ミジュンの群れ

午前8時30分、私はファーマーズマーケットにコチョウランの鉢植えの納品を済ませて名護市営21世紀の森公園にやって来た。久しぶりに朝のウォーキングをしようと思ったのである。定年退職後に始めたラン栽培の成果品をJAファーマーズマーケットの店内に納品しているのだ。納品時間は午前7時から午後6時までだが、開店前の午前9時までに納品と簡単な手入れを済ませている。朝食後の軽い運動で老化が進行中の体を少しばかり活性化したいのだ。
ファーマーズマーケットに納品する農産物生産者は、専業農家よりも少量生産の農家モドキが多い。私の様な定年退職後の暇人の小遣い稼ぎにも似た生産者達である。自ら管理できる範囲の農地で生産した農作物を少量出荷しているのだ。生産者の表情にはサラリーマンのストレスにも似た影は見つからない。それぞれが自慢の農産物を持ち込み、自らの評価で値段を決めて出荷するのである。上司も部下もいない一人親方としての自信に満ちている。私の所属する店舗には、若くもない年齢の人々が1,400名も会員登録されているが、常時活動する会員は400名程度である。老いが進みすぎた生産者は離脱しているのかもしれない。次々と参入してくる世代との更新リセットがなされているのだろう。しかし農協口座から自動的に引き落とされる年会費1,000円を止めることもせず払い続けているのだ。人間の生産活動のエネルギーにも限界があるのは否定できない。それでも農産物生産の喜びを知る人々にとって、ファーマーズマーケットは老いてなお僅かなエネルギーで社会との繋がりを保つことが出来る場所なのだ。それ故に体調や気力が整えば市場に出荷したいとの思いが脱会を思い留まっているのだろう。10年ほど前に出現したこの市場は、農家の血を吸って成り立っている日本農業協同組合の数少ない社会貢献の一つだと私は思っている。
私は三十数年に渡り造園建設業界に携わってきたが、退職後は造園業界から完全に離脱して農業という異なる業界を垣間見ている。造園建設業も植物を扱う仕事であるが庭師の共同作業による成果品の作出だ。農業には一人で植物に向き合って成果品を作出する楽しみがある。とりわけ私の様な農業入門者にはその感覚がたまらなくうれしくてモノづくりに自然と熱がこもるのである。私の場合、冬から春にかけての洋ランの開花期に作業のピークを迎え、5月の母の日セールで一段落となる。気がつくと沖縄の「うりずん」と呼ばれる短い春が過ぎて雨季が来ているのだ。
21世紀の森公園のラグビー場横の駐車場に車を停めた。冬の間落葉していたコバテイシは既に若葉から青葉に変わって豊かな樹冠を作っていた。梅雨空の厚い雨雲が日差しを遮って大気が湿っている。私は浜風を求めて公園の南の海岸に向かって歩き出した。21世紀の森公園は野球場、ラグビー場、200mのショート・トラックの競技場、シャワー室を備えた海水浴場、雨天練習ドーム、体育館等の運動施設と児童センター、大小のコンサートホールと幾つかの研修室を備えた中央公民館とそれらの施設を取りまく緑地帯で構成されている。施設を連結するように遊歩道が設けられており、ジョギングやウォーキングを楽しめる造園修景となっている。この公園は1972年頃、名護湾の遠浅の海岸を埋めて作られた。海岸線は東西にW字型に三つの突堤が作られていて、その内側に広い砂浜を持つ美しい入り江が形成されている。

私は中央の突堤に続く遊歩道を歩き始めた。歩道の両脇が松並木となっていて左側がラグビー場、右側が野球場である。野球場はプロ野球日本ハムのキャンプ場としても利用されている。1月、2月は野球選手と観客で賑わうが今はオフシーズンである。

