としての根源的な性分であろうか。ただ、私の子や孫の代までその慣習が現状の形で残るかは定かでない。

 最終日の15日がウークイ(見送り)である。夕暮れには仏間のテーブルにお重、餅、菓子、オードブルを並べて儀式の準備を整えた。日が落ちてから叔母と叔父がやってきた。今年のウークイのメンバーは私の娘と妹の息子を加えた7名である。以前は襖を外した6畳の3部屋に20数名の一族が集っていたのであるが、今年は寂しい人数である。2人の叔父が亡くなりそれぞれの家の新しい仏壇に収まった。7人兄弟の私の4人の妹はそれぞれの亭主の実家でこの夜の行事に参加する。兄と弟は家を出て他府県で居を構えており、沖縄の三大祭事に帰郷することもない。市内に住む私が年間の祭事を仕切る役割を担っているのだ。妻も実家の母が病に伏してからは、他府県に暮らす男兄弟に代わって年間の祭事を仕切っている。血族の慣習の価値観が少しずつ変化を始めている。

 旧盆のしきたりは、早めにご先祖をお迎えして遅めに送るのが良いとされている。それでも最近では8時ごろにはウークイを済ませる家が多いようだ。参加者の翌日の仕事に差し支えない配慮が生じているのだ。もはや旧盆の15日と翌日が休みの企業などは存在しない時代である。

 沖縄独特の平線香に火をつけて参加者に渡す。各自の家庭の繁栄をご先祖に祈る。それを集めて仏壇の香炉に立てて全員で再び祈る。お供えの重箱から豚肉、蒲鉾等数品を取り出ししてご馳走の上に置き「どうぞ召し上がって下さい」と祈る。餅も同じようにする。ウチカビと呼ばれるあの世の銭を金盥の上で燃やしてその灰に酒を掛ける。線香が燃え尽きる前に「ウークイサビラ」と仏前に手を合わせてから線香を取り出して金盥の中に入れる。先ほどの豚肉、蒲鉾、花瓶の花も入れる。その金盥を持って門の外に出て、塀のそばに小石を枕にして線香を置いて皆で祈る。

「お土産のご馳走も沢山持ち帰ってください。来年もお越しください。お待ちしております。足元にお気を付けてお帰り下さい」と祈り、皆で「ウークイ」と声を掛け、金盥の品を線香の上に伏せてご先祖を見送る。

 ウークイの後は、皆でご馳走を分け合って食べながら世間話をして過ごすのだ。午後9時過ぎにお開きとなり、残ったご馳走は皆で分け合って持ち帰る。毎年同じ儀式をするのであるが、参加者が少なるたびにお供えの重箱やオードブルの品数が少なくなっていく。何やら一族の勢いが失われていく気がして少し寂しくもある。

 タクシーを呼び、叔父たちを門前で送り出して空を見上げた。大気は未だ昼間の猛暑の名残を含んで生温いが、初秋の深い天空の中に満月が浮かんでいる。遠く公民館広場の辺りからエイサーの太鼓と三線の音色が微かに聞こえた。ウークイを終えた青年たちが沖縄独特の盆踊りの形態であるエイサーを踊るために集まり始めたのだろう。青白い光を放つ満月の中のウサギと呼ばれる奇妙な影が私を見下ろしていた。幼い頃に私を悩ませた不思議な影は、変わらずにそこにあった。大人になった私は、いつしか満月を注視することも無く過ごしてきたようだ。会社勤めの頃に毎年繰り返された観月会でも、満月を横目で捉え、グラス片手に乾杯に興じる日々であった。組織を退き久しぶりに注視したこの日の満月は、遠い日々と同じ青白い光を放ち、その中の奇妙な影が私の記憶の深い場所に沈んでいたものを呼び戻した。

         (二)

 大学1年生の夏休みはアルバイトと読書、それに自宅前の浜辺での投げ釣りで退屈な時間を消費していた。左官業を営む父の下で力仕事のある時だけ格安賃金で働き、それ以外の日は自宅でゴロゴロしているのが日課となっていた。携帯電話もマイカーも無い時代の夏休みは、学友との繋がりが途絶え、さりとて大人の遊びも未だ出来ない青臭い青春を送っていた気がする。

 そんなある日の夕暮れが近い午後、屋敷を取り巻くオオハマボウの大木が影を落とす2番座敷で横になり、小梢を抜けて来る涼しい風にあたりながら、暇つぶし五木寛之の小説「青春の門」を読んでいるうちに寝入ってしまった。ふと気が付くと台所から人の話し声が聞こえた。母の弟の武史が祖母を伴って来ているらしい。祖母の甲高い声とひどいドモリの武史の声は、私の昼寝を妨げるには十分であった。私は方言で話す親子の親しい会話に割り込む気にもなれず、眠ったふりをしていた。

「カズは家に居るのかい。学校は夏休みかい」祖母は方言で母に問いかけた。明治生まれの祖母は、小学校を少し通っただけで読み書きが十分でない。日本語を聞くことはできるが話すことにはかなり無理がある。外国人が話す不可解な日本語である。その代り人並み外れた体力と男口調で話す激しい気性は男勝りだ。祖父が早くから病で床に就いており、昨年亡くなった祖父の分まで田畑の手入れする必要があったのも事実だ。

「昨日までお父の下でアルバイトをしていたので疲れて寝ているみたい」

「ダ、ダ、・・大学生は休みが長いみたいだね。小中学校の授業は始まっているけどね」武史がドモリながら言った。

「タケ、慌てないでゆっくりし喋りな」祖母が叱りつける。

「タケ坊はドモリがいつまでも治らないね。30歳にもなって彼女はいないの」

「ドモリが治らないから女に逃げられてばかりさ、この阿保が」祖母は容赦なく息子を叱りつける。

「お母さん、何処かに良い娘がいないかね。武政に相談してみたら。あれはタクシー会社を経営しているから顔が広いでしょう」母の4歳下の弟が8年前に小さなタクシー会社を設立していた。

「ニ、ニ、・・兄さんの会社の従業員は男ばっかりで、女は50過ぎの叔母さんが一人だけだ」

「うん、先ほど武政の家に寄って来たので、妻の正子にこれの嫁のことを頼んできたよ」

「ト、ト、・・年寄りが余計なことをしゃべらないでくれ。みっともないから」

「お前は黙っとけ。この役立たずが」祖母が叱る

「お母さん、この子をあまり叱らないで、ドモリがひどくなるだけだから」

戦後生まれの武史は長女である私の母と15歳も年齢が離れており、共に暮らした期間が短い。それだけに可愛いのかもしれない。

「姉さん、こないだ不思議な事があった」武史がドモルことなく言った。

「またその話かい」祖母がうんざりした声で言った。

「お母さんは黙っていて」母が祖母をたしなめて武史を促した。

「夜中に外に出て小便を済ませると急に足が勝手に歩き出して東江集落の近くまで行ったのだよ。世冨慶川の河口の浅瀬を渡ろうとすると、急にお父さんに呼び止められた。それで気が変わって引き返したのさ。気がついたら家で寝ていた」

「何を言うか、お前が戸を開けて小便に出たのを覚えている。でもすぐに戻って寝たじゃないか。戸も閉めずにな。それに東江までは1里半もあるんだよー。ハハハハハ」祖母は甲高い声で笑った。

「でもね、お母さん。人は夢の中で神がかりに遭って、一瞬にしてひと山超えて戻ってきた話があるじゃない。本当のことかも知れないね」

「お前は子供のころからコウモリの鳴き声や夜の暗がりをひどく怖がる子だったね。時々、神がかったことを言う子だったが、タケに変なことを教えないでよ」

「お父さんがタケを呼び止めなかったら向こうの世界へ渡ったかもしれないね。お父さんに感謝しなければね」

「バカバカしい」祖母が甲高い声で笑った。座の奇妙な緊張感が吹き飛んだ。

「オ、オ、・・お父さんの1周忌の手配を兄さんにお願いしてきた。兄さんから連絡があるはずだから」

「確か来月の15日が命日だったわね。今から準備しなければね」

「おい、おい、タケのバカ話を聞いていて遅くなった。早く帰ってヤギに草を与えねば。遅くなるとヤギが鳴きだして隣家の勝三の奴から苦情が来るから。」

祖母が武史を急かせた。

 私は頃合いだと思って目を擦りながら台所へ回って祖母に挨拶をした。

「お婆ちゃんは相変わらず声が大きくて元気だね」

「カズ、元気そうだね。アルバイトを頑張っているみたいね。色が黒くなっているさー」と方言で言った。

「ダ、ダ、・・大学生、勉強しているか」

「ま、適当にね、タケさんも今日は休みですか」

「た、た、た、たまには休まないと体がもたないよ。大学生はいい身分だね」

「カズ、後でタケにカーブチーミカンを持たすから食べてね」

「家の前の庭のカーブチーですか。あの木のミカンは何処の物よりも美味しいね」

「今年も沢山実っているから」

祖母はそう言って武史を急かせてバイクの後ろにまたがり、背中に買い物袋を背負って去っていった。騒々しい祖母とタケさんが帰ると何だか空気が一気に変わったような気がした。私は大きなあくびを一つして母に言った。

「眠りすぎて頭がすっきりしないからちょっと浜を歩いてくる」と言って草履をつっかけて外に出た。門から砂浜まではキビ畑を挟んで100mもない距離だ。夜が更けると浜風に乗って潮騒が聞こえるのだ。

「夕飯に遅れないでよ」母の声を背に庭を横切った。既に夕日は集落の西の外れにある大石の森に迫っていた。私は武史の不思議な話を未だ霧がかかった頭の中で反芻しながら砂浜をしばらく歩いた。波が砂浜に寄せて引くたびに白い泡が残り、泡が消えるときに砂浜はブツブツと何かをつぶやいていた。湿った海風が首筋にまとわりついた。夕日が大石の森の松の大木の後ろに隠れたのを機に引き返した。

埋め立て前の名護湾、浜辺のサバニ、大石の小島(名護市の資料より)

     

          (

 その日の夜も沖縄特有の熱帯夜が続く寝苦しい夜であった。旭川集落は嘉津宇岳の東の谷間を流れる西屋部川に沿って数軒ずつ民家が点在している。熱帯夜で風が止まるとひどく暑い夜となってしまう。武史はひどく喉の渇きを覚えて目が覚めた。台所に行かずガラス戸を開けて外の水道に向かった。簡易水道は川向こうの山腹の湧水を引いており、いつでも冷たい水が流れているのだ。しばらく水を流して配管の中に溜まったぬるい水を捨て去り、水が新鮮で冷たくなったのを確かめてから腰をかがめて水を飲み、冷たい水で首筋を濡らした。暑さが少し引くと同時に尿意を覚えた。屋敷を出て芋畑の端で立ち小便をしながら空を見上げた。天頂から少し西に傾いて丸い月が輝いていた。小便をしながら昨日の出来事を思い出していた。

 武史はプロパンガスを扱う山源商事に勤めていた。プロパンガスのボンベを各家庭に配達する係である。その頃の台所の火器は石油コンロからガスコンロへと変わっていた。住宅事情が未だ十分でなくガスボンベの配達は中々難儀な仕事である。車が横付け出来ない細い路地はボンベをカートに乗せて運ぶのだ。田舎の斜面地に建てられた民家の細い路地の階段は、50kgボンベを担いで登るしか配達の手段はなく、ひたすら脚力の鍛錬でしかなかった。満タンのボンベを供給して空のボンベを担いで帰るときに考えるのは、行と帰りのボンベの重量が逆であればと考えるのが常であった。山源商事はプロパンガスの販売事業では後発の参入である。社長の山入端源蔵は配達の便の悪い辺地の家庭を対象に商売を勧めざるを得なかった。市中の新築の家庭は、大手のガス会社が住宅資金融資の銀行と提携して押さえられていた。

 昨日の武史の仕事は近場の配達ばかりで、午後3時過ぎに事務所に戻っていた。年増の事務員と冗談を言いながらコーヒーを飲んでいると、社長の源蔵が突き出た腹をポンポンたたきながら入ってきた。60歳を超えた白髪交じりの短髪で肩幅の広い色黒の男だ。

「タケ、今日は早かったな」

「社長、ボンベ30本の配達なんか片足ケンケンで終わっちゃいますよ」軽いドモリで返事した。

「そうかい、来週は国頭方面を配達してもらうからな」

「全然オーケーですよ」とおどけて答えると

「タケさんは若いわね」と事務員が笑いだした。

「タケ、お前、名護地区体協の駅伝メンバーらしいな。20km区のエースだと昭和スポーツ店の長嶺さんが言っていたぜ」

「社長が長嶺さんの店で買う品物があるのですか。大和相撲の褌の特注とか」

「バカ言え、孫のバスケットシューズを買ったのよ。しかし、お前が長距離選手だとは知らなかったな」

「毎日ガスボンベの配達で鍛えられていますからね。手ぶらのランニングなんてスイスイですよ。」両腕を横に広げてクラゲが泳ぐようにブラブラとフラダンスの真似をした。

「タケ、今日はよほど体力が余っているようだな。名護城址の階段を登ってみるかい」

「社長、名護城址の階段なんて坂道では無いですよ。国頭村安波集落のガスボンベ配達に比べると平地と同じですよ」

「そうかい、それならばうさぎ跳びで登れるかい。一番上の拝所まで登れたら体協のトロフィーの代わりに10ドルの賞金を出そう」

「待ってました。社長」

「タケ、お前が負けたら当分の間、田舎周りだぜ」源蔵の目が笑っていた。

「オーケー、問題ないです」武史は反発するように真顔で答えた。

「カツ、お前はタケの監視役だ。ズルを手伝うとお前も明日から配達組へ配置換えだぜ」

「ヘイ、がんってんです」

「ヘイ、じゃねーよ。標準語を使え。いつまでも大阪訛りを出すな」

「ヘイ」

勝次は大阪で暮らす源蔵の姉の次男である。遊び癖が抜けない末息子を源蔵のもとによこしたのである。口が達者な色男だが体力がなく、ガス器具の販売を担当している。

 名護城址は古くから桜の名所として知られている。城址と言うがその名残を留めてはいない。西暦650年、尚巴志が三山を統一して琉球王朝を築いた頃、この地を支配していた小規模豪族の居住地であったらしい。尚巴志に加担して北山城を陥落させたとの記録があるも、多くの住民は知らないだろう。地元の城(ぐすく)集落の祭事の拝所として整備されているのだ。石段の両側に桜が植えられ地元の有志が寄進した石灯籠が並んでいる。最上部の拝所以外にも幾つかの祠が点在しており、県指定の文化財でもある。1月の最後の週末に桜祭りが開催されて町は賑わいを見せる。沖縄県では最も古い桜の名所である。

桜祭りで賑わう名護城址入口の階段

武史はトレパンにTシャツ姿で軽くストレッチをして、振り向いて右手をまっすぐに上げ、源蔵に向かって深くお辞儀をしてからうさぎ跳びで石段を登り始めた。駅伝競技の1区のランナーになったつもりだ。勝負のお目付け役の勝次が5段ほど後ろから付いて行った。源蔵は「上で待っている」と言ってバイクでう回路の管理道路を登って行った。

石段はなだらかな勾配でゆっくりと山肌に沿って曲がりながら登っている。駆け上がりは4インチブロックの厚み程度でところどころ階段でなくスロープとなっている。低い駆け上がりが続く石段は2段跳びで上がることが出来た。

「タケさん。ここからしばらくは歩こうぜ。オジキも見ていないし」

「いや、俺も走って登ったことは何度もあるが、うさぎ跳びで登ったことは無い。一度は試してみたいと思っていたので完走するぜ」

 程無く323段の階段を登り切って管理道路に出た。源蔵が煙草をふかして待っていた。鳥居の横のコンクリートの柵に海抜50mと小さな表示板がはめ込まれていた。

「タケ、息が上がっていないな。カツ、お前はちゃんと監視したか。途中で歩いたのではないだろうな」

「社長、タケさんの馬力にはあきれましたよ。おいらがくたびれちゃったよ」

武史は膝関節を伸ばすストレッチを繰り返し、次の急勾配の階段上りに備えていた。

「タケ、半分の5ドル出すからここで引き分けしようぜ。お前が途中でくたばって明日からの仕事を休むと困るからな」

「俺は大丈夫です」

「タケさんもうひと踏ん張りお願いします。さっきの話通り10ドル稼いで東屋食堂の2階でビールを飲もうよ」

「俺が難儀してお前が飲むのかい」

「俺だって、あんたの応援係だし、号令もかけているぜ。イチ、ニ、イチ、ニとさ」

武史は思わず笑いだした。未だ体内にはエネルギーが十分に充填されているし、何度か駆け上った経験から階段の数は前半より少ないことを知っていた。見上げると拝所の鳥居と赤瓦の屋根が見えた。武史は再びうさぎ跳びで登り始めた。

「オーケー、上で待っている」源蔵は二人が20段ほど登るのを見てからバイクのスターター・クランンクをキックした。

 急こう配の階段は駆け上がりが6インチブロックの厚みより少し高くなっている。武史は登り始めて気付いた。前半の階段は段数こそ多いが勾配が緩く平地の運動とあまり変わらない。しかし後半の急勾配は得意の有酸素運動では無く、短距離走の筋力を必要とした。少しずつ呼吸が乱れ始めた。カンヒザクラは既に休眠期に入り、夏の落葉を済ませていた。8月の午後4時過ぎの日差しは衰えを知らず、武史の左頬と後頭部を容赦なく焦がしていた。武史の心臓と肺はフル稼働で下半身の筋肉に血液を送り続けた。しかし酸素補給が不十分となって目の前を昼間の蛍が飛び始めた。階段は60段毎に緩い勾配の平場があり、3枚の平場は6畳、4畳、2畳と上にいくにつれて狭くなっていた。武史は平場で小さなジャンプを繰り返して呼吸を整えた。それでも最後の平場にたどり着いた時には膝関節と心臓が悲鳴を上げてギブアップする寸前になっていた。

武史は呼吸を整えるためジャンプを止めて階段の上部に目をやった。残り7段である。源蔵が鳥居にもたれてこちらを見ていた。武史は大きく息を吸い込んで一気に階段を駆け上がった。そして最後のジャンプを終えると勢い余って両手を前に突き出して石畳の上に手を付き反転して尻もちをついた。立ち上がると源蔵の顔があった。源蔵の目は悲しげに武史を見ているように思えた。その眼は決して武史のうさぎ跳びの結果に対する感嘆の思いを含んではいなかった。武史の脚力は驚嘆に値するのであったが、親子ほども年長で組織の長である源蔵の目には、武史が既に若者の特権である無尽蔵のエネルギーを失い始めているのが見て取れた。武史は振り返り階段を喘ぎながら登って来る勝次を見た。その向こうに夏の日を浴びて輝く名護湾と、白い帆を掛けて港に向かうサバニが一艘だけ見えた。「カツ兄ちゃん遅いぜ」と声を掛けようとしたが、乾いた喉からは声が出なかった。意識に体の疲労がついていけないのを知った。「ひゅっ」小さく息を吐き、源蔵から少し離れて屈伸運動を繰り返した。自分の疲れを源蔵に悟られまいとしたのだ。しかし、源蔵は既に武史から視線を外して嘉津宇岳のなだらかな稜線を見ていた。稜線が海になだれ込む手前に若い女の乳房にも似た小さな安和岳があった。あの山の麓に源蔵の村があったのだ。敗戦後に建設された広大な嘉手納米軍基地は、工事に必要なコンクリートやアスファルトの骨材として琉球石灰岩を採取した。米資本によるセメント工場の建設は琉球石灰岩の採掘を加速した。村は巨大な採石場と化して消滅した。海岸から陸地に向かって広がる採石場の無残なアバタの中に源蔵の家があったはずだ。敗戦の痛みも癒えぬ間に先祖伝来の故郷を失った。源蔵は悲しくはなかった。只、奇妙な人生の変化に戸惑っただけだ。故郷の消滅の代償で得た立ち退き代金を元に今の商売を立ち上げた。人は生きていると幾多の予期せぬ変化に出会う。それをトラブルとみるか新しい展開の始まりと見るかで人生観が変わる。変化を自分の裁量で切り開くだけだ。今日の自分の立ち位置を明日も保てるか誰も知らない。人は時と共に変化するものだ。源蔵は武史の中にそれを見たのかもしれない。変わらずにあるのは採石場の先に広がる東シナ海の深い蒼さだけだ。源蔵は西日を浴びながらぼんやりと丸みを帯びた水平線を眺めていた。

勝次が鳥居の前にたどり着くと源蔵が言った。

「タケ、お前の勝ちだ。降りようぜ」自虐的な笑い声で言ってバイクにまたがった。

 三人は管理道路をゆっくりと歩いて登り口に向かった。下りの階段は疲労が溜まった膝関節に堪えるのである。クスの大木が作る木陰が心地良かった。三名は何も話すことなく下って行った。

入口の鳥居の前で3名の仕事仲間が待っていた。勝次が親指を立てて合図すると、仲間たちが指笛と拍手で迎えてくれた。

「タケさんの完走を記念して乾杯と行こうぜ。社長のおごりだ。東屋食堂へレッツ・ゴー」勝次が仲間に呼びかけた。

「分った、分った。俺の負けだ。今日は夏の慰労会としよう。お前ら先に行って始めておけ。俺は事務所を閉めてから戻って来る」

 武史は久しぶりに聞く仲間からの称賛の声に舞い上がり、何杯もジョッキを空けた。そして何時に帰宅したかも覚えていなかった。

 

       (四)

武史は小便を済ませ、軽く身震いをして再び空を見上げた。月が青く不思議な光を放っており、丸い器の中のウサギに似た影が揺れて見えた。自分の体の深部で何かが騒ぎ出すのが解った。家の中からボーンと柱時計の音が1回だけ聞こえた。その音が長距離走の合図のように聞こえた。足が勝手に動き出した。母がトマトかエンドウ豆の支柱に使うつもりで束ねてあった1m程の竹を一本抜き取るとひょいと肩に置き、ゴム草履のままゆっくりと、谷間の川に沿って続く県道を川下に向かって歩き始めた。県道112号、屋部・仲宗根線は未だアスファルト舗装が施されておらず、琉球石灰岩を敷き詰めた道路は、月の光を浴びて暗闇に白く浮いていた。西屋部川は本流の屋部川に比べて水量は少ないが急流となっており、小さな段差を繰り返す砂防ダムは暗闇の中で騒々しく水しぶきを放っていた。川向の馬小屋からブルン、ブルンという息吹が聞こえた。敏感な馬の聴力が武史の足音に驚いたのだろう。道路脇の急斜面は時折月光を遮り、道路を闇の中に引きずり込んでいた。武史は無意識にハブを警戒して竹の杖で地面を軽く叩きながら前方に見える月の光を浴びた白い道路を目指して進んだ。暗闇の中で梟がコウホー、コウホーと鳴いた。武史は何も考えずにただ足を運んでいるだけだった。田イモ畑の横を通るとウシガエルがモー、モーと重低音で合図してきた。空を見上げたが雨雲の気配はない。今夜はウシガエルも暑くて一雨欲しくくて雨乞いの祈りをしているのかもしれない。

 谷間を抜けると視界が開けた。この先が屋部集落である。海に面した集落の東を屋部川が流れ、西の谷間から流れてきた西屋部川が河口で合流している。県道を左に曲がって勝見橋を渡った。フクギの屋敷林で囲まれた集落は、月明かりの中で一つの森に見えた。集落の中に進むとフクギは月明かりを完全に遮断して真っ暗である。只100mほど先の交差点の地面が月明かりで奇妙に白く浮かびあっているだけだ。武史はそこを目指して歩いた。久護家の前を通ると誰かに呼び止められた気がして立ち止まった。王府の時代に栄えた旧家で、この辺りを仕切っていた豪族である。現在は縁者が途絶えてしまい、県指定の歴史的木造家屋を集落で管理している。赤瓦の上をコウモリが小さな羽音を立てて横切った。フクギの実が地面にポトンと音を立てて落ち、足元に転がってきた。コウモリの食べ残しだろう。武史はフクギのトンネルの向こうに見える明かりに向かって歩いた。

トンネルを抜けると屋部川の川べりの道路に出た。対岸まで100m程の距離があり、河口が近い。メヒルギの群生した近くに開閉式の水門の残骸が残っており、河口に向かって開いていた。屋部小学校の横を歩いて屋部橋のたもとに出た。右前方にトワヤの物見塔が見えた。橋のたもとの護岸は王府時代の山原船の船着き場の名残だ。久護家の支配のもとに年貢米や薪燃料が泊の港に運ばれたらしい。トワヤは船の出入りを見守る遠見台であった。船着き場のあった石組みの隣の広場には、白塗りのカトリック教会が静かに鎮座している。敗戦後の米国による占領政策の中でキリスト教が急速に布教された。「隣人に愛を、富める者は貧しきものに分け与えよ」と、唱える神の言葉は、敗戦で深く傷ついた住民の心を捉えたに違いない。実際、米軍関係者は教会を通した物資の配給を頻繁に行っていた。この地域には住職の住む寺よりキリスト教会の数がはるかに多い。この地のキリスト教は祖先崇拝の慣習を排除しない。その寛容さが地域に浸透した原因のひとつかも知れない。あるいは、イエスは天地自然の神々の頂点に位置する存在であるとの理念かも知れない。もっとも、部外者が様々な宗教の神々を推察することは不謹慎の誹りを免れない。

県道117号、城・渡久地線に架かった屋部橋を渡り、宇茂佐公民館の横から砂浜に降りた。潮の香りが濃くなった。平らで穏やかな海を挟んで遠くに恩納岳の山並みがなだらかに右勾配で続いていた。潮が引いて広くなった砂浜が月の光で輝いていた。武史はグンバイヒルガオに足を取られながら砂浜を水辺に向かって降りて行った。塩水を含んだ砂浜は硬く締まって歩きやすかった。天頂から少し西に傾いた月を背に東に向かって歩き始めた。北部農林高校グランド横を通ると左からの風が吹き抜けた。風向きは既に昼間の海風から夜の陸風に変わっていた。ツキイゲの穂が陸風に乗って転がってきてくるぶしに当たった。微かな痛みと痒みを覚えた。目を凝らすと時折陸地から転がって来る。足元に目をやると不意の侵入者の足音に驚いたツノメガニが高速で走り去っていく。

気が付くと目の前に大石の離れ島が黒い海面に浮かび上がっていた。50m先の島の間を海水が小さな音を立てて流れていた。20m四方に満たない小島の岩礁は琉球石灰岩からなり、潮の干満と波浪によって基部が浸食されてキノコ状になっている。岩礁の上部は風化して砕砂が溜まって海浜植物が生えている。突然、女神の乱れ髪に似た草木を風が強く揺らした。この岩礁には海中から上部に向かって大きな亀裂が走っており、浅い洞窟にドブリ、ドブリと海水が出入りしていた。暗く湿った洞窟は女性の陰部にも似た禍々しさを備えていた。武史は立ち止まってしばらく眺めていたが心を揺らすものは無かった。

