1、潮騒の聞える家
沖縄本島は南北に細長く中南部は比較的になだらかな丘陵地で形成され、北部地区には恩納岳、名護岳、多野宇岳、与那覇岳が連なっている。山と言っても尤も高い与那覇岳が標高503mである。細長い島の中央よりやや北寄りに本島北部の西海岸にマッシュルームの様なこぶ型の本部半島が突き出ている。中央部に標高450mの嘉津宇岳、八重岳の二つの琉球石灰岩からなる山が突き出ている。細長い沖縄本島と本部半島に挟まれた部分が名護湾である。湾の北側の本部半島の二つの山が中国大陸から東シナ海を渡ってやって来る冬の低気圧が引き起こす強く冷たい季節風を遮ってくれる。沖縄では北の方角をニシと呼び、秋から冬に変わる時に吹く最初の北風をミーニシ(初北風)と呼んでいる。沖縄本島の北に面した海岸はミーニシが吹き出すと突然に白波が立って海が荒れるので漁師の脅威となっている。名護湾の名称は湾の付け根にある地域が琉球王府時代に名護間切りと呼ばれる行政区分であったことに由来する。名護間切りは湾に注ぐ名護岳水系の幸地川の東側の集落の東江集落。琉球王統の第一王統、尚巴志が三山を統一する際に北山城を攻略するのに名護城主の豪族が協力したと言われており、その名護城址の祭祀に関わる集落が城集落である。漁港があるのは王府時代に年貢米や燃料の薪を運搬する山原船の接岸港が整備されていたことに起因するようだ。昭和30年頃までは小型の捕鯨船の着岸桟橋があり、近海で捕獲したマッコウクジラの解体処理加工場を備えていた。名護岳山系と嘉津宇岳山系の間の丘陵地に形成されたのが大兼久集落だ。名護間切りの最も西に位置するのが宮里集落である。後背地には屋部川水系からなる豊かな水田が広がっている。屋部川の西側からは屋部間切りとなっている。嘉津宇岳を越えると本部間切りである。明治新政府の行政区分改定で名護町、屋部村、本部町となった。名護間切りは琉球王府氏時代から南北交通の要であり、人や物の往来で栄えてきた。王府からは年貢米検収や治安統治の役人が定期的に派遣されていた。王府から派遣された役人の中には任期が終了しても首里王府に戻らず、名護間切りに豪族として居を構えるものがいた。首里王府から手当てを貰う直轄の士族ではないが、王府との関りを持ち続けて広大な農地を所有する地域集落の世話役あるいは名主的存在となったのだ。広大な土地を小作人に貸し付け、年貢米の徴収にも一役買っており、当然のことながら王府の徴収財務の収益の利便性に役立つ存在でもあった。首里王府から派遣された役人の岸本親雲(ペーチン)は名護間切りの宮里集落に豪族として住み着いた。彼が屋号をハサマと称する一族の初代である。明治の中期にハサマ一族の6代目仲村渠宏源の次男の宏友は宮里集落の西の外れの海岸近くに土地を貰って独立した。屋号をハサマ小(グァー)と称した。この頃の習慣で分家筋は小(グァー)を称するのであった。本家は分家独立に際して生活に必要な井戸を住宅地内に掘り、住まいを立て与えた。住まいと言っても本家は赤瓦の屋根で分家筋は茅葺屋根であった。生活に必要な最小限の田畑を分け与え、必要に応じて小作地として貸してくれた。ハサマ小の3代目宏の次男として大戦後に生まれたのがカズである。ハサマ一族は名前に宏の文字を付けるのが習いである。しかし戦後生まれの男子で宏の文字を冠する者は本家以外にはいなくなった。ちなみに現在の本家は10代目が頭領で11代目は中学生だと聞いている。9代目と10代目は那覇市で医者をしており、宮里集落の実家は独身の叔母が管理している。宮里集落の水田地帯は本土復帰後に住宅、商業施設が林立して、既に田畑は消えて小作人の存在は無いのだが、8代目までの収入源である小作料よりも遥かに高額の借地賃料を得ているだろう。王府時代から明治維新後の日本政府時代、敗戦後の米国統治化時代、そして本土復帰後の日本政府時代とハサマ一族は血族の血の濃さを薄くしながらも未だハサマ一族という名を何とか保っている。しかしいずれ血族の記憶から消えてどこかの民俗資料に記録に残るだけかもしれない。もしかしてそれすらも消えるのが時の流れであろうか。
カズがハサマ本家から分家したハサマ小の実家で暮らしたのは5歳の幼稚園児から地元の高校を卒業するまでであった。5歳までは宮城家の養子として暮らし、高校卒業後は那覇市首里の国立琉球大学に進学した。卒業後は就職、結婚と続いて独立して住宅を構えたので、5歳から18歳までの13年間が名護湾の海辺に近い家で暮らしたことになる。
ハサマ小の家の前には小さな集落内道路あり1筆の芋畑の向こう側を東西へ向かって本部半島を巡回する県道が走っていた。小さな土手の向こう側は広い砂浜が名護湾の波打ち際に傾斜して続いていた。この辺りは2次大戦で上陸した米軍が偵察機用の臨時飛行場を建設したので見通しを遮る海岸と集落の境界となる自然防風林をなぎ倒しており、自宅から名護湾とその向こうの恩名岳方面が見えた。時折小さな白い帆をはった漁船がキラキラと反射する波間をゆっくりと移動していた。夏の蒸し暑い昼下がりに縁側でうたた寝をしていると、防風林のオオハマボウの間を抜けて来る潮の香りを含んだ海風が心地よかった。尤も台風の荒波は怒涛の潮騒と伴って県道まで打ち寄せることも少なくなかった。カズの実家の屋敷林はオオハマボウであった。初代の宏友が植えたのである。オオハマボウは台風で枝が簡単に折れてしまうが、成長が早く直ぐに元の樹形に戻ってしまう。オオハマボウの若い茎葉を刈り取って田んぼにすき込む緑肥としてのメリットが大きかった。ハサマ小の屋敷林のオオハマボウは自宅の屋根の高さより大きく伸ばすことはせず、剪定して太い幹からたくさんの細い枝を出させていた。2月の1期作の植え付け前に剪定して水田の緑肥に使っても、8月の台風シーズンまでには萌芽して防風林としての役目も十分に果たしてくれていた。空気が淀む真夏の熱帯夜には寝室の一番座敷に蚊帳を吊り、雨戸を開いて夜気を取り込んで寝るのが常であった。そんな夜は決まって潮騒が子守歌のようにカズの耳に届いた。真夜中にふと目覚めて蚊帳の中から庭に目をやると、月明かりに浮かんだオオハマボウの大きな丸い葉が暗い樹陰とコントラストをなして夜空に浮かび上がっていた。夜の潮騒は小学生のカズの心に奇妙な波動を送りこみ、心が何となく浮き上がって、足は何処かへ出かける準備で、指先を曲げたり伸ばしたりした。そんな夜は寝返りを打ち、夜の潮騒に背を向けて自分の気配を消して、両手を足の内股に挟んで足が動き出すのを押さえて眠りに就いた。子供心にも自分の内に棲む得体の知れない何者かが、夜の潮騒に誘われて行く先の知らない何処かに暴走するのを恐れていたのだろう。
中学校二年生の夏休みの終わり頃、ヤンチャ盛りの悪たれ共と砂浜で相撲を取り、夕方は海に入って泳いで日暮れまで遊び、クタクタに疲れて夕食もそこそこに、午後8時には蚊帳を吊った部屋で寝ていた、カズの何時もの日常であった。何時か知らないがノドが乾いて夜中に目覚めた。暑苦しくて明けた雨戸の間から月明かりが射していた。カズは寝静まった家の中を通って、台所の水タンクから柄杓で水を汲むのが億劫になった。月明かりが庭を照らしており、草履を突っ掛けて井戸まで歩いて行った。音を立てぬように鶴瓶をゆっくりと降ろした。カズの家の井戸は水脈が通っているらしく、4m足らずで水が湧いていた。鶴瓶の紐を軽く揺すって水を入れて汲み、引き上げた。5リットル程の水が入る金属の桶であった。井戸水の水温は安定しており、夏は冷たく、冬は暖かく感じた。鶴瓶から直接水を飲み、近くにあった洗面タライに移して顔を洗った。そして着けていたTシャツの前をめくり上げて顔を拭いた。暑さと眠気が引いた。空を見上げると、満月の余韻を残して陰りを持った十八夜の月が天頂の少し東にあった。カズは急にションベンがしたくなって門の外に出た。門の外で立ちションベンを終えると、右肩の方向で羽音がした。半身になって顔を向けた。屋敷林のオオハマボウからコウモリが飛び立って、西の森の一本松に向かって羽ばたいていった。
カズはフゥーと大きく息を吐いた。踵を返すと東側に名護岳が見えた。その稜線が宜野座岳、恩納岳と続いてゆっくりと南側に低くなっていた。静かな夜の空間から潮騒が聞こえて来た。カズは何かに誘われるかのように、屋敷の横から浜へと続く道に向かっていた。月明かりに白く浮かぶ砂交じりの道路を、50m程進むと砂浜に出た。月影が静かな波間に小刻みに揺れていた。潮が既に引き始めていた。浜は方言でウルウと呼ばれるサンゴジャリの盛り上がった部分と波が浜の奥まで押し寄せる細砂の部分とが大きなノコギリ状に断続に続いていた。カズはフカフカの乾いた細砂の部分をから降りて、既に潮が引いて固く締まった湿った砂の上に立った。押し寄せる波の幅は狭まっており、やがて海底が姿を現すであろう。しかし、海底が姿を現すのは3時間以上も後のことであった。カズは何も考えることも無く、大石と呼ばれる西の小さな森に向かって歩き始めた。森の上には数本の松の大木が点在していた。その上に銀河が流れ込んでいた。宵の明星は既に森の裏側に落ち込んでしまって見えなかった。手には波が運んできた2尺ばかりの小枝を持っていた。何かのリズムを取るように、手首を捻って小さく振り回していた。500m程歩くと大石の森の外れが海に落ち込んだ岩場に着いた。最大干潮時には歩いて裏側に回りこめるが、今は腰まで浸かって歩かねば渡ることが出来なかった。カズはウルウが集まった砂利の段差の上に座って海を眺めた。50m程先の海上にカズの家の屋敷の半分ほどの岩山がプカリと浮いていた。岩山の上には雑木が生えており、風に揺れていた。カズの座っている場所は森が海風を遮っているようだ。岩場の陸地に面した部分には縦に走った切れ込みがあった。切れ込みの下の部分が少し奥にえぐれて暗く湿った穴になっていた。岩山の両側から波が巻きもむように打ち寄せてきて、その暗い穴の中になだれ込み、小刻みにドボン、ドボンと小さな音を立てていた。その音は砂浜にリズムよく打ち寄せる潮騒と異なって、何か意味のある気配があった。岩山の上の雑木を揺らす風と相まって、何か見知らぬ生き物の存在が漂っていた。
カズの正面に月明かりにキラキラと揺れる名護湾を挟んで宜野座岳が星明かりを背にシルエットになっていた。山並みの端で残波岬の灯台が定期的に小さな明かりを発していた。カズは宜野座岳の裏側の村で、小学校入学前まで暮らしていたことを思い出していた。養母に手を引かれて麦畑や大豆畑のある農道を歩いていたことや、養母の連れて来る女の子達とオハジキやお手玉、アヤトリ等の女の子の遊びをしていた。男の子と遊んだ記憶はない。女の子は、サダコ、クニコ、リエコと呼んでいた記憶があるも、その子たちの顔を思い出すことは出来なかった。カズは夏休みが終わる4日前に養母の家から帰宅したばかりであった。夏休みと冬休みを養母の家で暮らし、学校の授業が始まると実家で暮らしていた。自分の納まるべきねぐらが何処であるかが分からないままであった。ただ、そのことへの不安があるわけでもなかった。何となく淡々と時が過ぎて行くのが不思議に思うことがあっただけだ。それもほんの一瞬だけで、直ぐに日常の変化の中に埋もれて消えて行った。カズは自分が何処の家の本当の子供であるかを考える知恵、或いは感性を失っていた。それ故に時折、目的も無くただ歩きたいとの、放浪癖にも似た無意識の感性が湧いてくることがあった。今夜もそうであっただろうが、意識の外の世界であった。カズは月影が作る海のさざめきを何も考えずに眺めていた。薄い雲が流れて月影を消し去った。その変化がカズを立ち上がらせ、自宅に向かって歩みを促した。雲は直ぐに流れ去って、月明かりが浜辺を照らした。潮は随分と引いていた。しかし海底が姿を現すまでには至っていなかった。月に照らされた浜辺は、カズに何も教えてはくれなかった。ただ、月影が作る海のさざめきだけであった。自宅の門前に立つと、オオハマボウは出た時と何も変わらずにそこにあった。カズは静かに部屋に入り蚊帳の中に入って眠りの続きに落ちていった。
その日以降にカズが夜の潮騒に誘われることは無かったが、夜の潮騒は奇妙な気配を残したまま心の中にしっかりと刻み込まれていった。
沖縄県は米国民政府の支配下から日本政府へと移行した。日本政府によるインフラ整備が急速に進んだ。名護湾の浅瀬が埋め立てられた。カズの家から海岸の波打ち際が200mも沖に離れていった。台風時の防風林の必要性は無くなった。引き上げた。実家は木造建築から鉄筋コンクリート造りの住宅に建て替えられた。そして防風林としての機能を失った屋敷林は取り除かれてブロック積の塀へと変わった。カズの実家だけでなく周辺の民家も屋敷林を失った。都市化した住宅地の夏は、アスファルトの脂臭を含んだ熱風が通り抜けた。カズの実家から潮騒の夜が消えてしまった。遠い日の夏の夜の出来事がアルバムの一枚に閉じ込められてしまった。
カズは幼少の頃から棲家を転々と変えて暮らして来た。そして15回目の棲家を屋部川の東の小高い丘の上に自前の家を建てた。50坪の住宅の2階から北に嘉津宇岳、西に屋部中学とその向こうの名護湾が見えた。嘉津宇岳の南の山は採石場となっており、なだらかに傾斜して東シナ海に流れ込んでいた。その遥か先には水平線が見えた。しかし潮騒は聞こえず、夕方になると水平線にあかね雲をなびかせる風景を見るだけであった。気がつくとカズは57歳になっており、4名の娘達は既に家を出ており、2階建ての8部屋の住宅に暮らすのは妻と二人だけとなっていた。カズは子供の頃から早寝早起きの習慣があった。午前4時に寝室を出てトイレで用を足し、応接間の籐家具のソファーに横になり、妻の寝息から逃れて朝日が窓の外に気配を見せるまで、暗い室内で微睡むことが習慣となっていた。日常の喧騒から乖離して自分を取り戻す時間でもあった。室内には時折冷蔵庫の製氷機がカラリと氷を貯蔵箱に落とす音と、玄関の靴箱の台の上の熱帯魚水槽の循環水の音だけが小さく聞こえるだけであった。カズは障子越しに近くのアパートの街灯が僅かな明かりを送りこむ室内で、水槽の循環水の音が、遠い日に実家の1番座敷で聞いた夜の潮騒のようにも聞こえていた。そして半世紀の間に15回も住居を代えた人生の旅路で誰かに出会うも、その誰かを傷つけたまま置き去りにして身勝手に旅を続けた過去があった気がした。夜明け前の微睡の中でカズだけに聞こえる夜の潮騒は、遠い日に親しんだ人々が彼を呼ぶ声にも似ていた。