松の枝をわずかに揺らして緑陰の中を磯の香りを含んだ浜風が通り抜けていく。200mほど歩くと浜辺に出た。正面に恩納岳の山並みが右肩下がりで緩やかに連なっている。砂浜に降りて波打ち際を歩くとサンゴの細長い枝片が打ち上げられ、波形に積もって続いている。その上を歩くとジャリ、ジャリと靴底から軽やかな音が伝わってくる。サンゴの砂利のことを沖縄の古い言葉ウルウと呼ばれていて、琉球の別名うるま島はウルウから派生した名前だと94歳の父が話していたことを思い出した。この浜辺を歩くのは4カ月ぶりだろうか、もっと前であっただろうか。ミーニシと呼ばれる晩秋の北風が吹いていた頃だ。このW字型の突堤に挟まれた西の入り江には、ミーニシと共にミジュンが群れでやって来る。

直径20m程の不安定な円形の魚影が入り江の中をゆっくりと移動する。ミジュンの到来と共に暇を持て余した釣り好きな老人共が集まって来る。この時期だけ魚釣りをする老人達である。安物の振出竿にリールと300円前後の疑似餌のグルクンサビキがあれば遊べるのだ。釣ったミジュンは塩コショウと軽く小麦粉をまぶして、油を薄く敷いたフライパンで焼けば晩酌の肴となるだろう。同じ顔ぶれの4,5人の老釣り師が毎日のように夕暮れの日差しを浴びて竿を振っている。時々高級ルアー竿を手にミジュンの群れを追ってやって来るガーラ等の大型回遊魚を狙う若者を見かけるが多くはない。仕事持ちのシーハンターは老釣師程の暇を持ち合わせていないのだ。老人釣師が2度、3度と竿を振ると、竿を少しだけしならせて巻き取った糸の先にミジュンが1匹、あるいは2匹と食いついてくる。夕日を浴びてミジュンの銀色の腹がキラキラと光って跳ねる。老釣り師の顔が輝いて子供の笑顔のように弾けている。数十万匹のミジュンの群れはは幾ら釣っても減ることは無く彼らの楽しみを叶えてくれる。只、時折やって来るガーラ(オニヒラアジ)、イケカツオ、シジャー(ダツ)はミジュンの群れを蹴散らして浜辺から沖へと追いやってしまう。老釣師のキャスティングで届かぬ距離へと去ってしまうのだ。活力に満ちていた老人のエネルギーは一気に萎んでしまい、砂浜に座り込んでしまう。老人が本来の姿に小さくまとまってしまうのだ。老人の期待するミジュンは容易には戻ってこない。やがて陽が西に傾いた頃、縮めた振出竿を杖代わりにして歩き出し、自転車で浜辺を去って家路に着くのだ。ルアーフィッシングを楽しむ友人によると、昼過ぎから毎日のように4時間近くも釣っている老人もいるようだ。彼らは釣果を近隣の知り合いに配って回り、名を上げているのだろう。日頃は家計の戦力外の老人にとっての数少ない名誉挽回の機会かもしれない。今日の5月の梅雨空の下の浜辺には、老いた強者どもの夢の欠片さえ残ってはいない。足元から伝わって来る砂利の音と寄せては返す波だけが変わらぬ風景である。

砂浜の西の入江の端に岩山がある。埋め立て前は砂浜から100m程離れた海中に佇んでいた異形の岩礁だ。名護間切りの住民は畏敬の念を込めて岩礁のことを大石(プーイシ)呼んでいた。ところが現在は陸続きになってしまいネコ捨て山となってしまった。呼び名もネット上で猫島と呼ばれているらしい。心優しい愛猫家或いは寂しさを紛らわす孤独な人々の持ち込む餌に引き寄せられた野良猫が増える一方である。遠い日にこの島に向かって何かの思いを祈願した故人には如何に映るだろうか。この岩山の陸地に面した部分は既にアコウ、クロツグ、オオハマボウ、モクマオ等の潮風に比較的に強い海浜植物が繁っている。しかし南側の海水を被る岩礁にはハマボッス、ウコンイソマツ、野芝等が生えている。未だ人間の悪癖に染まらない植物群が残っているのだ。只、この岩礁が陸続きになる前に群生していたヒレザンショウは盆栽ブームによって盗掘されて消えてしまった。