大石の離れ島から少し離れてタッチュー石が意味ありげに海面からそびえ立っている。この石は海水に浸食されることなくまっすぐに10mほど切り立っている。琉球石灰岩とは異なる硬い岩石であろう。まるで大石の女陰の洞窟と対比する男根にも似ていた。この辺りは満潮時に海水が入り込み、砂浜が途切れて歩けない場所だ。干潮で干上がった海底の上を歩いて渡り、再び砂浜に出た。

夜の海上に点々と漁り火が見える。海上をゆっくりと漂っている。夏の夜の海は干潮が弱く、温んだ浅い海中に獲物の姿は少ない。漁りは冬の厳寒の新月の晩が適している。それ故夏の夜に漁りをする者はいない。海上に漂っているのは狐火である。武史はそのかがり火に心動かすことも無く歩みを進めた。20kmレースの時に起こるランニングハイにも似た感覚である。ただひたすら砂浜に足跡を刻んだ。やがて左手にこんもりとした森が現れた。宮里集落の「前の宮ハスノハギリ群落」である。幹回り10m、樹冠と樹高が20mの巨木が十数本生えている。女人禁制の拝所だ。この森の向こう側に姉さんの家があるはずだと考えながら歩いた。武史は振り返ることなく何かに憑かれたように歩いた。

やがて砂浜にサバニの並んだ場所に出た。漁民の住む集落の船置き場だ。サバニを係留する桟橋は無く、漁を終えたサバニは砂浜に引き上げて保管するのだ。木製のサバニを海上に係留して保管することは少ない。サバニの横を通ると嫌な臭いがした。サメの肝油を船体に塗ってあるのだ。船の防腐剤であろうか。

この海岸がイルカ狩りを行う場所である。コビレゴンドウクジラを浅瀬に追い込んで捕獲するのである。ピートゥドオーイ(イルカが来たぞー)との声が集落に響くと漁民だけでなく周辺の集落のにわか漁民も船を出した狩りに参加するのだ。義兄を手伝って一度だけ参加したことがある。クジラを浜に引き上げるロープを引く等、少しでも漁を手伝うと肉の一部が貰えるのだ。小さなクジラとは言え1,500kgはあるのだ。肉は幾らでもある。100m四方の海が赤く染まる。人々は血の海を見て心を震わすのだ。狩りに参加する者は白装束である。黒い衣装だとクジラと間違えて銛を撃ち込まれる危険性があるのだ。赤い血の海にクジラがのたうち回り、狩り人が銛を撃ち込みロープをかけて砂浜に引き上げるのだ。黒いクジラが大鉈で切り分けられ、赤い肉が血に染まった砂浜の波打ち際に並ぶ。狩り人も砂浜で肉を求めて待っている人々も、殺戮の光景に興奮の奇声をあげて目の色を変えるのだ。

イルカ狩り1980年頃まで行われた。(名護市の資料より)

クジラの肉は食料の乏しい時代の安価で貴重な蛋白源であった。油身は鍋で溶かしててんぷら油として使われた。武史は月の光にざわめく海面にイルカが断末魔の潮を吹きながら浮き沈みする姿を見た。

 港橋を渡るとクジラ工場の前に出た。工場の前には専用の桟橋が長いスロープを伴って伸びていた。20トンクラスの小型捕鯨船で仕留めたザトウクジラを引き挙げるスロープだ。工場ではクジラを解体冷凍保存して肉をブロックで販売している。解体は思わず見とれてしまう程壮観である。牛の20倍もの大きさの肉の塊が分別されるのだ。ヒートゥと呼ばれるコビレゴンドウクジラはイルカの仲間で臭気の強い肉であるが、ザトウクジラは臭みが無く本当に美味い。

桟橋のスロープを引き上げるザトウクジラと見物人

クジラ工場の前を抜けると製材所の前に出た。山から切り出した松材を使ってホークリフト専用の盤木を作っているのだ。サメ肝油の後で嗅ぐ木の香りが鼻腔を刺激して穏やかな気持ちにした。只、武史の足は相変わらず何かに憑かれたように歩みを止めず再び砂浜に降りてさらに進んだ。しばらく進むと町はずれに出て世冨慶川が行く手を遮った。川の水量が少なく干潮時に河口の浅瀬を渡るのは容易い。武史は立ち止まって向こう岸を見た。世冨慶集落の墓地が海岸沿いの崖下に並んでいた。満月の光は墓地を明るく浮き上がらせていた。武史の目には見知らぬ新しい集落の広がりに映り、彼の来訪を待っている気がした。乾いた砂浜に腰を下ろしてズボンの裾をまくり上げた。そして川の水が海に流れ込む浅瀬に向かって歩き出した。川の水がチャリ、チャリと楽しげに何かのリズムを奏でて海に飲み込まれていた。武史はもう一度ズボンの裾を手で引き上げるために腰をかがめた。その時、背中に誰かの気配を感じて振り返った。誰かが月を背にして護岸の上に立っていた。顔は見えぬが見覚えのある懐かしい影だ。

「タケ、お前は一人で何処に行くつもりか。そこはお前の行くところではない。行ってはならぬ」方言で話しかける父の声だ。聞き覚えのある腹に響く太くて低い声である。

「ウー、ワカイビタン(ハイ、分かりました)」

何故か深く頭を垂れて丁寧に返事をした。そしてやおら顔を上げるとそこに父はおらず、青い光を放つ満月があるだけだった。

武史は月を背に砂浜に腰を下ろして両手で顔を覆った。俺は何をしているのだろう。亡き父に呼び止められなかったらどこまで行くつもりであったのだろうか。只やみくもに進んでもその先には何もないことが解る齢になっていたはずだ。

中学を卒業してから昨日まで、若いエネルギーに頼って人混みの中を走り抜けた。何度も仕事を替え、女友達を替え、周りの誰かの生きざまを肯定出来ずに生きてきた。過ぎ去った時間の中で、自分の手の中に残った確かな物は何ひとつもない気がした。自分は変わるべき人生の節目に来ている。自分が好むと好まずにそれはやってくるのだ。既に別れた女のこと、今の仕事のこと、走ることの意味さえも失い始めている。武史は人生の潮目がはっきりと変わり始めたことを悟った。若さだけで駆け上がった峠の先にも次なる峠の坂が続くだけだった。自分の望む物は見つからなかった。若さを失いつつある中で得たのは、自分が誰かの下で同僚と歩調を合わせて働けるタイプの人間ではないという確信だけだった。自らの選択で新しい道を歩まねばと思った。蓄えた金で兄貴の会社のタクシーの権利を買って一人親方になるのも良いだろう。母の手におえず荒れてしまった裏山の畑を耕し、パインとミカンを植えて大地からの恵みを得るのも良い。地に足をつけて穏やかに確実に自分の力だけで歩ける道を探そうと思った。

武史は立ち上がって防波堤を駆けあがった。砂浜を離れて城十字路から県道117号線の住宅街を駆け足に近い急ぎ足で進んだ。そして嘉津宇岳入口を右折して西屋部川に沿って続く県道112号を北上した。ほどなく旭川集落の最初の民間が見えた。夜明けには未だ間があるというに、近くの家で鳴き声を競う鶏のチャーンが甲高く、そして長い尾を引きながらひと声鳴いた。月は天頂からかなり西に傾いていた。仕事が終わってから毎日のように20kmを駆ける長距離走の練習に比べると、3里の歩行は何らの疲れも残らなかった。武史は何事もなく部屋に戻って寝た。

朝になって母が言った。

「タケ、酒もたいがいにしなさいよ。昨日は酔って帰ってきて夕飯も食べずに寝たよ。おまけに夜中に起きて外で小便をして、戸を閉めずに寝ただろう。わたしは蚊に刺されて睡眠不足だよ。お父さんが生きていたら何と言うかね」

武史は黙って外に洗面に出た。

「このアホ、さっさと朝飯をたべて会社に行きなさい」母の声が後ろから飛んできた。

母がいつものようにまくしたてるのを聞くと昨夜の出来事は夢であったのだと思った。昨晩水を飲んだ水道で顔を洗うと水しぶきがズボンの裾に跳ねた。首にかけたタオルで裾を払った。裾の折り返しから海砂がはじけ飛んだ。裾に乾いた白い塩の帯がぐるりと巻いていて微かに潮の匂いがした。立ち上がって背伸びをすると庭のミカンの梢を通して朝日が目を射した。武史は手をかざして指の間から川向の山を見上げた。見慣れたはずの朝の景色が僅かに異なって見えた。武史は人生の潮目が確実に変わり始めたのに気付いた。

 

 

 

2017年8月16日 | カテゴリー : 短編小説 | 投稿者 : nakamura

Authorized on Base

Authorized on Base(オーソライズド・オン・ベース)

            (1)

 平成19612日、午前11時の沖縄自動車道の南向け車線の交通量は少なく、私は未だアルコールの抜けきらぬ頭で許田インターから南下していた。昨日は自らが執行役員を務める造園会社の株主総会が開催され、その名残が二日酔いである。総会といっても特段の疑義の出ることもなく、執行役員と非常勤役員の懇親パーティでしかない。私は3月の事業年度終了後、決算書の作成、事業監査、取締役会、そして昨日の株主総会と株式会社の決算に関わる一連の作業を仕切り終わったのだ。社内おける私の仕事の繁忙期は3月から6月までである。この時期を過ぎると退屈な日々が続くことになる。

私は昭和578月に現在の会社に入社した。建設業関連の社団法人の出資による設立2年目の会社であった。入社時の社員数は6名で国営公園の植物維持管理を細々と受注する年商3千万円の零細企業であった。第2次オイルショックで冷え込んでいた沖縄県の経済は、海邦国体の開催に向けての公共事業で次第に回復していった。更にその後に続いた平成バブル経済によって我が社の事業量は格段に拡大していった。年間受注金額はバブル崩壊時に35千万円にまで拡大していった。しかしバブル崩壊後に公共工事が減少して倒産する弱小造園会社が続出した。わが社の受注金額も28千万円まで減少した。それでも一般造園会社と異なる小規模の随意契約を主体とする事業形態であったことや、業界団体の出資で設立された故に同業者間の一般競争入札に馴染まぬ会社に変貌したことで生きながらえて来た。そして6年毎に会社の代表取締役を官公庁からの天下りで迎えることで業界団体とのバランスを保っていた。

 私は一般職員からの生え抜きの役員として同業他社との調整役を担っていた。調整役と言っても接待ゴルフと繁華街の付き合いが主であった。むろん、業界団体の事業開発委員、造園施工管理技士会の役員や青年部組織の世話役等も引き受けていたが、何らの責任も要しない立場であった。

営業と称して同業者との折り合いをつけるための接待ゴルフと繁華街の出入りで退屈な日々を紛らわせていた。

私は名護市内のみどり街と呼ばれる繁華街のネオンの下から帰宅の途に就く時、酒場の店内の喧騒を振り払うようにゆっくりとみどり街の外れまで歩いた。いつの頃からか酒に酔うことを失っていた。傍らを通過する空車のタクシーを拾うこともせずに歩いた。場末の街灯が照らす薄暗い歩道を進みながら何か忘れていたもの思い出そうとしていた。この業界に身を置いて25年、少しは顔を知られる存在となっただろう。しかし私は何を成したのだろうか。少しのチャンスを捉えて事業を発展させたてきたが、それは私だけ成果ではない。私は組織の中の多くの歯車の一つに過ぎず、ただ歯車が他の職員より少しばかり大きかっただけの事だった。何か自分の目指すものを探し出せぬまま今日にいたっている気がしていた。既に夢を探せぬまま若さを失ってしまった寂寥感と、安定した餌場に居座り続けている自分への自嘲感だけが溜まっていた。天は私にこの程度の命を与えたのであろうか。それとも新たな潮目を待てと言っているのであろうか。答えを探せぬままみどり街の外れで、タクシーを拾って帰宅する日々が続いていた。

 私のプリウスの横をグリーンのマツダ・ロードスターが一気に駆け抜けていった。雨上がりの路面から霧のような飛沫が舞い上がった。ワイパーを作動させてスピードメーターを見ると時速80kmを切っている。私は苦笑した。何ともだらけた運転をしていることが可笑しかった。確かに酔いが醒めきっていないようだ。自動車道路の周辺の森が雨水を吸って落ち着いた濃い緑色に変化していた。その緑の中にイジュの白い花がひと塊となって次々と車窓から後方に飛び去って行った。沖縄の古い言い伝えでは、イジュの花が咲くとその毒気に当ったハブが巣穴から這い出て来ると言われている。しかし此のところハブが出没したとの話を聞かない。人間の愚かな営みによって自然の生態系が少しずつ衰退しているのかも知れない。私は窓を開けて雨の香りの残った風を車内に取り込んだ。そしてゆっくりとアクセルを踏み込んだ。フロントパネルのガソリン消費表示が一気に上昇して車体が加速を始めた。

 宜野座インターで降りて少し進むと、三叉路の交差点の左側に宜野座村運動公園の表示板が立っていた。その向こうに野球場の照明スタンドと雨天練習場の巨大なドームの屋根が見えた。5,000人足らずの村民には過ぎた施設のような気もする。国内のプロ野球阪神球団のキャンプに一カ月ほど使われているようだが、普段はどの様に利用されているのだろうか。村の西に広がる米軍演習地の賃貸料の恩恵のひとつであろう。沖縄自動車の西側の山林は、北の久志岳から南の恩納岳まで広大な米軍の軍事演習エリアである。旧久志村(現在は名護市の久志、豊原、辺野古地区)、宜野座村、恩納村、金武町には莫大な軍用地賃料収入が入っており、地域の行政資金を潤しているのだ。緩やかな上り坂を進むと国道329号宜野座村惣慶の交差点に出る。左に行くと宜野座村から名護市の東海岸へと続き、右に行くと金武町、うるま市石川へと続いている。

1B惣慶宮

琉球松の残っている惣慶宮の杜

私はハンドルを右に切って南下した。左手に惣慶宮の松林と宜野座中学校の白い校舎が見えた。緩やかな下り坂の途中の左手にかんな病院の白い建物があった。不正経理で新聞を賑わした東海病院は北部病院、かんな病院と2度も名称を変えている。改名すれば組織の体質が変わるとも思えぬが、臆面もなく真新しいシーツを掛け直している。緩やかなカーブを減速しながら下った。二つ目のカーブで左にハンドルを軽く切った時、右手の斜面から懐かしい花の香りが車内に入ってきた。目をやると季節遅れのソウシジュの花が斜面に黄色の塊をなしていた。1㎝程のパフに似た花だが遠目には樹冠を黄色に染めて見える。この甘い香りが私の古い記憶の何かを刺激しているようだが、二日酔いの頭には特別の意味を成さなかった。坂を下りきるとゆっくりと左折して車を恩納タラソの構内に車を載り入れた。漢那小学校の跡地にふるさと創生事業で建設された健康増進施設である。ドイツ製の設備が導入されており、海水プール、温水ジャグジー、ミストサウナ、健康食レストラン、等を備えていた。利用者の多くは村内の老人であった。何しろ村民の利用料金がバスタオル代の200円では銭湯よりも安いのだ。むろん、村民以外の利用者は1,600円の利用料金が必要である。5千人程の村民の施設としては採算の合わぬ施設であるが、潤沢な軍用地料の成せる施設管理であろうか。私がこの施設を利用するのは、妻がこの施設の利用者メンバーであり、彼女からメンバー特別割引優待券を貰っているからである。3年前に喘息が悪化して教職を辞した妻は、毎週3回ほどこの施設のミストサウナとジャグジーを利用して次第に体力を回復している。メンバーでない私も妻のおかげでバスタオルとロッカー利用料金800円で施設が利用できるのだ。私は25mプールを数往復してジャグジーで筋肉を解し、ハーブミストのサウナで汗を流す。このサイクルを2時間ほど繰り返すと酒は殆ど完全に抜き取れるのだ。毎月12度、深酒の翌日に利用している。

雨上がりの広い駐車場を横切って施設の地下駐車場へと降りて行った。地下駐車場は村内の老人以外の客が利用するスペースだ。夜の仕事をする女性や深酒の翌日の私の類だ。人目を避けて施設内に移動できるのである。私は地下駐車場の隅にスペースを見つけてプリウスを滑り込ませた。そして気怠さを振り払うために目を閉じて頭を後ろに反らし、さらに左右に振ってから前方に向かってゆっくりと目を開いた。その刹那、前方の駐車スペースに止まっていた黒塗りの乗用車がエンジンをふかして点灯した。私は一瞬放たれた閃光と排気音で視界を奪われ現実の空間を見失った。そしてその閃光は私の古い記憶を鮮明に蘇らせた。あのソウシジュの香りが何であったかをはっきりと思い出した。

あの頃、私は深夜の国道329号を時速100キロでタクシーを走らせていた。街灯も無く、只、自分の運転する車のライトに浮かぶセンターラインの白線だけが、瞬きもしない私の瞳孔から後頭部に向かってモールス信号の如く突き抜けていった。寝ているのか醒めているのか判らない意識の中で、漆黒の闇の中から漂ってくるソウシジュの香りだけが未だ命ある世界にいるのを教えてくれた。あのソウシジュの香りは20数年の時を経て、再び人生の潮目の変わり時を告げているような気がした。

1Dソウシジュの斜面

国道58号から名護市の市街地に入る斜面地のソウシジュの群生

      (2)

昭和572月上旬、私は那覇市西町の公安委員会の自動車運転免許試験場にいた。4度目の普通自動車二種免許の実技試験を受けに来たのだ。大学の農学部を卒業して6年目、既に結婚して2歳になる娘がいた。3年ほど勤めたサラリーマン生活に見切りをつけ、友人3名で始めた農業にも挫折して自由人となっていた頃だ。友人と袂を別ったきっかけは既に記憶の中から消えてしまったが、私の深層に巣くっている風来坊としての育ちから来る、堪え性の無い不徳によるものであったに違いない。

その頃の私は養父母を失い、子供が成長するにも関わらず農業生産法人設立の目途も立たず、次第に生産活動エネルギーの消耗だけが加速していた。私のモチベーションの欠落を見抜いた友人が共同経営からの離脱を促し、私は糸の切れた凧のようにゆらゆらと早春の風に流され、緑の農耕地から遠ざかって行ったのだった。

当時の我が家の家計は妻が県立特別支援学校の教師をしており、家賃6千円の新築の教員宿舎に住んでいた。妻の給料でそれなりの生活が出来ていた。私はサラリーマン時代の蓄えが未だ残っており、タバコ代に不自由することも無かった。只、農機具の購入資金として実家から25万円ほど借りており、学生時代に借りた日本育英会の奨学資金の返済も23万円ほど残っていた。今日、明日の返済が要求されるものでは無いが返済は必要であった。平成景気が始まる前のこの時代に学卒の就職先は多くなかった。無論、職安での仕事探しを怠っていたわけでは無いが、さりとて熱心でもなかった。元来の風来坊癖が影響していたのであろう。

娘の彩夏をカトリック系保育園エデンの園に送って、その帰りに実家の母を訪ねた。彩夏の風邪が治って保育園に元気に通い始めたことを伝えるためだ。それに久しぶりに実家に備え付けてある大型スピーカーのステレオで、ジョン・コルトレーンのブルートレインを聞きたいと思ったからだ。あの暗闇の中から何かを送り出してくる響きが気に入っていた。しかし、コルトレーンの重低音のテナーサックスはアパートでは持て余すのだった。

実家には母の弟の武松叔父が来ていた。

「松さん、久しぶりだね」

「おう、カズか、農民を廃業したらしいな」

松さんは以前のひどいドモリが消えたなめらかな口調で話しかけた。

「農業も嫌いではないが、売れ残りのキュウリばかりを食べるのにも厭きたのさ。それによ、俺は親父に似てトマトの若葉の奇妙な臭いが我慢できなかったのよ」

「そうかい、だいたい学卒の農民なんて流行らないぜ。それで、姉さんに聞いたが農協に就職するための履歴書を出したのだろ、返事があったのかい」

「それがさ、新卒が優先で俺らの様な再就職者は6月の総会が終わってから採用を検討するそうだ。俺の方が農業に詳しいのによ。農協もどうかしているぜ、全く」

「相変わらず減らず口を叩くな。お前らしいや」

「そうでもないさ。一応、職安にも通ってはいるけどな」

「ところで、俺のところのタクシー会社で乗務員が一人必要だが小遣い稼ぎにやってみるかい」

「そいつは面白そうだな」

「只よ、二種免許が必要だぜ。お前が持っているのは普通一種免許だろ」

「何だか知らねえが、一種より2種の方が偉いのかい」私は冗談で答えた。

「お前のことだから学科試験は易しいだろうが、実技試験は難しいぜ。4回でパスすれば御の字だ」

「そうかい、やってやろうじゃないか」

「名護自練に具志堅さんという運転教師がいるから習ってきな。元久志タクシーの乗務員だ。実技試験の要領を教えてくれるはずだ。学科試験のテキストは会社にあるから後で姉さんに渡しておくよ。

「ありがとう。明日にでも名護自練に行ってみるよ」

2種免許を取ったら会社に回って来な。社長の政兄さんに伝えておくから」

松さんは会社の位置を新聞のチラシの裏に書いて渡した。

「お前、タクシーの乗務員等せずに武政の下で事務をしたらどうかい。あれは前からお前を欲しがっていたよ。男の子がいないし、本人の体も丈夫じゃないからね」母が言った。武政叔父は母のすぐ下の弟である。

 翌日、名護自練に出かけて具志堅さんを訪ねた。武政叔父の身内だとは告げずに2種免許の実技講習を50分ほど受けた。確かに1種免許より運転技術が細かいようだ。外周の直線で十分に加速すること、鋭角の切り返し、並列駐車、左折時の左への幅寄せ等、1種免許試験ではなかった技能があった。

 午前9時、那覇市西町の公安委員会の2階で学科試験を受け、合格書類をもって1階の受験申請窓口で実施試験の申し込みをした。試験日は2日後の午後2時からである。私は学生の頃にこの試験会場で普通1種免許を取得した。仮免許の学科試験、仮免許の構内実技試験、本免許の学科試験、本免許の路上実技試験と4回の試験を受けたのである。構内実技試験にてこずった記憶がある。

 左隣の実技受験者待機室に入って受験コースの張り紙を探した。コースは6種類あり、受験の20分前に試験官からどのコースで試験を実施するかが伝えられるのである。AからFまでのコースを覚えないといけない。私は学科テキストに添付された場内試験図に6種類のコースを書き込んだ。先日具志堅さんに教わった運転操作技術をシュミレーションしながらコースを記憶することに務めた。そして構内実技受験場の風景を眺めていると、8年前にタイムスリップしているような緊張感に包まれた。

 最初の受験日は1時間前に受験者控室に入った。大型2種免許の実技試験が既に始まっていた。琉球バスと表示されたままの路線バスの中古車での試験である。車体に錆が浮いており、かなり古い年式のようだ。

「7番、安村君」

「ハイ」と大きく返事して30歳くらいの男がバスに乗り込んだ。試験官が左後方の席に着くとドアが閉まり発車のウインカーが点滅してバスは動き出した。ギアが2速,3速と切り替わり加速していく、しかしトップギアに切り替わることが出来ずガリガリとギアチェンジの音がして、トップスピードに達せずに減速した状態で第一コーナー入った。そして減速した状態でコースの外周を1周した。バスは左のウインカーを点滅してスタート地点戻って来た。バスのドアが開いて試験官が降りてきた。続いて受験者も降りてきた。試験官は「もっと練習してくるように」と言って受験票から写真を剥がして渡した。その写真を次の受験申請に使うのである。

「8番、高山君」、「ハイ」次の受験者がバスに乗り込んだ。バスがスタートすると安村と呼ばれた男が歯ぎしりするように言った。

「ちくしょう、あのポンコツバスはギヤが入り難いのよ。自動車練習所のバスよりも相当古くておまけに整備不良だよ」大きくため息をついて出て行った。

 私は普通2種のコース図を指でなぞりながら場内のコースと比較するように記憶を整理しながら試験に備えた。しばらくすると大型2種の試験が終了して試験官が引き上げた。最後まで残って試験を見ていた受験生がぽつりと言った。「今日も合格者は一人かよ」10名中1名の合格者だ。

 午後2時、普通2種免許の試験開始の時間となった。試験官がやってきて言った。

「受験番号の1番から8番まではBコース、9番から15番まではDコースです。20分後に試験を開始しますので準備をして下さい。

 私はDコースの5番目であった。

「お願いします」そう言って車に乗り込んだ。

ウインカーを出してスタートするとすぐに加速してトップスピードに達してからシフトダウンして第1コーナーを回り、周回して中のコースに入って鋭角、クランク、並列駐車等を次々とクリアして終了した。

「試験場はサーキットではない。早く回る試験をしているのでは無いですよ」

写真を剥がしながら試験官が抑揚のない声でポツリと言った。

 2回目の試験を二日後に受けた。Cコースであった。私はスピードを抑えて丁寧に運転した。そしていくらか自信をもって全工程を終了して戻ってきた。

「上手な運転だが安全第一とは程遠いな」と言って写真を剥がして渡した。

3回目の試験を週明けの月曜日に受けた。Bコースであった。しかし不合格である。

「安全確認が不十分ですね」試験官は写真を渡した。

私は不合格の原因が分からなくなって次の試験日を4日後にした。その間に再び名護自練に具志堅さんを訪ねてみようと考えたのだ。

 名護自練に電話を入れて具志堅さんへの教習予約を入れた。水曜日の午前10時に予約が取れた。

教習所に行くと事務所で具志堅さんが新聞を見ながら待っていた。

「よう、君か。未だ合格できていないようだな」笑いながら話しかけてきた。

「よろしくお願いします」

「こんな年寄りを指名するのはよほどの物好きだな。どれ、試験のつもりで見てみよう」

「それでは先日のBコースを回ります」

「ハイどうぞ」

私は何時もより慎重に運転してコースを回った。

「うむ、不合格だな、これなら絶対に合格できない」

「え、どうしてですか」

「試験官は運転のうまさを見るのでなく、安全確認をチェックしているのだよ」

「安全確認をしていますが」

「試験官が分かるように行うのだ。良いかい。発進時は左良し、右良し、後方異常なし、発進しますだ」

「ハイ、声に出すわけですか」

「声だけではなく、顔も素早く動かして確認している動作を試験官に認知させるのです。それでは、別のコースを練習してみよう」

私はC、Dコースを練習した。3コースのうちのどちらかに当たる確率は半分だ。

 4回目の試験日も1時間前に着いた。受験者控室に向かう途中で見知った男に出会った。大学の同窓生宮城茂光である。

「よう、久しぶりだね」と声を掛けてきた。

「おう茂光、何の試験を受けたのかい」

「大型2種だ。外周回って終了さ。全然ダメ。大型1種に変更だ」

「ダンプでも運転するつもりかい」

「姉が経営する保育園の送迎バスの運転手さ」

「カズ、お前はどうして」

「農業では食って行けそうもないので、叔父のタクシー会社のアルバイトさ。ところで、君は今でもバイオリンをやっているかい。君の所属していた沖縄交響楽団の話題が新聞に載っていたけど」