2、台 風 (その1)
赤道の北側の太平洋マリアナ諸島の付近で発生する熱帯低気圧は高い海水温の影響で上昇気流が活発化して次第に気圧が下がり、台風となって西北西に進み、やがて琉球列島付近で北に針路を変えて北上する。その後は日本本土、中国北東部海岸、韓国などへと針路を変えて進み、海水温の低い地域で温帯低気圧になって消滅する。中国大陸からの高気圧と太平洋高気圧に挟まれて沖縄近海で針路を北へ帰るのだ。二つの高気圧の勢力の強さ加減で沖縄の東の太平洋側岸を通るか西の東シナ海を北上するかが決まるのである。沖縄近海で針路を変えるのでこの地域を人間の往来が激しい東京銀座になぞらえて台風銀座と呼ばれることもあった。大型台風が来るのは大抵秋口の9月、10月である。昭和26年10月9日に太平洋ミクロネシアのグアム島近海で発生した大型台風15号ルースは西北西に進み10月13日の夜に宮古島と沖縄本島の間を抜けて北へ針路を変えて、翌日の夕方に鹿児島県に上陸した。そして九州を縦断して中国、四国地方を巻き込んで15日に三陸沖に抜けた。九州、四国、中国地方に高潮・大雨をもたらし、572名の死者・371名の行方不明者を出した。当然のごとく沖縄県でも甚大な台風被害が発生した。カズが生まれて2週間後のことだ。当時のカズの実家は父の宏と母とカズの兄の康志、祖母に二人の宏の弟が同居していた。7人が4畳半3部屋に台所ある茅葺屋で暮らしていた。初代の宏友の家が大戦で焼け残っており、それを改修してテニアン島から引き上げてきた一家が暮らしていたのだ。宏の弟一人と妹二人は就職で家を出ていた。宏が結婚して3年目のことである。
その日の夕方、宏は西の空を見上げて弟の宏次に言った。
「見ろよ、夕焼けが赤紫色に変わって天の頂上まで染まっているぜ。こいつはかなり大型の台風がやって来るかも知れないな」
「一昨日から米軍の台風情報コンディション1が発令されたと公民館に連絡があったそうだ」
「マズいな。米蔵の籾袋にシートカバーをかけて雨漏りで濡らさないようにしよう。せっかく収穫したばかりの籾を濡らすと芽が出て食えなくなってしまうぞ。次の米の収穫は来年6月の1期作だからな」
「雨戸を釘で打ち付ける方が良いですかね」宏次が言った。
「台所の一枚を残して全部の戸に釘を打とう。それから風で飛ばされそうな籠はスコップで砂を詰めておけ」
「分かった」
「それから井戸に蓋をして重石を乗せておけ、ユウナ(オオハマボウ)の葉が井戸に溜まると水が腐るぞ。井戸の中の落ち葉を取り除くは手間がかかるからな」
「他にはないですか」宏次が言った。
「そうだな。藁綱が残っていたな。効果ないかもしれないが屋根の茅が飛ばないように固定しておこう。お前、縄を準備しろ。俺はオカアにご飯を炊いておくように言っておく。明日は飯が炊けないかもしれないからな」
2人は薄暗くなるまで台風対策を続けた。隣近所から雨戸を打ち付ける金槌の音が聞こえた。薄暗くなって異様な赤色に染まった空には赤トンボと蝶々トンボが群れていた。小学生の末弟の宏光が竹竿を振り回してトンボを追っていた。
宏次がボソリと言った。
「トンボが群れているから台風はやって来るね」
「ああ、この家が持てば良いがな。何しろ宏友オジイが建てた古い家だからな」
宏がため息交じりに言って煙草に火を着けた。煙がゆっくりと南の海の方角に流れてユウナの葉の間に吸い込まれて行った。海は既に荒れ始めており、北風に煽られて波頭が立っていた。南東からやって来る台風はかなり接近するまで風雨を伝えない。台風の進行方向の暴風域は狭く、反対側は暴風域が広いのである。それ故台風の中心から抜ける時の返し風の方が強く長い時間吹き荒れるのである。北上する台風の右側は強い風が発生するのだ。台風15号ルースは宮古島と沖縄本島の間を抜けて北上したので、台風の右側に位置した沖縄本島は強く長い間暴風雨に晒されてしまった。
「宏光、そんなもんで遊んでいないで、手足を洗って家の中に入れ。台風がやって来るぞ。トンボを獲っても食えないぞ」ヒロシが怒鳴ると宏光は捕まえていたトンボを空に放り投げて言った。
「トンボさんまた明日ね」
「しょうも無いガキだ」宏次が井戸端の水がめに向かって歩き出した。夜がゆっくりと辺りを覆いつくし始めていた。
夕食を食べてしばらくすると外のユウナの枝が風で揺れ始めた。宏と宏次は外の様子を見に台所から外に出た。空を見上げると雲が高速で流れ下弦の半月が雲の上を走り回っているように見えた。時折ユウナの枝が大きくしなり、一陣の風が門から抜けて海に向かってユウナの葉を千切って飛ばしていた。潮騒が大きくなって荒波が門のすぐそこに迫っているように聞こえた。
「兄さん、波が家まで押し寄せてこないかな」宏次が言った。
「前の芋畑までは来るかもしれないが、ユウナの根元で止まるだろう。うちよりも金次郎さんの家が海に近いからもっと危ないだろうな」
「そうだね。うちよりも海に近い家もあるからね。台風は何度も来ているが台風の高潮で家が流された話は聞かないからね」
「台風対策で出来ることはやった。風が治まったら仕事が増えるぞ。早く寝て台風が過ぎ去るのを待とう」宏は台所の入り口に向かって歩き出した。月が厚い雲に隠れて強風と共に雨粒の大きな雨が降って来た。二人は台所の雨戸を裏表から太い竹竿で挟んで綱で縛り付けた。
キュウリとナスの一夜漬けにお茶漬け腹に詰めて寝間に行った
「今晩は荒れるな」ボソリと言って宏はランプの灯を消した。宏光と康志の寝息が聞こえた。宏は康志の側に横になって眠りに付いた。
夜中に柱がギチッ、ギチッ音を立てた。宏は枕もとのネジ巻き目覚まし時計を手に取った。夜光塗料がぬられた時計の針が午前3時半過ぎを示していた。南側の雨戸と板壁に雨が激しく叩きつけていた。いつの間にか風向きが北から南に変わっていた。激しい風と雨の音に混ざって波の打ち寄せる音が聞こえた。宏は膝を立てて雨戸にすり寄って耳を澄ませた。打ち寄せる波は屋敷の前の芋畑まで来ているが屋敷の中までは来ていないようであった。
「お父ちゃん」と妻の初代が声を掛けた。柱がギチィと鳴った。
「赤ん坊を抱いてヤス坊の側におれ」と宏が言った。隣の襖を開けて隣の部屋の宏次に声を掛けた。
「宏次起きているか。オカアと宏光を起して動ける準備をしておけ」
「ああ、起きている」
「ランプは点けるな。火事になったら大変だ」
縦柱と天井の横軒柱が時折キチィ、キチィと鳴った。二つの部屋で宏の親子と宏次の親子が肩を寄せて座っていた。1時間ほどしただろうか家がギーと長く鳴って大きく揺れた。ガチャンと茶碗が落ちる音がした。仏壇に供えた湯吞であろう。妻の初代が「キャッ」叫んだ。襖が外れてバタンと音を立てた。宏光が「アガー」と悲鳴を上げた。宏光の上に倒れたのであろう。家は音を立てなくなった。外では相変わらず暴風雨の吹き荒れる音がした
「みんな、大丈夫か」ヒロシが呼びかけた。
「兄さん、家が傾いたみたいだ」
「ああ、その様だな。家が傾いたおかげでユウナの影となって屋根の上を風がすり抜けていくみたいだ。風向きが南に変わっているから次第に台風は遠ざかっていく、2時間もすればかなり治まるだろう。もうすこしじっとしておけ」
「宏光、じっとしておれ」宏次が怒鳴った。
雨音が止み、風がユウナの枝を揺らす音が小さくなった頃、雨戸の隙間から光が差し込んで来た。目を凝らすと家の中の様子がぼんやりと分かった。
「宏次、家が傾いて雨戸が開かないから風の当たらない北側の高窓を開けよう。くぎ抜きバールを置いた場所が解るか」
「ああ、台所の外の庇の壁に掛けてある」
「台所の床板が2枚外れるようになっている。そこから外に出てみよう」
2人は床板を外して外に出て行った。風は随分と治まっており、時折強い雨交じりの風が体に当たった。風は海水を含んでいた。ユウナの葉が千切れて吹き飛び、太い幹の間から屋敷の外側が透けて見えた。波は一定のリズムで県道の土手を乗り越えて白い泡を撒き散らしていた。県道は砂に埋もれ道路の境界を失っていた。屋敷の前の芋畑は流木や青い草木の束やアダンの実が流れ着き、砂やサンゴジャリが散らばっていた。
二人は3番座敷の北側の高窓の釘をバールで抜き取り戸を開けた。宏光が待ちかねたように顔を覗かせた。母親のウト、妻の初代も外の様子を見に出てきた。
「外に出るのはもう少し風が治まってからだ。待っておれ。俺たちは折れた枝などを片付けておく」宏と宏次は鉈と鋸を手にその場を離れた。
風が治まってきて暫くすると通りから歩く人影がポツリポツリと出てきた。その中の一人が声を掛けてきた。宏と宏次が働く比宮組の現場主任の大城健司だ。2軒隣りに瓦屋根の新築住宅を建てて住んでいる。
「宏さん大変でしたね。怪我人は無いですか」
「皆無事だ。爺さんの建てた家だからガタがきていたみたいだ。少し押し戻せば何とかなるだろう」
「晴れたら屋根の茅を少し降ろして会社のトラックで引っ張りましょう。反対側に電柱のツッパリを入れると修繕できるでしょう」
「頼むよ。土木現場の工事が終わった夕方で良いから」
「都合が付いたら声を掛けてください。家が片付くまで仕事は休んでかまいませんから」
「ありがとう。世話をかけるな」
健司は片手を上げて去って行った。
「家は傾いているが、雨漏りはしないし、立て直しに1週間程度は必要だな、後で神山組の定和さんに会って相談してくる」
高窓を振り返るといつの間にか宏光が草履を履いて外に出て立っていた。
「こら、家の中にいろと言っただろ」宏次が叱った。
「だって、雨も風も止んでいるのに」
「このバカ、屋敷の外に出るんじゃないぞ。海へは絶対に行くなよ」
宏光は珍しそうに傾いた家を眺めていた。
「宏次、お前は家の片づけをしていろ。宏光も手伝え。俺は神山組の定和さんに会って来る」そう言って転がって砂まみれになっていた自転車のサドルの砂を草履で叩いて、自転車に跨りペダルを逆回転してチェーンの動作を確認してから門を出て行った。不安そうに宏が出て行くのを見ていた初代の前に女の人がやって来て声を掛けた。
「おはよう、ハッちゃん、大変だったね。赤ちゃんは大丈夫。」
隣の兼松さんの家に部屋を借りている北部農林高校の英語の先生の奥さんである。
「おはようございます。奥様、家が傾いているけど、雨漏りもしないし誰も怪我をしていなわ」
「そう、よかったわね、ヒロシは何処へ行ったの。さっき自転車で出て行ったけど」
「神山組の頭領に会って家の修理の相談をすると言って出て行ったの」
「そう、大変ね。カズちゃんを渡して、外の空気を吸わせなくちゃ体に毒ヨ」そう言って赤ん坊を取り上げるように受け取った。初代はヤス坊を抱き上げて宏次の手に渡した。台所から自分の草履を獲って来て高窓から壁を伝わるように外に出た。傾いて90cm程の高さになっていた。
「私の家で少し休ませるわ。宏が帰ってきたら連絡してね」宏次にそう言って歩き出した。初代は宏次から康志を受け取って奥様の後ろを追った。宏次が家の中を覗くとウトは傾いた柱にもたれて膝を立ててうたた寝をしていた。テニアン島で戦火を免れて帰郷した戦争未亡人にとって、家が傾いたぐらいで騒ぐことも無かった。
「宏次兄さん。来て」宏光声が門の近くで聞こえた。
「ねえ、見て。亀だよ」そう言って竹竿で亀の甲羅を軽く突いた。甲羅が60㎝程もある大きなウミガメである。ユウナの根元にうずくまっていた。台風の荒波で打ち上げられたのであろう。
「デカイな」宏次が言うと
宏光は竹竿を杖にヒョイと亀の甲羅の上に乗った。
「兄さん、浦島太郎みたいだろう。竜宮城に連れて行ってくれるかな」
「連れて行くかもしれないな。でも直ぐにお前は爺さんになるぜ」
「それは嫌だな」宏光はカメの甲羅の上からヒョイと飛び降りた。
この村では九月の豊年祭で浦島太郎の芝居をするのである。宏光は2週間前に見たばかりであった。
「ヒロシが帰ってきたらこの亀の足を針金で括って井戸の側のユウナの根元に括っておきなさい。水を掛けると1週間くらいは生きているから。家の修繕が終わったら大工にご馳走を振る舞うことにしよう」いつの間に家から出てきたのか母親のウトが立っていた。
しばらくして宏が戻って来た。
「神山の定和は何と言っていたかい」ウトが尋ねた。
「台風の被害がいくつも村内にあるらしい。後で調べに来て作業の段取りをするそうだ。俺の家の被害は小さいらしい。2日では直せると言っていた。比宮組のトラックで引っ張って傾きを戻して完了だ」
「そうかい、炊き出しが必要だな。この亀を潰して振る舞うことにしよう」カメを指差して言った。
宏と宏次はカメの甲羅を持ち上げて井戸の側に運んだ。甲羅を針金で十字に括り付けて3本に撚り合わせて太くした藁綱で井戸の側のユウナの幹に繋いだ。
「宏次、台所の戸を外して出入りが出来るようにしよう。ハツはどうした」
「姉さんは宮城の奥様が連れて行った。ヤス坊も一緒だ」
「そうか、有難い」
2人は台所の戸をバールでこじ開けた。宏は戸口の柱を両手で叩いて言った。
「家は傾いているがこれ以上傾くことも無いだろう。しばらくここから出入りすることにしよう」
「そうだね。しかし、良く見るとくたびれた家だな」宏次が言った。
「宏光、ハツを呼んできな。お前は学校に行くのだろう」
「家が壊れても学校へ行かないといけないかな」
「バカ野郎、学校が壊れていなければ朝飯食って学校に行け。サッサとハツを呼んできな」
「兄さん、大工が来る前に屋敷の折れ枝を片付けよう。畑も見回りしないといけないね」
「そうだな、畑はお前が行ってきな。俺は定和さんを待って作業の打ち合わせをする」
宏光が宮城先生の家に行くと、縁側にカズを抱いた奥様と初代の膝の上でせんべいを齧っているヤス坊がいた。
「ハツ姉さん、兄さんが戻って来てと言っているよ。僕は学校へ行けとさ」
「あら、うちの先生はさっき学校に行ったわよ。宏光君も学校に行かなくちゃ。ハツちゃん。カズちゃんとヤス坊は預かっているから家に戻りなさい。ウト姉さんが目を吊り上げて待っているわよ」
「すみませんチョット行ってきます。ヤス坊、奥様と一緒にいてね」初代は急いでユウナの垣根の間を潜って傾いた家に戻って行った。