私は岩礁の脇から続く西の突堤の先端で折り返して海岸の遊歩道を東に向かって進んだ。東の入り江は遠浅で海岸中央部に位置する公園管理事務所と海水浴場がある。クラゲフェンスの周りをビーチ監視員が泳ぎながら始業点検を始めている。ハブクラゲ、オニオコゼ、ゴンズイなどの危険生物の除去作業である。ハブクラゲはいつの頃から現れたのだろうか。私がこの海辺で泳ぎ回っていた頃には存在しなかった生物である。まるで人間社会の悪しき慣習に誘われてマリアナ海溝の海底深く沈んでいたパンドラの箱から抜け出して来たようだ。
ビーチの利用時間は午前9時半から午後6時までだ。地元の利用客は少なく県外や台湾からの観光客が殆どである。そもそも最近の沖縄県民は海水浴に馴染まない傾向がある。私が子供の頃は、夕方になると遠浅の海岸は海水浴をする子供達のはしゃぎ声に満ちていた。あの頃、この辺りの庶民の生活は、子供の海水浴が風呂代わりになっていた気がする。湯を沸かす五右衛門風呂は短い冬の間のことであった。湯の出るシャワーなど想像もできない半世紀も前のことである。

管理事務所の後ろから東西に管理用車道が続いている。車道の南側に歩道がありコバテイシの並木が続いている。私は歩道ではなくコバテイシの植え込みに広がる芝生地の上を歩いた。洋芝のセントオーガスチンの上に一条の獣道にも似た踏み跡が続いている。高麗芝だと歩行者の踏圧で枯れてしまうが、セントオーガスチンはわずかに踏み跡が残るだけである。太くて硬い茎が踏圧に耐えるのだ。この芝は日陰にも強く、高麗芝の広場に侵入を許すと、たちまち凌駕してしまう勢いがある。まるで欧米から移入した文化に容易に染まってします日本人社会の様である。少し明るくなった空から注ぐ陽光が暑さを運び始めたのでコバテイシの木陰となっている芝生の上を歩くことにしたのだ。靴底から心地よい芝生地特有のクッションが伝わって来た。

コバテイシの木陰の下を500m程歩いた所で、東の突堤と護岸に沿って直進する遊歩道の交差点に着いた。右に行けば突堤の先端へと続き、護岸に沿って直進すると港川の河口に至るはずだ。私は立ち止まって背伸びをして護岸の1m程の高さのコンクリートの堤防に足を掛けてストレッチをした。久しぶりの散歩でふくらはぎに重みを感じていたのである。深呼吸をして市内のアパート群から名護岳へと続く爽やかな朝の景色を眺めた。穏やかな名護湾の海面に深い緑の名護岳の山並みが映って落ち着いた景観を成している。絵筆を取りたくなるような爽やかな朝の風景である。私は見慣れたはずの名護漁港のドックの手前に橋らしきものを見つけた。早足で歩いていると見落とす僅かな構造物だ。私は気になってその方向に歩き始めた。東の突堤を折り返して戻るのがこれまでの散歩道であったが、ドックに向かって真っ直ぐに伸びる防波堤に沿って進んだ。
400m程進むと港川の河口に着いた。その川向うは名護漁港である。確かに河川の最先端部に橋があった。こちら側の港地区と名護漁港を繋ぐ橋である。港地区は元来漁師の集落であった。名護湾の埋め立て地は名護岳の麓の東江集落から城、港、大南、そして西の外れの宮里集落まで直線で造成されている。埋め立て地を幸地川、港川の二本の河川が横切って名護湾へと流れている。この二本の河川に挟まれて名護漁港がある。埋め立て地に宅地が配分されたのは港区だけだ。漁民の入会権が関わっているらしい。国道と港川が交差する埋め立て地の一角に港区公民館が建っている。