「ああ、今でもメンバーさ、俺のささやかな趣味だ。園児の御昼寝タイムにも演奏しているよ」

「良い趣味だ。そのうちに演奏会を聴きに行くよ」

「お前の空手は今でも続いているかい」

「いや、館長がハワイに行ってしまった」私は人差し指を顔の前で上に向けて言った。

「ハワイ?」

「ああ、3年前に亡くなった。息子さんが道場を継いだが、手習い無しの素人だ。結局は休館日が続いているのさ」

「そうか、残念だな」

「所詮、空手なんぞは暇な学生のお稽古ごとさ。俺も暇だがな」私は自嘲気味に言った。

「俺は落ちたがお前は頑張ってな」そう言って茂光は出て行った。

 受験者控室に入って実技試験コースを指でなぞり運転操作のポイントを確認して過ごした。試験開始の25分前に緊張を解くためにトイレに入った。

 用を足していると試験官らしき男が入ってきた。制服ですぐに分った。私の隣で用を足しながら話しかけてきた。

「受験生かい」

「ええ、普通2種を受けます」

「どこから来た」警察官特有の命令調で尋ねた。

「名護からです」

「名護か、私も名護署勤務の若い頃に住んでいたな。宮里の海岸に大木の生えている拝所があるだろう。あの近くだ」

「私の生まれた村です」

「君、名は何というのだ」

「仲村です」

「仲村君か、仲村宏郎さんを知っているかい。その家に下宿していたのだ」

「宏郎さんは父の従弟です」

「宏郎さんは元気かな。随分とお世話になったからな。彼の経営する名護鉄工所はオリオンビール工場の建設を手掛けていて景気が良かったな。新任警察官の私に美味いものを食べさせてくれたよ。もっともヒートクジラの肉だけは苦手だったな」

「先月、正月の一門祝いで会いましたよ。長く胡坐をかくと膝が痛いと言っていましたがいたって元気でした。浦添市の本社の経営を娘婿の岸本さんに任せていると話していました」

「そうか、元気でいらっしゃるのですか。処で何回目の受験かな」

4回目です」

2種免許はそれぐらいが普通だな。落ち着いて自信をもって臨みなさい」

「ありがとうございます。がんばります」

私は試験官がトイレから出ていくのを軽く頭を下げて見送った。

2Aハスノハギリ

樹高20m、幹回り4mのハスノハギリの巨木に囲まれた拝所、女人禁制である。

 実地試験は定刻通りに始まった。試験は二組に分かれて実施された。試験官は私の淡い期待通りに先ほどの方あった。胸に町田義男と書かれたプレートがあった。今回はCコースであった。2度目の試験コースであり、名護自練でも繰り返し練習したコースである。私は具志堅さんの指導を思い出しながら自信をもって操作した。最後に駐車して車を離れるまで安全確認を声に出して行った。結果は16名中3名の合格者に入っていた。町田試験官が合格者の名前を読み上げ「以上の3名です。おめでとう」言った。

私はすかさず少し大きめの声で「ありがとうございました」頭を下げた。他の二人も私につられて頭を下げた。顔と上げると町田試験官の顔がほほ笑んでいるようであった。

 免許証の更新手続きの申請書を手にして窓口に向かっていると声を掛けられた。

「カズ君、何してるの」振り返ると義父の弟の芳邦叔父である。

2種免許に合格したので更新申請をしているところです」

「農業をしていると聞いたが廃業かい」

「すみません、針路が不安定で」

「若い時はそれでも良いさ。書類を貸しなさい、今日中に受け取れるようにするから」芳邦叔父は事務所の中に入って行ってすぐに出てきた。

1時間もすれば出来るだろう。それまでソバでも食べよう。まだ昼飯を食べていないのだよ。付き合ってくれ」

「忙しいのですね。いつから運転免許課に配属されたのですか」

「糸満署の少年課だけどな。少年事件の後始末で来たのよ。最近の高校生は無免許運転で検挙されると、仲間の免許保持者の名義で不携帯申告をするのだよ。今の若い者の仁義なんて嘘っぱちだよ」

「不義理の時代ですね」

「武政さんの会社でアルバイトするのかい」

「ええ、次の仕事が見つかるまで」

「去年だったかな。乗務員の期限切れ免許証更新の件で世話したことがあったよ。タクシー乗務員はスペアが少ないので経営が厳しいらしいね」

私はソバの小を御付き合いで食べた。程無くして免許証が出来たらしく取ってきてくれた。

「タクシー乗務員なんて長くするものじゃないよ。早く新しい仕事を見つけることだな」

「ありがとうございました」と言って別れた。

             (3)

 普通2種運転免許証の交付を受けた翌日、私は久志タクシーの代表者である武政叔父を訪ねた。事務所は国道329号の辺野古集落の谷を流れる小さな川沿いを、国道から海に向かって200mほど下った場所にあった。事務所の前をさらに500mほど進むと辺野古漁港である。名護市の東海岸は15年前まで久志村であった。名護町、久志村、羽地村、屋我地村、屋部村が合併して名護市になったのである。旧久志村の辺野古集落から南に向かって米軍の広大な演習エリアがあり、辺野古集落の北側と国道の東側に米軍基地のキャンプシュワーブがある。ベトナム戦争の頃には野戦訓練で多くの米軍兵士がシュワーブの兵舎に収容されていた。この基地で訓練を受けてベトナム兵士(通称ベトコン)と戦うのである。小さな繁華街は殺気立った米兵であふれ沢山のバーが営業をしていた。明日の命を知らぬ兵士が紙切れの様に米ドルをばら撒いていた。当時の沖縄の通貨は米ドルであった。しかし、ベトナム戦争の喧騒が終わり、未だ第1次中東戦争が始まらぬこの頃は兵士の数も少なく、閉鎖したバーの錆びついたトタンの看板だけが目立っていた。それでもバー街の入り口には鉄骨で出来た辺野古社交街のアーチ型の看板が威風堂々ウェルカムと表示されていた。今でも十数軒のバーは残っており、基地内から米兵が遊びに通っていた。

「こんにちわ」とあいさつして開いたままのドアから事務所を覗くと、政叔父さんがニコニコして私を迎えた。

「カズ坊、乗務員のアルバイトをしたいのかい」

「すみませんお願いします」

「会社は人手不足だが、経理を覚えながら。私の仕事を手伝っても構わないよ。幾つかの建設会社の会計帳簿も預かっているから」

「いえ、とりあえず乗務員からやってみます」

「そうか、それも経験だな」相変わらずニコニコしながら言った。色白で痩せて眼鏡をかけたオールバック髪型が似合う優男である。名護市を中心とした北部地区法人会の代表幹事の一人であり、見かけによらず胆力のある人物として知られていた。

 私は女性事務員に言われるままに書類に住所、氏名、年齢、学歴を日本語とローマ字で記入した、学歴は高校までとした。米軍施設の通行パスの申請書類らしい。提出先のオフィスはキャンプ瑞慶覧にあるようだ。事務所の壁に貼られた沖縄地図で教えてくれた。

「当分はピンク色の仮パスだが5カ月後に写真入りの本パスに更新できるだろう。但し不用意なトラブルを起こさなければな」

私はほとんど読めない申請書類の英文を見ていた。

「ああ、それからもう一つ言っておく、そのオフィスで親戚や友人に日本共産党員がいないかと質問されるはずだ。いないと答えなさい」

「変わった質問をするのですね」

「米軍は赤旗を極端に嫌うのさ。カズ坊は学生運動をしなかったのかい」

「革マル派と中核派がゲバ棒をもって争っていけど、僕らの頃は既に下火になっていました。僕の趣味にも合わなかったですね」

「革マルとか中核とか学生運動も色々だね」

「僕の友人にはそのような物騒な輩はいなかったけど、民青という共産党の下部組織に似た学生集団が活動をしていました。高校の同級生に熱心な男がいたけど僕には馴染まなかったです」

「仮パスを取ったら事務所に寄ってくれ、勤務割を考えておくから」

「お願いします」

「ああ、紹介しよう。こちらが事務の栄子さん。あちらが無線係の清造さんだ」

私は改めて挨拶した。

「よろしくお願いします」

「社長の自慢の甥っ子さんか、よろしな」ニコニコと挨拶した。

恐縮する私に栄子さんが言った。

「米軍オフィスは明日まで休みです。月曜日の10時までに受付を済ませば1時間程度でパスが貰えます」

「分かりました、月曜の午後にもう一度伺います」

私は叔父に挨拶して事務所を出た。事務所の隣の乗務員休憩室でたむろしている乗務員に会釈して駐車場に向かった。背中に複数の視線を感じた。彼らの目には学卒の乗務員希望者が奇異に映ったのかもしれない。或いは将来自分たちのボスになる存在かも知れないと感じたのかもしれない。

 月曜日の朝、彩夏をエデンの園保育園に送る準備をしながら妻に言った。

「キャンプ瑞慶覧まで行ってくる。夕方の彩夏の迎えの時間までには戻るから」

「何しに行くの、米軍施設でしょ」

「先週、普通2種免許を取ったと話しただろう。しばらく久志タクシーで働くことにした。米軍施設への通行許可証を貰いにさ」

「タクシー乗務員に米軍施設の通行許可証が必要なの」

「ああ、久志タクシーは米兵を乗せてベースの出入りが出来るタクシーらしい。乗務員に必要なパスだ」

「米兵相手に危なくないの」

「ベトナム戦争が終わって随分と経っているし。気の荒い米兵はいないさ」

「いつから勤務するの」

「今週中には始まるだろう。俺はスペアの乗務員だから週に3回くらいかな」

「あら、意外と少ないのね」

「うん、ただし、勤務は一昼夜だ。午前8時から翌朝の8時までの24時間勤務だ」

「噓でしょう。労働基準法違反だわ。体を壊してしまうわよ」

「俺より年上の、松さんがやっているぐらいだ。翌日は一日中休みだから平均すると君の勤務と変わらないぜ」

「難儀な仕事ね、どうせ長続きはしないわ。農協からの返事は無いの」

「採用の決定は、JA沖縄の総会後の7月頃の予定だ」

「それまでのアルバイトなのね。一生の仕事には出来ないわね」

「ああ、タバコ代と日本育英会の奨学資金の返済に充てるつもりだ」

「幾らなのよ」

23万円が残っている。借金を返済して新しい車の購入費用も少しは稼ぎたいし」実家からの借金の件は話さなかった。

「学生の頃の酒場のツケを今頃返すのね。バカな話ね」妻は不機嫌な顔で言った。『人生なんて所詮馬鹿な行動の積み重ねで成り立っているのだ』と口にしそうになり、振り向いて腰を落として彩夏を抱き上げて言った。

「さあ、行こうか。お母さんにバイバイして」

妻が不機嫌な顔を押し隠した笑顔で彩夏に手を振った。

3A嘉手納基地

広大な嘉手納エアベース。50mmのキャノンで1/4の範囲しか写せない

国道58号を南下して広大な嘉手納飛行場を過ぎ、キャンプ桑江の陸軍病院近くの北谷交差点を左折した。道路の両サイドは米軍基地だ。右がキャンプフォスター、左がキャンプ瑞慶覧である。広い芝生地の中にポツポツと平屋のオフィスと体育館よりも大きな倉庫が点在している。倉庫の前の駐車場には多数の大型軍用運搬車両が駐車していた。しばらく進むと左手に栄子さんが教えてくれた施設があった。蒲鉾状のトタン屋根の簡易施設である。終戦直後は小中学校の仮設校舎として使われたこともあるようだ。ゲートのガードマンは日本人であった。

通行証の申請に来たと伝えるとB棟に行くようにと言われた。建物の入り口にA,B,C,D,E,と表示されている。20台ほどが駐車できるあまり広くない駐車場に車を停めて施設に向かった。施設前の4段の階段を上ってふと振り返ると、広い芝生地とフェンスを隔てたはるか向こう側の斜面地に、ひしめき合って建つ屋宜原集落の家並みが見えた。第2次大戦の敗戦後に日本帝国陸軍に代わってやって来た米軍は、普天間、北谷、美里、越来、嘉手納村に住む人々の故郷も歴史も全ての存在を大型ブルドーザで地表からはぎ取り、深い土中の闇へと埋め込んでしまった。その痕跡を隠すように芝生の穏やかな緑で包み込んでいるのだ。私はフェンスを境に切り変わる空間のマジックに少なからぬ不快感を覚えた。

3Bフォスター

この地の人々は平地を追われ、基地の後背地にひしめき合って居住する

受付で書類を渡してその前のベンチに腰掛けた。分厚い米松の板で作られた頑丈な5人掛けの長椅子だ。私の村のキリスト教会にも同じ作りの椅子があった。確かウドラフと言う米国人の牧師が家族で住んでいて熱心な布教活動を行っていた。広い芝生庭を持つ海に面した教会であった。典型的なアメリカンスタイルの教会であった。硬いベンチに腰掛けると、遠い日々にクリスマスの時だけ讃美歌を歌って菓子やらを貰った記憶がよみがえった。教会の道向かいが名護鉄工の宏郎さんの実家でもあった。もっとも、その教会施設は、沖縄が日本復帰をした年に、屋根の上の十字架を取り外して外観を残したままソバ屋に変身している。教会はその隣の小さな敷地に日本人牧師によって開設されている。娘は牧師の妻が経営する保育園に通っているのだ。

ベンチの端には子供連れのフィリピン人らしい中年女性が腰かけていた。少し不安げな表情が気になった。このオフィスは軍人以外の軍関係者の施設への出入りを管轄しているのかもしれないと思った。

30分ほど待って呼び出された。幾つかの質問があったが、いずれも一昨日教えてもらった通りであった。只、予想しなかったのは両手の指先の指紋を丁寧に取られたことであった。私は犯罪者として扱われているような錯覚に陥り、軽い眩暈にも似た感覚を覚えた。トイレで指先のインクを洗い落として戻ってくるとピンク色のパスが出来あがっていた。パスと受取証にローマ字でサインしてパスを受け取った。Austhorized on base. Only Taxiと記載されていた。

オフィスの外に出て車に乗り込む前にあたりを見回した。緑の芝と鉄条網を眺めていると、私は既に一般社会人と異なり、米軍関連のある種の利権を持つ特権階級の仲間入りを果たしたような不可解な高揚感を覚えた。心なしかこの緑の芝生さえにも好感を覚えつつあった。

3C宮里ソバ

屋根から十字架が消えてソバ店に変身した。樹齢70年のガジュマルは全てを知っている。

帰りは国道330から国道329に入り、石川市で昼食のソーキソバを食べた。金武町のキャンプハンセンゲート前を通り、宜野座村、名護市久志地区へと東海岸を北上して午後2時過ぎに辺野古集落の久志タクシーの事務所に着いた。

この日は政叔父も清造さんも不在で事務の栄子さんが出てきた。出来立てのパスを渡すと許可番号を記録して返した。

「明後日の午前8時に事務所に来てください。車の準備をしておきますから」

「よろしくお願いします」と言って外に出た。

「おい、カズではないか」

振り向くと中学の同級生イサオがタクシーから顔を出して笑っていた。

「おお、懐かしいね。此処で働くことになったのでよろしくな」

「おい、おい、タクシー運転手なんてロクな仕事じゃないぜ。他に仕事は探さなかったのかよ」

「ああ、不景気で仕事も金も無いし、あるのは借金ばかりさ、全く泣けて来るぜ」

二人して声を上げて笑った。

イサオは無線機を掴んで言った

6号車これから向かいます」そう言って窓から手を振って車を発進した。

 保育園で彩夏を引き取って帰宅した。二人で風呂に入り洗濯機を回していると妻が帰って来た。彩夏が裸のまま「お帰りなさい」と言って妻に抱き着いた。「彩夏、寒いからパジャマを着けましょう」と言って妻から彩夏を引き取って着替えをさせながら言った。

「明後日の水曜日から仕事に出る」

「あら、早速仕事なの」

「政叔父さんが俺の為にスペアを採用せずにいたのさ。車を遊ばすわけにもいかないのさ」

「彩夏の送迎を考えないといけないわね」

「勤務日の夕方と勤務明けの朝はエデンの園に行けないな。多分、一日おきの勤務になるはずだ」

「分かった。エデンの園は午前7時から午後6時半まで職員がいるので何とかなるわ」

「すまんな、頼むよ」

「でも、貴方の居ない夜は彩夏に何と言えばいいの」

「お父さんは夜も仕事だと言えばいいさ。毎日朝の送りか夕方の迎えのどちらかに僕がいるのだから」

「そう言う問題ではないでしょう。貴方の居ない夜はあの子が怖がって寝付かないのよ」

「そのうち慣れるさ、お仕事だもんネ、彩夏」

「お仕事、お仕事」と言って彩夏は胡坐をかいた私の膝の上に立って、私の頬を両手でパチパチと叩いた。妻はふっと大きくため息をついて台所に出て行った。食器を洗う音が聞こえた。私は彩夏を抱き上げてベランダに出た。北の空に北斗七星を探しているうちに彩夏がいつの間にか私の胸に顔をうずめて寝息を立てていた。物事は何かを中心に移ろうものだ。不規則に動いているようでいて一つの秩序からはみ出すことも出来ずに。

 

               (4)

 水曜日の午前8時、運行管理者で無線係の清造さんから乗務員の業務内容と手順についての説明を受けた。

「貴方は正社員ではないアルバイト扱いですから売り上げを会社と折半とします。ただし、燃料代は貴方持ちです」

そして記録用紙のファイルを示して言った。

「スタート時の走行数値を此処に記入、その隣に納車時の数値を記入します。この欄に客の乗車時間と場所、同じく下車時の時間と場所だ。

このスイッチを押すと本日の売り上げが円で示されます。ドルで売り上げを払う場合は、その日の為替相場で栄子さんが算出して請求します」

「すごいですね毎日の為替相場が分かるのですか」

「この先の国道329号辺野古橋のたもとに久志農協があるでしょう。入口の看板にその日のレートが載っています。土日は金曜日のレートを使います」

「分かりました」

「ところでつり銭はありますか」

「いいえ」

「それでは、今日は立て替えておきますので、明朝の売り上げから差し引きます」アルミ製の四角い手のひらサイズの弁当箱にも似た箱を渡した。10円玉、100円玉、に交じって25セント玉が数多く混ざっていた。二十歳の頃まではドルが沖縄県の通貨であったので違和感はなかった。ドルと円の札入れも渡してくれた。

「つり銭入れはどこかで気に入ったものを探すと良いでしょう。其処の灰皿の上がつり銭箱を置く台座です。」

引き出された灰皿の上が上手く加工されていてアルミ製の釣銭箱が入るようになっていた。釣銭箱は蝶番で開閉できるようになっていた。一寸目にはシガレットケースにも似ていた。

「タクシーの操作方法は松さんから習うと良いでしょう。松さんチョット来てくれ」乗務員控室に向かって呼びかけた。

短く刈り込んだ白髪交じりの頭と陽に焼けた浅黒い顔は老獪な漁師にも似た風貌があった。只、その大きな眼だけはこの地域の変化に揉まれて生き延びてきた者だけが持つ強さと優しさを湛えていた。

松さんが助手席に乗り込んできて装備を説明した。

「後部座席の左側のドアは運転席の右下にあるレバーを引けば開き、下ろすと締まる」操作してみるとテコの原理が作用しているらしく軽い上下で開閉した。

「客が載ったのを確認してからレバーを降ろしてドアを閉めること。車を発進してから料金レバーを右に倒すこと。目的地に着いたらこのボタンを押して料金メーターの作動を停止する。タクシー代金を貰ってからドアを開いて客を送り出すこと。『ありがとうございました』の返事も忘れずに言うことにしろ。このボタンをもう一度押すとメーターがリセットされて空車の表示レバーが立ち上がる。ここまでが客の乗降の操作だ。簡単だろ」

「ああ、分かった」

「それから右ひざの前にあるスイッチを入れると車外の小さなタップが点滅する。緊急事態発生の合図だ。走行中の全てのタクシーがお前の車に注目するだろう。不慮の事故に遭遇した場合のタクシー同士の緊急信号だ。もちろん他社のタクシー乗務員も注目する。一人で働く者同士の安全対策だ」

「覚えておきます」

 「さて無線機だが。このボタンを押して通話する。離せばこちらからの通信は止まる」

「CB無線と同じ要領ですね」

「そうだな、簡単な操作だ。例えば名護に向かう時にはこう言うのだ。

6号車から本部どうぞ』『本部です、6号車どうぞ』『実車で名護に向かいます』『安全運転で行ってください』『了解です』で交信終了だ。必ず了解を入れて交信を終了することだ」

「了解です」

「それからお前はスペアの乗務員だから毎回異なる車両を運転するだろう。だから何号車かを間違えないことだ」

「分かった」

「そうだ、無線の交信範囲だが、西海岸は全く交信不能だ。南は石川までかな。FM電波だから直進方向のみの交信なのだ。無線アンテナを辺野古の一番高い場所である赤羽屋の屋根の上に設置してあるが、名護岳や恩納岳を超えることは出来ない。その方面に実車で行くときは必ず事務所と交信することだ」

「そうします」

「うちは車が7台しかないからトラブルは皆で対応しなければいけないのだ」

7台とは少ないな」

「最後に、仕事が終わったらガス補給して洗車機を通して室内のごみを拾って7時半までに納車だ。栄子さんが7時には出勤しているから。ガススタンドだが名護は宮里と大北にある。金武町は伊芸だ。石川市内の国道沿いにもある。5時を過ぎたらガスを入れて帰る準備をすることだ。どうせ客のいない時間帯だから。ガス充填するときはトランクを開けろ。燃料バルブを閉めてからガスを充填するから。ガス充填の操作はスタンドの係り員がするからお前はトランクのレバーを引くだけだ。そうそう、燃料代は自分持ちだからな」

「ガススタンドは意外と少ないのだね」

「ガス車自体が少ないのさ。それから車を離れるときはキーと釣銭は必ず持って出ることだ。そうだ、24時間勤務だから昼間の暇な時間帯に仮眠をとることも忘れずにな」

「武松先生、新米にキチンと指導したかな」暇な連中が車中を覗き込んで勝手にアドバイスを付け加えた。

「客が多い時には飯など食わずにノンストップでぶっ飛ばせ」

「休まずに走れば客は拾えるぜ。寝る暇など無いぜ、どうせ明日は一日中寝ることが出来るからな」

「車をぶつけて壊すなよ。この車の相棒が泣くぜ。全車が二人一組だからな」

最後に松さんが言った

「今日は練習日だ。名護でも何処でも好きなところを流してきな。まぁ、明日は間違いなく船酔いしているだろうが。誰でも最初はそうだ。頑張ってきなさい」

私は船酔いの意味が良く分からなかったが、それは確かに翌朝にやって来た。

 久志タクシーは名護市内の他の4社のタクシーとは少し変わっていた。フロントガラスには米軍基地に入ることを許される通行許可証のステッカーが貼られていた。米軍基地のゲートにある標識を模した15㎝程の円形の黄色い鳥居マークのデザインである。トランクのハッチの下部には長さ1m、幅15cmでAUTHORIZED ON BASEと目立つように書かれている。この文字はキャンプ・シュワーブの出入りを中心に営業する久志タクシーと、キャンプ・ハンセンを中心に営業する金武タクシーだけに許されていた。久志タクシーは白とブルーのストライプを基調にした車のデザインである。一方、金武タクシーはレンガ色に黄色のストライプを基調にしたデザインだ。どちらかと言えば久志タクシーの方があか抜けたデザインあると私は思った。

 久志タクシーが他社の車と大きく異なるのは米軍キャンプの通行許可だけではない。車種はトヨタコロナの2,000㏄エンジンを搭載していることだ。他社は1,6001,800㏄のトヨタコロナあるいは日産ブルーバードである。他社がノーマルタイヤを装着しているのに対し、久志タクシーは前輪に185サイズ、後輪はアルミホイルに205サイズのラジアルタイヤを装着している。高速走行仕様の装備である。運転席と助手席はセパレートされており、サイドブレーキレバーの上に左肘を置く肘立てを拵えてある。無論、一般車両の装備品ではなく車の内装工に特別注文して装着してあるのだ。まるでレーシングカーの運転ボックスのような仕様である。ハンドルは革のハンドルカバーで滑り止めとグリップ感を良くしてある。私の自家用車日産バイオレット1,6002ドアハードトップよりも明らかに馬力のありそうな車だ。私がこの車の仕様の意味を知るのは次回の勤務からであった。

 私は再び座席の右下の後部座席側のドアの開閉レバーを操作してドアの開閉具合を確認した。少しぎこちないが苦も無く作動した。そして4段ミッションのギアを1に入れてゆっくりと発進した。事務所の乗務員控室でたむろしている先輩乗務員に右手で敬礼して事務所を後にした。後ろから指笛の音が2度、3度と聞こえた。多分、小僧頑張れの意味であったのだろう。老獪な連中にとって既に失って久しい職業運転手としての新鮮な何かを、私の中に見たのかもしれない。時の流れは小さな感動を押し流し、退屈な日々に埋没することの虚しささえも忘れさせてしまうのだ。それが生きることの不安を隠してくれる人間の本能なのだろう。

辺野古社交街入口のウェルカムタワー

車を発進させて事務所前の急な坂道を辺野古社交街に向かった。赤羽屋前の交差点を左折してバー街の緩やかな坂を更に上ると、辺野古社交街のウエルカムアーチが見えた。その下を通り抜け、右折して国道329号を北上した。私は自分の居住地の名護市街地を流してみようと思ったのだ。本部半島の地理はある程度知っているが、辺野古から金武町にかけての東海岸を通る機会は少なく、この辺りの地理に疎かった。100mほど進むとキャンプ・シュワーブのゲートがあった。守衛の黒人兵に手を振ると白い歯を見せて手を上げた。久志タクシーを知っているようだ。シュワーブの第2ゲートを右に見ながら下っていくと辺野古ダムがあった。キャンプ・シュワーブの水がめである。左側の米軍フェンスに沿って進むと二見の交差点に出た。右へ行くと旧久志村の大浦、瀬嵩、丁間集落があり、その次が東村である。東村慶佐次集落には慶佐次ロランの電波基地がある。船舶用の長波の送受信基地だ。細く高い鉄塔から長いアンテナケーブルがいくつも張り巡らされている。米軍が管理しているが世界中の船が定期発信されている電波を利用して船の航行に利用しているようだ。長波は地球の電離層に反射して地球上をどこまでも飛び跳ねていくらしい。久志タクシーのFM無線とは異なる種類の電波だ。その先は国頭村の広大な原生林が広っている。東村高江集落と国頭村安波集落の境界に米軍の熱帯雨林演習場入口がある。ヘリポート、軍用車両駐車場、簡易宿舎、事務所を備えた陸上競技場程度のあまり広くもない敷地がフェンスで囲まれている。しかし、ベトナム戦争の頃は数千、数万人の兵隊がこの施設をベースにして野戦訓練に出ているのだ。追うものと追われるものとの二手に分かれた実践訓練も頻繁に行われた。その頃は安波、安田、楚洲集落を繋ぐ県道70号線は民間車両よりも軍事車両の往来が激しかったらしい。無論アスファルト舗装も無く、むき出しの赤土道路キャタピラ戦車が走ることも珍しくはなかったはずだ。