「カズちゃん、お家が傾いて大変だって。しばらく私と一緒にいましょうね」喜久子は宝物を抱くようにカズを抱いて軽くおしりをポンポンと叩いた。カズはニコッと笑って喜久子の目を射貫くように見つめた。喜久子は体の中を電流が流れたような奇妙な感覚を覚えた。どうしようもなく欲しいものを両手で抱えている気がして、一瞬だが心が空白になっているのを感じていた。
「おばちゃん、どうしたの」ヤス坊の声に我に返った。喜久子は初代が出て行った垣根を見つめて誰もいないのを確認した。そして今の自分の表情を見ていたのは2歳のヤス坊で良かったと安堵した。自分が何かにとりつかれた顔をしていたのだろうと思った。それは子供が出来ない女の執念が体から噴き出していたに違いない。そのことが恐れにも似た感情として湧いてきて後ろめたさを覚えた。再びカズを見ると狼狽した喜久子の表情が如何にも面白いと感じているようで嬉しそうに見上げていた。この瞬間にカズと喜久子の二人の前に何処からかやって来たバスが停まり、行く先も確認せぬままバスの扉が開いたので何も考えずに乗り込んでしまったのだった。二人が座席に座ると紺色の制服の襟を立て、運転手特有の鍔が短く白い多い覆いを掛けた帽子を被った顔の見えない男が乗降扉を閉め、白い手袋をした手でギアを入れバスを発車した。二人はうつろな目で車窓から流れる風景を眺めるだけであった。神が気まぐれな風を送り、喜久子の心に僅かなさざ波を起し、やがて大きな波へと発達して音叉の共鳴の如く互いの耳に潮騒を届けるていることを知らなかった。カズと喜久子の旅の始まりであった。
宏達はおにぎりと大根の漬物で朝食を取り、宏光はしぶしぶと学校へ出かけた。屋敷の折れ枝やらの片づけを終えた昼前に神山組の定和がやって来た。宏次は既に田畑の様子を見に自転車で出かけていた。定和は家をぐるりと周りながら柱や壁と手で叩いて調べていた。一通り調べた後で井戸の側の木陰に立っていたウトの前にやって来た。
「ウト姉さん久しぶりです。お元気ですか。城村の泰三兄さんは元気ですか」
「最近会っていないが元気みたいだね」とウトが返事した。
「この家のことだがね」
「宏の話では2日もあれば修繕できるらしいね」
「傾いたこの家を直すのは面倒ではないがね。今年はもうこんな大きな台風は来ないだろうが、来年も大きな台風が来るとこの家は持ち堪えきれないね。この家の材木は相当に痛んでいる。宏友爺さんの建てた家らしいね。そろそろ寿命ですよ。建て替えをした方が良いですよ」
「定和よ、簡単に言うね。住む家が無いと明日からの暮らしが成り立たないよ」
「あちらこちら柱の継ぎ口が腐って折れているが、カスガイで繋げば何とか住めるようになりますよ。ただ、今度のルース台風よりも弱い台風でも倒れるでしょうね。完璧に倒れますよ」
「お前、あたしを脅かすのかい」
「オカア、定和さんの言うとおりだよ。一緒に調べたけど確かに寿命だな」
「それでね、ウト姉さん。ここは屋敷が広いから、この家を屋敷の西の角に移動して、仮住まいにするのです。来年の台風が来る前の6月迄に新築すれば良いです。これから図面を描いて、材料を集めて工事を進めると来年の4月頃までには完成できますよ。今は本土からの木材もどんどん入って来るし、セメント瓦工場に注文すれば十分に間に合います」
「お金はどうする」
「今は戦前と違って銀行がしっかりしているから、戦前のように高利貸しから金を借りるのとは訳が違いますよ」定和が笑いながら言った。
「そんなもんかねー」ウトが言うと
「姉さん所は息子が3名もいてハサマ一族の田畑も多いでしょう。食べるだけの米はあるでしょうが」
「宏、できるかねー」ウトが宏に拝むような目付きで言った。
「建て替え時期だね。意地を出して仕掛けよう。宏安が今日の夜に来るから話してみよう。定和兄さん新築でお願いいたします」
「よし、分った。手始めにこの家の屋根の茅を取り除き、壁板や床板を外す。それから骨組みをカスガイなどで固定して補修しよう。それが終わったら村の若い者を集めて家の骨組みごと屋敷の角に移動しよう。何度かやった事があるので問題は無いよ。それから半年住める程度に直して新築の準備に取りかかろう」
「修理代はどうする」
「姉さん大丈夫だよ。新築の工事費の中に組み入れるから。村の青年の手間は何か食べさせて酒を飲ませばオッケーさ」
「いつから仕掛けるのかい」
「村内にはもっとひどい所があるから、姉さん所は10日後かな。この家は直ぐに倒れることは無いから、申し訳ないが少し待ってください」
「分かりました。改修工事が始まったら俺も宏次も手伝うから何でも言ってください」
「アンタら兄弟が手伝うなら3,4日で片付くだろう。細かいことは仕掛ける前に連絡するから。ワシは台風被害のある他の家を廻って来る」そう言って自転車に跨った。
「宜しくお願いします」宏が頭を下げた。
昼過ぎに宏光が帰って来た。
「宏光チョット来な」宏次が呼んだ。
「兄さん何、亀太郎は元気かな」宏光がやって来て亀に井戸水を溜めた甕から水を汲んで甲羅や頭にかけた。
「亀の世話はお前の係だ」
「世話と言っても亀は何を食べるのかな」
「砂浜に穴を掘って住んでいる蟹がいるだろ。あれを14,5匹つかまえて亀の餌にしな。出来るだろ。稲わらの先に蟹を結んで亀の口の前に出しな。ぱくりと食いつくから。手でカニを食べさせるとお前の指なんか簡単に食いちぎるぞ」宏次が笑いながら言った。
「分かった」宏光はそう言うと、勉強道具の入った風呂敷包みを高窓から放り込み、バケツと穴掘り用の空き缶を手に海岸へ走って行った。
1週間後には傾いた家を屋敷の西の隅に移動して一件落着となった。そしてその年の台風シーズンも終了した。宏光の亀の飼育係も終わった。亀は初代が台風で落ちたパパイヤとサツマイモをぶつ切りにして大なべで煮込んで亀汁にした。茅が取り除かれて骨組みだけの家の移動にやって来た青年たちに亀汁が振る舞われた。カズとヤス坊は宮城先生の家で過ごした。
新しい住宅は年が明けて1月の中頃に着工して3月の下旬に完成した。家の構造は矩形で5部屋に広い土間とレンガ造りの大きな窯を備えた家であった。菓子職人の修行に出ていた宏安が帰って来て彼の菓子工房となった。そして屋敷の北側に豚を養った。豚の餌となる芋を煮る大なべを据える窯でもあった。古い茅葺の家はヤギ小屋に変わった。昭和26年10月にやって来た台風15号ルースはハサマ小一家に大きな変化をもたらした。この変化は大戦でテニアン島から引き上げてきた一族の新しい時代の幕開けとなったのである。カズが喜久子に連れられてこの地を離れるまで2年の歳月が残っていた。
3、台 風 (その2)
沖縄県は本当に台風の多い地域である。台風が接近すると落日後の西の空が紫を帯びた橙色に染まる。普段見馴れない夕焼けの色が天空に広がるので心が騒いでしまう。奇妙な色彩に心が迷うのは大人も子供も同じだ。ただ、台風で家屋を倒壊したり、豪雨による浸水など直接的な脅威が発生したのは昭和30年代の中頃までであろう。治水事業の進展で河川の増水対策が整い、鉄筋コンクリート家屋が増えて防風への耐性強度が高くなってからは、台風による観光業、農業への影響が多くなっていった。
カズが小学校高学年になってからは護岸整備が整い、台風による高波が住宅地に押し寄せて来ることは無くなった。防潮林としてアダンが列植され幅5mで高さ3m程の緑地帯が県道と砂浜を遮るように形成されていた。台風の度に高波の被害が県道に及ぶこの地区は、県の管轄で砂浜の最上部に砂防コンクリート護岸工事が施工されていた。その護岸と県道の間に防風林が形成されたのだ。アダンが植えられたのは暴風林の役目より防砂林としての機能を求めたのである。緑化木の生産者がいない時代であり、ぶつ切りのアダンの幹を砂に差し込んだだけの植栽工事であった。それでもアダンの生命力は抜群であった。たちまち緑地帯を形成した。建設直後は威容を誇った護岸は設計ミスか或いは自然の驚異なのか数年で砂の中に埋もれてしまった。それでもアダンの防砂林は砂を被っても砂の上を這うように成長して県道に海砂が入り込むのを許さなかった。カズの家からはアダンの防風林に遮られて名護湾の海面が見えなくなっていた。それでも南からの風で海が荒れるとアダンの葉の間を抜けて潮騒が聞こえてきた。カズが中学生になってからは台風で倒壊した家が出たとの噂を聞くことは無かった。強風で屋敷林のユウナが大きく揺れるのを見ると多少の恐怖感が湧いてきたが、台風が持ってくる僅かな楽しみがあったのも確かだ。
その夏の夏休みの終わりにやって来た台風は、前夜から吹き荒れたが次第に沖縄から離れつつあり、昼過ぎは南南東の風に変わっていた。日暮れには間があるが太陽の射す気配は全く無かった。連続した雨は絶えていたが、時折強風と共に単発的に降って来た。
カズは風下の戸を少し開けて強風がユウナの枝を揺するのと見ていた。
「お母さん、風が治まったから外に出ても良いでしょう。兄さんと一緒に海を見てきたい」
「まだ風が強いでしょう。いけません」
「兄ちゃん、もう風は弱まっているよね。大丈夫だと思うけど」兄の康志に相槌を求めた。
「ダメです。もう少し待ちなさい」母の初代がピシャリと撥ねつけた
「チェッ、ツマラナイ。家の中だけに入ると退屈だ。はぁ、退屈だ。ヒマだ、退屈だ、退屈だ」そう言って枕を部屋の端に投げつけた。
兄の康志はただ外の風に揺れるユウナの枝先を見ていた。父の宏は背中を向けて横たわり、いびきをかいていた。1週間もすると夏休みが終わる8月の終わりごろであった。
「カズ、夏休みの宿題は終わったの」
「チェッ、あんなもんやったって頭が良くなるわけないジャン。夏休みの宿題なんて頭の悪い奴のすることだヨ。俺には必要ないよ」
「バカもん」怒鳴りつけて、初代は夕食の下ごしらえをする為に台所に立って行った。カズは少しだけ雨戸を押し開き、膝を抱えて座り、顎を膝に乗せて不貞腐れた顔でユウナの枝の揺れるのをぼんやりと見ていた。ふと後ろに人の気配を感じて振り向いて見上げると父が立っていた。
「風が治まって来たな、どれ、畑を見て来るか」そう言って壁に掛けてあった作業上着を取った。カズはしめたと思った。
「父ちゃん、俺らは浜に行って来る。良いだろ」
「浜からだけ歩いて、波の中には入るなよ。足を取られて冲に流されるぞ」
「解ってるよ。兄ちゃん、お父ちゃんが海に行っても良いってさ。行こうぜ」
父の目が笑っていた。「ヤス坊、大石(ポーイシ)の崖から先には行くなよ」
「解ってるよ。あそこは波を被るから危ないよ」兄の康志が言った。
2人は急いで草履を履いてバケツを持ち、台所の戸を少し開けて外に出た。雨交じりの風が門のユウナの間から吹き込んで来た。雨は塩交じりであった。半ズボンに半袖Tシャツ姿の二人は少し前のめりで風に逆らうように海鳴りのする浜に向かって門を出た。芋畑からキビ畑に変わった自宅前のキビが大地に這いつくばるほど深々とお辞儀を厭きることなく繰り返していた。県道は雨水とも海水とも分らぬが15㎝程溜まったままであった。その向こうから荒々しい潮騒が聞こえた。自宅の東側の道路が県道に突き当たり、その先の防風林が5m程途切れて浜に降りることが出来た。村人が砂を採取したり、潮干狩り等する生活道路の一部となっていた。こんもりとした砂の土手を上がると強風と共にいつもと異なる強い海の香りが二人を包んだ。
「兄ちゃん、海は荒れてるね」
「もう、誰かが歩いているぜ。行こう」
波は泡を立てながら浜のかなり奥まで押し寄せていた。深く這い上がる部分と船の舳先のように突き出た荒い砂利の部分が交互に連続していた。100m足らずの間隔で数名が下を向いて何かを探しているように歩いていた。目的は皆同じで荒波で打ち上げられた貝やワタリガニ、手のひら大の魚、タコ、イカを探しているのだ。少し歩くとハマグリ、高瀬貝、ティラジャと呼ばれる巻貝が荒いサンゴの砂利の間に転がっていた。海蛇が波にもてあそばれるように砂浜に打ち寄せる波に打ち上げられては引き潮で戻りつしていた。
「兄ちゃん、あれは何かな」カズが指差した。
打ち寄せる波にぼろ雑巾のように寄せては戻る塊を指差して言った。
「オッ」とひと声言ってジャブジャブと浅い波の中に入って言ってその塊を拾い上げた。足元の砂が波に削り取られ足をすくわれないように注意しながら戻って来た。手にしているのはタコである。タコに顔を近づけて臭いを嗅いで言った。
「カズ良い物を見つけたな。未だ食えるぞ。死んでいるが腐っちゃいない」
バケツにタコを放り込むと急に重くなった。康志がカズの手からバケツを受け取った。二人は大石の岩場まで行かず、途中で引き返した。帰る途中でもいくつか貝を拾った。荒波は次々と海底から弱った魚介類を打ち上げるのだ。只、台風の贈り物である魚介類の獲物は夏の強い熱射によって一気に腐蝕してしまい、人間の食料からカニ、ヤドカリ、フナムシ等の浜の小動物の食料となり、やがて微生物が自然界に還元してしまうのである。台風は通過後のほんの短時間だけ現役を離れた老人と少年たちに楽しみをもたらしてくれるのだった。一家の主である大人は台風による諸事情の影響に頭を悩ませるのが常であった。
台風通過後の浜辺は1週間程魚介類や海藻の腐蝕した臭いがした。カズたちは少し波が治まると直ぐに泳ぎに行った。夏は何処の家でも風呂を沸かすことが無く、子供たちの多くは海で泳いで帰宅して井戸水の被るのが常であった。只、子供たちを悩ませたのはカツオノエボシだった。カツオノエボシは波間にプカリプカリ浮きながら台風の南風に乗って南の海からやって来た。細い帯状の蝕手には強い毒があり、触れた皮膚に電気ショックにも似た痛みを伴い、細長い赤いかぶれを生じるのだった。カズたちは通称イラーと呼ぶカツオノエボシを見つけると浜から棒切れを拾ってきてそれに蝕手を巻き付けて砂浜に放り出して翌日の太陽で干物にした。カツオノエボシは波が穏やかになる頃には消えていた。浜に打ち上げられて干物になっていたのかも知れない。1972年の本土復帰により、日本政府の予算で名護湾は東江集落前から宮里集落前まで埋められてしまった。潮騒はカズの家から300m先まで退いてしまった。同時に台風通過後の子供と老人達の細やかな楽しみも過去の風景となってしまった。カズの実家で聞くのは潮騒に変わって国道58号を走る車両の騒音だけである。