橋は集落の路盤より3m程高くなって建設されている。防波堤から橋に向かって緩やかなカーブとなっている坂道を登った。橋の欄干を見ると橋の名前が刻印されていない。橋の上で立ち止まり川面を眺めた。満潮の上げ潮に載って数十匹の若いボラの群れが上流の昭和橋に向かってゆっくりと泳いでいく。ふと橋脚に目をやると平成13年大米建設施工と名版が埋め込まれている。十数年も経っているのだ。150m先の国道に架かる昭和橋を何度も通過しているが気付かなかったのだ。国道58号のフクギ並木を高速で走り抜けると、川下の景観の少しばかりの変化には気付かないものだ。

名の無い橋を渡るとそこに漁船用のドックがあり、船底を塗装中の漁船があった。船底に付着した貝を取り除いて塗装するのだ。貝が付着すると船足が鈍くなり燃費が悪くなるらしい。船を遊ばせて係留期間が長くなると貝が付着するのだろう。人間もロクな働きもせずに世間に漂っていると心身に余分なものが付いて動きが鈍くなって来る。桟橋にはロープで係留された漁船が退屈そうにプカリ、プカリと浮いている。人の気配がなく貝の付着を誘っているようだ。幾艘も並んだ漁船の舳先の向こうに競り市の建物がある。人の動きがあるので競り市が開かれているのかもしれない。少しのぞいてみようと思ってそこに向かってゆっくりと橋を下って行った。