 三叉路を名護向けに進むとやがて曲がりくねった下り坂が続いた。私はブレーキを踏んでハンドルを切り返し、加速と減速を繰り返してブレーキ性能を確かめながら下って行った。キャタピラー重機の修理工場の辺りから平坦な道路となり世冨慶集落が現れた。国道58号との交差点で国道329号は終わる。そこを右折してドライブインA&Wの前を市街地に入った。名護市のシンボルツリー樹齢300年のガジュマルの下を通って名護十字路を横切った。左側が名護市公設市場でその端から西へ300mほどの歓楽街、通称みどり街が一本道を挟んで続いている。市場の朝の活気と相反して今は眠りについているようだ。その通りから出て来る者はいない。日の出と共に活動を始める者と落日と共に目を覚ます人種が住み分けている一角だ。繁華街に繋がる路地は人の気配が消えて空気が停滞しており、干潮と満潮の変わり目の潮止まりの感がしていた。私は目をキョロキョロと動かして道路の両サイドを絶えず観察しながらタクシーに合図する人を探した。乗客を拾うのである。心がワクワクした。まるで潮干狩りの浅瀬で銛を持って獲物を探すにわか漁師の心境である。しかし、潮干狩りと同様に容易に獲物に出会うことがない。道路脇に立つ人を見かけるとその手前で減速して私のタクシーの存在をアピールする。その人が反応しなければ加速して次の客を探すのだ。潮干狩りでも獲物と思って銛で突いても、むなしく海藻が絡みつくのはよくあることだ。そこら中に獲物が転がっているような楽な商売など無いのである。私は十字路の商店街から名護高校の横を抜け、白銀橋交差点を左折して再び58号線に入った。名護市営野球場の前から城十字路に向けて左折した。左手に私の実家の屋根の上の丸いブルーの水タンクが見えた。母は父と兄を仕事に送り出した後だろう。洗濯機を回しながらコーヒーを入れて、ニコチンの強い古い銘柄のバイオレットを吸っている姿を思い浮かべた。宮里ソバ店を過ぎてハスノハギリ大木が繁る拝所の木陰を通過する時に、拝所の向こう側の明るい場所に二人の女性が立っているのが見えた。近づくと一人の女性が手を上げた。私は減速して車を客の前で止めた。レバーを引いて開けた後部座席に年老いた女性が乗り込み、その後から付き添いと思しき若い女性が乗り込んだ。

「どちらまでですか」

「名護病院までお願いします」

「分かりました」

私は車をゆっくりとスタートさせた。

「兄さん、ちょっと、ちょっと、ドアが開いています」

若い女性がびっくりした声で言った。

「あら、あら」と苦笑いしながらドアを閉めた。

「開閉ドアのレバーの調子が悪くてすみません」

私は初めての客を拾ったことに緊張してレバーを降ろすのを忘れてしまったのだ。チラリと後部座席を振り向いた時にドアの隙間からアスファルトの路面が見えた。バックミラーに映ったハスノハギリの大木の緑の一群が次第に遠ざかって行った。

 料金メーターが二度反転して県立名護病院に着いた。360円を受け取り、本日の初乗り客を降ろした。人生で初めての客商売の仕事が始まった瞬間であった。メーターを元に戻して大きく息を吸い込み「フー」と長く吐き出した。

 名護病院の構内から出るとすぐに客がいた。客は連鎖するものらしい。後日、客がツキを呼ぶと乗務員仲間から聞くことになったがそうかもしれない。飽きずに雑魚と拾っているとやがて大物がやって来る。それは仕事でも遊びでも同じだ。人生の根底に流れている運・不運と呼ばれるものなのだろう。

 中学生を頭に二人の小学生らしき子供の3人連れだ。ドアを開いて3人を乗せた。水曜日の朝だ。休日でもないので身内が入院しているのかも知れない。

「何処までだい」

「仲宗根まで」

「伊差川廻りが近いと思うのでそれでよいかな」

年長の少年が小さくうなずいた。私は落ち着いてドアレバーを降ろして後部ドアを閉じた。そしてゆっくりと発進した。伊差川、我部祖河、湧川を経て今帰仁村仲宗根に着いた。

「仲宗根に着いたけど、どの辺りだい」

「その先の橋を渡って左に曲がってください」

大井川に架かる橋を渡って左折して二つ目の交差点近くで停めた。闘牛場の近くである。

980円です」と言った。

少年が千円札をポケットから出した途端、メーターがカチリと音を立てて料金表示を切り替えた。1,030円の表示となった。少年はびっくりした顔をした。そしてすぐに悲しそうな表情に変わった。

「あ、ゴメン、ゴメン、メーターが変わったけど980円だからね」

私は千円札を受け取り、お釣りの20円を渡してドアを開けた。子供たちは闘牛場と反対側の路地に急ぎ足で消えて行った。私は少年の表情に心が少し痛んだ。彼らはタクシーの運賃が千円未満であることを知っていて、誰か大人から千円札を渡されたのかもしれない。彼らの手持ち金の全てであったのだろう。子供3人がタクシーを利用することは稀なことだ。バスの運行が少ない本部半島廻りの路線で仕方なく利用したのだろう。私が料金停止ボタンを押し忘れたおかげで子供たちに余計な心配をさせてしまったのである。タクシー料金は走行距離の他に混雑時の待機時間にもメーターが作動して料金が加算されるのだ。私は本日営業を始めたばかりの無知で未熟なタクシー運転手であった。

 昼間は名護十字路を起点に名護病院前、市役所前からバスターミナル前を回り、那覇行きのバス乗り場前を8の字を描く経路で流した。昼飯に沖縄ソバを食べ、農道で立ちションベンをした以外は休みなく流し続けた。昼間の客は少なく、無意味に燃料のLPガスを燃やし続けているだけの気がした。それでも夕方4時半頃から客が少し増えた。買い物帰りの主婦である。220円区間を何度か乗せた。日が陰ってきたころまで続いた買い物客も午後6時過ぎには急に途切れてしまった。昼間の客は終了したようである。国道58号沿いのドライブインA&Wに立ちよりチーズバーガーとルートビアで夕食を取った。外に出ると夜気が既に冷たくなっており、街は暗闇と街灯の明かりのコントラストでデザインされた新しい景観に変わろうとしていた。昼間の総天然色のスクリーンが白黒の色彩変化の乏しい世界へと移り始めていた。それでいてこの世界こそが人の本性が露わになる世界のような気がした。昼間の太陽の光は強く乱反射して人の目を眩ませてしまい物事の本質を隠してしまうのだ。一方、夜は灯りと闇、白と黒、真実と虚構の二者択一を迫って来るのだ。もう少しすれば昼間の明かりでストレスを溜め込んだ浪人共が、目覚めたばかりのみどり街のゲートをこじ開けて盛り場をうろつき始めるだろう。街が新しい姿に代わるのは間もなくだ。

 私は夜の運転に備えてドライブイン駐車場の端に車を移動して仮眠をとった。

40分ほど寝ただろうか、午後7時半に車から降りて屈伸運動を繰り返して膝関節を解した。続いて腰、肩、首、肘とストレッチして車に乗り込んだ。眠気が消えて夜の運転モードに切り替わっていた。財布の中身を確認すると7千円余りの昼間の水揚げであった。

昼寝中の飲み屋街

 エンジンを始動して昼間の8の字コースを少し大回りで周回した。居酒屋から帰宅する客、住宅地からみどり街へ出かける客と少しずつ客の動きが始まった。昼間の動きと異なるパターンである。私は周回コースの半径を次第に小さくしていった。深夜営業のスーパーマーケット・オキマートの横からみどり街の直線に入り、名護市公設市場の前で右折して名護十字路を回って再び入口にも戻るコースをベースにした。周回距離が2㎞にも満たない一方通行路である。タクシー以外の車は酒、氷を配達する酒屋のワゴン車だけだ。この300m程のみどり街のメイン通りには細い路地が川の支流の様に幾つも流れ込んでいて、夜のショッピングモールの本流となっているのだ。名護市内には名護タクシー、八重タクシー、北部観光タクシー、屋部タクシーの4社があるが、夜になるとすべてのタクシーがこの無限回路に集中するのである。

 ローギアでゆっくりと回路に乗って定速で進む。幸運にも酔っ払い客を拾った運転手だけがこの回路から脱出できるのだ。この回路のタクシーはパチンコ台の玉と似ている。回路に侵入したパチンコ玉は運よくチュウリップのポケットに吸い込まれると金になるが、大抵の場合一番下の回収口に吸い込まれて再び入口へと発射されていくのだ。

 私は腹が空くと屋台で買ったフライドチキンを齧りながらひたすら無限軌道を周回した。みどり街の最後の客が帰路につくまでだ。みどり街の酔い客は雨上がりのカタツムリにも似て次々と暗い路地から這い出してきた。それを拾っては全速力で自宅に送り届け、みどり街の軌道に戻るのだ。午前2時を過ぎると客足は少なくなり、タクシーがあちらこちらで停まって仮眠を取り始めた。私も午前2時半に拾った大宜味村塩屋集落までの客を最後にみどり街から離れた。無限回路から脱出して那覇行きのバス停の近くの路肩に車を停めて仮眠を取ることにした。未だ夜と昼の選手交代が始まらぬ繁華街の外れの静けさの中に、ヒンプンガジュマルの巨大な樹冠が月の光をうけて周辺の建物と不思議なコントラストを成して浮かび上がっていた。私は四方のドアをロックしてシートを後ろに倒して目を閉じた。瞼の向こう側で繁華街のネオンサインが幻影となって点滅しており、深い眠りに落ちることも無くただ体を横たえていた。

 意識が完全に闇の中に埋もれてしまう前に誰かがドアガラスを叩いていた。反射的に飛び起きた。すぐ前にタクシーが止まっており、その車から降りてきたらしき男が私を覗き込んでいた。ガラス窓を空けると男が話しかけてきた

「タップが点滅しているがどうかしたのかい」

「えっ、すいません。膝でスイッチを押してしまったらしい」

私は眠気眼で頭を掻いて謝った。

「そうかい」と私より一回り程も年上のその男が笑いながら車に戻っていた。私が新米運転手だとすぐに見抜いたのだろう。それに名護市内ではあまり見かけない久志タクシーということも気になったのかもしれない。名護タクシーとタップに表示されていた。

名護市のシンボルツリー、樹齢300年のガジュマル

 私はシートを元に戻してエンジンを掛けた。東の空がわずかに明るくなり名護岳の輪郭が見え始めていた。ヒンプンガジュマルはしっかりと存在を浮かび上がらせていた。その下を通過して東江十字路を右折して商店街を周回して名護十字路に戻って来た。夜が鳴りを潜めて朝が立ち上がり始めているようであった。私は初仕事が終わったのを理解して大北ガススタンドに向かった。街並みがおぼろげに姿を現した。既に昼が夜の背中を押して立ち上がる儀式が始まっていた。

 私はスタンドのガス注入ボックスに車を横付けして、釣銭箱を手にトイレに立った。数歩進むと体がふらついた。トイレから帰って来るとふら付きが治まっていた。ガス料金を払って車を構内の隅に移動して、トランクから雑巾を出して車体とシートを拭いた。ハンドルを握って車を発進すると完全に意識がはっきりとして先ほどのふらつきは消えていた。あれが松さんの言った船酔いかもしれないと思った。私は乗客を拾う視線を歩道に送ることも無く名護市街地を通り抜け、世冨慶集落から国道329号の坂道を登って行った。そして20時間ぶりに事務所に戻った。

 事務所で水揚げを計算すると32千円で、走行距離は320㎞であった。記録用紙と釣銭箱を栄子さんに渡した。そして水揚げの半分を貰った。

「お疲れ様、明後日もお願いね」と彼女は言った。事務所の外では仕事が終わった乗務員が車を磨いていた。松さんが近づいてきて言った。

「どうだった」

「うん、あんたが言ったように、先ほど給油していると軽く船酔いがした」

松さんが大声で笑った。走行距離や水揚げを話すと

「名護市内ではその程度だろう。次は外人相手に運転すると良いだろう。久志タクシーは外人相手のベースタクシーだから」そう言って再び笑った。

帰り支度をしていたイサオが言った。

「おいおい、久志タクシーが名護市内を一日中流すと他の会社のタクシー運転手から睨まれるぞ。お前も怖いもの知らずだな。次は昼だけにしときなよ」

イサオは大きなあくびをして「お先に」と言って気怠そうに歩いて行った。私もつられるようにその後に続いて歩き出した。朝の無垢な光は私の瞳の中に無造作に入り込んで来た。視界が不鮮明な黄色の明かりで遮られ、慌ててポケットからサングラスを取り出した。私はふと自分が未だ夜の世界に馴染んだままでいる様な感覚を覚えた。

愛車の日産バイオレットのエンジンキイを回すとガソリンに点火してエンジンが穏やかに回転を始めた。24時間ぶりに目覚めたエンジンはファンベルトをキュルキュルと鳴らした。アクセルを二度、三度と踏んでエンジンを吹かすとタコメーターが跳ね上がった。濃厚なガソリンの臭いを含んだ排気ガスが辺りに広がり、その臭いが私を現実の世界に戻してくれた。ゆっくりとギアを入れて赤羽屋の坂を登り始めた。この仕事のオンとオフが入れ替わるのを感じてホッとした。ふと彩夏は何事もなく保育園へ行っただろうかと心が疼いた。

 

              (5)

 この日の車は5号車である。記録用紙に発車前の必要事項を記入していると、松さんがやってきて早速外人相手のレクチャーを始めた。

「タクシーメーターの料金をドルに換算する場合は1ドルを200円で換算すること。正式ルートの1ドル280円で換算すると5セント単位でお釣りを渡すことになる。面倒くさくてかなわん。300円前後は1ドル50セントのダーラー・フィフティだ」

「随分とアバウトだね」

「相手が何か言ったらこの紙を見せるとよい」

運転席の日よけからラミネート加工した書類を取り出した。キャンプシュワーブの司令官と取り交わした覚書の写しである。交換レートを1ドル=200円とすると英文で書かれているらしい。

「シュワーブのゲートを入ってしばらく下っていくと僕らのタクシー待機場所がある。そこがスタート場所だ。

「ああ、分った。後で行ってみよう」

「オット、ベース内は時速20k以下の走行だぜ」

「ほう、随分とゆっくりだね」

「奴らもネズミ捕りレーダーを使うぜ。あのプロ野球で使っているハンディタイプのスピードガンだ。大抵はUSOを過ぎてからの下り坂で計測するから」

「何だかせこいね」

1度捕まると1カ月間のシュワーブへの出入り禁止だ」

「分かった。覚えておくよ」

「僕らの場合、ベースの外でもネズミ捕りの場所を無線で知らせている。『浄水場付近無線感度1です。注意してください』とな。パトカーが巡回している場合は感度2だ」

「それは嬉しいな」

「それとそのフロントの小さな計測器はネズミ捕りセンサーだ。警察のネズミ捕りの電波は随分離れた距離からキャッチしてピッとなるから。但しベース内のスピードガンには反応しないからな」

「一昨日、名護市内でも鳴ったぜ」

「ああ、店の自動ドアにも反応するのが欠点だ。そんな場所では高速走行しないから大丈夫だ」

「オーケー、無線交信に注意するよ」

「最近開通した金武大橋と久志の浄水場前の直進はちょくちょくネズミ捕りをしているから昼間の走行は要注意だ」

「そうかい、後でチェックしてみるよ」

「土、日以外の日は午後4時以降にベースに入ると良いだろう。普段の日は訓練があるから昼間にタクシーを利用する兵隊はいないからな。国道329を流したり、名護市内をぶらついたり、適当に昼寝をして無理せずに夜の運転の為の体力を温存するのさ」

「それでベテランのオジサンたちはモクマオの木陰で寝ているのだね」

「そんなところだ。昼間は適当に稼いでくれ」そう言って松さんは釣銭箱を手に自分の車に向かって歩いて行った。

ブーメランと呼ばれる坂道(現在は迂回路の橋が架かっている)

 私は辺野古川沿いの谷間にある事務所から集落内の狭い路地を駆け上がり、辺野古社交街のアーチの下を通って国道329に出た。大半が漁師と軍作業員で構成される人々の集落は閑散としている。左折して国道329号を南に向い、ブーメランと呼ばれる辺野古坂を下った。坂の頂上と谷底の高低差が50mもあるのだ。谷底に信号機があり、青になるタイミングを見計らってアクセルを踏み込むのだ。そして一気に豊原集落の坂の頂上に向かうのである。そうすればギヤチェンジをせずにトップギアで何とか駆け抜けることが出来る。ブーメラン坂と言われる所以である。荷物を満載したダンプトラックは坂の上で減速して青で走り抜けるタイミングを計るのが常だ。不用意に谷底で信号待ちをすると、急坂で黒煙を上げながらローギアで必死に登る羽目になるのだ。もっとも深夜の信号は黄色の点滅に変わるのでノンストップで駆け抜けることになる。豊原、久志の集落の外れにある浄水場を右に見てさらに進むと潟原の交差点に出た。右の県道71号に進むと本島西海岸を南北に走る国道58号だ。私は赤茶けた潟原の広大な浅瀬を左に見て更に南下した。敗戦前の豊かな浅瀬の漁場は、国道329の西側に広がる米軍の戦車訓練場から流れ込んだ土砂で赤く染まっている。米軍の水陸両用艇は陸と海を往来して、トライアルサーキットの如く走り回るのだ。踏み鳴らした大地から噴き出した血潮が清楚な海を赤く染めるのである。此処は紛れもなく殺し屋達の為の訓練場なのだ。

水陸両用車が干潟を出入りするための登坂道

 潟原から宜野座村松田の集落までは緩やかなカーブが続く登り坂である。アクセルを踏み込んで駆け上がった。おそらく逆コースでは高速で一気に駆け抜けるラインだろうと思った。帰りのコースは相当にスピードが出るだろう。松田集落の端から緩やかに下り坂となり、やがて急勾配の窮屈なS字カーブが連続した。私はギアを落としてエンジンブレーキを効かせ、ブレーキとアクセルを小刻みに踏み分け、減速を極力抑えるコーナリングのタイミングを確かめた。ハンドルを左に切って谷底の宜野座川に架かる橋に車体を突っ込むと一気にアクセルを踏み込んだ。後輪が悲鳴を上げてアスファルトを噛んだ。登りの直線ではアクセルを幾ら踏み込んでも車の尻がスライドすることはない。後輪にエンジンの駆動を伝えるワイドラジアルタイヤを装着しているからだ。

s字カーブ坂の入り口(現在は右方向に直線の橋が架かり国道ではない)

宜野座川の橋からの登り坂の頂点を少し下ると道路のすぐ右に宜野座高校がある。ゆっくりと下って再び登った頂上が高速道路の宜野座インターの出口だ。左に惣慶宮の松林と宜野座中学の白い校舎が見える。そこから緩やかなカーブを下る途中の左側に真新しい東海病院がある。その下り坂を降りると漢那小学校のモクマオ並木が続く。600m程の僅かにカーブした直線から福地川を渡り、L字型の急カーブとなった緩やかな坂を登ると金武町中川集落に出る。アップダウンのコースの終わりだ。億首川の谷間に最近開通したばかりの金武大橋がかかっていて、キャンプハンセンまでは丘陵地帯を進むのである。

金武大橋

橋を渡ると県道104号との交差点があり、右へ行くと喜瀬武原を通って西海岸の国道58号へと続く。橋を渡ってしばらく進むとキャンプハンセンの第二ゲートがある。その辺りから金武町の集落が密集している。敗戦直後に集落の西側の平地は米軍に接収されてしまい、追い出された人々が東側のブルービーチの海水浴場へと続くなだらかな丘陵地帯に居住地を構えているのだ。両側に商店の続く金武町のメインストリートを1㎞ほど進むと第一ゲートが現れ、そこから伊芸集落へと下って行き、国道329号は平坦な砂浜の海岸沿いを石川市へと続いている。

 第二ゲートから集落に向かって200m程進むと、右側に辺野古社交街と同じ形状の看板が小さな路地の入口に建っている。牛庭社交街と書かれている。牛庭(ウシナー)とは闘牛場の意味である。この辺りの古い地名で闘牛の盛んな地域である。宜野座村から金武町に住む地元民の歓楽街だ。米軍人は第一ゲート向かい歓楽街を利用している。第一ゲートの向かいの歓楽街には質屋、洋裁店、ビリヤード、タコス、ハンバーグの軽食店、バー、キャバレーがひしめいており、中でもサングリアという大きなクラブがこの一帯の中心的享楽場所となっている。

昼寝中のクラブ・サングリアとその周辺の繁華街

 私はゲートを過ぎて消防署の前を左折し、歓楽街の路地へゆっくりと車を進めた。雑多な異物を飲み込んだクジラの胃袋の中のようなこの一角は、未だ眠りについたばかりであった。私はパンドラの箱を空けぬように静かにクジラの口から外に出た。石川警察署金武派出所の横を右折して辺野古に向かった。キャンプハンセンからシュワーブまでの間の道路の形状を確かめながらゆっくりと走った。漢那小学校前から宜野座村役場まで一人の客を乗せた。帰りのコースは比較的に運転が楽であった。宜野座川から松田集落にかけての急カーブも登りは苦にならないのである。

 潟原の交差点で初老の女性4名を拾った。

「兄さん、本部の海洋博公園までお願いします」

5号車潟原から海洋博まで実車で向かいます」

「了解」昼間の無線係を兼ねている栄子さんの声がした。

県道71号を許田集落に向かって走った。

「水族館とイルカショーの見物ですか」

「そうですよ。兄さん、こないだテレビでイルカの番組を見たけど、イルカって頭がいいのね」

「ほら、フリッパーというテレビさー」

「ああ、人気のあるドラマですね」

「人間の言っていること全部分かるのだよ。すごいねー」

県道71号を右折して国道58号を名護市内に向けて進んだ。

ご婦人の一人が言った。

「名護の人って野蛮人だねー」

「どうしてですか」私は面白そうに尋ねた。

「だってさ、あの頭の良いフリッパーを殺して食べるのでしょう」

「名護の人はヒートゥの肉と言っているらしいですね」

「なによ、人(ヒート)の肉と言ってるの。本当に野蛮ね。兄さん何処の人ねー」

「屋部の旭川集落生まれです」雲行きが怪しくなりそうで母の実家の地名を言った。

「旭川って何処ねー」

「ほら向こうに見える一番高い山、嘉津宇岳の麓ですよ」

「兄さん、名護の人と友達したら駄目よ。野蛮人になるから」

ハハハと私は力なく笑った。ちなみに名護の漁師が捕獲するのはオキゴンドウクジラである。イルカは賢くて捕獲が難しい上、肉が不味いので漁の対象では無いそうだ。

採石場の横を通るとご婦人方は珍しそうに岩肌のむき出した採掘跡を指差して何やら話していた。30分ほどで海洋博公園の中央ゲート駐車場に着いた。

「帰りはあそこに本部タクシーが止まっているからそれに乗って帰るといいですよ」

「ありがとう。午後1時に娘がここに迎えに来るから本部のソバを食べて帰るさー。兄さんバイバイ」元気なご婦人方だ。私は苦笑して車を出した。料金は4名で500円ずつ出し合って払った。バス代よりも安くついたはずである。

 日差しが強くなり始めた。ポケットからレイバンのサングラスを取り出して掛けた。黄色いレンズのシューティング用だ。私の以前の会社勤めは国頭村の果樹園の管理であった。出没するイノシシの駆除にレミントンM870を使っていた頃の名残だ。退職してからは秋の羽地水田の収穫後にカモを撃っていた。このサングラスをタクシー運転に使うとは夢にも思わなかった。

 名護市内を午後3時まで流して事務所に引き上げた。事務所前の水道で雑巾を洗って採石場前の道路で付いた泥をふき取っていると、細い目をした小柄な義信さんと大柄な賢雄さんが近づいてきた。

「海洋博まで行ったのか」

「採石場の前を通ると砕石粉を巻き上げてダンプとすれ違うので車が汚れてしまうね。県道84号の伊豆味周りにしたいけど、お客さんが採石場周りを望むから仕方ないね。」

「どちらも走行距離は同じだがな」と賢雄さんが言った。今帰仁村に住んでいるので道路事情に詳しいのだ。

「賢雄、モクマオの下で休んでばかりでは客が来ないぜ、タクシーは走らせて金を稼ぐ道具だから」ビーバーのようなおどけた顔で笑いながら言った。

「分かりました先輩、赤羽屋経由でキャンプシュワーブまで巡回します」

「了解、カズさん俺らもシュワーブの待合場所に移動するか。此処にいてもしょうがない」

「車を拭いてから行きます」

私はしばらくしてからシュワーブのゲートに向かった。ゲートでは小柄な黒人兵がカービン銃を持って立っていた。私は少し緊張したが右手を軽く上げて何気なくゲートを通過した。通行パスは運転免許証と一緒に尻のポケットにしまってある。トラブルでもない限りパスを見せることは無いのだ。門衛にとっても見慣れた久志タクシーであるし、フロントガラスの右上の通行ステッカーも目立っているのだから。

キャンプシュワーブのゲーと(現在は基地内の埋め立て工事の都合で出入りする民間工事車両のチェックの都合上から、国道への出入り口は日本の警備会社が請け負っている。基地内のゲートは米兵がガードしている)

 ゲートからは50m近い幅の道路が下り勾配で海まで続いている。道路は水平に近く道路の両サイドへの排水勾配が全くない。まるで緊急時の滑走路の様だ。センターラインの遥か先に砂浜が見え、その先の沖のリーフで白波が立っていた。USOと呼ばれる基地内スーパーマーケットの近くからゆっくりとした下り坂となり左側に3階建ての兵舎が並んでいた。途中に80mサークルの広場があり、ブラックフォークと呼ばれる野戦用ヘリから、5人の兵士が一本のロープで宙吊りになって訓練を受けていた。その先の右側の砂浜に近い場所に体育館、映画館、カジノやらの娯楽施設が立っていた。僕らはその近くに車を並べて停めた。隣の建物はウエイトトレーニングジムらしく、時折バーベルを取り換える際の乾いたカランという音が聞こえた。