4、隣の金次郎さん
カズが中学1年生の頃、東京オリンピックがあった。未だ本土復帰していない米国施政権下の沖縄でも東村嘉陽集落から那覇市までの聖火リレーがあった。正確な聖火のリレールートは覚えていないが、地域の陸上競技選手が隊列を作り先頭の体格のしっかりした男が金属の棒を持って先導して走り抜けた。金属の棒は聖火と呼ばれる神聖な火で遠くギリシャのアテネから運ばれてきたと学校の授業で教わっていた。小中高の生徒が沿道に並んで声援を送っていた記憶がある。カズはふと父親が冬の夜にイザリに出る時に使う石油缶の松明を思い出していた。父が海に向かう時に手にする石油缶松明の黒い煙を連想させた。形が随分と異なるが白くたなびく聖火の煙が父の勇ましい姿と重なって連想させたのであろう。未だテレビのないカズの家では東京オリンピックは聖火リレーだけで終了であった。県民の中から一人でもオリンピック選手がいれば興味も湧いただろうが、カズにとってスポーツは遊びの延長線上にしかなかった。本土復帰は9年後でカズが成人してからのことだった。聖火リレーとて村の豊年祭で通りを練り歩く旗頭にも似たお祭りの一つに過ぎなかった。
この頃の住宅はほとんどが木造セメント瓦造りであった。瓦屋根には漆喰が必需品でありその原料は消石灰と稲わらであった。稲わらの入手は水田地帯を控えており容易であったが、消石灰を本土から導入するには製造単価が上がってしまう。そこで消石灰を自ら作る者があった。遠浅の海の干潮時にバレーボール程の大きさのサンゴ石を採取するのだ。300m先までも干上がる宮里集落の前の海でサンゴ石を拾うことは容易であった。荷馬車で建築用の砂やバラスを運搬する業者に委託して浜まで運び上げるのである。広い砂浜の一角に大きな焼き物窯を作り、その中でしばらく日干しにして水気を飛ばしたサンゴ石を焼くのだ。もともとサンゴの死骸であったサンゴ石は柔らく容易に石灰に変化した。その焼いた石を取り出して水を掛けると高温を発して反応して石灰紛となって崩れた。石灰紛と稲わらを混ぜて練り込むとセメント瓦の尾根を固定する漆喰となるのだ。日本本土の漆喰壁の原料として製造するのではない。あくまでもこの頃の主流のセメント瓦屋根の建築材料、或いは少なくなった赤瓦屋根の繋材としての需要であった。ニッチな産業であり、本島北部ではカズの同級生の実家が唯一の生産者であった。
カズの家の前の芋畑は漆喰造りの屋良産業が漆喰造りのヤードに使っていた。10坪ほどのセメント造りの倉庫と、その横にコンクリート土間の焼き石灰岩に水をかけて粉にする溜まり場があった。そして敷地の大部分はサンゴ石灰岩を焼くための木材が積まれていた。ほとんどが火力の強い松材であった。この頃はパイン生産が始まっており、山林の開墾地からの採取が容易であった。
聖火リレーが終了した週の日曜日の夕方のことである。バスケットボールのドリブルの練習をしてヒマを潰しているカズを自宅裏の四つ角の斜め向かいの豆腐屋の恒造が訪ねて来た。カズの知らぬ間に裏門を潜って入って来た恒造が声を掛けた。
「カズ兄さん、これ見てよ」その声に振り向くと、手に棒状の変わった物を持っている。
「なんだそれは」
「オヤジがイザリに使うと言って作ったのだが、少し小さいと言って放り出してあった」
良く見ると松明である。片手で握ることが出来る棒切れの先に小さな空き缶を括り付け、灯油を入れてぼろ布を押し込んであるチャチな道具である。カズの父の松明は2ℓほどの灯油が入り、灯火を引き立たたせる反射板を備えてある。兄が高校生になれば父に代わって二人でイザリに行きたいと考えていた。遠浅の海は冬になると幾つものイザリ火が灯るのが常であった。一月もするとシーズン到来である。恒造の家は昨年に羽地村の山間部の村からやって来たのだった。カズの家の隣の兼松さん所有の借家住まいで、オヤジは豆腐造りを生業としていた。山暮らしで馴れないイザリの松明の試作の失敗品であろう。
「これではイザリに使えないな、直ぐに燃え尽きてしまうぜ」
「そうかな」恒造は言った。カズの一つ下の小学校6年生である。転校生で友人が少ないのか何かとカズの尻を追いかけていた。
「お前、この間の聖火リレーを見ただろう。せいぜいそれの真似事にしか使えないな。どれ貸してみな」そう言って松明を取り上げた。缶に灯油は入っていないが、一度火を着けて消した跡があり、灯油の臭いがした。
「チョット待っていな」そう言ってカズは家に上がって仏壇の引き出しから小さなマッチを持って来た。
「俺が火を着けてやるから聖火ランナーの前をしてみな。確かお前足が速かったよな。県道の所まで行って引っ返してきな。俺が見ていてやるから」
「カズ兄、こうかな」恒造は松明を高く掲げて言った。
「お前この間の聖火リレーをちゃんと見ていなかったな」
「うん、俺は背が低いから、前に出て見た時にはたくさんの人が走る後ろ姿と煙だけだった」
「こんな感じだ」カズは聖火ランナーの真似をして見せた。
「こんな感じかな」恒造が真剣な目つきで問い直した。
松明に火を着けてからカズは言った。
「松明は真っ直ぐに立てろよ。速く走る必要は無いからな。松明の火がお前の頭に燃え移ると、お前の天然パーマの髪の毛が焼けてもっと縮れてしまうぜ」
「うん、分った」真剣な顔で返事をした。
2人は四つ角に出て車や人影が無いのを確かめた。
「よし、行け」カズはパチンと両手を叩いた。
恒造が緊張した面持ちで走り出した。夕方の凪の中で灯火の煙がゆっくりと流れた。
恒造が漆喰工場の敷地の横に来た時に大きな人影が現れて恒造を怒鳴りつけた。
「おい小僧何を持っている」カズの耳に届く声であった。
その声に驚いた恒造が立ちすくんだ。そして松明を放り出して男を見つめた。
大男はカズの家の斜め向かいの家の金次郎さんである。カズはその男が苦手であった。赤ら顔の声の大きい威張った態度の男で、父より10歳くらい年上に見えた。何やら恒造を叱りつけているようだ。恒造の頭を手のひらで叩くような、押さえ込むようなしぐさを数回繰り返している。やがて恒造は泣き出して引き返してきたそしてカズの顔をチラリと見て自宅に走って行った。カズは嫌な予感がした。金次郎さんはカズを見つめて右手を横に振って自宅に戻るような仕草をした。そしてカズの家の門に向かって歩き出した。カズは観念した。金次郎さんが文句を言いにカズの家に向かったことを悟った。
「クソッタレ、赤ら顔の酒のみオッサンの奴、オヤジに文句を言うつもりだな」カズは小さく呟いて裏門から住宅の横を前庭に向かった。父が縁側に座って煙草を吸っていた。今しがた畑から帰って来たようだ。ズボンの裾をまくり上げ井戸端で手足を洗ったばかりの様子であった。
金次郎さんが太いユウナに挟まれた間からも松明を持って入って来た。大人が持つととても小さく見えた。金次郎さんが父に声を掛けた。
「宏よ、子供の教育も満足に出来ないようだな」
父が立ち上がって言った。
「どういう事かね、金次郎さん」
「アンタのそこにいる次男坊がな、この松明で其処の松の材木に火を着けろと真謝の豆腐屋の息子をそそのかしたのさ。学校の出来は良いようだが大した息子を教育したもんだな」
「カズ、どういう事だ」
カズは大人に口答えをしてもことは治まらないと解って黙って金次郎さんを睨み付けた。金次郎さんは意外な表情でカズを見た。何か言い訳をするだろうから叱りつけて凹ましてしまうつもりであったのだろう。
「ほう、悪びれることも無い大したガキだぜ。宏ヨウ、アンタもよく躾をしているみたいだな」金次郎さんが勝ち誇り見下したように言った。
父が立ち上がって言った、
「カズ向こうを向いて立て」父がそう言って箒を手にするのを見た。
カズは早く事を済ませたいと思って何も言わずに金次郎さんに背を向けて立った。父はぶかぶかのカズのズボンの尻を外箒の柄で強く叩いた。バーンと大きな音がした。箒は宏の手の中でミシリ音を立てた。宏が「もう一度だ」と言って箒を振り上げた。箒の柄が刷毛の部分から折れて金次郎さんの持つ松明の手の甲に当たった。金次郎さんは「ゲェッ」と小さく声を出して松明を落として後ずさった。父は少し怯えた目付きをした金次郎さんに近寄り、松明を拾った。
「少し力が入りすぎたな。これが俺の教育さ。この子もこれで悪い遊びはしないだろうよ」と父が言った。カズは振り返って父と金次郎さんの様子を見ていた。
「その松明を返せ、証拠品だ」金次郎さんが言った。
「何の証拠品だ。アンタ警察官になったつもりかい。警察署の経理担当事務員だと聞いているぜ。ほしかったら本物の警察官を寄こしな」父が唇の横に薄ら笑いを浮かべて言った。
「二度と大人の手を煩わすことの無いようにガキをちゃんと教育しなよ」
「解ってるさ、こいつも二度と悪さはしないさ」
金次郎さんは右手の甲を擦りながら門を出て行った。
「この松明はどういう事だ、カズ説明しろ」父が笑いながら言った。
「どうもこうも無いよ、松明は真謝のオヤジが作った物らしい。それを恒造が持って来たので聖火リレーの真似事をさせたのさ。石灰工場の横で金次郎さんに怒鳴られて道路の上で松明を落としただけだ。キチガイじゃあるまいし誰が材木に火を着けるかよ。恒造のやつ泣いて家にすっ飛んで行ったよ」
「ふん、そんなことだと思ったよ。明日は学校だろ。サッサと手足を洗って家に入りな」父は豚の餌を炊く薪を積んだ上にあった鉈の刃の後ろで松明の缶を叩き落とし、松明の柄の部分の棒を薪の上に放り出した。缶はゴミ置き場に放り出した。そして何か独り言を言いながら箒の柄を拾いあげて大工道具を置いてある納屋に向かった。多分折れた箒の修理をするのだろうとカズは思った。
夕食時にカズの座り方がおかしいので母が言った。
「カズ、ちゃんと座りなさい。尻でも痛いのかい」
「何でもないわい」そう言って夕飯をかき込んで立ち上がった。尻が痛くてうつ伏せに寝なくちゃいけないなと考えながら勉強机のある部屋向かった。
「気の強いガキだぜ。金次郎さんにねじ込まれてな、成り行き上でアイツの尻を箒で叩いたのさ」
「あたしも金次郎さんは苦手だね。何か威張り腐って人を見下しているみたいだから」
「アイツは警察官ではないぜ、ただの事務員だ。人の話ではナ、町役場の臨時職員をしていた頃、何やら予算絡みの失態で自主退職したそうだ」
「何だか酒癖が悪いとの噂を聞いたわ」
「ああ、警察官の制服を質屋に入れて酒代を借りたそうだ。警察行事の時に慌てて質屋に駆け込んだそうだ」
「可笑しな人ね。でも嘉手納署迄バス通勤するのは感心ね」
「バカ言え。アイツは警察官でもないのに通勤時には警察官の服を手に抱えて無賃乗車しているのさ。通勤手当もせしめているとの噂だぜ」
「いやな奴ね。貴方を嫌っているみたいね」
「それはな」宏は晩酌の酒を口にしてから言った。
「ほれ、戦後の土地区画確認事業があっただろ。お前が宏秀叔父さんの悪だくみを見抜いた1年程前のことだ。金次郎さんが俺に言ったのよ」
「お前の敷地の境界はもっと西側にあったんではないか。戦後の区画確認のドサクサに敷地を拡げただろう」そう言ったのさ。
俺は言ったのさ
「金次郎さん、名護町の土地台帳は焼けずに残っていて、役場の用地課の職員がその公図を基に測量してくい打ちをしたのさ。アンタ役場に勤めていたから分かるだろう。ああそうか。アンタは役場の汚職事件で辞めさせられたと聞いたぜ」
「そんなのデマだ」と彼が言ったので
「ああそうかい。確か事件が発覚する前に自主退職したらしいとの噂だぜ」
「だからデマだと言っているだろ」
「俺も本当だと言っていないぜ。噂だよ。俺は終戦で海軍の潜水艦を降りて大阪にいたからな、名護町役場の汚職事件は大工仲間から聞いた噂だヨ」
「そんなこと言ったの。金次郎さんが怒るわよ」
「俺もあの頃はお前と結婚する前の独身で、海軍の兵隊クズレの気質が残っていた頃だからさ」
カズは腹ばいになって薄っぺらな敷布団の上で何となく父母の会話が聞こえていたがすぐに眠りの中に落ちて行った。夜の暗闇の中で微かに潮騒が聞こえていた。金次郎さんが暮らしていた土地は妻のユキさんの従弟の土地で、南大東島でサトウキビ工場に関わる事業をしていたらしい。現在はその息子が土地を不動産業者に売却してアパートが立っている。真謝の豆腐屋はカズが大学を出るために家を出た頃に何処かへ去っていた。兼松さんの土地は養子の兼安がアパートを立てている。名護湾は埋められてスポーツ公園となり、潮騒の浜は実家から300mも沖に後退してしまった。カズが遊んだ潮騒の浜の上を国道58号が走り、深夜でも緊急車両のサイレンが響くだけである。夜の潮騒はカズの心の中に時折聞こえるだけとなってしまった。
5、漁り火
(1)
カズはその日の夕食を父と二人で取っていた。半年前から父母の介護を5人の兄弟が交代制で行っている。介護と言っても夕食は専門業者の栄養管理の行き届いた宅配弁当が夕方の4時頃に届くのでそれで父母の夕食として、朝食は妹達が作って冷蔵庫に入れた食材を温めて父母の食卓に出すだけだ。只、朝晩の食後に父母に出す常習薬を与えるのが主な作業である。血圧薬、便秘薬、気管支薬、睡眠薬と90歳前の年寄りは製薬会社の貢献者である。カズは自分の食事をスーパーマーケットで調達して実家にやって来るのである。一泊して翌朝9時前に迎えに来るデイケアサービスの職員に引き渡すと任務完了だ。デイケアセンターで昼食をとり、健康体操やテレビを観て過ごし風呂に入って帰宅する生活を2年前から続けていた。この日は母が風邪気味で3日ばかり入院であった。肺と心臓に難がある母は時々病院の世話になっていた。父はいたって健康でデイケアセンター通いを楽しんでいるようだ。脚力が衰えており4本足の歩行補助具の世話になっていた。人は生まれると先ずハイハイの4本足で移動し、やがて立ち上がり2本足の行動で長く暮らす。老いてくると杖をつく3本脚、そして補助歩行器具の6本足、それが過ぎると車椅子となる。父は4本足の歩行補助器具で室内をガタン、ガタンと音を立てて移動するが、いたって健康そのものである。カズの宿泊当番は木曜日であった。夕食時に父の好きな刺身、或いは握り寿司を小皿1枚だけ宅配弁当に付け加えるのが常であった。父は海辺の家で育ち、青年期に太平洋マリアナ諸島のテニアン島に渡り、志願兵として長崎の海軍基地で終戦を迎えた。人生の殆どを海辺の環境で暮らしてきたのだ、魚介類が好きなのは当然である。カズは本部町の海洋博公園で仕事をするようになってからは、初カツオが本部漁港で上がると毎年届けていた。この日はタコの酢の物を小鉢に入れて出した。茹でたタコに醤油と酢と自宅裏からシークワーサーを2個捥いでその汁を振りかけてあった。