鮮魚店のワゴン車や○○水産と書かれた海産物仲卸業者の車が並び、競り子威勢の良い声が聞こえた。競りは既に終盤に入っていて競り落とされた魚介類に紙が貼られていた。サンドイッチ、おにぎり、天ぷら等の総菜を小さなテーブルに並べて売っている者もいる。競り場の隅で競りの様子を眺める私の様な野次馬もいて中々活気がある。小腹が空いたのでおにぎりを買って食べながら様々な種類の魚介類を眺めていた。銀色の腹をしたアジ、イワシ等の青物から赤色、緑色をした熱帯魚のグルクン、アオブダイや10kg程のシビマグロ、タコ、セーイカ、シャコガイ、カニ等、さながら近海の海洋生物の標本箱である。ほんの半日前までは自然界の一部として躍動していた彼らは、既に競り市のベッドに横たわる海産物としての食品の一部に変わっている。口を半開きにしたシビマグロの顔を見ていると「死んだ魚の目」の意味が良く分かる。瞼の無いシビマグロの目は淀んだ霞が掛かっていて、生命体としての活力が失せた脱力感が漂っている。大型魚には失われた命の哀れさが如実に表れるようだ。競り市の魚やセリの活気を眺めていると、突然後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「爺さん、台車に寄り掛かるんじゃないよ。危ないじゃないか」
振り向くと80歳前後の男が頭を掻きながら怒鳴った男に向かってペコペコと頭を下げている。台車の縁がその男の足に軽くぶつかったらしくふくらはぎを擦っている。漁港の制服を着た青年が近づいてきて笑いながら穏やかな口調で爺さんに言った。
「また、アンタかよ。あぶねーから向こうへ行って遊んできな。セリ場は滑るから気を付けて歩きなよ」
周辺にいた人々が声を出さずに苦笑した。私もその老人の服装を見て苦笑いした。紺色のズボンにTシャツ、その上から冬物の背広を着け、ヤンマー船外機と書かれたキャップを被り、黄色い手ぬぐいを首に巻いている。足元は薄汚れたスニーカーだ。蓄えた無精ひげと同じく全体が垢じみた風体である。何ともこの場所と初夏の季節に似合わない格好だ。この市場によく来る人物であるようだが、そのアンバランスな存在が奇妙な景色となって馴染んでいる。若い頃に漁師をしていたのだろうか。
爺さんを怒鳴った男に見覚えがあった。
「よう、タツ兄さん久しぶりだな」と声をかけた。以前住んでいた住宅の近くで冷凍機器の整備や重機のオペレーター等をしていた男だ。日に焼けた顔に丸刈りのギョロ目が特徴の男だ。突き出た腹を擦りながらニコニコして私に近づいてきた。
「どうして此処にいるのかい」と言った。
「散歩の途中さ、あんたは」
「魚を買いに来たんだよ。カツオが未だにキロ800円もしては高くて買えないよ」
「アンタ、セリで魚を買えるのかい」
「いや、知り合いの競り子に頼んで落としてもらうのさ。少しばかり手間賃を払ってな」
「ほう、そんなことが出来るのか」
「家内の食堂で使う魚の仕入れとな、友達の家の祝い事に使う刺身用の魚を探しに来たのさ」タツオはそう言って連れと思しき男のところに戻り、小さめのシビマグロを指差して何やら話し始めた。競り子の威勢の良い声は消えて競りは終わったようである。漁協の職員が伝票を手に競り落とした者と魚に張られた荷札の照合を始めている。
「ヨウ、カズさん」と声をかけた者がいた。振り向くとゴルフ仲間のカツジがいた。手にはトロ箱を引っかけるギャフを持っている。
「アラ、友利プロそんな恰好で何をしているのですか。仕事を替えたのかい」
「バカ言え、これが俺の本業だよ。女房が鮮魚店をしているので仕入れに来たのさ」と小指を立ててはにかんだ笑い顔で答えた。カツジは大京カントリークラブ所属のハンディキャップ2の男だ。私が幹事をするコンペに時々参加しているのだ。
「へぇー、大京のクラチャンでゴルフ工房が仕事だと思っていたがな。髪結いならぬ魚屋の亭主かい」そう言うと、カツジは笑いながら答えた。
「このギャフだがな、ドライバーの古いカーボンシャフトに鈎を差し込んだのさ。ボールは飛ばせないが軽くて便利だぜ。ちなみにフジクラのスピーダーシャフトXだ」
「なんだよ、相変わらずクラブ工房の真似事をしてるじゃないか」
カツジはゴルフ場の臨時職員として、カートの手入れや客のキャディーバッグ積み下ろしをしていた。そしてゴルフ場の工房で何処からかダンロップ社の無印のアイアンヘッドを入手しては、友人の好みに応じたカーボンシャフトを差し込んで安価で売りさばいていた。ゴルフ仲間の技量を読み取ってシャフトのフレックスやしなりの調子を選択していたので彼の仕立てるクラブは人気があった。おまけにヘッドに持ち主のイニシャルまで刻印してくれた。ゴルフが上手く穏やかなで控えめな性格はゴルフ仲間から評判が良かった。
「ところでカズさん、さっきの腹の出た男と知り合いかい」
「ああ、市内にある実家が4軒隣りでガキの頃から知っている。俺より一つ年上だ」
「何をしている男だ」
「確かアイツの兄貴が冷凍機器の販売や修理をしていてそれを手伝っていたが、最近はダンプや重機のオペレーターの真似事をしているようだ。良く分からいな。そうだ、嫁さんがバスターミナルの近くで食堂をしているらしい。嫁さんは愛想のよい働き者だがタツの奴は定職を持たない遊び人かな」