 宙吊りの兵士の訓練を見て、

「あれは落ちないものかね」と私が言いうと

「以前にあれが落ちてな。1週間ばかり僕らはシュワーブへの出入りが止められたことがあったな」と松さんが言った。

「そういえば、随分前にあったな。ベトナム戦争の終わり頃の事だったな」と賢雄さんが言った

 最後尾に停めた私の車に近づいてきて義信さんが言った。

「アメリカーが、『班長、ハウマッチ、ハンセン』と言うから、『テンダーラー、オッケー』と答えるのだ」

「それだけですか、メーターは関係ないのですか」

「もちろんウチナンチュ(沖縄)客と同じくメーターは作動させるさ。アメリカーにレートは解らないし、みんな統一した料金だ」

「了解、そうします」

「ゲートまではゆっくりと走って、国道に出たらアンタが飛ばせるだけアクセルを踏んだらよいさ。前の車に追突しない程度にな」

「了解です」

12分では金武のバー街に着くから、そこで客が居れば拾って、いなければ此処に戻って待つのさ。午後10からは金武のバー街で待機。シュワーブに戻る兵隊を乗せるのさ。その繰り返しさー」

賢雄さんがそばから口を挟んだ。

「金武のバー街からハンセンの部隊の中までは1ドル50セント、ダーラー・フィフティだ。簡単な料金だろ」

5セント、10セントのお釣りは要らないのですね」

「あたりまえだよ、計算機をもって運転が出来るかよ。大抵はキープ・チャージと言って釣銭の50セントを受け取らないから。アンタのチップだ」笑いながら言った。

陽が陰り始めた頃、一人の婆さんが僕らの前を横切った。義信さんが声を掛けた。

オバアサン、相変わらず元気だね」

「オバアサンとは誰ね」と周囲を見渡し、僕らを睨み付けてゲートに向かって去って行った。

「あのお婆さんは娯楽施設の床掃除を終わると、ゲームセンターのスラグマシンで遊んでから帰るのさ。タクシーはめったに乗らないぜ」

70歳過ぎと聞いたぜ。孫の世話とか他にやることは無いのかね」賢雄さんが沈んだ声で言った。

戦闘ヘリ・ブラックホークでの宙吊り訓練は既に終わったのであろうかホバリング音は消えていた。久志岳に夕日が隠れると東の海岸から潮騒がはっきりと聞こえ始めた。

 あたりがすっかり暗くなった頃、Tシャツにジーンズ姿の若い兵士が次々とやって来た。いつの間にか私の後ろに付けていた松さんが言った。

「ほれ、お前の番だ。賢雄さんについて行きな」

私は義信さんのアドバイス通り「テンダーラー、オーケー」と言って3名の若い兵士を乗せエンジンを始動した。久志タクシーが隊列となってシュワーブの坂をゲートに向かって登り始めた。まるでF1レースのスタート前の予備走行に似ていた。その中に私の5号車も混ざっていた。

 客の若者たちは兵士の気配がせず、そこいらの学生寮から飛び出してきた健康的なヤンキーである。ベトナム戦争が終結して既に7年が経っており、米兵が派遣される国際紛争は発生していなかった。紛争の火種は既に発生しているだろうが、プロの殺し屋集団が大挙して参加するお祭りは、大火となって米国の身勝手な大義名分が発令されてからだ。この時期の新兵達を見ていると米国内の失業対策によって入隊したかのようであった。ゲートを出るときに若者たちは窓から手を振って歩哨の兵士に奇声を飛ばした。英語の解らない私でもこれから遊びに行く者たちの優越感がその奇声から聞き取れた。

 ゲートを左折して辺野古川の谷底まで下り、そこから豊原集落まで登っていく直線である。向かいの豊原側の丘の上から点灯を始めた幌付きの大型軍用トラックが次々と姿を現して降りてきた。目を光らせたカーキ色のカブトムシはギアをシフトダウンする度に運転席の屋根の上まで伸びたマフラーの排気口から黒煙を吐き出した。夜がゆっくりと目覚め始めたようだ。タクシーは時速60㎞の穏やかな速度で南下していた。「急ぐことは無い」。夜は始まったばかりだと先輩車両が私に語り掛けている気がした。私は車間距離を30m以内に保ち、一般車両が割り込まぬように付かず離れずに追いかけた。宜野座川に降りる曲りくねった坂道も気にすることもなくゆっくりと通り抜けた。帰宅を急ぐ車両で国道329号は珍しく賑わっていた。時折石川警察署のパトカーが警告灯を点滅させてすれ違った。タクシーをキャンプハンセン第一ゲート向かいの繁華街の交差点で停めた。助手席の若者が10ドルを渡した。左奥のシャングリアのネオンが点滅しており、卑猥なクジラが口を大きく開いて夕食をねだっていた。繁華街は目覚めのカーテンを開けて客を迎え始めたばかりだ。米兵の姿は疎らである。私は最初の餌をサングリアの女王様とその取り巻きの女たちに運んだのだ。僕らは餌の運搬を始めたばかりだ。私は先輩車両を追って右折してキャンプシュワーブに引き返した。

 僕らはせっせとキャンプシュワーブから餌を運んだ。白い者、黒い者を別々に運んだ。白人と黒人を取り混ぜて運ぶことは無かった。夜の色が濃くなるころから僕らの配送速度は速くなった。午後8時を過ぎると通行車両が少なくなり、集落の住宅地を抜けると一気に加速した。対向車は久志タクシーのタップを屋根に載せた車だけだ。フロントの空車を示す赤い表示と実車を示す緑のランプが奇妙に目立った。片側1車線の直線で同僚の車とすれ違うたびにブンという高速走行車両の風圧にも似た音が響いた。スピードメーターが時速90㎞を指していたが。私はスピードを感じることも無く、只、先導車両についているだけだった。片道12分の運搬時間が10分に縮まっていた。午後9時まで僕らは女王様の餌をひたすら運び続けた。

 午後9時から10までが潮止まりで僕らの休憩時間だ。ベース内の米兵は出尽くして、今はこの辺りのバーやディスコで騒いでいる時間帯である。僕らは近くの屋台からフライドチキンやハンバーガーを買ってで夜食とした。ハンバーガーに人気があった。分厚いひき肉に輪切りの玉ねぎとチーズを挟んだだけの単純な作りであるが、米兵好みのスパイシーな味とボリュームは名護市内のドライブインA&Wでは味わえない美味さである。12ドル50セントのハンバーガーと缶コーラで私の胃袋は十分に満足して翌朝まで何も要求しなかった。

 午後10時を過ぎると金をむしり取られて店から放り出された若造共が通りをうろつき始めた。しばらく仲間同士でふざけあっているがタクシーでベースに帰るのが常である。キャンプハンセンの宿舎に歩いて帰る者は少ない。1ドル50セントで帰ることが出来るのだ。一人50セントのワリカンである。ハンセンは広大な敷地である。ハンセンと金武の繁華街の往復は金武タクシーが専属の如くに配送していた。僕らの仲間はベース内での低速走行を得意としていなかったし、車自体も低速域よりも高速域でのエンジンの回転がスムーズであった。新車の頃から高速運転を日常にしている車の特徴である。トップギアの回転がスムーズになるのは時速60㎞を過ぎてからである。車は2か年ごとに交換していた。一日450km以上を走らせると1年では16万キロ以上を走るのである。

自家用車両の一生分を2年で走るのだ。見た目以上に足回りやエンジンが摩耗してしまうのである。

 僕らは夕方から空車で走ったラインの逆コースを今度は実車で走るのだ。酔っ払いの帰宅コースである。酒の入った若造共はテンションが上がっており、一般車両を追い越すたびに奇声をあげた。とりわけ米軍のMPジープを見ると「班長ゴー、ゴー」と言って追い越しを促した。私が短い直線でアクセルを踏み込んで時速100㎞で一気に追い越す瞬間に、窓から手を出して中指を一本立て何やら罵声にも似た雄叫びを上げた。そして私の左胸のポケット1ドル札を押し込んだ。

 私は米兵を相手にすることなくひたすらハイライトのビームに浮かぶセンターラインの先の変化を注視した。未だ光届かぬ先の闇の中からいつ飛び出すか分からない魔物の出現に意識を集中する必要があった。白いセンターラインが見開いた両眼の瞳孔から後頭部へ途切れることなく通過していった。私は今朝出がけに松さんが言ったことを思い出した。

「僕らの会社の運転手が事故で怪我をすることはめったに無い」

「ほう、安全運転優良者の集まりとも思えませんが」

3名ばかり大きな事故を起こしたが、怪我ではなく即死だった」

「はあ・・・」

「お前もハンドル操作が出来る範囲でアクセルを踏むことだな」

「はい」

「本当の事だぜ」と声を落として義信さんが言って続けた。

「最後に死んだのが辰雄さんだったな。確か松田の谷底の宜野座川を飛び越えて向かい川岸のコンクリートに激突だったさ」

「こないだ3年忌だった。タクシーが20mは飛んだな」

「気をつけろよ、兄さん」義信さんが細い目を更に細くして私を脅すように言った。

 私は対向車の発するライトに注意しつつ、高速で狭く感じる道路のセンターラインを少し跨いで不意な障害物に対応できるように走行ラインを取った。片側1車線では車のコントロールに余裕がなかった。それでも松田から宜野座川の川底かけてのカーブが連続する下り坂では、205の後輪ラジアルタイヤがジリッ、ジリッと滑るのがハンドルに伝わった。その度に股間がキュッと縮み上がった。米兵を降ろすたびにシート下からタオルを取り出して、ハンドルと手のひらに付着した脂汗を丁寧にふき取った。信号機が点滅に変わる深夜には、配送時間が片道8分まで短縮していった。

 午前1時ごろから客足が減り始めて午前2時半を過ぎると手持ちぶたさで仮眠をとるのが常のようだ。私はホステスを石川市と金武町の境界に近い市営団地に送った後、伊芸のガススタンドで給油と洗車を済ませてから繁華街に戻った。仲間の車両は既に去っていた。繁華街のネオンは既に消えていて眠りの時刻を迎えていた。私はゆっくりとクジラの胃袋にも似た雑多な看板の下を通り抜けた。フロントパネルの時計は午前5時を少し過ぎていた。国道329号を北上して辺野古の事務所に向かった。タクシーメーターを回送表示にして宜野座の集落を通過した。村々に人影は無いが、確かな人の気配がうごめき始めていた。既に夜の喧騒が闇の寝床に吸い込まれてしまい、新たな光の乱舞が始まろうとしていた。私は豊原集落の丘から急ぐこともなくゆっくりと下って辺野古橋を渡って右折した。2階建ての久志農協ビルは未だ眠りの中にいた。その横を抜けると久志タクシーの瓦葺の小さな事務所である。駐車場には運転手の居ないタクシーが寝ぼけた顔つきで並んでいた。私は7台目の最後の車をその隣に並べた。7台の車を15名の乗務員で乗り回すのである。事務所には清造さんが待っていた。事務所で売上金を清算した。メーター料金が42,530円、走行距離470㎞であった。売上金額が6,530円と210ドルであった。米兵相手のタクシードライバーの初めての業務が終了した。辺野古坂を登ると東海岸はるか先の太平洋の水平線が赤く染まり始めて新しい一日が動き始めていた。私は朝の景色が前回と少し変化しているのを知った。

                 (6)

 午前8時、私は雑貨店赤羽屋の前から女子高生を乗せての名護高校に向かっていた。前に一人、後ろに4人の5名の乗り合いだ。一人当たり200円でバス料金の合計より少しばかり安いようだ。尤も彼女たちは予定のバスに乗り遅れただけにすぎない。タクシーを利用することはめったに無いのだ。大抵は定期券で通学するか、知り合いの大人の車に便乗しているのが常だ。二見交差点をから世冨慶集落に続く下りの急なカーブで車体が揺れるたびに奇声を上げた。若い女の子の体臭いが車内に漂った。高校生ともなると立派な大人である。洗い髪のシャンプーの香りに混ざって若い雌の匂いを発散している。女生徒は集団の勢いで私に突っかかって来る。

「この兄さんの運転怖いさー」等と勝手なことを大声で話して楽しんでいる。何しろ箸が落ちても笑い転げる年ごろの女の子達である

右折して58号線から市内に入った。東江十字路の信号機の前に警察官が立っている。東江小学校の子供たちの登校時間に合わせて交通指導をしているようだ。

「警察官が交通誘導をしている。誰か後ろの一人は伏せておきな。定員は4名だから捕まっちまうぜ」

「ええ、うっそー」

「捕まったら遅刻だぜ。俺も罰金だしな」

小柄な一人が他の生徒の膝に伏せた。その上にカバンを乗せて隠した。

「ついでに息も止めておきな」私は冗談を言いながら警察官の横をすり抜けた。バックミラーに映った警察官の姿が十分に小さくなったのを見届けてから言った。

「もういいぜ」

「はぁ、死ぬかと思った、息が止まって呼吸困難になったじゃない」車内が爆笑に包まれた。名護高校の100m手前で車を停めて200円ずつ受け取り、20円の釣銭を助手席の女の子に渡した。

「ありがとうございました」と丁寧に頭を下げて出て行った。私はUターンするために後続車両が通過するまで女生徒を眺めていた。遅刻しそうだと話していた割には急ぐでもなくお喋りをしながら校門に入って行った。10年と少し前には私もあの門から通学していたはずだが、退屈な日々であった記憶しか残っていなかった。若い女の子の体臭が社内に残っていた。普段の夜間走行ではシャングリア帰りの黒人兵の体臭に耐えられず、窓を開けて走行するのが常であったが、今朝はその必要もなかった。

 朝の市街地は活気があり、4回ほど近距離の客を運んで10時に世冨慶の坂道を登って事務所前に戻った。坂の途中に事故車があった。左カーブの壁に接触してた車は、排水溝に脱輪してフェンダーが潰れていた。事故処理は終わっており大事に至った様子でもなかった。

「名護迄お客さんを運んだのか」

「女子高生を5名乗せたが、騒々しい連中で全くかなわんぜ」

「定員オーバーだが、女子高校生なら6人まで乗るさ」

「世冨慶の坂で事故があったよ」

「あの下り坂は注意しないとな。山陰で陽当りがわるいだろう。雨が上がっても路面が乾き難いのだよ。」

不意に事務所のガラス窓が開いて栄子さんの声がした。

「義信さん電話があったわよ」

「なんだ」

20分後に名護市内のレストラン大阪屋の前でお客さんが待っているって」

「カズさん、アンタが名護の話をしたのから、僕に運が回って来たみたいだ。ありがとよ」と言って車を出した。

「あれは長距離客ね。義信は名護市内に年寄りの知り合いが多いから。それに知り合いには割引料金で載せているだろうから」

私が怪訝そうな顔をすると隣から松さんが言った。

「どうせ昼間は暇だし、3割引きで那覇まで行っても元は取れるさ」

「へぇ」

8,000円の約束をすると料金メーターをそこで解除して回送に切り換えるのさ。まぁ、違法ではあるがな」

「そりゃそうだよ」

「でも、あのタクシーはあいつが400万円で権利を買っているのさ。ある意味でオーナーの特権だな」

「個人タクシーでもないのにタクシーの権利が買えるのかい」

「会社と彼との共同経営と言うことかな。これも法律違反だがナ」

「彼は特別ですか」

「そんなことは無い、7台の全車両に持ち主がいるのさ。俺も政兄さんもそれぞれ1台のオーナーさ」

「そんな仕掛けもあるのか」

「なんだったらお前も1台買っておけば。増車の申請中だから」

「考えておくよ。その前に奨学資金を返さなくてはネ」

「そうだな、借金は返さなくては」

再び栄子さんが声を掛けてきた。

「松さん、あなたの好きな千代さんが赤羽屋の前で待っているってサー」

「あの博打バーさん、今日もスラグマシンで遊びに行くつもりだな」

「大した金持ちにも見えないが」

「あのバーさんはシュワーブ内に沢山の土地を持っているそうだ。亡くなった旦那が市会議員をしていたので未だにシュワーブ内の将校に顔が効くのさ。子供がいないので唯一の楽しみらしいぜ」

「松さん、千代さんが待ってるヨー」栄子さんが大きな声で促した。

「はい、ただ今出勤します」

松さんは笑いながら車に乗り込んだ。

「おい、今日はペィデーから最初の週末だ。米兵共は金を持っているぜ。昼間は体力温存だ」

「オーケー」

 兵隊の給料日のペィデーは毎月、1日と15日である。この頃の兵士は戦力としての兵士では無く、兵力としての兵士の数合わせであった。米国は兵士の数を兵力として世界にアピールしているのである。一定量の兵士の数を保つために失業対策並みに兵士を募集しているきらいがあった。地域紛争に派遣される機会もなく、訓練で命を落とす確率は一般社会の建設労働者の業務上過失致死の確率並であろうか。彼らはベースにいる限り衣食住は無料だ。おまけに給料を貰っている。ベース内の日用雑貨を扱う雑貨店USOの商品は全て免税品だ。その他にレストラン、映画館等の娯楽施設まで全て揃っているが高級品ではないだけである。兵士として質実剛健な生活ではあるが、雄狼を集めた集団がおとなしく群れるわけがない。息抜きの金を手にする給料日が毎月2回もあるわけだ。サラリーマンの毎月1回の給料日と本質が異なるのである。金を手にすると女を求めて夜の繁華街で羽目を外し、ベース内のレストランではなく市内のレストランで神戸ステーキを注文するのだ。半月の給料を使い果たすとベース内でおとなしく過ごし、次の給料日を待つのである。本国から遠く離れた異国の小さな島で暮らすストレスを、半月ごとに放出する術を彼らなりに心得ているのだ。その恩恵に与るのが兵隊相手の社交街と運搬係のベースタクシーである。兵隊は食うのに困らないのでペィデーの週内で給料の殆どを使い切ってしまうようだ。それ故、金曜日がペィデーだと日曜日の晩までにそのほとんどを散財してしまう。次の週からはタクシー利用者がガタ落ちするのだ。毎度のパターンだ。

 米兵のタクシー利用の多いペイディ直後の週末は、7台の久志タクシーで多くの兵士を運ぶことは出来ない。シュワーブとハンセンの間には黄色い車体の米軍専用バスが運行しているが昼間の間だけだ。僕らは7台の車を駆使して往復25分で21名の客しか運べないのだ。僕らのタクシーからあふれた客はゲートの前で名護市内からやって来た屋部タクシー、名護タクシーを利用するのである。彼らのタクシーはAUTHORIZED ON BASEの表示が無い。いわゆるベースタクシーではないのであるが、この日は通行許可証を持たない他社のタクシーが僕らの獲物のおこぼれをかっさらっていくのだ。但し行きだけである。帰宅する時に他社のタクシーに乗ることは無い。ほろ酔い気分のままゲート前で降りて広いベース内を歩いて宿舎まで帰る兵士はいないのだ。他社のタクシーも心得ていて午後8時以降は名護市内の繁華街へ移動していくのである。週初めのペィデーは小出しではあるが断続的に僕らに仕事を出してくれるのである。今日はペィデー最初の週末である。若造共が一気にエネルギーと金の放出する夜だ。

 午後630分、太陽が久志岳に隠れた頃、ジーンズにTシャツ姿の若者たちがタクシー乗り場に集まって来た。

僕らは次々と彼らを運んだ。それでも彼らは次々と兵舎からやって来た。最後の久志タクシーが出てしまうとゲートに向かって歩き始めた。他社のタクシーを拾うためである。3階建ての白い兵舎が規則正しく配置されたベースの一角はまるでスズメバチの巣である。30m間隔で兵士を乗せた3社のタクシーが金武町の繁華街目指して走った。僕らは競い合うでもなく淡々と往復を繰り返した。次第に夜が深くなっていった。そしていつもの様に運搬作業は一時停止した。つかの間の休息の後にキャンプシュワーブへの返却運搬が始まるのだ。金武タクシーと久志タクシー以外の車両は既に消えていた。

 僕らはハンバーガーやフライドチキンをコーラで胃袋に流し込みながら雑談にふけって潮止まりを過ごすのだ。今は夜の満潮時だ。やがて引き潮になって潮が動き出す。それまでは釣果が望めない時間帯である。やがてサーキットにサイレンが鳴り響き、チェッカーフラッグ振られるだろう。それまではレーサーの束の間の休憩時間だ。

 クラブサングリアに通じる交差点の角にビリヤードのゲームセンターがある。僕らはゲームセンターのシャッター前の駆け上がりに座って時の過ぎるのと待った。ボールのカンとぶつかる乾いた音が私の神経を穏やかにしてくれた。

金武町中川集落から久志タクシーに通っている仲田さんが私に言った。

「カズよ、お前も座ったままでは隣のアメリカーと同じ高さだぜ」

隣の若者をちらりと見て言った

「ああ、チビの兵隊だな」

「ヨォ、メン、スタンダップ、プリーズ」

童顔の若者が立ち上がった。

「カズ、立ってみなよ」

立ち上がった私と若者を見て、手のひらで高さを比較しながら言った。

「カズ、おめー、そのアメリカーより背丈が5寸は低いぜ」

「そうかい」

「うん、何だな。座ると高さが同じで、立つとあいつが5寸高いということはだ。座高は同じで足があいつは5寸ばかり長いと言うことだな。つまり、お前は胴長短足の純粋な沖縄人だな」

仲間が一斉に笑った。私が若者の前で足の長さを比べる真似をすると、外人共にも僕らの会話の意味が分かったのか一斉に笑った。若者が何か話しかけてきたので中川さんに言った。

「中川さん、このヤンキーが何か言っているぜ。相手して下さいよ」

「バカ言え。俺はアメリカーが嫌いだよ」

真っ黒に日焼けして禿げ頭を丸刈りにした小太りの姿は、繁華街の暗がりの中に紛れ込んだプエルトリコ系の兵士さながらである。私は彼の言動の中に潜む少し棘のある意図を知りながら先輩の顔を立てて笑いを誘ったのだ。

義信さんが口を開いた。

「こないだ乗せたパンパン女から聞いた話だがヨ。アメリカーは女の股ぐらに顔を突っ込んで女の穴を舐めるのが好きだとヨ。俺は気持ち悪くて絶対できない」

「義信兄さん、母ちゃんに試してみなよ。母ちゃんが泣いて喜ぶかもしれないぜ。アメリカー女も沖縄女も女の持ち物は変わらないはずだぜ」

イサオがニヤニヤしながら言った。

「バカ言え、若くもない母ちゃんの股ぐらなんかに興味ないよ」

「そうかい、では今日の稼ぎで若い女を買って試してみるか」

皆がどっと笑った。

義信さんはまるで小学校の先生に注意された子供のような顔で頭を掻いた。

路地の街灯の下で外人相手に空手の組手で遊んでいる男がいる。髪を短く刈り込んだ肩幅の広い少し腹の出た50歳前後の男だ。

「イサオ、あいつは誰だい」

「金武タクシーの宜保さんだ。剛柔流2段らしいぜ。お前相手してみるかい」

「バカ言え、年寄り相手につまらぬ遊びはごめんだね」

学生の頃にかじった沖縄拳法の組手と少し変わっているようである。もう少し練習に熱を入れておけば黒帯を閉めたかもしれないと思った。そして、最近から住み始めた宇茂佐集落の公民館の近くに、沖縄剛柔流空手道場の看板が立っていたのを思い出した。しかし今更空手を習うこともなかろうとおもった。私の様な堪え性のない男が武道の修行などに耐えられるわけがないし、流派を代えても黒帯にたどり着けないだろうという気がした。

僕ら停めたタクシーの前で3人組が運転手を探して呼んでいる。

「班長、ハンセン、ハンセン」

あいにく金武タクシーの姿が無い。

「カズさん、アンタ運んでくれ」

「仲田さんの車が先頭で、俺の車はその後ろだぜ」

「仲田やつは何処に行ったのかな。1ドル50セントの短距離だし、アンタ難儀してくれ」

「分かった」

私はのろのろと立ち上がって3号車に向かった。3名の白人を乗せるとゲームセンターの前からゲートに向かった。バックミラーを見ると仲田さんが両手を腰に当て、口をポカンと開いた間抜けな顔をしてこちらを見ていた。私は彼のアライグマにも似たその顔がいっそう可笑しくみえた。そしてノロノロ運転で客を兵舎まで運んだ。退屈な仕事であるが金武タクシーの乗務員はこの単純な仕事でペイディの週末には50万円ほどの水揚げがあるらしい。彼らの車には無線機が無く、短距離運送が中心である。町内客は会社への電話連絡で会社に待機したタクシーが対応するらしい。この地域独特の営業形態である。

 私は繁華街に戻る途中の事務所前で兵士を一人拾った。この時間に軍服姿である。車に乗り込むと兵士が言った。

「キャンプコートニー」

「イェス・サー」きちんとした身なりに誘われて丁寧に答えた。

3号車から本部へ、ハンセンからキャンプコートニーに向かいます」と事務所に連絡した。ゲートを出てから再び事務所に無線を入れた。

「3号車から本部へ、キャンプコートニーへの道順を教えて下さい」

「本部から3号車へ。石川市の東恩納交差点から500m程行くと三叉路があります。そこを左に曲がってください。天願方面への標識があるはずです。5㎞ほど行くと左手にフェンスがあります。そこがアメリカ海軍のキャンプコートニーです」

「了解」私はキャンプコートニーの位置を知っていたがわざと会社に無線を飛ばしたのだ。繁華街で油を売っている同僚に見栄を切ったのだ。この基地には海に面したクレー射撃場があり、鉛玉による海藻ヒジキ漁の汚染が新聞に載っていたのだ。私のサラリーマン時代の射撃仲間が時折利用していた。利用料金と弾代が格段に安いらしい。只、海に向かって撃つのでクレービジョンが風に煽られてヒットが難しいと話していたのを思い出した。

キャンプコートニーのゲート付近は工事中であり、泥んこ道を通って大きな事務所の前で車を停めた。料金は3,600円を示していた。200円換算で18ドルを請求した。その軍人は20ドル札を渡して「キープ・チャージ」と言ってバックを掴んでドアに向いた。

私は「サンキュー」と言ってドアを開いた。私は見慣れぬ夜景の中を注意して引き返した。ゲートから県道75号に出るとタイヤの溝に挟まっていた泥がフェンダーの内側にパラパラと跳ねる音がした。車を加速すると次第に音が消えて行った。キャンプコートニーのフェンスが次第に遠ざかって行った。

 40分のドライブを終えて金武町の繁華街に戻った。未だ潮止まりで引き潮に移ってはいなかった。私は何事もなかったかのようにゲームセンターの駆け上がりに腰を下ろし、マールボロを取り出して火を付けた。

仲田さんが近づいてきて私を睨み付けて言った。

「カズさん、アンタ先頭に停めた私の車を差し置いて客を拾っただろう」

「兄さんが見えなかったので、ほかの先輩に断って1ドル50セントでハンセンの中まで運んだよ。それが何か」

「冗談じゃないぜ。その後アンタはキャンプコートニーまでの客に当たっただろう」

「それが何か」私は立ち上がって仲田さんを見た。

「客商売は運だよ。順番を守ってくれよ」

私は咥えていた煙草をアスファルトの上に落とし、腰を落としながら靴底でもみ消して顔を上げ、冷めた目で仲田さんを見た。彼の後ろに松さんが立っていて私に目配せした。私は沸き上がってこようとした冷やかな古い感覚がすっと引いて行くのを悟った。