「シガイダコかい」一切れを口に運んで言った。
「ああ、昨晩採って来た」
「何処でイザリをしたのだ「
「屋部中学校の前の海岸だ」
「あそこも遠浅で夏は潮干狩りが出来るとオカアが言っていたな」
「うん、屋部川の側から西のスンジャガーの離れ岩まで1時間ばかり歩いて小さなシガイダコ3匹しか取れなかった」カズが言った。
「イサリをする人は他にもいたかい」
「漁り火は2個ばかりあったかな。今の人はイサリ漁をしないようだな」
「久しぶりにシガイダコを食べたな。美味いな」
「高校生の頃に兄貴と二人で家の前の海でイサリをしたが、獲物が豊富だったな」
「宮里の海は特別だったな。俺は埋め立てに反対だったが政府の方針だから仕方がないさ」
カズは遠い日の事を思い出した。
父は左官大工の頭領になってからはイサリ漁に出ることは少なかった。夜中まで海に出ると翌日の仕事に差し支えたのだろう。休みの前日が大潮になるとは限らないしイサリ漁への興味も薄れていたのだろう。イサリ漁は大潮の夜の干潮時に行われた。満月の夜より新月の夜が良いと言われていた。月明かりで漁をする人間の姿が見えると魚が逃げると言われていたが良く分からない。
カズと兄は父がブリキ職人に作らせた灯油松明を手に真っ暗な海に出た。灯油が2ℓほど入り握り拳2個程の大きさの麻の芯が差し込まれ灯火となっている。30㎝幅の反射板が付いている。長く持って歩き続けるには結構な重さだ。二人は交互に松明を持った。一人が取った獲物を刺し通して引きずる太いテグスの縄を引いている。縄の先端は千枚通しの針金が付いていた。通しの縄の端は獲物が抜けぬように止め浮きが付いている。取った獲物を海面に浮かして引きずっていくためだ。止め浮きは浮き球でなく下駄が結わえられていた。何故か知らぬが縁起が良いと言われていたのだ。それぞれ自分専用の1本銛を持っていた。むろん手作りである。
夜の最大干潮は深夜零時から午前1時頃だ。その前後2時間が漁の出来る時間帯だ。二人は午後9時ごろに浜に出て潮の引くのを待った。夏の日の水遊びで飛び込みをして遊んでいる岩が次第に海中からせり上がっていくのをみていた。ズックに長ズボン長袖シャツ姿で砂浜に座っていた兄の康志が言った。
「行こうか」そう言って上着のポケットからマッチを取り出して松明に火を着けた。遠くに漁り火が点々と見えた。二人は砂浜に沿って西の大石の方角に歩いた。干潮が進むにつれて膝の深さを目安に冲に向かって歩いた。
「カズ見な、シガイだ」銛で指した先に淡いピンク色の丸い塊があった。荒いサンゴ砂利の上に丸くなって座っているように見えた。その塊を銛で突いた。シガイダコはおとなしく銛で突き抜かれた。そして8本の手を銛に絡みつけて暴れ出した。その頭に千枚通しの針で指し通して下駄付きの紐の中に抜き取った。
「良い形の初得物だな」カズが言った。
「ああ、縁起がよいぜ」兄が歩き出した。東の方角にはイザリ火が増えていた。灯火は暗い海面に反射して揺らめいていた。カズはふと鬼火もこんなものかなと思った。何匹かシガイダコを突き、渡りガサミを突いた。
「ガサミを銛で突くとその穴からダシが抜けて旨味が少なくなるぜ」康志がいった。
「兄さん、俺らの周りを海蛇がぐるぐる回ってついて来るぜ。銛で叩き殺そうか」
「待て、縁起でもない。向こうのイザリ火が近づいてきたら銛で引っかけて投げ飛ばそうぜ。そうすればあの松明の周りをグルグル回るさ」康志はそう言って何事も無いように一番近い漁り火に近づいた。
「松明と弾き綱を持っていろ」そう言ってカズに渡した。康志は両手で銛の柄を握り近づいて来た海蛇の胴の中央部を銛の先端で引っかけ、竿を大きくしならせて海蛇を遠くへ飛ばした。海蛇はカズらの松明より近づいて来た誰かの松明に近い位置に落ちた。暗闇の中で魚が跳ねる音にも似て水しぶきが上がった。
「海蛇が戻ってくる前に急いで離れようぜ」康志は松明を受け取って早足で歩きだした。カズもつられて急ぎ足となって兄の後を追った。潮はかなり引いており、普段はほとんど行かない場所まで歩けるようになっていた。普段は砂浜から50m程離れた場所で波頭を立てているトンガリ岩が右手に見えた。その周りは既に干上がっていた。最初に入った砂浜から500m程ジグザグに歩いてきていた。目の前に大石の離れ岩が黒々と水面に浮かび、波にえぐられた岩が巨大なキノコのような形を見せていた。岩の上に生えた草木が風に微かに揺れていた。
「あの岩を廻って引き返そうぜ」康志が言った。
「うん、随分歩いたみたいだね」カズが返事した。
二人はその岩の裏側に向かって歩き出した。岩のすぐそばを歩いた。岩から少し離れると急に深くなっていた。二人は岩の西側から浅くなっているのを泳ぎ馴れて知っていた。
「カズ、面白い物を見つけたぜ」灯火を持ち上げて康志が冲を照らした。棒が水面から数本出ており網が帯状に冲に伸びていた。
「兄さん何だいあれは」
「刺し網だ。今日は最大干潮だ。あそこ迄歩けるかもしれないぜ。行ってみよう」
2人は太ももまで水に浸かって歩いた。松明は水面を引きずっていた。そして刺し網の端にたどり着いた。
「見なよ、チヌが網に絡まっているぜ。松明と引綱をもっていろ」康志はカズに松明を渡した。銀色の魚を康志が銛で突いて網から外した。魚は身動きしなかった。
「兄さんこの魚死んでいるのかな、動かないぜ」
「いや、長い間網に絡まっていたから弱っているのさ。死んで腐ってはいなさ」
カズは魚を手に取って臭いを嗅いでみた。
「うん、腐ってはいないな。目が濁っていないしね」
2人は下着が濡れそうな深さで引き上げた。30cm程度のチヌを3匹取ることが出来た。二人はゆっくりと引き返した。2時間ほど歩いただろうか。大石のキノコ岩の岩ノリが海面から150m程上に付着していた。満潮時には岩ノリは海中にあるはずだった。20個ほど見えた灯火が数点に減っていた。康志は獲物で重くなった通し糸を銛の柄に巻き付けて担いだ。干上がった干潟の上を歩き疲れた足取りで自宅に向かった。そっと台所の戸を開けた。母が起き出してきた。
「あら、お父ちゃんより獲り上手ね。これに入れておいて、明日の朝に料理するから」そう言ってアルミの大なべを持って来て渡した。大きなあくびをして戻って行った。二人は井戸端に建てた風呂場で井戸水をくみ上げて臍から下を洗って首に巻いていた手ぬぐいで拭いた。井戸水は暖かく感じた。
「明日は金曜日で学校の授業がある、早く寝ようぜ」康志がいった。カズは急に疲れを感じた。寝室に戻って目覚まし時計を見ると午前0時半であった。
その頃に自宅前の夜のイザリで取れる獲物は、タコ、イカ、クブシミ、ウツボに似た大ウナギ、アンコウ、ミノカサゴ、大型のハリセンボン、渡りガサミであった。
(2)
カズは大学の農学部を卒業して沖縄本島北部の東洋果樹園の管理業務に従事した。8ヘクタールの大規模温州ミカン果樹園であった。同級生の上原チカオと地元の作業員山城幸雄さんの3名で管理していた。所有者は建築用タイル販売の沖縄タイル商会と貸しビル業の松屋産業のオーナーである比嘉松栄氏であった。果樹園は比嘉社長出身地である国頭村安波の集落の西側の山であった。果樹園は安波集落の中央部を流れる安波川の河口近くに合流する普久川に挟まれた丘陵地であった。現在では両河川の上流にそれぞれダムが建設されている。果樹園は開園して5年が経っていたが適切な管理者が定着せず雑草の中に果樹が頭を出した状態であった。地元の臨時職員の二人の青年が2トンダンプに米軍のアルミ製給水タンクを積んで殺虫剤や除草剤を撒いていたが、非効率的な作業に悲鳴を上げて辞めてしまっていた。前任者の大学の先輩宮城典夫さんから業務を引き継いだカズと上原が着任した時は比嘉社長の従弟の幸雄さんが辛うじて残っているだけであった。
カズとチカオが最初に始めたのは、管理作業の効率化であった。果樹園の隅々まで薬剤散布用の配管を巡らし、バルブ操作と高圧ホースを取り換えるだけで果樹園の隅々まで薬剤散布を行えるようにした。1カ月間は水道工事業者のようであった。そして2週間ほどで除草剤を散布すると果樹園の雑草が枯れ始めた。カズらが着任して3カ月目には赤茶けて枯れた雑草のなかに整然と緑の果樹が浮かび上がった。除草剤として当時は一部の生産者だけが知っていた根茎から吸収するハイバーXと接触した茎葉だけを枯らすグラモキソンの2種類混合液であった。むろん農林水産省の推奨農薬では無かった。果実を肥大させるには少し遅い玉肥料を7月に施した。10月になると興津早生温州ミカンが色付き始めた。この東洋果樹園で初めての収穫であった。収量はミカンケース120箱の3トンであった。国頭農協に出荷した。しかし収穫者はカズらだけでは無かった。新種の鳥類ノグチゲラが発見されるほど自然が豊かなこの山林にはイノシシが生息しており彼らも収穫者であった。昼間でもイノシシを園内で見ることは珍しくなかったが、ミカンを食害するとは思いもよらなかった。二人は秋の作業を一段落した頃を見計らって猟銃の免許を取得した。そしてカズが学生の頃に通っていたエアーライフル射撃場の内間店長の紹介で仲本銃砲店よりレミントンM870を買った。そして11月25日~2月25日までの狩猟期間に備えて狩猟免許の講習会を受講して資格を得た。
カズらの食事は、朝晩の食事を交代で作るも、昼飯は山城さんの奥さんが作ってくれた弁当であった。年間の管理スケジュールは自分たちで組み立てており、日常の作業は気の向くままであった。10月の終わりなると山の上の果樹園は夜の冷え込みが顕著になって来た。二人は米軍の払い下げ品の寝袋を使用していた。上質なダウン羽毛であり十分な暖をとれた。
そんな日の昼食後に山城さんが声を掛けた。
「カズさん、名護の人なら今帰仁の鍛冶屋さんを知ってるかい」
「オヤジが大工仕事で使う開墾用の鍬を今帰仁の鍛冶屋で手に入れたと言っていたな。市販の鍬より頑丈に作られているらしい」
「まだその鍛冶屋さんはあるかな」
「分からないけど、村役場のある仲宗根辺りで人に訊けば判るだろ。鍛冶屋に用があるのですか」
「うん、寒くなって来ただろ。そろそろイザリが出来そうだから銛が欲しいのさ」
「銛なら辺士名の街の釣具屋で売っているだろ。今日の仕事を3時で切り上げて車で行ってみようか」
「こないだ家内の買い物のついでに辺士名の釣具屋を覗いたけど無かった」
「1本銛、それとも3本銛かい。先週釣具屋に寄ってテグスを買ったら、川エビのタナガー網の側に5,6本立てられていたぜ。そんなに売れるかな」
「あれは弱くて使い物にならないよ」
「おいおい、山城さん、イザリで何を突こうと言うのだい」
「タコだよ」
「あの銛でもイザリのシガイダコくらい突けるぜ」
「カズさん、ワシが行っているのはシガイダコでなくて真タコだよ」
「真タコは大きいとオヤジが言っていたが見たことは無いな。そんなに大きいのかい」
「うん、大きいのは5キロくらいになる。1升炊きご飯釜の一杯の大きさのもあるんだ」
「へぇ、そんなに大きいならそこいらの釣具屋の店先の銛では持たないな」
「このぐらいの太さの3本銛が欲しいのだよ。魚もタコも付ける銛が欲しいのさ」人差指を突き出して言った。
「今度の土曜日に今帰仁経由で帰ってみようか。俺もイザリしてみたいし」チカオが言った。
「しかしよ、幸雄さん。安波川の河口の海は急に深くなっていて潮が引くとは思えないがな」
「安波川の海ではなくて、安波と安田の間の集落の海だ」幸雄さんが言った。
「ええっ、そんなところに人が住んでるの。初めて聞いたよ。道案内の看板を見たことも無いぜ」
「今は無人の離れ集落さ」幸雄さんが頭を掻きながら言った。
「ヨシ分った。この太さだな。幸雄さんの期待に沿えるかどうかわからないが、一番頑丈な銛で、俺らの分も一緒に3本銛を3本買って来るヨ」カズは人差し指を立てて言った。
「カズさんに任せるよ。辺士名の釣具屋より丈夫な銛を頼みます」
カズは久しぶりのイザリに興味が沸いた。しかし沖縄県の東海岸は東村宮城集落辺りから海岸段丘となっており緩やかな丘陵地が続くも海岸線は崖が続いている。海岸のある集落の浜辺は砂浜が短く急に深くなっており、潮干狩りができる遠浅の海岸は無いのだ。安波、安田、楚洲集落にも砂浜はあるが遠浅の海岸ではない。幸雄さんに何か策があるのだろうと考えた。
土曜日の午後は早めに引き上げた。果樹園のゲートを午後5時に閉鎖してくれと幸雄さんに頼んだ。幸雄さんは除草剤で枯れずに残ったススキの根を夕方まで掘り取る作業をして引き上げると言って片手を上げてカズらを見送った。
本島北部には町村ごとに1軒の鍛冶屋があったが、昭和40年代にはほとんどが廃業した。鍛冶屋は丈夫な鍬、鉈、鎌などの農機具の他に資材運搬や農耕用の馬の蹄鉄を作っていた。しかし、本土との物流が頻繁となると、安価な大量生産の農機具が入荷し、運搬トラックの普及や農耕馬に変わって耕運機トラクターが普及したのだ。鍛冶屋の役目は終わっていた。それでも農業に適した広い耕地のある今帰仁村には1軒の鍛冶屋が残っていた。この頃の鍛冶屋はトラックのシャフトのクッションに使われている鋼鉄製の板バネから鋼を取り、刃物の合わせ鋼の軟鉄の部分は鉄工業者が使う120cm×180cmに5ミリ厚鉄板を切り取って使っていた。樹木の枝打ちに使う厚みのある鎌や、鉈、斧、平鍬の背の部分に斧を取り付けた通称開墾鍬は、畑地の周りの雑木林の雑木を取り除くのに便利であった。造園用の根切棒等も造園業者の注文に合わせて作っていた。
カズとチカオは今帰仁村の最も人通りが多い仲宗根集落の雑貨屋でタバコとコーラを買いながら鍛冶屋の場所を訊ねた。鍛冶屋は村役場入り口の看板を過ぎた次の通りに入って3軒目であった。工場とも店舗ともいえない鉄錆び色の埃にまみれた頑丈な木造の柱とセメント瓦屋根の建物があった。駐車場も無いので建物の前にピックアップトラックを停めた。車を降りると中から金属を叩く音がした。