「そうかい」
「働き者の女房持ちはアンタと似ているかな。紹介しようか」
「よせやい、俺と比べるなよ。あいつは食わせ物だぜ」
「アンタ、タツのことを知っているのかい」
「ああ、噂だけだがナ」
「何だよ」
「名護漁協は埋め立て地の入会権で相当な収入があっただろ。この漁港の敷地は県の所有だが管理者は漁協だ。消波ブロックを作る業者からのブロック置き場の賃料や名護市の催事やプロ野球球団のキャンプ時の来客用駐車場としての利用料金収入などがあるらしいぜ。そんな訳で名護の古くからの漁師はあまり働かないのさ。この競り市の魚介類もほとんどが伊江島、本部町、今帰仁村、屋我地、羽地等の漁協からの持ち込みだ」
「へぇ、そうかい、俺もそんな噂を聞いたことがある。そう言えば俺の中学の同級生も家業の漁師を継いだ奴はいないな」
「それに今度は、辺野古基地の埋め立てで再び莫大な収入が入る予定だ。既にかなりの金が防衛庁から漁業組合に流れ込んでいるらしいぜ」
「かなわんな。だけどタツの奴とどんな関係があるのさ」
「跡継ぎのいない漁師も齢を取るわな。年金以外の小遣いも必要だろ。ところが休み馴れた年寄り漁師は船があっても漁には出る気力がないのだ。そこにあいつが目を付けたのよ。定置網の権利を買って船の名義もあいつの物だそうだ」
「へぇ、そんなことが出来るのかな。漁協は規制しないのかい。俺の知り合いで市内に住む城間と言う漁師がいるがな、彼は定年後に12トンのセーイカ漁の船を買って名護漁協の組合員になろうとしたが拒否されたらしい。それで親父のつてで生れ故郷の本部町漁協に加入したと聞いたぜ」
「それは当然だ。良いかい、辺野古基地の利権の旨味がぶら下がっているときに組合員を増やして分け前を減らすバカはいないだろ」
「それもそうだな」と私が答えるとカツジは話しを続けた。
「しかしだな、年寄り漁師共が働かなると漁協の水揚げ高が減るだろう。そうすれば県の評価や防衛庁からの補償費の額に響くのよ。補償費の金額は水揚げに応じて査定されるらしいからな」
「名護漁協の競り市は他の町村の漁民の水揚げに頼っているが、自らの組合員の水揚げ金額も確保する必要があるのだな」
「そういう事なのよ。それであいつのような隠れ網元がいても見て見ぬふりするのさ。表立った不正行為として官公庁からの指摘も受けないのよ。それに定置網は水産資源保護の政策から誰でも新規設置が出来るわけでは無いのさ。漁協を中心にした権利の存在だけが継続するのよ。名護漁協は埋め立てによって近代的な漁港へと変貌したのだが、漁師は釣果を上げるより楽をして暮らせる味を覚えてしまったようだな。」
「そうかい、雲の動きや潮の流れを読んで漁の成果を探る力の代わりに、世の中の政治の流れを読み取り、金の臭いに腐心するようになったわけだ」
「そうなのよ。アンタの友達のタツ兄貴が競り市に顔を出すのは、あいつの定置網の水揚げの日だけだ。臨時雇いの観光ダイバー人夫達が漁獲量のごまかしをしないか見張っているのよ。まったく食えないやつだぜ。陸にいる遊び人が漁師の真似事をしやがって、潮に揉まれて働く本物の漁師を舐めてるぜ」不愉快な口調で言った。
「おはようございます」
声のする方を見ると上間鮮魚店のサブが立っていた。
「ようサブ、今日も那覇漁連からの帰りかい」とカツジが声をかけた。
「ええ、本マグロは此処の競り市では買えませんから。伊江島漁協や本部漁協のマグロ漁師は那覇漁港に直接入港して水揚げするのですよ。大型の高級品は本土に空輸もできますからね」
「ご苦労さんだな。後で俺にも少し分けてくれよ」
「ハイ分かりました」
「来週のコンペだがカツジさんがハンディ15をあげるそうだ。参加できるかい」と私は声をかけた。
「大丈夫です。魚の配達を済ませてから行きますので最後のパーティに組んでください」
「ああ、そうするよ。待ってるぜ」私はそう言って競り市を後にした。
いつの間にか雲が割れて隙間から天使の梯子の光が漏れ始めていた。私は漁港のドックの横から緩やかな坂を登って名無し橋の上で立ち止まって海を眺めた。心地よい海風が河口から市街地に掛かる昭和橋の方向に流れていた。名無し橋の上から護岸を取り巻く消波ブロックの辺りを見下ろすと十数匹の小魚がフラフラと泳いでいる。ミジュンである。産卵を終えたミジュンが大きな群れを失い、満潮の流れに抗いながら懸命に体を振って力尽きそうに泳いでいる。梅雨が明けてカーチベーの風が吹くころには、リセットされた新しい幼魚の群れに変わっているだろう。老いて命が尽きたミジュンは海の滋養となって新しい命を育んでいくのだ。太古の時代から自然界の動植物は変わらぬ輪廻で更新を繰り返している。ミジュンは1年のサイクルでリセットを繰り返す勢いのあるライフスタイルだ。人も又、地球という器の中で生命体としてのリセットを繰り返しながら歴史を刻んでいるが、身勝手な文明の利器を求めて悪しき知恵を身に着け、節操のないサイクルが加速しながら進んでいる気がする。名の無い橋を降りると雨雲が去って日差しが強くなった。私は首筋に不快な暑さを感じてポロシャツの襟を立て、21世紀の森海浜公園の緑陰に向かって早足で逃げるように進んだ。