それでも僅かにスッと右足を引いてから言った。

「気が付かなくてすみません、先輩」

「気を付けてくれ。まったく、運が逃げちまったぜ」そう言って立ち去った。

「先輩面して舐めたこと言いやがる。車を離れるやつは運も逃げるぜ」いつの間にか私の後ろに立っていたイサオが言った。

「まぁ、そうだが先輩と立てなきゃナ。それにこの辺りは金武の連中の縄張りだし」

「宜保のオッサンがいるからと言って、仲田の狸までがデカい面しやがって腹が立つぜ」

「あの空手2段のオジサンか」

「お前も手習いをしていただろ。あいつに勝てるかい」

「さあな、館長が死んでから道場通いは止めたよ」と苦笑した。

「あの野郎、いつか潰してやろうぜ」

「おい、おい、気合の入りすぎだぜ。ほれ客が待ってるぜ」顎で促すとイサオは自分の車の横に立っている3人組に向かって手を上げた。

「何かあったら真っ先に声を掛けてくれ」そう言ってイサオは急ぎ足で車に戻って行った。

「ありがとう、覚えておくよ」

イサオが本気で話すときは瞳孔が大きく開いて、瞬きもせずに相手を威嚇する。僕らが中学の頃にやんちゃした頃と全く変わらぬ男である。私はフーと大きく息を吐いて腰を下ろした。

 一部始終を見ていた松さんが私の側に腰を下ろして話かかけてきた。

「お前、イサオと同級生と言っていたが親しいのか」

「中学の時の悪さ仲間だ」

「あいつは酒が入ると野蛮になるぞ」

「ああ、そういう事ばかりしていたガキのころの遊び仲間の一人だ」

「仲田さんはこの辺りの人間だ。この辺りは仲間意識が強いから下手な真似は出来ないよ」

「そうらしいですね」

「ま、仲田さんはこのところの稼ぎで、お前に負けていることが気に入らないのさ」

「そうですか」

「それと、さっきの目つきで人を見てはいかんな。イサオもお前も同類の目をしていたぜ。子持ちが不良少年の真似でもないだろ」

「すみません」

「俺は行くぜ、とにかく政兄貴に迷惑をかけてはいけないよ」諭すように言った。

私はおどけた顔で肩をすくめて「ホッ」大きく息を吐きだした。松さんがそれを見て笑いながら車に戻って行った。私は再び煙草に火を付けて煙を吐き出した。そしてはっきりと気がついた。自分がたまたま乗り合わせた人生の旅路の連絡船の中で、指定席を持たぬ自由席の側の人間であることに。

 背の高い黒人が3号車の前に立って「ハロー、班長」と呼んでいた。あたりを見渡すと久志タクシーの仲間は既に引き潮の流れの中で新しい獲物を釣り上げて移動を始めていた。

「シュワーブ」と言ってその男は助手席に乗り込んだ。膝がダッシュボードにつっかえた。「キープ・バック・シート」言って座席下のレバーを引いた。シートが目いっぱい後ろにスライドした。それでも少し窮屈であった。米兵の兵卒は前のシートに乗りたがり、将校クラスは後ろの席に乗るのが普通であるようだ。Tシャツ姿の黒人の体からヤギとゴンドウクジラの肉を煮込んだシチューのような不快な体臭が車内に籠った。私は窓を開けて外の空気を取り込んだ。磯の匂いが流れてきた。この辺りは宜野座村漢那小学校に近い海岸沿いの道路であろう。

 午後11時の小学校の周辺に人影は無い。やがて迫りくる上り坂に備えてアクセルを踏み込んだ。エンジンが快適な音に変わってスピードメーターが120㎞まで跳ね上がった。僕らは休む間もなく次々と帰還兵を兵舎に運んだ。ハンセン行は金武タクシーに譲って、もっぱらシュワーブ行きのみである。夜の闇が深くなるにつれてアクセルを強く踏み込んだ。ブレーキとシフトダウンで高速幌馬車の車輪をギリギリと軋ませながら中川集落からs字カーブを下る。漢那集落入口の最後のカーブをすり抜けるとアクセルを一気に踏み込む。僕らにとって直線に近い緩やかなカーブの漢那小学校のモクマオ並木を時速120kmで東海病院前の急坂に突っ込むのだ。丘の頂上の宜野座小学校前を一気に駆け上がると宜野座高校前を通り抜けて宜野座川の川底の闇にすいこまれる。S時カーブを駆け上がり松田集落を抜けると緩い下り坂の右側に潟原の広い空間が現れる。明かりの乏しい丘の遠くにキャンプシュワーブの明かりが山際をおぼろに浮かび上がらせていた。残り2分でチェッカーフラッグが降られるだろう。私は片道15㎞のサーキットを9分で駆け抜けて行った。闇の中でヘッドライトの一灯を頼りに異国人を運び続ける。日常の生活と乖離したこの空間でブレーキとアクセルとハンドルのバランスを保つことにのみに神経を集中する。時が止まり、まとわりつく闇の中でヘッドライトに浮かんで迫りくるセンターラインだけを凝視し続けるのだ。私は陽光の下で働く人間には感じえないこの不思議な感覚が気に入り始めていた。この日の走行距離は580km、水揚げが日本円4,530円と米ドル355ドルだった。

         (7)

 ペィデー明けのキャンプシュワーブのタクシー乗り場は、辺りが薄暗くなっても閑散としている。僕らはくだらない世間話をしながら米兵が金武の繁華街に行くのを待っていた。私はトレーニングジムの横の自動販売機でマールボロ2箱とスニッカーズのチョコレート2本を買った。1ドル50セントだ。肘宛の下のボックスに放り込んだ。翌朝までの必需品である。夜明け前にチョコレートを齧り、コーラで流し込んで目を覚ます。煙草は深夜の目覚ましである。私が退屈まぎれに仲間を待っている若者にたばこを勧めた。

「ヘーイ、班長カウボーイ」と言っておどけた声を出した。彼らにしてみれば、アメリカのワイルドライフのシンボルである赤と白のパッケージのマールボロを吸う日本人は奇異に見えたかもしれない。私の仲間はほとんどがウインストンを吸っている。米兵に人気のタバコはラッキーストライク、ウインストン、キャメルである。マールボロは比較的に新しい英国のフィリップモリス社のオリジナルである。私はキャメルの香りと味わいも好きだがその両切りのタバコは口の中にたばこの刻み葉が残ってしまい、時々車の窓から唾と共に吐き出さねばならないのだ。ウインストンは馴染めない味だ。ラッキーストライクは何やら不幸を呼びそうな不吉な名前が嫌いである。ハッカの入ったセイラムは論外だ。女性かオカマ用だ。いずれも50セントである。

 いつものペースでシュワーブからハンセンに客を運び、9時頃まで休憩して繁華街からハンセンに何度か客を運んだ。ゲートを出るとすぐに小柄なラテン系と思しき若者3名を乗せた。シュワーブまでと言った。辺野古坂を下っている途中でドラッグストアへ行けという。そしてブロンを買うという。

私は事務所に無線を入れて薬局は何処かとブロンとは何かを訊ねた。

「赤羽屋の隣に薬局があるからそこに行ってください。そこのオヤジが万事対応するから」

「了解」

赤羽屋の隣の薬局は既に締まっていた。

「ヘーイ、クローズ」と言うと、二人の若者が車を降りて店のドアをドンドンと叩いた。しばらくすると50代と思しき白衣の男が出てきた。何やら話していたが若者は何かを買って戻って来た。

「班長、ゴーバック・ハンセン」と言った。

私は社交街のアーチを通り抜け辺野古坂を下ってハンセンに向かった。彼らは奇声を上げながら袋の中から栄養剤に似た藥瓶を取り出してラッパ飲みを始めた。チラリとみると咳止めシロップのブロンである。風邪の咳き込みを止める効果があるはずだ。但し、1回あたり備え付けの小さなカップの半分程度だと思う。以前、妻が服用しているのを見たことがある。やがて彼らは何やら興奮して騒ぎ出し始めた。私にも勧めてきた。

「ノーサンキュー、アイアム、ナオ、ドライバー」と断った。

咳止め薬ブロンには人間の感覚を麻痺させる作用があるようだ。彼らは麻薬代わりにブロンを飲んでいるのだ。ゲートから入ってUSOの前で降りた。10ドル札を2枚渡して暗がりの中に千鳥足で肩を組んで消えて行った。キャンプハンセンの中ではあるが、小柄なラテン系の若者が陽気なハイスクールボーイに見えた。この若者たちが兵士である限り世界のどこかで米軍が関わる戦争など勃発するわけがない。兵士の行動の中に見る緊張感の無さが平和な現実の証だろう。私は奇妙な安堵感に苦笑するだけだった。

 6回目の客をシュワーブの兵舎まで運んだ。東の海岸から押し寄せてきた霧が街灯を包み込み、ぼんやりとした明かりを放っていた。普段は軍用車両が駐車しているキャンプシュワーブの風景を霧がゆったりと包みこんでしまい、映画の中の霧に包まれたサンフランシスコ郊外の坂道の多い住宅地にも似た幻想的な景観を演出していた。梅雨がそこまでやって大気が潤んできているようだ。フロントパネルの時計を見ると午前1時半である。そろそろ金武の繁華街も眠りに着くころだ。回収作業も終わりだなと考えながらゆっくりと坂道を登っていった。

 ゲートボックスの外に小柄な男が立っていた。ゲートの街灯を背にしてシルエットなっていた。頭の形や体つきから黒人兵であることが解った。黒いズボンに紫色の長そでシャツ、左手にアタッシュケース程の大きさのラジカセを持っているのがやっと見えるだけだ。逆光で男の表情は全く読めなかった。彼らが道向かいの雑木林の陰に入ると完全に闇の中に溶け込んでしまうだろう。それ程遠くない歴史の中でアフリカ大陸から米国に輸入されるまで、熱帯雨林の原生林の中で暮らしてきた遺伝子が、逆光の中に浮かんだこの男に息づいている気がした。この男が久志岳に向かって「ホゥ」と合図を送ると、森の精霊と夜行性の動物が一斉に「ホゥ」「ホウ」と返事をするかもしれない。特に今日のような客の少ない退屈な夜には何かが起こりそうな気配があった。或いは海からやって来た夜霧は、既に何か不測の事態を密かに窓の隙間から車の中に積み込んでいたのかもしれない。

3号車、普天間までクロンボーを配達します」

「了解、普天間は電波が届きにくいので気を付けて下さい」

「了解です」

霧がゆっくりと辺野古川の谷間を通って久志岳に向かって流れていた。ハイライトのビームが霧の中で細く長く反射していた。私は何時もより速度を落としてブーメランの坂道を豊原集落まで駆け上がった。私は急ぐでもなく時速60kmで潟原海岸通り、宜野座高校前を走り抜けた。金武町の繁華街を左に見て通過すると久志タクシーが一台客待ちをしていた。消防署前の坂を下って高速伊芸インターを右に見て海岸通りを南下した。伊芸のガススタンドで久志タクシーがガスを充填していた。今日の稼ぎを諦めて帰り支度をしているのだろうか。石川市を抜けて知花十字路を右折して進み、諸見里から国道330号に合流した。プラザハウス前をキャンップフォスターに向かって下って行った。左手に不夜城の屋宜原モーテル街のネオンが煌めいていた。左右の米軍施設フェンスの間を抜けて信号待ちをした。右手にリージョンクラブ、その200m奥がキャンプフォスターのゲートだ。左に行けば国道329号北中城村の渡口交差点だ。1kmもない下り坂の前方に普天間の繁華街の明かりが瞬いていた。私はフッと小さく息を吐いた。そしてギアを入れ替えて青に変わった信号を直進した。時刻は午前2時を既に過ぎていた。

「ヘイ、ルック、フテンマ」と振り向いて黒人客を見た。

「イェス」と言いながらラジオの音楽に合わせて手のひらで軽くラジカセを叩いてリズムを取っていた。

夕暮れの普天間神宮

深い眠りに就いた普天間神宮とその横の交番所の前をゆっくりと通過した。交番所には二人の警察官がいた。一人が電話を片手に何やらメモを取っていた。もう一人は入口の街灯の下で通りすがる車に目をやりながら煙草を吸っていた。

300mほど進んだ時に黒人客が身を乗り出して助手席のシートの肩を叩いた。

「班長、ストップ、ヒャ」黒人客が停車を命じた。私は路肩に車を停め、料金メーターを指差して「30ドル」と言った。

黒人客は「フレンド・・」、「ウェイト・・」と何かをまくしたてたが私には全く聞き取れなかった。私は只「ワッツ、ワッツ」聞き返した。黒人客は諦めたようにラジカセを掴んで出て行こうとした。

「おまえ、どこへ行くつもりだ。マネー」と言ってラジカセを掴んだ。二人で引き合いになった。私が左手の小指に痛みを感じて手を放すと黒人客はドアから外に転がり落ちた。私はすかさず外に出て黒人客のところに回った。彼は立ち上がり、ラジカセを左腕に抱えて走り出した。私より少し背丈が低く小太りである。足はそれ程速くなかった。「ドロボー」と私は叫びながら路地を追いかけた。三つ目の路地で追いついて襟に手を掛けたとたんクルリと急反転して私の手を振り切って右の路地に飛び込んだ。私はたたらを踏んだがすぐに右に反転して追いかけた。20mも走らぬうちに黒人兵がもんどりうって地面に転がった。右側にステテコ姿の男が立っており、足払いを入れたようだ。黒人客は地面に右手を付いて尻を持ち上げて立ち上がろうとしていた。私は近づくと手加減せずに下段回し蹴りを男の左大腿二頭筋に叩き込んだ。パーンと言う乾いた小気味よい音が響いた。尻もちをついて振り向いた黒人兵の縮れた髪を左手で鷲掴みにして右手を脇に引き付けて二本貫手を撃ち込む構えで言った。

「サノバビッチ・キル・ユウ・ボゥイ」殺気を込めて睨み付けた。

「ヘルプ・ミー」ラジカセから手を放して両手を上げた。

「どうしたのだ」と先ほどの男が強い普天間訛りの方言で尋ねた。

「キャンプシュワーブで拾ったが乗り逃げしようとしたのさ」

「そいつは許せないな。ワシが話してあげよう」

「ヨウ、メン・・・・・・・」やはり訛りのある英語で叱りつけるでもなく、ただ口元に冷たい笑いを浮かべて低く沈んだ声で言った。

「ヘルプミー、コール・ポリース」と両手を合わせて泣き出した。

ひどい訛りの英語で良く分からないが、『このドライバーは琉球空手マンだ。お前の目をくり抜いて、そこの溝に捨てると言ってるぞ。ここで死ぬかポリスを呼ぶかどうする』と言ったようだ。

「十分に脅しておいたから、そこの交番に突き出すと良いだろう」

「ありがとう、兄さん」と言うと

「タクシーも難儀な仕事だな」と言って古い民家の屋敷の中に戻って行った。ステテコの袖口から刺青が覗いていた。裏通りに人影は無く。街灯の下で路面がきらきら光っていた。黒人客を引き立てて歩き出すと路面がジャリ、ジャリと音を立てた。交通事故の跡であろうか路面に細かいガラス片が散らばっていた。

 タクシーを止めてある場所に戻るとパトカーが1台停まっていた。二人の警察官が車の中を覗いていた。野次馬が数人いたが私の姿を見るとすぐに散って行った。大した事件でもないと判断したのだろう。私にとっても面白い事件ではなかった。

「どうしたのですか」と一人の警察官が訊ねた。

「キャンプシュワーブから乗せましたが、タクシー賃を払わずに逃げたので捕まえたのです」

「バカなクロンボーだ。ご苦労ですが署まで来てください。パトカーの後についてきてください」

黒人客はパトカーに乗せられ、私は非常用タップを点滅させながらその後に従った。普天間交番所に行くのかと思いきやキャンプフォスターのフェンス沿いに下って行った。伊佐交差点を左折して国道58号線沿いの真志喜にある真新しい宜野湾警察署に誘導された。これで今日の仕事は終わったなと感じた。この距離からは電波は届かぬと思いならも念のために会社に無線を飛ばした。

3号車から本部どうぞ」

「本部です3号車どうぞ」少しばかり雑音が入るも返事があった。

「普天間でトラブル発生、乗り逃げのクロンボーを宜野湾署に引き渡します。処理が終わったら引き上げます」

「了解、気を付けて戻ってください」

電波の不思議である。普天間、嘉手納エアベースの広大な滑走路の平地が上手く作用し、コザの街並みの狭い空間を通して無線が届いたのである。尤もタクシー仲間の間では予想もしない場所から交信した例を時々聞いてはいた。

 宜野湾署の取調室に入ると初老の英語の達者な男が質問を始めた。首から渉外担当者と記載された古ぼけた身分証明書カードをぶら下げている。警察官の制服ではなく、しわの入った地味なアロハシャツ姿ある。随分と砕けた身なりであった。如何にも非常勤ですという身なりだ。調書は別の警察官が記入している。定年退職した英語教師のアルバイトであろうか、それとも米軍勤めの退職者だろうか。壮年期をとっくに過ぎた少しうらぶれた男が、このような時間まで警察署に待機するとは仔細のある人生を送っているのかもしれない。

「彼の目は充血しているが、君が殴ったのかね」

「二日酔いじゃないですか」

「髪にガラス片が混ざっているが、君が投げ飛ばしたのかね」

「転んだ場所にガラスが散らばっていただけですよ。彼は何と言っているのですか」

「君に殺されると怯えているよ」

「タクシー運転手如きが殺せるわけがないでしょう。こいつはアメリカーの兵隊さんでしょう」

「まぁ、そう言いなさんな。今の兵士はベトナム戦争の頃の殺し屋共とは違うから」

「ところで、先生。私のタクシー代30ドルは払ってもらえますかね」

「彼の話では友人のアパートによって借りる予定だったそうだ」

「では、これからそのアパートに借金取りに行くのですか」

「先ほどパトカーから連絡があったが、そのアパートに彼の友人らしき人は不在だそうだ。まあ、悪い夢を見たと諦めるんだな」

「それは無いぜ。それならそのラジカセを預かっておきますよ。30ドル持ってくれば返すとその兄ちゃんに言って下さいよ」

「ま、一応言っておくが無理だな。MPに引き渡すので、こいつは懲罰で営倉行だろうよ」

「全く悪夢だな」

「帰っていいよ。兵隊さんは僕らがMPに引き渡して一件落着とするよ。お疲れさんです」

「では、失礼します」

ラジカセを取り上げると黒人兵に言った。

「兄ちゃん預かっておくぜ」

丸い充血した目をした黒人兵は悲しそうな顔で私を見た。私は腹が立ってラジカセを振り上げてぶん殴るぞと見せかけた。彼は両手で頭を隠すように体を丸めた。

「おい、おい、辺野古は遠いのだろう。さっさと帰ってくれ」渉外担当者は苦り切った顔で手を振って私を追い払う仕草をした。

私は振り返りもせずに閑散とした警察署から外に出た。外はベタつくような湿気を含んだ闇が広がっていた。ラジカセを持つ左手の小指の付け根がチリチリと痛んだ。ラジカセを右手に持ち替えて左手を見ると、小指の付け根が2cm程の擦り傷となって血が滲んでいた。先ほどのラジカセの奪い合いの時に切ったのであろう。タクシーに乗り込み備え付けのティシューで血のりをふき取って窓から捨てた。フウーと大きく息を吐きだし、一呼吸おいてエンジンを始動して駐車場から車道に出た。午前三時過ぎの国道58号は車の往来が途絶えており、時折深夜料金の青い料金表示メーターの明かりをつけたタクシーとサイレンを鳴らして走り抜けるパトカーだけだった。

私は先ほど来た道を通らずに車線が広くて交通量の少ない国道58号を北上し、恩納村仲泊集落を右折して石川市から国道329号に入った。午前4時前に金武町伊芸のガススタンドでガスを充填して洗車した。

 金武町の消防署の前から繁華街に車を乗りいれた。不夜城は既に落城したようで物音一つしなかった。金武タクシーが2台、くたびれた乗務員を抱えて穏やかに眠っていた。僕らのスピードウェイは既にレースが終了していた。観客もドライバーもどこかへ消えていた。私は車から降りてゲームセンター前の自動販売機で缶コーラを買った。自動販売機からガランと大きな音を立ててコーラが取り出し口に落ちてきた。喧騒の消えた繁華街の闇の中に不釣り合いな音響が跳ね上がって吸い込まれていった。私は肘宛の下のボックスから昼間にキャンプ・シュワーブで買ったチョコレートを取り出した。ゲームセンターの階段に座ってシャングリアに続く闇を見つめながらチョコレートを齧りコーラで流し込んだ。歯がコーラの強い炭酸で磨かれてカリカリと鳴った。何も考えてはいなかった。ただ暗い闇の向こう潜むなにかがこちらを見ている気配を探しているだけだった。眼底のさらに後ろ側がジンジンと痛み始めていた。私は立ち上がって背伸びをした。そして車に乗り込んでエンジンを掛けた。アクセルを踏み込んでエンジンを吹かし、ギアを入れてゆっくりと発進した。ライトに黒い犬が浮かび上がってこちらを振り返った。そして迷惑そうにバーの看板の横の細い路地に入って行った。ゲート前に出ると灯りの消えた街灯の下で、街路樹のガジュマルの樹冠がうっすらと浮かんでいた。夜が終わりを告げていた。金武大橋の右手に太平洋がおぼろげに見え始めていた。金武大橋の深い谷間を流れる億首川には昨夜の霧が跡形もなく消えていた。私はマールボロを取り出してジッポのスリムなオイルライターで火を付けた。ライターの蓋をパチンと閉じるとケロシンの匂いがした。夜が朝に変わる微妙な景色の中を事務所に向かっていた。ほんの3時間前の出来事は記憶のくずかごの中に放り込まれて現実味を失っていた。只、小指の微かな痛みと助手席のラジカセが安っぽいメタル色の光を反射しているだけだった。

       (8)

 乗り逃げ事件で傷ついた小指は黴菌が入ったのか炎症を起こしてしまい左肘まで痺れが出た。仕方なく予定の乗務をキャンセルして病院で診察する羽目となった。ラジカセは事務所に置かれて料金30ドルと交換との紙が貼られていた。

乗務員の目に留まる存在となった。皆が私のことを少しだけ意識し始めた気がした。4日ぶりに社長の政叔父さん会った時に注意された。

「カズ坊、兵隊が乗り逃げしても無理に追いかけてはいけないよ。あいつらはナイフや銃を持っていることもあるのだから。日本人とは違う生き物だからな」

「はい、注意します」

「以前、私がベースの中の自動販売機からタバコを取り出そうと腰をかがめた時、大きな石が飛んできて販売機の上の方に当たったことがあるよ。振り返ったら少し離れたところにクロンボーが立っていたよ。かがむのが遅ければ大けがしていたかもしれないよ。あいつらは時々人間でなくなるから」清造さんが不快な顔で言った。

「そうですか、用心します」

「うん、30ドルごときで怪我してはたまらんからな」政叔父は穏やかな口調で言って笑った。内心は甥の気丈な行動が乗務員への暗黙の自慢の種となっているのかもしれない。それに松さんは私が休んだ日に何やら自慢話をしたらしい。そのことを栄子さんが話していた。

「あいつは俺の姉さんの子供だがナ。名護のハサマ・一族の人間だ。ガキの頃から本家筋の空手道場に出入りしていたようだ。イサオの中学の同級生で悪ガキ仲間だと言っていたぜ。イサオに聞いてみな」

イサオも調子に乗って言ったようだ。

「こないだ、ほれ、アイツがキャンプコートニーへ客を運んだ晩のことだ。金武タクシーの宜保さんの組手を見て『年寄りの遊びだ』と笑っていたぜ。誰かさんがイチャモン付けていたが、あと半歩近づいていたらその狸腹に蹴りが入っていたと思うぜ。俺はすぐ後ろで見ていたからな。アイツが腰を落として攻撃の構えに入ったのを俺は知っていたぜ。ま、素人相手にアイツが技を使うことも無いと思うがな。お互い言葉使いには気を付けようぜ」

 1回の欠勤を挟んで出勤してきた私の小指にまかれた包帯が噂の種を助長してしまったのも事実である。いずれにせよ、事件の後らから仲田さんの存在が遠のいたのは気楽なことであった。しかしツキが落ちるとそれはしばらく元に戻らないのも事実のようだ。それどころかアンラッキーを呼ぶことさえあるのだ。

雨季に入ってから、辺野古から名護市内へ客を運ぶことが以前より多くなった。私は名護に出たついでに午後3時ごろまで名護市内を流すのが常であった。この年の梅雨はカラ梅雨気味で一日中雨になることは少なかった。

私は北行きのバス停留所がある東屋食堂の手前でタクシーを止めて客待ちをしながら休憩をするのが常であった。東屋の一階は日用雑貨店、二階は食堂であった。羽地、屋我地、今帰仁村、大宜味村、東村、国頭村向けのバスがこのバス停で停まるのである。名護市の公設市場まで100mの場所でもある。田舎に住む人々が公設市場で肉類やら日用雑貨を買い求め、このバス停から帰宅するのだ。バス会社の都合もあり田舎に向かうバスの本数は少ない。日本国中の赤字路線の常だろう。多くのバス利用者が2階の食堂で軽食を取って帰路に就くのであるが、路線バスの到着を待てない客が時折タクシーを利用するのだ。タクシーの待機場所になりそうなものであるがそうでもない。何しろ東屋の道向いは名護警察署である。駐車禁止場所に長居は出来ないのだ。コーラを1本飲んで煙草を吸い終わると県立名護病院前経由で市内を巡回するのである。

人口6万人の名護市の中心市街地

私は午前中の客が途切れたので、いつもの様に車を停めて自動販売機でコーラを買って車に戻った。コーラのプルトップを引き、一口飲んでからドリンクホルダーに立てた。肘宛の下のボックスから新しいタバコを取り出そうと窓の外に出していた右腕を引いて体を左に体を傾けた。その時、新しいトラブルが発生した。右側に何か黒い影が迫ったと感じたとたん、バーンと大きな音を立てて後方から走って来た軽トラックが右前方のフェンダーに接触した。フェンダーミラーが折れて道路に転がった。フェンダーは見事につぶれている。私が窓から右腕を出していたなら怪我は免れなかったであろう。ショックでコーラが泡を吹きだして私の右足の太ももに滴ってきた。私はコーラを手に取ってグッと一口飲んで泡の吹き出るのを止めて外に出た。バス停の客がこちらを見ている。軽トラックは少し前の路肩に止まった。私は車から降りてフェンダーミラーを拾い上げ、凹んだフェンダーを一瞥して軽トラックに向かって歩いて行った。軽トラックから70歳前後の白髪頭の男が麦わら帽子を手に「すみません、すみません」とペコペコしながら降りてきた。