「カズ、工場らしいぜ、覗いてみよう」チカオがさして広くも無い開け放した間口から中に入った。カズも続いて入った。中は薄暗く、丸い傘付きの白熱電灯の下で初老の男が頭に手ぬぐいを巻き付け、カズらに背を向けて金槌を振るっていた。赤く熱せられた鉄板から男の金槌が火花を弾き飛ばしていた。その向こうに五右衛門風呂の竈にも似た高炉があり、2,3本の鉄の棒が突っ込まれて焼かれていた。棒の先は赤い木炭に抱かれて真赤に燃えていた。男の金槌が火花を飛ばさなくなったところでヤットコで挟んでいた鉄板を香炉の中に差し込んだ。そしてこちらを振り向いて言った。
「何か欲しい物があるのかい。今のところ、そこの棚上と壁に掛かっているだけだ。あったら声を掛けな」そう言って再び別の棒を高炉中から取り出して置いて金槌で叩きだした。二人は展示作品を見て回った。農機具から造園道具、大工道具、漁具が分別されて並んでいた。カズが銛の中から1本を手に取って言った。
「オイ見なよ。こいつは投げて使う銛だぜ。この棒を挿す部分の横にリングが付いているだろ。ここにロープを付けるのさ。イルカ狩りの時に漁師が使うのを見たことがあるが、この銛をイルカの頭に打ちこんでロープを船の縁に括るのさ。何本も打ち込むとイルカは海中に潜ることが出来なくなるのさ。海は血だらけだったよ」
「兄さん達は名護の人かい。イルカ狩り用の銛が欲しいのかな」振り向くと汗まみれのシャツをきて顔の汗を手拭いで拭きなら立っている男がいた。
「仕事中すみません」
「どんな銛が欲しいのかな」
「いえね、国頭の人から頑丈な3本股の銛を頼まれましてね。無いですか」
「今のところこれがあるだけだ」そう言って銛の根元が人差指大の三本銛を棚から取り出して見せた。銛の長さは15㎝程で更に20cm程の柄を差し込む筒が付いていた。
「うん、これらなら幸雄さんの言う5kgのタコでも折ることは出来ないな」
「ハハハ、こいつを折るタコは沖縄近海にはいないさ」オヤジが笑いながら言った。
「では、僕らの分も入れて3本下さい」チカオが言った。
1本1,500円の3本を買った。
「イザリでもするのかい。国頭はあまり荒らされていないから獲物が多いだろうな。でも馴れない場所の夜の海は気を付けろよ。アンタら二人で行くと危ないから必ず地元の人と一緒に行くことだな」
「ハイ、ありがとうございます」そう返事すると、オヤジは手ぬぐいを頭に巻いて高炉の前に向かって歩いて行った。二人はピックアップトラックを反転して名護に向かった。そして2日後の月曜日の朝に出勤してきた幸雄さんに銛を見せた。
「カズさん、これですよ。これが本当の銛ですよ」
「幸雄さんの期待にこたえられるか心配だったよ。これより大きいのはクジラ用の銛しかなかったぜ。あれと交換してくれと言われたらどうしようかと心配していたよ」
幸雄さんが嬉しそうに大声で笑った。
「幸雄さん、銛の柄はどうする」チカオが言った。
「大丈夫ですよ。これから24林班に行ってチャーギ(イヌマキ)を切ってこよう」
「なんだ、24林班とは」カズが尋ねた
「この辺の山は植林されている場所があってな。ワシはその植林の仕事を一時していたのさ」
「そう言えば外国の樹木のユウカリや沖縄には無かったはずの杉の植林地が林道に点々とまとまって生えていたな」チカオが不審そうに言った。
「ワシらが植えたのさ。この果樹園の仕事に就く前だ」
「それで幸雄さんの家の近くに営林署の看板が掲げられている家があったのか」
「うん、前は職員が駐在していたが、今は名護市の北部林業事務所に吸収されていて無人の調査用資材の倉庫になっている。管理人はいないから3本くらい切り取っても解らないでしょう」片目をつぶって笑った。
「銛に取り付けるにはこのサイズかな」カズが親指と中指で輪を作って言った。
「行こうぜ」チカオがテレビの横の壁のフックからピックアップトラックの鍵を取って安全靴を履いた。
果樹園のフェンスに沿って少し走り草の繁った林道を1㎞ほど進むと植林地が続いた。杉林の次にイヌマキの植林地があった。その先のユーカリ林は雑木林に変わっていた。営林署の目的は生育調査であるらしくユーカリは適正樹種から外れたようで管理の対象外となっているようであった。イヌマキは良く成長しており沖縄での適正造林樹種のようであった。太く成長したイヌマキは銛の柄としては太すぎた。造林地の外れの既存の雑木に混じった中でやっと見つけて地際より切り取った。数本の枝を払って車に乗せた。4輪駆動でないピックアップトラックは林道を覆いつくした草でタイヤが滑ってしまいUターンするのに手間取った。それでも午前10時には果樹園の倉庫に戻った。樹皮を剥いで日向に3日ほど吊るしておくと随分と軽くなった。根元を鉈と鎌でとがらせて銛の筒の部分に押し込んだ。そして筒の部分に空いた穴に釘を打ち込んで留めた。銛の柄の長さを180cmにして余分な部分を切り落とした。イザリのシーズンまで1月があった。イザリで取った獲物を入れる竹籠を銛と同じく今帰仁村の手作りバーキ屋(竹籠細工屋)で求めた。後はイザリのシーズンを待つだけだ。
寒さはいきなりやって来た。安波川の河口から集落の間を抜けて東洋果樹園の丘の斜面を駆け上がりフン川の谷間の渓谷に沿って吹き抜けて行った。既に11月に入っていた。果樹園の100トンの貯水タンクの上に登って海を見ると太平洋は酷く荒れていた。冬の名護湾と大きく異なっていた。この地域のイザリは月の満ち欠けが決める潮の干満以外に北風のご機嫌が伴うようであった。そんなある日幸雄さんが言った。
「カズさん、今度の満月の晩は北風が納まりそうだね」
「ああ、テレビの天気予報では中国大陸からの低気圧が弱まるので久ぶりに小春日和の終末となるそうだ」
「今度の金曜日にイザリに出たいのだが、車を出してくれないかな。隣近所の人が同行したいと言っているのでピックアップトラックの荷台に乗せてくれないかな」
「構わないぜ、何時にする」
「7時半にワシの家に来てくれ」
「早くないか。干潮は早くても午後10時以降だぜ」
「車に乗せてもらう代わり夕飯をワシの家で食べてくれ」
「では、ご馳走になりますか。やっと今帰仁で買った銛と籠が使えるな」
「カズさん籠には小型の金槌を入れておくと良いね。タコは頭を叩いて殺さないと籠から這い出て逃げるから。俺は小形の鉈を入れておく」
「分かった。俺の村と随分異なっているね」
「この辺りは冬に海が荒れるからイザイの出来る日は少ないのですよ」頭を掻きながら幸雄さんが言った。目が楽しそうに笑っていた。
その日の午後7時過ぎに幸雄さんの家をチカオと二人で訊ねた。ピックアップトラックを隣の空き地に止めて門の階段を上がった。玄関脇に大きめの竹籠と銛、カーバイトランプが置かれていた。カズとチカオは肩掛け紐を取り付けた単一電池3連結の懐中電灯を籠の中に入れ車の荷台に括っていた。電池切れに備えて予備の電池3個をビニール袋に入れて上着の内ポケットに入れていた。幸雄さんの奥さんが直ぐに夕食を運んできた。ソーメン汁、大盛りのご飯、ポーク卵に自家製の大根の漬物であった。幸雄さんの奥さん礼を言って中学2年生の一人息子と4名で夕食を食べた。幸雄さんには6歳年上の娘がいたが既に辺士名高校を卒業して那覇市内で働いていた。月に一度帰省する程度であった。夕食が終わった後はテレビのお笑い番組を見て過ごした。9時になると玄関の外から女性の声がした。
「幸雄、準備出来たよう」
「みんな揃ったようだ。そろそろ行きましょうか」幸雄さんがそう言って立ち上がった。
「干潮は早くても10時だぜ。早くないかい」
「浜に降りて待とう。干潮の具合を見て海に入りましょう」
薄暗い街灯の下に停まった車の荷台から女性の声が一斉に聞こえた。
「こんばんわ、よろしくお願いします」5名の女性が既に乗り込んでいた。
幸雄さんは自分の荷物を荷台に放り込むと助手席に乗り込んで来た。真ん中に幸雄さん、窓側にチカオが座った。車を本通りに出して安波共同売店の前を通った。売店は既に電灯が消えていた。車は幸雄さんの指示で国頭村の西海岸の与那集落と東海岸の安波を結ぶ横断道路を西に向かって進み急な坂道を2㎞ほど登った。道路の勾配が緩やかになった頃、幸雄さんの指示で右折して安波集落のパイン畑がある海岸段丘の農地へ向かった。この辺りは以前に何処かの企業が牧場を計画したが頓挫して草原となっていた場所を村人がパイン畑にした場所である。草地は未だ残っており車のヘッドライトの届かぬ先まで続いていた。赤茶けた赤土の道路をハイライトにして低速で進んだ。道路の凹みで車が跳ねて車の荷台の女性たち悲鳴を上げては困ると思ったからだ。道路の中央から左側に2m足らずの黒い棒切れに似た物が落ちていた。幸雄さんが指差して言った。
「カズさん、大きなハブだ。草むらに逃げ込む前にタイヤで轢いてくれ」
ハブは逃げる様子も無く横たわっていた。カズはハンドルにポコン、ポコン右前輪と後輪が何か棒切れと異なる塊を踏んだ感触を覚えた。
「確かに轢いたよ。荷台のおばさんたちの重みでハブの胴体の骨がペチャンコになっただろう」そう言った。
「今夜は春先みたいに暖かい夜だからハブが出てきたのかな」チカオが言った。
「ハブは冬眠しないぜ」と幸雄さんが言った。
暫くして幸雄さんの指示で左折して細い道に入った。200mほど進んで車がUターンできる広場に出た。
「車はここまでです。ここからは歩きます」幸雄さんが言った。
カズは車を反転して広場の赤土のむき出しとなった場所に駐車した。そこは潮騒の聞えない海岸段丘の上部であった。道路の先は細くなって崖の方に続いていた。
「幸雄さん、海は見えないな」チカオが言った。
ガヤガヤと女性たちが車から降りて来てカーバイトランプの上部の蓋を開けて持参した水筒から水を注入して蓋を閉じてガス弁のコックを捻ってマッチで火を着けた。青白いカーバイトの光が辺りを照らした。女性たちは馴れた手つきでガスの放出量を調整してそれぞれの籠を背負って歩き出した。幸雄さんがワシらも行きましょうと促した。
人がやっとすれ違うことが出来る細い道を右に左にとつづら折りで20分ほど歩いただろうか。やっと浜に着いた。女性たちは既に浜辺に着いており、カーバイトトーチの灯りを消して月明かりの下で砂浜に座っていた。月明かりの中に浮かんだ海岸風景は500m程の砂浜と両サイドに崖が続く小さな入り江となっていた。沖にリーフがあるらしく白波が立っていた。満月の明かりで見る限り民家の気配は全くなかった。
「幸雄、もう少し待たないといけないみたいだね」冲を眺めて女性の一人が言った。カズは海面を懐中電灯で照らしてみた。砂浜は波打ち際が沖へと退いていたが歩ける程浅くはなっておらずイザリどころでは無い。
「幸雄さん、この浜はイザリが出来る程潮が引くのかい」
「浜辺でなくて、あの白波が立っているリーフに行くのですよ。右側の崖下からリーフに行けますから。もう少し待てばリーフが干上がります」
20分ほど待っただろうか。一人の女性が言った。
「幸雄、もう渡れるのではないかい」
幸雄さんは砂浜で膝を抱えてうたた寝をしていたが立ち上がって言った。
「姉さんたち行きましょうか。引き上げる時は私が合図しますから、一人歩きして離れないで下さいよ。遅れたら歩いて家まで帰ることになるよ」
女性たちが一斉に笑い出した。そしてそれぞれにトーチに火を着けた。女性たちは竹籠を肩から掛けて入りえの右側の崖下に向かって歩き出した。午後10時であった。干上がったゴロ石のだらけの崖下が終わると場所からサンゴ礁が浮かび上がっていた。沖へ向かって50~70mの幅で左側に300m程伸びており、入り江の左側の崖下から伸びたサンゴ礁が途中で途切れていた。海水はその切れ目が水路となっており沖へと流れ出る地形となっているようだ。黒い海水が河川の急流にも似て冲へ音を立てて流れ出ていた。浮き上がったサンゴ礁で囲まれた内海はさざ波も無い静かな海面であるが、反対側の外海は波頭が立っており、黒い波がリーフを乗り越えてやって来る気配に満ちていた。夜の海でこの黒潮の流れに引きずり込まれると果てしない闇の世界を漂うだろうと誰もが恐怖を覚える風景を満月が浮かび上がらせていた。しかしながら果てしない太平洋の闇の中から盛り上がって来る波はカズらを押し流すことなくサンゴ礁の端に吸い込まれるように消えた。ただ満月が苔に覆われた緑色の岩礁を浮かび上がらせるだけだった。サンゴが成長して出来た岩礁は小さな入り江が幾重にもジグザグと広がっており、浅く、深く、或いは直径2m~15mのツボとなっていた。灯火で岩礁の潮だまりを探索して、浅い入り江の岩陰に眠るゴマアイゴ、オニカサゴ、ブダイ、小型のハタ、シガイダコ、マタコ、クブシミを銛で突き、サザエ、アワビ、シャコガイ、タカセガイ等の大きめの貝類を拾い。時にはワタリガニ、エビを突くこともあった。
「カズさん」20m程先を歩いていた幸雄さんが呼んだ。
声の方角を見ると手を振って呼んでいる。チカオと二人で駆け付けると30㎝程の丸い穴を指差している。15㎝程海水が溜まっており、その中で灰色の斑模様の何かが膨らんだり縮んだりと動いている。丸いいぼの先に黒い眼玉が見え隠れしている。
「これがタコだよ」幸雄さんが言った。
「真タコはこんな穴に潜んでいるんだ」チカオが言った。
幸雄さんはカズらが買ってきた銛を穴の中に突き刺した。銛の柄が大きく揺れた。幸雄さんが捻じるように様にしながら上下させた。穴の中はたちまち粘り気のあるタコ特有の茶褐色の墨に染まった。幸雄さんが銛を引き出すとつられてタコが穴から這い出てきた。タコは3本銛に絡みつき柄の部分から捻じり切るように体をくねらした。幸雄さんは急いで肩に掛けた籠から小型の鉈を取り出すとタコの頭と足の間にある目の部分に叩きつけた。目の間がぱっくりと空いた。タコの勢いが急速に弱くなった。しばらくするとタコは動かなくなった。しかし頭を銛で刺された状態でも足の吸盤は柄に絡みついたままだった。頭から足までの皮膚は未だに変化を続けていた。幸雄さんは鉈の刃の裏側でタコの頭を軽く叩きながら銛からタコを外した。頭の部分は胴体であり、内臓が治まっている。その付けには鰓に当たる空洞があり、そこに指を入れて持ち上げた。160cm前後の身長の幸雄さんの胸元まであった。全長1m前後であろう。満足そうに笑って二人を見た。そして籠に放り込んだ。