「完」

2017年11月29日 | カテゴリー : 短編小説 | 投稿者 : nakamura

秋のらん展示会

北部らん友会・第27回秋のらん展示会を平成29年11月24日~26日まで開催した。会員27名中15名が出品して105点の展示となった。今年の夏の猛暑を考えると十分な出品数と言える。秋の展示会は春の展示会より出品数が少ないのは仕方のないことである。展示会と同時に即売会を行っている。会員の持ち込んだランをは販売して15%の手数料を会の収入源としているのだ。会員の余剰株を持ち寄るように呼び掛けているも5名の会員のみだった。趣味家はバックバルブを販売に回すことをしないのである。そもそも、ラン栽培の趣味家は偏屈な者が多い。しかも年寄りが多いので偏屈の度合いが増しているのだ。沖縄の片田舎の展示会でも入賞にこだわるご老体もいて、展示会の事務処理一切を取り仕切る私としては些か閉口している。地方の展示会でも市長、議会議長、新聞社支社長、北部地区市町村振興会長等7つの団体の長からの後援を受けているのだ。協賛、後援依頼状、表彰式案内状、お礼状などの他に賞状の作成、押印依頼、副賞の準備、さらには表彰式に参加した団体長への記念品のランの鉢物の準備など一苦労である。ご老体共は会場設営と出品で我が物顔である。さして若くもない定年退職者の私としては、ご高齢のラン栽培の先輩へのささやかなプレゼントとして多くの時間を浪費しているのだ。それでも今回のように2年前に入会した若い趣味家が3名も入賞すると嬉しいものだ。いずれの日にか消えゆくご老体の趣味家との更新リセットが図られる気がして展示会を締めくくっているのだ。次回の展示会は来年3月末の第49回春の展示会である。新人の出品者を少しでも増やしたいと考えている。

H29秋展示会場 H29秋入賞株

展示会場は「道の駅」許田道路情報ターミナル 3日間の入館者は891名であった。

 

2017年11月29日 | カテゴリー : 雑記帳 | 投稿者 : nakamura

ナガラッパバナ(Solandra longiflora)

ナガラッパバナ

2017年11月4日 ナガラッパバナ:Solandra longifloraが今年も咲きました。数年前にシンガポールのテーマパークにて採取した枝から育成した株です。3年目の開花です。沖縄県内で一般的に見られるラッパバナはウコンラッパバナ:Solandra maxmaで、12月頃からの開花です。ナガラッパバナはウコンラッパバナよりコンパクトで樹勢も弱いです。尺鉢の行灯仕立てでも開花すると思います。花が比較的に密に咲くのでウコンラッパバナより観賞価値が高いです。昨年の花に自然交配で種がついたので7月に撒いてみました。実はナス科の特徴でトマトの形状で種子も似ていました。今年は人口交配をしました。昨年は挿し木繁殖を試みましたが大失敗でした。時期が悪かったのかもしれません。開花期は10月から11月でそろそろ終わりです。苗が10株程ありますので1株1,000円で譲ります。連絡方法はshop@tropic-flora.jp、送料等はネットショップのページを参考にして下さい。

苗 longiflora longiflira12mの高さから下垂しています。路地植えです。開花期間は3日程度。花色は白色から黄色へと変わっていきます。

2017年11月4日 | カテゴリー : 雑記帳 | 投稿者 : nakamura