「爺さん、どこに目をつけて運転してるんだよ」と少し声を荒げて言った。

あまり見かけない黄色のサングラスにタクシー運転手らしからぬ派手なアロハシャツ姿に驚いたのか、顔色を変えてペコペコするだけであった。

道向かいの名護警察署からすぐに警察官がやって来た。事故処理は簡単に済んだ。エンジンにトラブルが発生する程の被害では無いが、フェンダーがひしゃげてミラーのとれた車で営業することは出来ない。東屋の前の公衆電話から会社に電話した。そして会社からの支持をその爺さんに伝えた。

「車の修理代は持ってもらいますよ。警察官の話した通り全てあなたの責任ですからね。それとこの車はタクシーですから修理期間中の営業補償をしてもらいます。よろしいですね」

「はい、分かりました」

私はその男の住所、氏名、連絡先をメモした。名護市瀬嵩集落の区長をしているらしい。私は修理代が取れそうでほっとした。

 会社に戻って事情を詳しく説明すると、清造さんが渋い顔をして言った。

「営業補償は無理だな。その男は久志郵便局の元局長さんで、社長の古くからの知り合いだ。これから名護トヨタに納車すれば明日の昼までには仕上がるだろう。乗務員の具志堅が元トヨタの職員だし、毎年3台の新車を購入しているから修理を優先してくれるだろう。次の乗務は明後日だな。お疲れさん」

「すみません。とんだトラブルに巻き込まれてしまって」

「いいってことよ。タクシーに事故はつきものさ。それよりお祓いでもしてゲン直しをした方が良いな。こないだの乗り逃げ事件からツキが逃げているぜ、兄さん」と言って穏やかに笑った。

「すみません、お先に失礼します」私は清造さんのように笑う気にはなれなかった。乗務員控室にいた松さんが慰めるように言った。

「軽い事故で良かったな。これでお前に憑きかけた悪い憑き物は逃げただろうよ。悪い憑き物は大きく溜まる前に逃がした方が良いのだ。昼飯にフリッパーのサーロインステーキでも食って元気を付けなよ」

私は言われたように、自宅から少し離れた海辺のファミレス・フリッパーで250gのステーキと生ビールで遅い昼飯を取った。既に午後3時半であった。

漁港内の桟橋で暇をつぶす釣り人

 退屈な昼間と狂気の夜がいつの間にか体に馴染んできていた。一昼夜働いて朝帰りである。その足で娘を送って一人で朝食を取って一眠りする。3時頃に目覚めて遅い昼飯を食べに出かける。大抵の場合、未だ客のいない割烹「十八番」に立ちより、少しばかりの握り寿司とビールを飲んだ。暇つぶしに3軒隣りの書店で立ち読みし、漁港に係留された漁船を見ながら潮風に吹かれて煙草をふかして時間を潰した。暇つぶしの老釣り師の姿を眺めるも、自ら釣糸を垂れる気にはなれなかった。ほんの半年前までは羽地内海の浅瀬や護岸でキス、チヌ、太刀魚等を釣っていたのだ。ルアーロッド、チヌ釣り竿、ルアー、タックルケース、たも網などの釣り道具は納戸の中に押し込んだままだ。これまでの日常が何処かへ去ってしまって、日常なるものが分からなくなっていた。私の一日は48時間サイクルである。24時間ハンドルを握り続け、勤務明けの24時間を空虚にさまよっている。結局のところ私は自分自身の立ち位置を見ることもせず、ただ時間だけを食いつぶしているのであった。ちょうど深夜の国道を高速で走り抜けるときに、センターラインの白線がモールス信号のようにが前方から私に向かって飛び込んできて、どこか得体のしれない闇の中に消えて行くのに似ていた。一日48時間の世界に体が馴染み始めたが、本心は失われていく自分の何かに抗っているような気がした。既に実家からの借金と奨学金の返済は終わっており、タクシー稼業を続ける確かな理由を欠いていた。明日の見えない日常。否、明日への目的を探そうとしない私の根源的な癖が日々の活動を支配していた。唯一、朝夕の娘の送迎だけが私の中に日常を復活させてくれた。それも毎日ではなく1日越しのことであった。

 勤務を終えて午前7時半に帰宅すると妻が言った。

「彩夏の耳が少しおかしいの。耳垂れの匂いがするわ。耳の下が少し腫れているみたいだし、病院で診てもらってくれないかしら」

「ああ、構わないよ」

「名護病院の耳鼻科がいいわね」

「分かった。シャワーを浴びてから出かけよう」

「母が一緒について行ってくれるわ」

「そうかい」

妻は私一人で娘の診察に行かせるのが心配らしい。シャワーを急いで浴びて着替えていると、玄関の呼び鈴が鳴って義母がやって来た。本部町からタクシーでやって来たようだ。

「おばぁちゃん」と言って彩夏が飛びついて行った。

「おはようございます」

「お仕事は今終わったの」

「ええ」

「一晩中働いて大変ね」

「なぁに、今日は一日中暇ですから。彩夏の子守が出来ますよ」と言って彩夏の頭を撫でた。

「お母さんお願いね」と言って、妻はアパートの近くの職場に出て行った。僕らもすぐに病院に向かった。

 午前9時の県立名護病院耳鼻咽喉科は予想以上に混んでいた。一階の奥に位置する眼科と耳鼻咽喉科は非常勤医師が診療しており、火曜日と木曜日だけの診療日だった。診療室前の長椅子は何処も満席状態であった。待合室の中ほどの右端に席を見つけて、義母を奥に彩夏を挟んで椅子の右端に私は座った。診察受付窓口で手続きをして順番カードを貰って来た。

25番だから結構待ちそうですね」と義母に言った。

「そう、県立病院はこんなものよ」と言って彩夏と綾取りで遊び始めた。

義父は4月から隣町の本部警察署の署長に就任していた。妻は私が留守の週末に彩夏を連れて頻繁に署長官舎に出かけているようだ。彩夏は義母になつき始めていた。彩夏が義母と楽しそうに綾取りで遊んでいるのを見ると、夜勤の疲れから眠気に襲われ始めた。この3カ月のタクシー稼業で1日のリズムが48時間サイクルに慣れてきていた。この時間は私にとっての睡眠時間である。病院内でタバコを吸うわけにもいかず、私は何度もあくびをして首筋をストレッチしたがついに眠りの中に落ちてしまった。何度か頭が垂れては、ビクッと頭を持ち上げる動作を無意識に繰り返した後、ついに前のめりにぐらりと体が傾いて長椅子から滑り落ちていた。うまい具合に尻と右肩が体重を受け止めてくれたので頭を打つことはなかった。

「ふぅ、寝入ってしまったか」と小さく呟いて、何事もなかったかのような態度で起き上がった。そして椅子に座り直して大きく深呼吸した。待合室の女性たちがクスクスと小さく笑うのが聞こえた。私は赤面することも無く大きく首を回して後頭部の付け根を右手で軽く揉んだ。彩夏が義母と遊ぶのをやめて私を見上げて心配そうに言った。

「お父さん、大丈夫」

私は左手で彩夏を抱き寄せて頭を撫でながら言った。

「大丈夫だよ。スッテンコロリしちゃったネ」と苦笑いした。彩夏はほっとしたように再び義母と綾取りを始めた。義母は困った顔をしたこちらを見ていたが、私は知らんぷりをした。眠気は完全に治まっていた。眠りのリズムが変化したのであろう。

 いつの間にか待合室の人の群れが数名になっていた。

25番、ナカムラ・サヤカさん」看護婦が問診表を手に呼び出した。

「ナカムラ・サヤカさんだって、行こうか」

「お父さん、抱っこ」彩夏が不安そうに私に抱き着いた。

「彩夏ちゃん赤ちゃんみたいね」と義母が少しやきもち声で言った。彩夏は私に抱き上げられて自慢げに義母を見下ろして手を振った。

 彩夏の病状は夏風邪にから来る疑似中耳炎であった。病院内の薬局で抗生物質を1週間分だけもらった。病院を出たのが昼過ぎの12時半であった。病院の隣のファミリーレストランで遅い昼食を取った。窓辺の席から外を見ると名護岳の稜線が南北に連なっていた。私はふと彩夏が生まれた日のことを思い出した。あの日も実母と二人でこの席で遅い昼食を取っていた。あの日の初めての子供を授かった時の心地よい感動は既に失せてしまい、夢見るべき明日は単なる昨日の焼き直しに変わってしまっていた。3カ月後には20代が終わる人生の岐路が迫っていた。

 帰宅後は彩夏が義母と二人で絵本や積み木で遊んでいた。私はそれを見ているうちに寝入ってしまっていた。玄関の鍵がカチリと開く音で目覚めた。予期せぬ物音が私の神経を脅かす習性が私には付いていた。5歳まで里子に出されていた時の幼児体験がある種の警戒心を深層に染みつかせているようだった。窓から指す光が消えかけており、昼は既に幕を引き始めていた。意識が未だ朦朧として霞の中を漂っていて、先日の霧の晩が続いている気がした。

彩夏の「ただいま」の声で立ち上がり玄関に向かった。飛びついてきた彩夏を抱き上げた。妻は義母の買い物に付き合ってから隣町の警察署の官舎まで送ったようである。彩夏は私の顔をペタペタと叩いて

「お父さんが病院でスッテンコロリしたのよネー」と妻に言ってはしゃいだ。私が椅子からの転げ落ちたのが子供心には印象的であったようだ。

「お母さんからその話を聞いたわ。大勢の人前で恥ずかしいわね」

「眠くてしょうがなかっただけさ」

「タクシー運転手なんてろくな商売じゃないわね。こないだはアメリカ兵と喧嘩して怪我をして通院するし、交通事故には巻き込まれるし、本当にろくな仕事じゃないわね」

「オイ、オイ、畑仕事でも鎌で指を切るし、自家用車でも事故に遭うことはあるぜ。何処にでもある些細な出来事さ」

「そうかしら、人様の仕事と随分かけ離れている気がするけど」

「そうかな」と小さく答えた。トラブルの詳細を話しても彼女の理解の範囲外であり、普段から日々の仕事の中身を話すことは無かった。只、指を怪我して病院で治療した件と事故で早退した件は、妻を刺激しない範囲で話したのだった。

「借金は返済したのでしょ。新しい仕事を探したら」

「ああ、借金はとっくに返済した。職安も通っているぜ」

「そうかしら」

「ほんとだよ。こないだも佐敷町の水産研究所の所長に誘われたがよ。俺にミーバイ(ヤイトハタ)やタマン(ハマフエフキ)の餌やりは向かないよ。魚釣りと素潜り漁は得意だけどな。それに君も俺が魚臭い男になるのは嫌いだろ」

「あら、私は魚料理が好きよ。魚を捌くのと生魚の匂いが苦手なだけよ」

「そうかい」私は妻と議論するのがうっとうしくて彩夏を抱いてベランダに出た。妻はエプロンを手に台所に向かった。宇茂佐集落の北側の森は闇の中に沈み込み山際に星が瞬いていた。当たり前のように北斗七星が現れ、その柄杓の少し先に北極星があった。北極星は特別に光り輝くのでもなく、それでいて天空の群れ星の回転軸の中心にある。私は自分の人生の歯車の回転軸がどこにあるか、あるいは自ら回転軸の芯をどこに据えるべきかについて全く見当もつかない日々を送っていた。タクシー稼業に体が馴染む一方で明日の行方が見えない焦りと不安が澱となって心の底に溜まり始めていた。私は青春時代と言う言葉が既に穴の開いた靴にも似て、履き替えるべき頃になっていることにとっくに気付いていた。

                                   (9)

 梅雨明けが近づいており初夏の日差しになっていた。時折降る雨は通り雨であり大雨となることはなかった。国道58号からの名護市内入り口のソウシジュの群生は黄金色の衣を捨て去り、濃い緑に変わった樹冠が浜風を受けて揺れていた。私はソウシジュの下を毎朝通っていた。早朝にソウシジュを左手に見て出勤し、翌朝に右手に見て帰宅するのである。往復に2日がかりの奇妙な生活が続いていた。

 私は売り上げのドルが溜まると市内の銀行で日本円に両替した。3,000ドル単位で出来るだけドルが高くなった日を見計らって交換するのである。私と会社の売り上げの配分は折半である。例えばタクシーの最終売上げメーターが¥40,000とする。会社に返すのは半分の¥20,000だ。ところが僕らは米兵から1ドル¥200換算でドルを貰う。シュワーブとハンセンの区間は¥2,000であるから10ドルだ。メーター料金の¥40,000200ドルを手にする。むろん地元客も乗せるので200ドルには至らない。仮に手取りの200ドルを¥280換算すると¥56,000である。会社へ料金メーター表示の半額の¥20,000、ドル換算の場合は72ドルを返すのだ。私の取り分は差引¥36,000となり、正規の取り分より¥16,000が多くなるのだ。いわゆる闇のチップである。2万円の売り上げ配分に16千円のチップが付くのだから大した商売である。尤もベトナム戦争の頃は1ドル360円のレートで利ザヤはさらに大きく、本物のチップもふんだんにあったそうだ。明日をも知れない命を賭けた本物の戦争があった頃、コザ、金武、辺野古の街は狂気の米兵で賑わっていたのである。

 夏の光が濃くなるこの頃から、米兵共は週末の昼間にブルービーチへ出かけることが多くなった。ラジカセとビールを担いでビーチでの健康的な遊びを楽しんでいた。黒人は紫、赤、黒の原色のシャツにバカでかいラジカセを担いでガンガン音を響かせてゲートから出てきた。彼らのステイタスでもあるかのような大音量に体全体でリズムを取りながら歩いてきた。軍用施設のブルービーチは、水陸両用艇の訓練ビーチであるが、夏の間は米兵のビーチパーティの憩いの場所でもある。僕らは週末の昼間にうるさい奴らを2ドル50セントで運んだ。ビーチの空気はねっとりとした粘り気のある潮風を含んでいた。アヒルの頭にも似た金武岬を取り巻くリーフには白波が立っていた。正面に勝連半島の先端から平安座島、宮城島、伊計島が海中道路で連なっていた。夏の陽光は遠浅の海を透明感の淡いエメラルドグリーンに変え、沖に向かって濃いマリンブルーへと導いていた。私は米兵を降ろすと護岸に腰を下ろしてマールボロに火を付けた。私の好きな夏の海の色だが、無感動にサングラスを通して眺めるだけだった。ジッポのライターの蓋を開けては閉めを繰り返し、そのカシャ、カシャと鳴る音を聞いていた。この白波を立てるリーフの遥か彼方に、先ほど運んだ黒人兵の故郷アメリカ合衆国があるのだろう。ベトナム戦争が終結した平和な世界で白波の向こうに望郷の念を呼び起こす若者はいないだろう。海藻の匂いを含んだ浜風に身を晒しながら漠然と考えていた。昼間の目の眩む輝きと夜の暗闇の中の喧騒とのギャップの中に身を置き、私は何を探しているのだろう。ただ漫然と潮目の変わるのを待っているのだろうか。時は確かに動いているが、それはレコードのターンテーブルの上の針ように周回コースを進んでいるような気がした。それでも、今の自分に似合った日常だ。抗うべき事態が起こるまで前に進み続けるのも悪くないと納得させていた。ジッポのライターをズボンのポケットに押し込み、タバコを砂浜に弾き飛ばして車に戻った。

 日が暮れるといつもの様にキャンプハンセンとシュワーブを往復して米兵を運ぶ作業を始めた。午後8時、ハンセンのゲート前からアタッシュケースを持った軍服姿の男を拾ってシュワーブへ向かった。週末に働く軍人もいるようだ。松田の坂を登り切った時に無線が鳴った。

7号車から本部どうぞ」

「本部ですどうぞ」

「車をぶっつけられました。あっ、逃げました。追いかけます」

「本部から7号車、事故の場所と相手の車両番号を教えて下さい。警察に通報します」

「牛庭前でトラブルです。冲55 さ の1390 ブルーの日産サニーです」

「了解、車の破損状態はどうですか」

「左フェンダーと接触しました。運転に支障はありません」

「空車の久志タクシーは7号車の応援に回ってください」

「ただいま金大橋を通過しました」

7号車は非常用タップを点滅させてください。警察への通報は完了しました。無理な追跡で事故を誘発しないで下さい」

「了解です」

かくして夜の大追跡が始まった。私は無線機から聞こえる追跡交信に耳を傾けながらシュワーブへ急いだ。

3号車、7号車をキャッチしました」

4号車合流しました」次々と同僚の合流合図が聞こえた。私はアクセルと踏み込んでシュワーブへと急いだ。慌ただしく聞こえる無線機の声に「班長、何かトラブルか」と将校らしき男が訊ねた。

「会社のスタッフが小さなクラッシュ事故です」と答えた。

「オゥ、マイガッド」とだけ答えて首をすくめた。しかし、それ以上の会話はなかった。軍人には無縁の世界であろう。

「漢那から宜野座中学向けに右折しました」

「宜野座村役場前を漢那に向かいます」

「中川から喜瀬武原に向かいます」

「喜瀬武原から林道を名嘉真方面に向かいます」

それを最後に交信が途絶えた。私は米兵をシュワーブの第2ゲートの中の平屋が点在する単独施設のひとつに降ろした。第2ゲートの中の建物は米軍の迎撃ミサイル、ナイキホークを発射する施設だとの噂があった。普段から兵卒の姿はなく将校のみが出入りしているようだ。金武の繁華街と無縁の施設であった。こんな時に手間のかかる客を乗せたものだと思いながら金武町へ向かった。メーターを回送に切り換えた。

 私は中川から喜瀬武原に抜けた。タクシーの気配はない。

「全車通常業務に就いてください。容疑者を確保しましたとの連絡が石川警察署からありました。ご苦労様でした」

 私は残念な思いで繁華街に引き返した。ビリヤードセンターの階段に腰掛けて煙草を吸っていると仲間が次々に帰って来た。皆楽しそうな顔で車から降りてきた。

「何処に行っていた。楽しかったぜ」と松さんが言った。

「丁度アメリカーを乗せてシュワーブの第2ゲートに向かっていた」

「そうか、残念だったな」

「宜野座まで戻って来たら交信が途切れてしまった。念のために喜瀬武原まで行ったが、警察が捕獲したとの無線があったので引き返したのさ。何処で捕まえたの」

「喜瀬武原の林道から名嘉真に下りて、58号を南に進み安冨祖の農道に入ったのさ」

58号を走ったのだ。道理で無線が途絶えたのか。それで」

「林道に進むつもりが田んぼに脱輪。ジ・エンドさ」

「俺を除く6台のタクシーに追われて逃げ切れるものかね。アホな奴」

「いや5台だ、仲田はいなかったぜ。犯人が金武の人間だと思ったのだろ」

「で、何処のアホだった」

「瀬良垣のガキだった。田んぼ道から林道に入って瀬良垣に抜けるつもりだったようだ」

「そいつを殴ってボコボコにしたんじゃないだろな」

「お前じゃないよ」イサオが笑いながら言った。

「車をロックして中で震えていたよ」

「あんたらのことだ。車をゆすぶって脅しただろう」

「まあ、警察が来るまで楽しんださ」

「こんな夜中に安冨祖の村中を騒がした不届き者だな。これで喜瀬武原、名嘉真、安冨祖、瀬良垣の客は取れないな」と私は笑った。

「事故に遭った7号車のトヨタさんには悪いが、たまにはハプニングでの息抜きも良いぜ」

「ベースタクシーがジャパニー客を気にすることもないか」と私が言うと皆がどっと笑った。僕らのささやかで奇妙な息抜きと連帯感がそこに在った。

トヨタさんとは乗務員の他に時折無線係を務める具志堅さんの事である。以前トヨタ自動車名護支店に勤めていた辺野古在住の男だ。久志タクシーは本部町、今帰仁村、名護市、宜野座村、金武町と近隣の市町村から転げ込んできた一癖も二癖もある乗務員で構成されている会社である。

 夜はいつもと変わることなく深く沈んでゆき、僕らもいつもと同じペースで運搬家業に務めた。日付が変わろうとする頃、ハンセンの中で一人の軍人を拾った。胸に幾つかの染め分けのあるバッチがあった。大きなカーキ色の野戦用バックをトランクに押し込んだ。全ての米兵がこの大きな野戦バックひとつで戦地を転戦するらしい。ある意味で彼らの命の大きさだ。

「嘉手納エアベース」と一言だけ言った。

軍雇用員の車の出入りが多い嘉手納第3ゲート

 石川市を過ぎて東南植物楽園入口の看板を右に見て、知花弾薬庫前を過ぎて沖縄市白川の第3ゲートから嘉手納空軍基地に入った。兵士の指示通りにゆっくりと走った。やがて暗闇を抜け、滑走路だけが昼間のように明るく輝いて浮かび上がった場所に出た。その近くの平屋の事務所の前で停止を命じた。料金の25ドルを請求した。尻のポケットから財布を取り出して10ドル札2枚と5ドル札1枚を渡した。そして胸のポケットから胸のポケットから2ドルを追加で渡した。ニコリと笑って外に出た。トランクのレバーを引きながら「サンキュー・サー」と答えた。

兵士はトランクからバックを引き出すと明るい事務所の明かりの中に足早に消えて行った。私はトランクのロックを確認するために外に出た。トランクを押してロックを確認して運転席に振り向いた途端、いきなり爆音が空から降って来た。真っ暗な空から黒い戦闘機が滑走路に下りてきた。鉄工所のガスバーナーにも似た、巨大な青白い炎を噴射して滑走路を滑って行った。そして着陸する間も見せず再び飛び上がって嘉手納町の西の海上に去って行った。深夜のタッチ・エンド・ゴーの訓練である。私は方向変換して第3ゲートに向かった。戦闘機が次々とタッチ・アンド・ゴーを繰り返していた。嘉手納基地では昼夜の区別なく戦闘訓練が行われている。この島は間違いなく極東アジアの最前線基地である。キャンプハンセンやキャンプシュワーブで見られる数合わせのような軟弱な若者も兵士の一員であるが、この闇の中に潜んでいるのは殺人兵器を操る本物の得体の知れない悪魔の手先である。アジアで紛争が勃発すれば瞬時に戦争に介入できる体制が出来上がっているのだろう。ある意味、米国の軍需産業と軍隊は定期的に戦争装備品の放出先を模索している気がする。沖縄の不幸は130年前にペルリの琉球王府来訪から既に始まっていたと思う。米国のアジア侵略の拠点形成に沖縄が選ばれた起点であろう。米国の開発途上国侵略の野望は、時代に即した迷彩色に身を包んで、姿を変えながら色濃くなっていくだけである。この界隈は殺戮者たちの不夜城である。先ほどの将校らしき軍人の笑顔はこの前線基地から撤退できる安堵感であったように思えた。今夜の軍用輸送機のグァム島経由で本国に戻るのかもしれない。

                 (10

 暑い日が続いていた。ソウシジュの花が終わり、イジュの白い花も盛りを過ぎつつあった。沖縄気象台は梅雨明け宣言を2日前に出していた。僕らはいつものパターンでタクシーを飛ばし、ハンバーガーとコーラで夜食を取りながらビリヤードセンターの前でたむろっていた。私の隣で甲子園と呼ばれている比嘉が何やら薄い生地に野菜やら挽き肉やらを詰めたものと食べていた。ドライブインA&Wで見かけるホットドックとも異なっていた。比嘉は私と同じ高校の出身で、高校野球で甲子園に出場したメンバーの一人だ。私よりは4歳年下である。色の黒い小柄な男でショートのポジションであったらしい。私は大学生の頃にテレビで彼らのプレーを見ていたはずだが彼の姿の記憶はない。尤も20代半ばにもなって高校球児に面影を残すわけもない。とりわけ米兵相手のタクシー運転手を生業にしている者である。

「よう、甲子園の兄さん珍しいものを食ってるな。それは何だい」

「先輩、知らないのですか。タコスですよ」

「聞いたことも、食べたこともないな。タコの入った料理かい。あのタコ焼きみたいな」

「タコ焼きではないですよ。タコス。メキシコ料理で今流行りですよ」

「タコスね。何処で買ったのだ」

「その先の最近できた屋台ですよ。辺野古の赤羽屋の3軒隣のハンバーガーショップでも売っていますよ」

「そうか、タコスの事だったのか」私が手を叩いて言った。

「先輩どうしたんですか」

「いやな、こないだの事だが。シュワーブの門衛のクロンボーに頼まれたのよ」

「何を」

「そいつがさ、タコスを買ってきてくれと俺に頼んだのよ。兵隊を辺野古のバー街に運ぶ途中さ。金は払うからと言っていた」

「買ってきたのかい」

「俺はタコ焼きの事かと思ってさ。ゲートに入るときにタコは売り切れだと言ったのよ。腹が減っていたのだろう、悪いことをしたな。お前が食っている物とは知らなかった」

「先輩古いね。ま、タコスは20代の若者に人気の食べ物だから仕方ないか」

「そんなもん、食いたくもねぇよ」と側からイサオが言った。

「辛いだけで美味いのかね、甲子園」と義信さんが奇異な目をして訊ねた。

甲子園は笑いながら最後の一切れを口に放り込んだ。そしてコーラで流し込んで言った。

「うん、最高だネ」

「テツよ、少し離れて座っていた仲田さんが哉哲に言った。哉哲は私よりも随分年下で22歳だと聞いた。宜野座村漢那から通う若い乗務員である。コーラを手に自分の車の方向を見ていたが仲田さんを振り向いた。

「お前の彼女、ほれ、あのいい尻をしていたクロンボーハーフのネーチャン。あの娘に今日の昼過ぎに会ったぜ」

「昔の話だよ、今は彼女じゃねーよ」

「そうかい。良かったな」

「それで、マリーに何処で会ったのさ」

「なんだお前、知らないのかい。その坂の下のアパートでガス爆発があってな。俺も暇だから行ってみたのよ」

「そういえば、消防車が走っていたな。2時半ごろだったかな」義信さんが言った。

「ああその頃よ。女が一人焼け死んだのよ。そいつがお前の彼女のマリーって言うじゃないか。びっくりしたよ」

「ガス自殺かな」と誰かが言った。

「そうかもしれないな。それがよ、真っ黒に焼けて髪がチリチリになっていたぜ」と仲田さんが素っ頓狂な身振りで言った。

「それでアンタはマリーを見たのかい」とテツが聞いた。

「ああ、担架で運ばれるのをチラッとな」

「かわいそうに、そこのスナックに勤めていたが可愛い子だったな」と義信さんが言った。

「ああ、可愛い子だったな」と賢雄さんが沈んだ声で言った。

僕らはテツによく声を掛けていたマリーの事を思い出して暗い気持ちになっていた。すると仲田さんが突然言い出した。

「ああそうか。マリーの奴はクロンボーだから焼けなくても肌は黒いし、髪も普段からチリチリの天然パーマか」一人で高笑いした。まるで落語の落ちを皆が期待しているかのように言った。