岩礁の切れ目までやって来てから幸雄さんが言った。
「潮目が変わるな。海水の流れが止まっている。引き上げましょう。潮の満ちるのは早い。潮が引くのはこのリーフの切れ目からだが、満ちるのはリーフの上を越えて来る。そうなれば危険だ」辺りを見渡して仲間を探した。灯火のカズを数えてから大声で言った。
「潮が満ちるから引き上げるぞー」2度、3度と大声で呼びかけた。五つの灯火がこちらに向かって動き出した。それを見て幸雄さんもゆっくりと歩き出した。しばらくすると灯火が一つの群れになった。そして8個の灯火が隊列を成して入江の東の崖下に向かって移動を始めた。砂浜に上がって振り返ると、先ほどのサンゴ礁のイザリ場は既に白い波頭が満月の明かりの中で白い列となっているのが見えた。
「姉さんたち、明日の御馳走は獲れたかい」幸雄さんが言った。
威勢の良い主婦たちが口々に「久しぶりにイザリが出来て楽しかった」と楽しそうに言った。
砂葉を20m程登って上り坂に差し掛かった。今度も女性たちが先頭になって登り出した。20代の半ばにもならないカズとチカオは、この村の中年を過ぎた女性たちの脚力には敵わなかった。息を切らしてやっとのことでピックアップトラックに戻ると、女性たちは既にトーチの火を消して月明かりの中でトラックの荷台に乗ってお楽しそうに笑い声を立てていた。
「チカオ、ここでのイザリは当分お休みだな」カズが息を切らして言うと
「俺もだ、今夜は十分に運動した。海に行ったのか、山に行ったのか分からないぜ」
2人は車に乗り込んだ。幸雄さんは荷台に乗っておばさんたちと雑談を始めていた。カズは車をゆっくりと発進した。途中でS時に曲がって白い腹を上にしたハブが道路の中央から左に寝そべるように横たわっていた。カズは再びハブの上をタイヤで通過した。ゴムホースを踏んだ感触がハンドルに伝わった。
30分ほどで幸雄さんの自宅横の空き地に着いた。午前0時を少し回っていた。
おばさんたちが口々にお礼を言って小さな懐中電灯を手に自宅に向かって散って行った。幸雄さんと共にそれを見送った。
「カズさん、チカオさん今日はありがとう。おばさんたちも喜んでいたよ」
「しかしよ、この村の青年も、オヤジ達もイザリはしないのかい」
「みんな、酒を飲むのが趣味でイザリは難儀と思っているのさ。ワシは酒を飲まないからイザリをするのさ」頭を掻きながら幸雄さんが言った。
「明日はお休みとするか。俺らは明日の昼前に帰るから、昼後に農園の点検をお願いします」
「良いですよ。今日はお疲れさまでした」そう言って竹籠を担いで自宅の門に向かって歩き出した。カズは車のエンジンを掛けてライトで幸雄さんの方向をしばらく照らした。門の階段を上っていく後ろ姿が見えなくなったので車を反転して果樹園の宿舎に向かった。珍しく太腿に張りを感じていた。
6、猪撃ち
4月に東洋果樹園に赴任したチカオとカズは前任者のノリシゲ、幸雄さんの4名で8ヘクタールの果樹園に薬剤散布用の定置配管とスプリンクラーを整備した。それによって除草剤、殺虫剤、殺菌剤の薬剤散布能力が格段に向上した。業務引継ぎが完了してノリシゲは別の赴任地に転勤して行った。4月に開花した早生温州ミカンは、農園の全ての株が満作ではないが樹勢の強い株には着果して成長した。農園の傾斜に沿って横幅200mに縦幅25mの圃場が管理道路でセパレートされていた。1区画4面の圃場が事務所兼倉庫の3方向に広がっていた。もう1方の北側が事務所から50m程離れて北向きの崖となっていた。はるか遠くに両側の山林の斜面の間を海に流れ込む安波川の河口と太平洋を望むことが出来た。冬になると太平洋のからミーニシと呼ばれる冷たい北風が果樹園に向かって吹き上げて来るのであった。それ故、圃場は事務所を頂点に東から南南西へと下り傾斜で広がっていた。4月迄雑草の中に緑が見え隠れした段々畑は縦縞模様の緑のベルトが整然と広がった。この年の収量は僅か3トン程度の見込みであったが、樹勢の回復が著しく向上しており、翌年は一桁増える収穫が見込まれた。温州ミカンの樹形は開芯自然形と呼ぶ樹冠を広くして高さを押さえる選定方式にした。ミカンの成長の任せるままに伸ばすと2m以上にも伸びてしまい、多くの実が着いても女性労働者には収穫できない不便な樹形となってしまうのである。前任のノリシゲが既にその剪定方法を確立してあった。果樹園の一角に20本ほどのサンプル樹木があり、順調に着果していた。カズたちは定期的に実を取って食べては果実の熟度を調べていた。サンプル木の数本は出荷の対象とせずに残しておくつもりであった。本社への贈答用と自家消費用としてであった。
8月の上旬からJA沖縄北部支所が青切早生温州ミカン選果場の操業を開始した。東洋果樹園も地元安波集落の女性を一時雇用して収穫を開始した。8月の下旬を待たずに収穫を終えた。サンプル木は未だ実が着いていた。早生温州ミカンが本当に美味くなるのは9月の下旬である。僅かに皮が黄色くなった頃に果実の糖度が上がるのだった。
8月の出荷を終えた次の週の朝に幸雄さんが渋い顔で出勤してきて言った。
「カズさん、あの収穫をしないで自家用に残しておいたミカンがイノシシに食べられた」
「イノシシがミカンを食うのか」カズとチカオはそう言って、朝食のパンをコーヒーで胃袋に押し流し込んで雨靴を履いて急いで外に出た。事務所から300m程離れてゲートと中間地点にある圃場に車で乗り付けた。その圃場は小石交じりの埋め土で造成された陽当りと排水の良い場所であった。幸雄さんの後に続いてミカンの木の下にやって来た。樹冠の下にはミカンの皮が散らばっていた。誰か数名の不心得者がミカンを獲って食べ散らかしてあるかのようだった。人間の足跡では無くイノシシの二股の足跡が無数に点在していた。真新しミカンの皮が散らばっているのを見てカズが言った。
「安波のイノシシは器用だな、まるで人間か猿みたいではないか」
「全くだ、皮を残して実だけを食っちまいやがった」チカオが言った。
ミカンは80cm程の高さまで取られていた。垂れ下がったミカン程美味いのだ。
イノシシの足跡を追いかけていた幸雄さんが戻って来て言った。
この先のフェンスが破られていた。ススキが生えてフェンスを押し上げおまけに錆びついていた。そこから頭を突っ込み入り込んだのだろう」
「チクショウ。味を占めてまたやって来るかも知れないな。どうする」チカオが言った。
「ワイヤーメッシュの切れ端で補修するか。倉庫にフェンスの補修用が残っていたはずだ」カズが言った。
3名は車で事務所に戻った。補修材料を探しながらカズが言った。
「腹の立つイノシシだ。鉄砲でもあれば打ち殺すがな。昨年園芸教室に研修にやって来た米盛さんが言っていた。西表島では罠を仕掛けて獲るそうだぜ」チカオが言った。
「ああ俺も聞いたぜ。幸雄さんこの辺りではイノシシ罠を仕掛けないのかい」
「ワイヤーで罠を仕掛けて獲るのだが、ワシのワイヤー錆びて使えないからな。辺士名の金物店では売っていると思うよ」
「そうか、それならひとっ走り行って来るか。2時間では行って来るな。何ミリサイズだ」
「太いと締まりが悪くなるので2ミリ程度のワイヤーを使っている。2mもあれば仕掛けが作れるよ」
「よし分かった。予備として10m程度買って来る」
「俺は幸雄さんとフェンスの破損個所を点検しておく。イノシシの出入りがあるなら幾つか仕掛けておこう」チカオが言った。
カズは昼前に戻った。12#2.5m/mのワイヤーを¥200/mで10mほど買った。
仕掛けはいたって簡単であった。締め輪を作ってイノシシの通路に立てて仕掛け、そこにイノシシが頭を突っ込むと喉を締めて窒息死させる方式である。幸雄さんの意見では、イノシシは前進が得意で後に下がることしないそうだ。米盛さんの説明した西表島での仕掛けの罠は、細めの立木をタメてバネを作りその頂部にワイヤー結び、ワイヤーの先に占め縄作り、羽板と小さな落とし穴でイノシシの前足を括り付けて立ち往生させるそうだ。前足が不自由で後ろ脚だけで半立ちの姿勢で5日ほど生きているそうだ。安波方式は罠に掛かると30分も持たずに死ぬらしい。それ故毎朝罠の点検が必要で、それを怠るとイノシシは腐敗してしまうと幸雄さんが説明した。
イノシシ罠はいたってシンプルであった。ワイヤーを2mに切断して、その先端に1cm程の輪を作り何度も潜らせて強度の強い輪とした。そこにワイヤーを通して締め縄を作った。そしてもう一方の先端にも丸い輪を作った。フェンスに固定する時に便利なようにするためだ。
イノシシの通り道は今朝確認したサンプルミカン畑のフェンスの破れ穴だけであったが、そこ以外の2か所にも仕掛けた。2本は予備に取っておいた。
「幸雄さん、悪いが明日から出勤前に罠の点検をしてくれ。俺たちはイノシシを特に食べたいと思わないから、もし獲れたらアンタの好きにしてくれ。カズ、アンタは食うかい」
「いや、野生の豚よりステーキが欲しいな。食えるなら味見くらいはしたいがな」
「ありがとう。獲れたら料理してアンタたちに振る舞うから。でもよ、新品のワイヤーはオイルの臭いがするから罠に掛り難いという話だ。一度雨に当たってから出ないとイノシシは寄らないかもね」
「後は、幸雄さんに任せます。俺はミカンをこれ以上食われたくないからね」カズが言った。
遅い昼飯を食べて午後3時から剪定作業を始めてその日を終えた。
その日の夕食を食べてカズがチカオに言った。
「俺は学生の頃にな、那覇の一銀通りにあった那覇エアーライフル場に通っていたのさ。そこの社長の上間さんは今帰仁の方で銃砲所持に詳しいはずだ。猟銃の所持許可を取ってイノシシ撃ちをしてみたいがどうかな」
「面白いな、電話して聞いてみなよ」
カズが射撃場に電話すると上間さんがいた。現在の仕事場の話をして散弾銃を取得したいと話すと、自分の銃は使っていないから譲ると話した。中古のスライドアクション散弾銃は4,5万円が相場で、所持許可は本籍のある警察署が所轄だと話した。県内には仲本銃砲店の他に2店舗あるが、仲本さんは親しいからそこで弾を買えば良いだろうとも言った。
二人は次の休み明けにそれぞれ那覇署と名護署に寄って必要書類を整えることにした。普段と同じように夜が更けていった。タンクの横の電柱の登り用の鉄のピンにフクロウが停まってホウ、ホウと夜の縄張りを主張していた。
翌朝、カズは朝食を済ませて外の水道で歯を磨いていた。高台の果樹園の朝は太平洋から安波川の河口の谷間を抜けて駆け上がって来る潮風が心地よかった。沖縄では珍しい耳が痛くなるほどの寒風がやって来るのは4カ月先のことであった。急ぎ足で雨靴をバタバタさせて小走りにやって来る男の姿がソウシジュの並木に見え隠れしてやって来た。その小柄な男は足のサイズより大きめの雨靴を履くのが常であった。ゆっくりと歩いてもバコバコと音を立て、小走りになると雨靴が抜けるのもしばしばであった。案の定、事務所前の300坪ほどの芝生の広場で雨靴を脱いで小脇に抱えてやって来た。カズは歯磨きの泡を水道水で漱いで言った。
「幸雄さん、大イノシシにでも追われたのかい。口から泡を吹いているぜ」
「カズさん、昨日仕掛けた罠にイノシシが掛かっていた」雨靴を履きながら早口で言った。
「ホントかよ。新品のワイヤーには警戒心の強いイノシシは近寄らないと言っていたぜ。それで暴れているのかい。根切棒で突き刺そうか」
「いや、既に死んでいるよ。早く解体しないと腐っちゃうから慌てているのさ」
「それで、3ケ所の罠の何処だい」
「あの、ミカンの実っている場所だ」
「ざまーみろだ。俺らのミカンを食った罰だな。チカオを呼んでくれ、車を出してくる」
三人は果樹園のゲートの近くで車を停め、ミカンの枝をかき分けてフェンスに仕掛けた罠に歩いて行った。イノシシは横向きに倒れていた。ワイヤーがピンと張りフェンスが少しだけ膨らむようにイノシシ罠のワイヤーで引っ張られていた。イノシシは断末魔の足掻きで土を蹴散らしていた。しかし、大した量では無かった。目はしっかりと見開き、幾分灰色が掛かった膜がかかっていた。半開きの口の上あごの中ほどに小さな牙が分厚い唇から覗いていた。尻から鼻先まで80cm程度であった。ワイヤーカッターでフェンスに括り付けたワイヤーを切断した。フェンスがポンと弾かれて元の位置に戻った。チカオがペンチでワイヤーを引っ張ってイノシシの喉から抜き取った。カズはイノシシの後脚を両手で持ち上げて言った。
「30kg程度かな」
チカオが代わって持ち上げて「そんなところかな。幸雄さん、このイノシシをどうするのかい」と言い返した。
「ポンプ小屋の所まで運んでくれ。そこの川で腹を裂いて内臓を取り除いて洗い、後は持ち帰ってから料理する。包丁を貸してくれ」
カズとチカオはイノシシの前足と後足を掴んでピックアップトラックの荷台に乗せた。事務所で包丁を取り、農場の貯水タンクに普久川から水を揚げるために川の側に設置したポン場へと降りて行った。滝と滝つぼで有名なタナガーグムイの上流1km付近である。4インチの5段式渦巻ポンプで50m上部の農場の貯水タンクに揚水する為の5坪程のコンクリート製の施設だ。ポンプ小屋の側から4m程の高さの階段があり、川に降りることが出来た。汲水口のメンテナンスの為に設けられていた。雨季や台風で増水すると、汲水口に枯木が詰まることがあり、その度に取り除く必要があった。揚水システムは自動給水では無く、2基のタンクの水が少なくなった時にポンプ小屋迄降りて行って、電気スイッチを入れて手動で揚水ポンプを作動させていた。コンクリート製の40トンタンクが2基あり、3カ月に1度の揚水作業を行っていた。飲料水用のタンクには次亜塩素酸ナトリウムを定期的に混入していた。
イノシシを河原の狭い砂利の上に置いた。幸雄さんは馴れた手つきで腹を開いて内臓を取り出した。肝を切り離し、持参した肥料袋に入れた。その次に胃袋を裂いた。中から小豆が出てきた。ミカンは出てこなかった。
「農場のミカンを食う前に首を括られたようだな」とチカオが言った
「こいつは美ら作村からやって来たな」と幸雄さんが言った。
「美ら作村と言うと農場の向かいの谷を隔てた丘の上の10軒ほど民家のある離れ村のことかい」カズが問うと、