「おい、テツの前でそんな話をするなよ」と体の大きい賢雄さんが睨み付けた。

「あれ、本当の事だぜ」仲田さんが笑いを期待するかのように言った。

テツは黙って車に戻って行った。その場に気まずい空気が流れた。仲間はそれぞれの車に戻って行った。私は一人残ってポケットからマールボロを取り出して火を付けた。煙がゆっくりと闇に吸い込まれていった。気がつくと私の周りに誰もいなくなっていた。この暗くて湿った空間には、人のまっとうな感性を失わせる何かが沈殿している気がした。所詮、刹那的な米兵相手の繁華街である。ここは米兵、ホステス、そして米兵相手の運送業で日々の生業を得ている不謹慎なベースタクシー・ドライバーが集うだけの空間である。米兵相手の僕らに正規の運賃規定が無いように、この空間にうごめく者たちには世間の常識は欠落しているのかもしれない。私もいつの間にかその空間の発する不条理な空気に取り憑かれ始めていた。

 深夜の国道をひたすらシュワーブに向けて走る私の肩を誰かが揺さぶった。

「班長、ウェイクアップ」

ハッとして前を見るとセンターラインを大きくはみ出して走っている。対向車のライトが私の脳内で爆発して黄色い閃光を放った。無意識にハンドルを左に切った。パ、パーンと対向車のクラクションが尾を引いて通り過ぎた。ほんのコンマ数秒足らずであった。目を開いたまま眠りに落ちて意識を失っていたようだ。

スピードメーターは時速90㎞を指していた。私はブルッと頭を振った。そして窓を空けて外気を取り込んだ。海風が漢那小学校の校庭を横切って流れてきた。海藻にも似た磯の香りが私の鼻腔を強く刺激した。私は死の影を振り払うように更にアクセルと踏み込んだ。後輪が路面を蹴り上げて東海病院前の上り坂に120㎞で侵入した。もはやアクセルを踏み込むことでしか神経を刺激して眠気を振り払うことが出来ないような気がした。

漢那集落前の直線道路、アクセルが床に着くまで踏める場所だ

 キャンプシュワーブの兵舎前に米兵を降ろし、車を反転してハンセンゲート前の繁華街に向かった。既に日付が昨日と明日の峠を越えていた。潟原から宜野座に至るまでに1台の久志タクシーとすれ違っただけである。今夜の米兵相手の運送業は閉店時間が迫っているようだ。もう1回ぐらいは配送したいと車を飛ばした。東海病院前の下り坂で窓を開けて夜気を取り込んだ。定期的な眠気覚ましの換気である。未だ夜気は新鮮な酸素を含んでおり、大気が重たく淀んでしまう不快な熱帯夜が始まるのは1カ月先の事だ。夜気は思いがけずソウシジュの香りを運んできた。季節外れの遅れ花だろうか。私の中に懐かしく初々しい遠い記憶を呼び覚ましてくれた。私は最後のカーブを抜けるとアクセルを踏み込んだ。スピードメーターが一気に100㎞を越えて跳ね上がった。午前1時の漢那小学校前のバス停留所に人影がポツリと浮かんで手を振っていた。地元客だ。私は車が反転しないようにブレーキをポンピングしながらタイヤを軋ませて必死で減速した。停車して振り返ると80m程後ろに人影があった。再びタイヤを軋ませてバックして客の前に戻って後部ドアを開いた。

「バカ野郎。何処のタクシーだ。俺は漢那の自治会長だ。村内をなんてスピードで走るのだ」少し酒が入っている声で怒鳴った。

「すみません」私は素直に謝った。

「牛庭に行け」

私は時速60kmで車を走らせた。夜景がゆったりと後ろへ流れた。まるで時間が止まっているかのような錯覚に包まれたまま牛庭のアーチの下で車を停めた。

「安全運転しろよ」と自治会長さんは車を降りた。

「分かりました以後気を付けます」つとめて朗らかな声で返事した。米兵相手にタクシーを飛ばしていると、地元客を拾う視線など持ち合わせていなかったのだ。夜間走行は米兵オンリーになっていたのだろう。それにしてもゲート前の米兵相手の繁華街は閉店時間と言うに、地元の繁華街は営業真っ盛りである。奇妙なギャップを覚えながらビリヤードセンター前に向かった。

地元客の社交街うしなー

 繁華街に人の気配は無くタクシーは順番待ちの列を作らずそれぞれ離れて停まっていた。乗務員は仮眠を取っているようだ。私も交差点から少し離れて車を停めた。ドアをロックしてシートをすこし倒して仮眠をとることにした。瞼を閉じると眩い光の中でセンターラインの白線がアスファルトから剥がれて私の眼球を突き刺し後頭部から突き抜けていく感覚が付きまとった。それがいつもの眠りに入るときのパターンとなっていた。

 2時間近く目を閉じていただろうか。助手席のガラス窓を叩く音で目覚めた。私は駐車違反の摘発かと思って飛び起きた。夜気で曇りガラスに変わった窓の外に女が立っていた。窓ガラスを空けると女が言った。

25ドルでコザの高原交差点まで行ってくれないかしら」

車の時計が午前240分を指していた。「どうぞ」私はレバーを引き、後部ドアを開けて女を乗せた。夜が更けており、行き先を事務所に告げずに車を出した。この頃は夜間走行で事務所に無線連絡する気も失せていた。

客は美人ではないが肉付きの良い何処にでもいる女である。年の頃は40歳くらいだろうと思ったがもっと若いかもしれない。体つきよりもやけにくたびれた顔をしていた。日暮れの顔はもっと輝いていたのかも知れないが既にその面影は失せていた。丁度、夏の夕暮れの月見草は宵が迫る頃、晴れやかに化粧をして我が物顔で夜の帳を開ける役を演じるのだが、朝の薄明を待たずに色あせてしまう一夜の恋女に似ていた。女は夜の深まりの中で輝きを失って帰るべき棲家に向かっているのかもしれない。国道329号伊芸の海岸を走るタクシーの窓を開けてぼんやりを浜風に浸っていた。セイラムを立て続けに2本吸って指先で器用に吸殻を窓の外に弾き飛ばした。革製の細身のシガレットケースと銀色のガスライターをハンドバックに放り込んでパチンと音を立てて閉めた。私はこの時間にタクシーに乗る女性客のことが気になってバックミラーを何度も見た。女がうつろな目つきで私の方に視線を向けた。私は退屈まぎれに女に話しかけた。

「今日は随分と遅かったですね」と穏やかな口調で言った。

「そうね、今日は何時もより遅かったわね」

「随分と稼いだでしょう」

「冗談じゃないわよ。あの白人は舐めまわすだけで中々入れないのさ。さっさと入れて出してくれたら仕事も早く片付くのに、まったく帰りが遅くなったじゃない」

私は年増女の剣幕に圧倒されそうになった。

「高原から田舎の金武町まで通うのは大変でしょう。コザの街の方が華やかで景気も良いのではないですか」

「家から近いコザのセンター通りでパンパンすると、知り合いに会いそうでいやなのよ」

「そうですか、姐さんは中部訛りがないですね」

「私は元々、喜瀬武原育ちなの」

「どうりで、金武町界隈の方かと思いましたよ」

「ハンセンで働いていた旦那と一緒になって高原の近くの住んだのだけどね。アイツがサッサと逝っちまってさ。仕方なく元の仕事に戻ったのよ。でも地元でこの商売すると噂になるから昔の仕事場に通っているのよ」女はつまらなそうな顔で言った。

「出張でのお仕事ですか」

「アンタ、面白いこと言うわね」と言って女が笑った。女の顔から暗さが消えて何処にでもいるおばさんの表情に変わっていた。私は奇妙な安堵感を覚えた。

知花交差点で信号待ちをするとパトロールカーが右側に止まった。助手席の若い警察官がこちらを見た。私はさりげなく視線を合わせてから正面を向いた。後部座席の女をバックミラーで覗くと寝たふりをしていた。信号が変わると直進した。パトカーは右折してコザの八重島町の繁華街の裏手に向かって行った。コザ辺りで見かけない久志タクシーが気になったのかもしれない。

料金メーターが5,050円を指したところで回送表示に切り換えた。コザ高校の前を通って大里の坂を下る途中で女に声を掛けた。

「姐さん、もうすぐ高原です」

「もう少し先まで行って」いつの間にか本当に寝ていた女が顔を上げて言った。

女はハンドバックから煙草を取り出して火を付けた。セイラムのハッカの香りが車内に漂った。私もマールボロを取り出して火を付けて窓を開けた。闇の深さは変わらぬが既に夜が終わる気配に満ちていた。

 高原交差点を過ぎて北中城村の境界の手前で左折した。二つ目の交差点を右折して農道に入った。未だ十分に伸びきらぬキビ畑の中を少し進むと、ブロック塀で囲まれた木造瓦葺きの民家があった。街灯も無く民家に明かりもない。人の気配は全くなく闇の中でサラサラとキビの葉だけが揺れていた。

「兄さん、タクシー代の分だけ遊んでいくかい。たっぷりサービスするから」と女が言った。

「今日はやめとくよ。車を洗って会社に納車する時間だから。この次に会ったらな」

「そう、残念だわ。アンタ男前だし女にもてるでしょう」そう言って、胸元から紙幣を取り出し25ドルを渡した。

「お疲れ様です」と女に礼を言った。

「アンタ、この仕事は最近からでしょう」

4カ月チョイですかね」

「ろくな商売じゃないわね。体に染みつく前に昼間の仕事を探しなさいよ。長くやると昼の仕事が出来なくなるから。アタシみたいにね」

女は気怠そうにシートから腰を上げて出て行った。私は屋敷の角の交差点で車を切り返して本通りに向かった。バックミラーに映る女の家から明かりが漏れることはなかった。時計は既に4時を過ぎていた。キビ畑の上を流れて来る風は微かに潮の匂いがあった。中城湾の海岸が近いようである。琉球王朝時代には遠浅の海岸で塩田が営まれていたらしいが、今では埋められてキビ畑が広がっている。時代の変化は風景も人間の営みも成り行き任せで変えていくようだ。

 石川市でガスの充填と洗車をして会社に向かった。嘉芸小学校の前を通過する頃には恩納岳がおぼろげに輪郭を現していた。ハンセンのゲート前を通過する時にヘッドライトを消した。時速60㎞でゆっくりと未だ目覚めぬ町内を通過した。普段と異なった地元客が絡んだおかしな夜が終わり、15分後に納車すれば全てが夢の中に沈むはずだと思ってアクセルを踏み込んだ。

 回送に切り換えようとメーターに手を伸ばした途端、牛庭のアーチから3名の青年がおぼつかない足取りで出てきた。二人が肩を組みもう一人が手を上げて車を停めた。ひどく酔った二人組が後ろに乗り、もう一人が前に座った。

「中川まで」と前に乗った男が言った。あまり酔っていないようである。

私はホッとした。今度も石川、コザまでと言われるとどうしようと思ったのだ。

金武大橋を渡るとすぐに集落内に入った。100mほど進んで助手席の男がフクギに囲まれた家の前で停車を命じた。

「ちょっと家に寄って取ってくる物がある」と言ってドアを開いたまま車を降りてスタスタと屋敷に入って行った。私はタクシー代が無いのであろうと思って

「はい、どうぞ」と言って送り出した。その男が荒れた中庭を通って古い赤瓦の住宅の玄関の雨戸を空けて中に入るのが見えた。

「兄さん、車を出してくれ」と後部座席の男がひきつった声で言った。

今まで酔っぱらっているとばかり思っていた二人の男が、おびえたように先ほど出て行った男の方角を見ている。男が玄関に姿を現した。「急げ」二人の男は興奮して同時に言った。私は急発進してその反動を利用して助手席のドアを閉めた。タイヤが軋んでゴムの焼ける匂いがした。70m程走ってバックミラーを見た。男が門から出て追いかけてきたが、すぐに立ち止まってこちらを見ていた。追いつかないと諦めたようである。だらりと下げた男の右手に包丁らしき物が光っていた。男の姿が視界から消えると二人の男はこちらに振り返り、肩をすぼめてポロリと言った。

「殺されるところだった」二人の男は途中下車の男を油断させるために泥酔しているふりをしていたのだ。路地は国道329号に続いていた。

「何方に行きますか」と尋ねた。左を指差して「もう少し先だ」と言った。

中川集落の外れの下り坂に差し掛かった場所で一人を降ろした。国道でUターンして少し戻って海岸に向かって下って行った。途中の小さな売店の前で残った男が言った。

「ちょっと待ってくれ」後部座席のドアを開けたまま未だ開店前の店先から何かを取ってきて再び車に乗り込んだ。ほんの少し前に配達されたばかりの湯気の立っている豆腐である。4丁ほど木箱に詰められたセットだ。私が怪訝そうな顔で車に乗り込んできた男を見ると

「夜が明けたら金を払いにいくから、兄さんは心配しないで」と言って手づかみで豆腐を食べ始めた。

夜はとっくに空けており水平線にたなびく雲は既に赤く染まって日の出を待っていた。坂を下りきって水田の広がった億首川の河口に近いトタン屋根のさびれた一軒家の前で停車を命じた。男は料金メーターを見て無言で千円札を渡して車から降りた。左手で豆腐箱を抱えて屋敷の中に歩いて行った。

 私はメーターを回送表示に切り替えてからギアを入れて車を発進した。この車は≪AUTHORIZED ON BASE≫のベースタクシーだ。地元客を乗せるとロクなことがないと思った。坂を上り切って国道329号に戻って北にむかった。今度こそ本当に本日の業務終了だと自分に言い聞かせてアクセルを踏み込んだ。日の出が始まっていた。

事務所に戻って運賃を精算して車を拭いていた。最後の客の豆腐の食べカスを丁寧にふき取っていると怒鳴り声が聞こえた。車から出て声の方向を見ると2台前の車で宮城さんが怒鳴っている。

「甲子園のアンちゃんよ。一昨日の乗車後の掃除をしないで帰っただろう」

「いつも通りにきちんと拭き掃除をしたぜ」

「冗談じゃネーヨ。後部座席の枕の後ろにフライドチキンの食べカスの骨が残っていたぜ。お客さんの頭のすぐ後ろだ。客を乗せる前に俺が気付いたから良いものを。万座ビーチホテルのフロントに知れたら俺は首だぜ」

「悪かったな。朝は視力が悪くなって見落としたのよ」

「全く困った相棒だぜ」

「アンタも万座ホテルの専属をクビになったらアメリカー相手に商売したらよいだろう。ジャパニー相手より儲かるぜ」

「俺はアメリカーが嫌いだ。クロンボーの匂いよりはヤギ小屋の方がよっぽどマシだぜ。いつも言ってるだろ。クロンボーを乗せるんじゃネーヨ」

「そうかよ。日が暮れたら白・黒と言っていられるかよ」

二人は険悪な雰囲気のまま離れていった。甲子園はトヨタ・セリカの暴走族仕様にも似た愛車で爆音と土ぼこりをまき上げて帰って行った。

「あのバカが、いつまでもガキの真似していやがる」

宮城さんは怒りが収まらぬ様子で私に向き直って言った。

「おい、国立大卒の兄さんよ、いつまでもつまらぬ奴らと遊んでいるじゃないぜ。アメリカー相手に小銭を稼がずにサッサと本職を探しな」そう言ってトランクにタオルを放り込むと車に乗り込んだ。

 宮城さんだけは久志タクシー仲間と異質な雰囲気を持っていた。こざっぱりしたアロハシャツ姿で、如何にも本土からの新婚さん相手の観光タクシーの乗務員ですという身なりだ。車もグレードがワンランク上で兵相手ではもったいない仕様である。それでも彼自身の体の奥から染み出て来る気配は、辺野古川河口の潮だまりに集まっている久志タクシーの乗務員特有の色が滲み出ていた。私はというと、このベースタクシー乗務員の仕事が嫌いではないが、彼らと同じ色には染まりようがないと感じ始めていた。水彩絵具と油絵具を混ぜ合わせても上手く色が乗ってこないのだ。何かを表現するための基礎となる具材が異なるからである。幾ら混ぜ合わせても分離してしまい本物の色を成さない。そろそろ自分らしい景色を描くために適した絵の具を探しに行かねばという思いが頭をもたげ始めていた。

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 潮目はいきなり変わるものである。変わるには何らかの兆候があるのだろうが、それはいつも突然にやって来るものだ。

勤務明けでいつも通りに自宅で寝ていると電話が鳴った。

「もしもし、ナカムラさんのお宅ですか」

「そうですが、どちら様ですか」私は不機嫌な声で応えた。

「ヤスカズさんいますか」

「私ですが、何かご用ですか」

「ナカムラさん、今日の午後1時から面接の予定ではなかったですか」

私は義父の紹介で履歴書をとある会社に提出してあり、その会社の代表者からの面接を受ける予定日であったのだ。時計を見ると午後3時である。

「申し訳ありません。夜勤明けで寝過ごしてしまいました。1時間後に伺いますが宜しいでしょうか」

「よろしいでしょう。では、午後4時に待っています」不機嫌そうな声で電話が切れた。

私は採用が無理だなと考えながら面接を受けに向かった。背広にネクタイの姿ではなく、少し地味なアロハシャツ姿で面接を受けた。代表取締役は流郷という聞きなれない姓の70歳過ぎの短髪白髪の男であった。後で知ったのだが建設省の上級官僚出身で、定年を沖縄総合事務局の主席調整官で終えた男であった。

「お前、いい度胸しているな。3時間も遅刻して面接を受けるとは」

「すいません。仮眠のつもりが充分に寝てしまいました」悪びれずに答えた。どうせ採用は無理だろうと思っていたからだ。ベースタクシーの乗務員稼業で世間擦れした度胸だけが育っていたのだろう。

「造園協会の副理事長の紹介だから面接をしたのだ。親父は本部警察署の署長だって」

「ええ、義理のオヤジです」

「お前の実のオヤジは何をしているのだ」

7名ばかりの職人を使っている大工の頭領です」

「ほう、それでは、作業人夫の扱いに慣れているな」

「ええ、まぁ。中学、高校、大学と休みのたびに親父の下で仕事を手伝っていましたから。実家では人夫が頻繁に出入りしていましたし、仕事柄の酒の席が多く、父の代わりに世話役も手伝っていましたので」

「そうか、うちの職員は男子6名と、女子の事務員が一人の所帯だ。君なら仕切れそうだな。」

「私でよろしければ、お手伝いさせていただきます」

「では、来月1日付での採用としよう。今は小さな会社だが、いずれ必ず大きくなる性質の会社だ。給料はその都度上げてやるからしばらく我慢しろ」

「分かりました、よろしくお願いします」

可笑しな成り行きであったが、私はこの会社の代表取締役の気に入られたらしく採用と決まった。どうやら潮目が確実に変わったようだ。その新しい潮流に乗ってみるのも悪くない気がした。

 梅雨が上がりイジュの花が散って、ホウオウボクのオレンジの花が咲き始めた7月の終わりに政叔父さんに暇乞いをした。義父の紹介が功を奏して新しい仕事に就くことになったことを告げた。「お前は私のところで事務をするより、体を動かして仕事をする方が向いているようだ」と残念そうに言った。

深紅のホウホウボク、この花が咲くと夏本番だ

 造園協会の副理事長は義父の旧制第三中時代の同窓の学徒兵とのことであった。その協会が出資して作った新会社は未だ小規模の公園管理工事をするに過ぎなかったが、動き始めた新しい潮の流れに乗るのもよしとした。以前に義母を伴って出かけた県立名護病院での一件が転職の引き金になったのだろう。私の日常は24時間サイクルに変わった。妻は私の就職に安堵して機嫌が良くなり、あれこれと新しい職場の事を訊ねた。私はのんびりした業務だとだけ答えた。実際、公園管理工事の現場責任者に就いた私は、目立った活動をすることもなかったのである。職員は全員が北部農林高校卒で素直な後輩であった。あの久志タクシーの乗務員に比べると全くのお坊ちゃんに見えた。職場は国営公園の植物維持管理を生業にしており、米兵相手の緊迫感は何処にも存在しない別世界であった。

 ともあれ、あの闇を切り裂くカーレースの日々から解放されたことに、私自身が一番の安堵感を覚えたのかもしれない。潮目が変わると次々と変化が現れるものだ。入社1週間後に農協から営農指導員の採用通知が届いた。農学科出身の私に相応しい仕事かもしれないし、これまでの知識と経験が生かせる職業であろう。しかし私はその採用通知を断った。大学の農学科を卒業して、多少の農業経験があるも技量の底は知れている。新しい流れから乗り換える程のこともない。農家という大地に根を張って粘り強く生きている人々と付き合うことは私には無理である。造園建設業界という絶えず変化する受注工事が連続する見知らぬ世界の方が性に合っていると思ったのだ。人の甲斐性は容易には変わらないし、自らの天命を知るにはそれなりの出会いと時の蓄積を経るべきものである。

 新しい仕事に就いて二月ばかりして実家で松さんに会った。

「新しい仕事はどうだい」

「毎日定時にベットで寝られるだけがお得かな。給料は半分になっちまったし」

「幾ら貰っているんだ」

「月給14万円さ」

「俺の半分以下か」

「久志タクシーの仲間は元気かい」

「ああ、皆相変わらずだ。テツは消防士の学校に入学した」

「あのガス爆発の後で落ち込んでいたからな」

「甲子園の比嘉は万座交通ハイヤーに転職だ」

「へぇ、観光タクシーは嫌いじゃなかったかい」

「結婚して母ちゃんに泣きつかれたのさ。一日越しに帰宅する仕事に新婚女房殿が怒ったのさ」

「女は強いね。俺も母ちゃんが義父に泣きついたおかげで、乗務員を廃業したのさ」

「ところで、金武タクシーの宜保さんを覚えているかい。剛柔流2段の男だ」

「ああ、年甲斐もなくサングリアの前の通りでで米兵をからかっていた男だな」

「ハンセンの中で刺されて死んだよ。後ろからアーミーナイフでブスリさ。金武タクシーは無線が無いだろ。発見が遅れて出血多量死だとさ」

「武道家でも危ないのだね」

「やったのはプエルトリコ系兵士のガキどもさ。咳止めのブロンでラリっていたらしいよ。あれは一種の興奮剤だからな」

「そうか、俺もそいつらをハンセンから赤羽屋の隣の薬局まで往復で乗せたことがある。ブロンを飲んだ途端にテンションが上がったぜ」

「お前も危ないところだったな。転職して良かったな。兄さんよ」

松さんが乾いた声で笑った。

「お前が置いて行ったラジカセな。俺が貰ってもよいかい。家のラジオが壊れちまってよ」

「ああ構わないよ。どうせあのクロンボーが取りに来るとも思えないし、タクシー代も会社が損金処理していて俺の損失は無いから」

「政兄さんはお前を本気で跡継ぎにしたいと考えていたがそれもチャラだな」

「政叔父さんには悪いことしたな。紹介してくれた農協の採用通知も断ったし」

「仕方ないさ。タクシー稼業でもあっただろ。運の潮目が変わることはよくあることさ。潮目が変われば新しい流れ乗ることが仕事の鉄則だ。しばらくすると新しい潮の流れが次の運を運んでくれるものさ。コロコロ乗り換えても良い運気は来ないぜ」

「そうだな」

「お前の給料も次の潮目が変われば俺よりも高給取りになるってことよ」

「そう願いたいね」

松さんが大きな声で笑った。

 松さんの高笑いを聞いていると、久志タクシーの日々の記憶が離岸流に乗って遠のいたことをはっきりと知った。僕らは別々の潮の流れに乗って次第に遠ざかっていくのだ。

 それから数年後に久志タクシーは行政処分されて丸金タクシーに吸収された。政叔父さんは丸金交通の経営管理者の一人になり、松さんは八重タクシーに移った。他の乗務員もそれぞれ転職していった。その頃から米国経済は停滞を始め、日本経済は平成景気を迎えた。ドルのレートは1ドル110円台に下落していった。ハンセン前の繁華街は潤いを失い。ベースタクシーの利用者がいなくなってしまった。久志タクシーの潮だまりはあたかも辺野古川から流れ込んだ土砂で干上がってしまったかのようになった。時の流れは無造作にそこに住む人々生活を変えてしまうのである。

 入社後10年目を迎えた頃、組織は大きく成長して従業員数も30名を越えていた。平成景気の中で営業と称する乱費がはびこっていた。私は毎月45回のゴルフコンペと繁華街通いに明け暮れていた。意味のない営業活動のおかげで胸膜炎を患い、2週間余り入院した。ただ、入院に伴う体力の低下は思いのほか重症であった。体力を取り戻すために再び空手を始めたのがせめてもの救いであった。空手道場はあの頃住んでいたアパートの近くにあった。あの頃は何とも感じなかった道場の看板をどうして思い出したのか不思議だが、体と心が鍛錬の必要を感じたのであろう。人は必要になって始めて見落としていたものを拾い出し、不要になると無造作に記憶の外に追い出してしまうのだ。

平成バブルはやがて消滅して、不景気の波が業界に押し寄せた。誰もが予感しながら対策も立てなかった波であった。私は組織も規模縮小を余儀なくされたが、事業形態をすこしずつ変えることで生き残った。

私が中東湾岸戦争を知ったのはベルビーチゴルフ場のクラブハウスのテレビニュースであった。東アジアのベトナム戦争が終結して20年、アメリカの軍需産業は西アジアへと商売の拠点を移していった。西アジアでは次々と節操のない喧騒が始まっていた。沖縄の全ての基地が再び熱を帯びて動き始めたのである。ベトナム戦争の頃と同じように沖縄の県民を大きく巻き込むことはないだろうが、潮目の変化は無造作にそこに関わる人々の暮らしを変えてしまうのが常である。

 太陽は遥か彼方の太陽系の中心に座り、誰の目にも明らかに時の移ろいを示してくれる。しかし、本当に人間と深くかかわっているのは月だ。地球のごく近くにあって、夜陰に紛れて地球と引力の引き合いをしているのだ。古い時代の漁師も農民も月の満ち欠けによって自然の変化を読み取っていた。潮目の変化を引き起こすモノは遠きに在る大きな変化ではない。誰もが近くにある≪既に起った未来≫を見落としているのだ。身近にあるモノが夜陰に紛れてゆっくりと変化しているのである。そして変化は度が過ぎると壊れた堤のように一気に新しい流れを作るのだ。その流れに抗って流れが収まるのを待ちつつ朽ちていくか、新しい流れを受け入れて変化の中に自分の航路を探すか、人それぞれの生き方だ。人は宿命を背負って人生を歩み始め、天命を求めて命を運ぶのである。たどり着く先など誰も知らないのが、せめてもの神のご慈悲であろうか。

                         「完」

 

 

2017年8月14日 | カテゴリー : 短編小説 | 投稿者 : nakamura