「今頃、小豆を作っているのは美ら作村の比嘉さんだけだ。下の安波村で小豆を作っている人はいないよ」
「ホントかよ、車で15分の距離だぜ」
「イノシシは車道を通らず、雑木林の中を最短距離でやって来るので、1kmも無いさ」
「そう言えば農場の貯水タンクの上から美ら作村の民家が近くに見えるな」チカオが言った。
「これは川のタナガーエビの餌だ」幸雄さんはそう言って贓物を川の中に放り込んだ。
「このイノシシはどの様に料理するのかい」チカオが尋ねると
「取りあえず、ワシの家まで運んでくれ。カカアと二人でイノシシ汁にする。この村では、山で獲れたイノシシはね。山の神の恵みだから村人皆で食べることになっているのさ。夕方までに準備できるから家に回って来てくれ。一番汁を出してあげるから」そう言って満足そうに笑った。
幸雄さんの自宅に彼とイノシシを降ろして、4時半にイノシシ汁を食べにくる約束で引きあげた。事務所に戻ると二人は手に着いたイノシシの臭いを石鹸で丁寧に洗い落とした。二人の人生で初めてのイノシシとの遭遇であった。その日の夕方に食べたイノシシ鍋も初めての体験であった。イノシシの肉と共に大根、青パパイヤが入っており、少しヨモギを加えて食べた。肉は硬くなく、野生動物特有の臭みも無かった。ヤギ汁よりも淡白であった。
その後も3頭ほど獲った。ミカンが消えるとイノシシ出没は少なくなった。台風がやって来て果樹園を閉めた日があった。台風通過後の翌日に幸雄さんが2日ぶりに罠を見回りに行くと50kg程の大物がかかって死んでいた。既に腹がパンパンに張って爆発寸前であった。目の周りに女性のマスカラのように点々とハエの卵が産みつけられていた。よく見ると口の周り、尻の穴の周りなど柔らくて最初に腐敗が始まる内臓に繋がる部分にハエが産卵しているのだ。ハエにとっては上質なたんぱく質の塊に過ぎないのであろう。
カズとチカオは10月の終わりまでに、散弾銃を入手した。金武町のクレー射撃場での訓練としてのトラップ射撃や狩猟講習会を受講して狩猟期間を待った。
銃はレミントンM870 12番26インチの標準狩猟用であった。銃の性能など解らず狩猟が出来れば良いと考えていた。銃の他に弾を携帯するガンベルト、弾は鳩用の7.5号、カモ用の4号、イノシシ用のスラグ弾、9粒弾を一箱ずつ買った。
沖縄県の狩猟期間は11月15日~2月15日までである。それ以外の時期にパンパンと銃声がすると警察官が飛んでくることになる。その時期以外で散弾銃を打てるのは金武町のクレー射撃場だけであった。国頭村安波集落の高台の果樹園は太平洋からやって来る北風が安波川の谷間を駆け抜け普久川との合流点の斜面を駆け上がり果樹園の防風林を揺らした。南向きの斜面に開かれた農地に北風が当たることは無かったが、気温はカズの実家の名護市やチカオの実家の那覇市では経験できない寒さであった。レミントンM870を肩に掛けて果樹園をうろつくも既に果実の収穫を終えた農園は、イノシシの興味の対象から外れているらしく全く姿を見せなくなっていた。カズはカラス、フクロウ、コウモリ、キジバトを撃つも拍子抜けであった。そんな時に旧友のテツが果樹園にやって来た。名護市羽地の水田地帯の稲作農家である。一晩泊まって酒を酌み交わしている中で、水田の稲刈りが済んでおり、2km程離れた農業用ダムから夕方になるとカモが飛んでくると話した。翌日、カズとチカオはテツの実家を訊ねた。羽地の水田は川上集落、田井等集落、振喜名集落にまとまっていた。テツは川上の水田所有者である。銃による狩猟時間は日の出から日没の時間までである。カモが飛んでくるのは夕方だ。大抵は日没後である。しかし鉄砲撃ちが細かい時間を気にしては猟にならない。暗くなる前に撃てが基本だ。カズとチカオは藁縄を作るために稲藁を干してある竹竿の干場を背に山に向かって立った。カモは二人の背の方角の農業用ダムから飛んでくるのだ。テツが後方を確認して合図する役を引き受けた。二人は10m程離れて銃を肩に掛けて立った。正面の畦道の右側に来たカモをチカオが撃ち、左側に飛んできたカモをカズが撃つことにした。しばらくしてテツが言った。
「右後方からカモが飛んできた」
カモはいきなり乾いた水田に降りることは無い。10羽程度の編隊を組み高い位置を山際まで飛んでいく。そこでターンして水田を旋回しながら高度を下げていくのである。カモは単純に飛んでいるのではない。首を右に左に振りながら地上を観察しているのだ。安全を確認してから水田に着地するのである。鉄砲撃ちは姿を隠してカモが着陸寸前まで高度を下げさせてから発砲するのが猟果を得る方策だ。それに4号弾では30mまでが射程距離だ。それとレミントンM870のスライドアクションでは2発が射撃限度だ。レミントンM1100オートマチックなら3発は打てるだろう。スキート射撃のプール、マークのダブル撃ちの要領だ。カモは縦横400mほどの水田地帯の周りの上空を飛び、ゆっくりと旋回の直径を狭めて降下しながら2回ほど旋回して鉄砲撃ちの真上を通過して行った。
「カモが降りて来たぞ」二人の間に立って後方を見ていたテツが言った。
「よし、撃とうぜ」カズがチカオに向かって言った。そして銃を前方の山の方角に向けて構えて引き金の後ろにある安全ピンを人差指で押した。パチンと小さな音と共にピンが左側に飛び出て赤いマークが出た。人差指は未だ引き金に触れずにトリガーガード沿って伸ばしていた。
「来た」とテツが二人に聞こえるように言った。同時にカモの羽音が後ろからやって来て前に飛び出した。二人は自分に近い側のカモを頬付けした銃の照星の上に載せて引き金を引いた。まるでトラップ射撃の要領である。カモは弾かれたように羽を散らして回転しながら落下した。カズはすかさず発砲の反動を利用して左手をスライドして薬莢を後ろに飛ばし、次の弾を薬室に送りこんで左に逃げてゆくカモに向かって第2弾を発射した。カモはゆっくりと左に旋回しながら60m程先に落下した。右に逃げるカモをチカオが撃ち落としていた。二人は銃の残弾を抜き取り、安全ピンをロックした。撃ち落としたカモを拾い、テツが用意した肥料袋に4羽のカモを放り込んだ。首を垂れてうなだれたカモ胴体は未だ暖かく、己の死が予期したものでないことを訴えていた。銃をケースに仕舞い、急いで車に戻り羽地大川の川向こうにあるテツの自宅に向かった。遥か西の嘉津宇岳の尾根は僅かに赤みが残った空にシルエットをなしており、狩猟時間は完全にタイムアウトであった。しかしサイレンの音は何処からも聞こえなかった。
テツの家には80歳を超えた元小学校教師の父と母親がいたが既に老人ホームに入居していた。古い家にテツが一人で暮らしていた。時折、2つ離れた村の国道沿いで薬局を営む2歳上の兄が酒を飲みにやって来るだけであった。3名は大なべに湯を沸かし、カモを放り込み、直ぐに取り出して毛をむしり取った。そして足と頭を切り離し、内臓を取り除いた。洗い直した大なべにカモを適度な大きさに切り離して入れて煮込んだ。箸で刺して肉が煮えたのを確認して醤油で味を調えた。テツは台所の隅に転がっていたショウガを刻んで放り込んだ。テツが電話で呼んだらしく、兄の咲良が同級生の飲み友達で、ペンキ屋の喜納と二人でやって来た。ビールが数本と泡盛の1升瓶、そしてレジ袋に何やら持って来たらしく座卓の上に置いた。
「咲良さん、喜納さん、久しぶりです」
「カズ、カモを撃ったそうだな」
「4羽ばかり。もう少し待てばもっと撃てたけど、暗くなると警察官が飛んでくるので引き上げました」
「俺の薬局の隣の駐在所の石垣は、家内と同じ宮古島の男で飲み友達だ。話しておくから日暮れなど気にせずにパンパン撃ちな」
「ハハハハハ、ありがとうございます。」とカズは笑えない声で言った。
「お待ちどうさま」テツがチカオと二人で大皿2枚にカモを入れて持って来た。
「おお、中々大きいではないか。どうせ鳩より少し大きいだけの小さなカモで、口寂しいだろう思ってな、刺身とオニギリ、摘み菓子のエビセンも持って来たよ。テツ、小皿を持って来な」咲良が嬉しそうに言った。
「兄貴どうぞ」とチカオがモモ肉の部分を小皿に取り分けて咲良と喜納さんの前に出した。
「どれどれ」咲良がモモ肉を咥えて縦に切り裂くようにして口の中で噛んだ。「思いの他美味いな。喜納食ってみな」そう言ってビールを一口飲むともう一度残った部分に嚙みついた。
「うん、何だこれは」口の中に指を入れて何かを摘まみだした。
テーブルの上に取り出してカズの前に転がしてよこした。カズが取ってみると直径1.5m程の鉛玉である。
「4号散弾の弾だな。野生のカモの筋肉は硬くて突き抜けなかったみたいだね」
「オイオイ、大丈夫かよ」
「なに、肉の表面に丸い穴のある部分に気を付ければ食えるさ」そう言ってカズが笑うとつられて皆が笑った。
「カズよ、次はイノシシを撃って持って来な」そう言って酒を勧めてくれた。
11時頃まで雑談をしてお開きとなった。
「カズ、今度は名護市内のスナックでカラオケでも歌いに行こうぜ。休みの時におれの薬局に遊びに来な」そう言って迎えに来た喜納さんの弟の車で帰って行った。3人は食い散らかしたカモの残骸を肥料袋に入れてピックアップトラックの荷台に積み込んだ。食器を洗いテーブルを拭いて一段落すると、残ったポテトチップスを摘みにして、雑談の続きでしばらく飲んだ。12時を過ぎた頃、車に積んでいた寝袋を取り出してきてテツの家の畳の上に広げてその中に潜り込んだ。この日はテツの家で泊まった。
その頃のカズには、神がそれぞれの生物に与えた生き様の中で、渡り鳥と言う宿命を背負って長い旅路の途中で不用意に4号散弾の餌食になったカモの生き様など考えることは無かった。まして自分が何処に向かって進んでいるのかは考える余裕もなく、暗闇の中に意識を落とし込んでいく日常の連続であった。
冬の終わりと共に狩猟期間も終わった。カズにとって狩猟免許を取得した程の成果は無かった。カモ撃ちも2度目に2羽と撃ち落として終了であった。カモは川上集落の田んぼを避けて、我部祖河川周辺の田んぼや川面に飛んでくるようになっていた。その周辺は散弾銃の射程に民家が多く、発砲禁止の地域であった。その年のカズの猟果カモ、カラス、フクロウ、キジバト、バン、ハブであった。イノシシに向けて発砲したことはあったが、80mも先の農場の交差点付近であり、スラグ弾、9粒弾の跳弾が上げる土ぼこりに驚いたイノシシが足早に茂みの中に逃げ込んだだけであった。晩秋から冬の間のイノシシは果樹園を離れて、広大なイタジイの原生林がばら撒く椎の実やドングリの実が落下したのを食料とし、その時期が終わると、農家のサトウキビ畑を餌場として徘徊していた。
春が来て、ミカンの花が咲き、サトウキビの収穫期が終わるとイノシシは時折果樹園に姿を見せるようになった。陽当りの良い果樹園はフェンスに沿って野生のリュウキュウバライチゴが3月頃から実を着け始めていた。ツルグミも点在していたが、実が落下する時はかなり萎びていた。山野のヤマモモ、シャリンバイ、ギーマの果実が熟するのはもう少し先であった。果樹園の未耕作の空き地のワラビやタマシダがほじくり返されており、地下の新芽や塊根を食べた跡が発生していた。カズはバライチゴの実が熟するとイノシシがやって来るのを確信していた。
その日も朝日が上がる前にピックアップトラックで宿舎を出て、バライチゴの繁るフェンスから100m手前の果樹園の園路の分岐点で車を停めた。吸いかけのタバコを車の灰皿でもみ消し、未だ温まらぬ早朝の空気の中を外に出て銃を肩に担ぐとゆっくりと音がせぬように運転席のドアを閉めた。ジーンズのズボンに米軍の野戦用のカーキ色の厚手の長そでシャツを着け。その上から腰の部分に散弾銃の弾を込めたガンベルト。靴底が硬質のゴム製で踝までは革製でその上は厚めの布製の40cmのブーツを履いていた。散弾銃はレミントンM870スライドアクションで照星と星門をアタッチメントで取り付けてあった。1発弾のライフルドスラグ弾の照準を合わせ易くするためである。弾は1発目の発射にスラグ弾、2発目と3発目に9粒弾、4発目にカラス撃ち用の4号弾が入っていた。4号弾は前日のカラス撃ちに使った弾の抜き忘れであった。50m程歩くと立ち止まりキャップを後ろ向きに被り直し銃を肩から降ろし、両手に持っていつでも撃てる体制で持ち直した。そして一度正面のイスノキの幹に向けて銃を構えて肩に添え、頬を銃床に押し付け照星と照門をイスノキの根元のコブに合わせた。人差指はトリガーガードの外に添えたままで息を止めて10秒ほど静止した。フーと息を長く吐いて射撃体勢を解いた。右前方のバライチゴの茂みに向かって再び歩き始めた。バライチゴの最も繁った場所の道路脇に防風林として植えられた幹回り50㎝程のイスノキが生えており根元からヒコバエが多数芽吹いていた。カズはヒコバエの後ろに屈み込み、身を隠してバライチゴの茂みを見渡した。射撃のポイントとして格好の場所であった。立ち上がって茂みの左手に続くフェンスを眺めた。数日前に20m程先にフェンスが腐食してめくれ上がりイノシシが出入りした痕跡を確認していた。カズが毎朝この場所に銃を持ってやって来るのは、タマシダやワラビの新芽を食い尽くしたイノシシはやがて熟したバライチゴの果実の香りに誘われてやって来ると予想したのである。
30分ほどイスノキにもたれてフェンスの破れた場所の茂みを眺めていた。安波集落の谷向の丘のはるか遠くの空にたなびく雲が茜色に染まり出していた。今日も空振りかと思い、左のポケットの煙草に手を伸ばそうとした時にフェンスの破れた部分の横のシャリンバイの枝が小さく揺れた。そしてフェンスに沿って繁っているススキ、チガヤ、バライチゴの茂み小刻みに揺れて何かがフェンス沿いに移動している。揺れ幅は時折見かける赤い嘴に縞模様の胴体をして駆け足の早い長い脚をした野鳥のクイナではない。もっと大きな動物が茂みの中を移動しているのだ。イノシシに違いない。バライチゴの最も繁ったカズの正面の茂みにやって来るはずだ。カズはゆっくりと腰を下ろして左膝を立てた肘撃ちの姿勢を取った。銃の吊革のスリングを左手の前腕に巻き付けて銃身のブレを安定させた。銃床を肩に押し当て右頬で軽く抑えた。銃身の上に取り付けた照星と照門が水平に並びその先にバライチゴのひと際大きな茂みが見えた。その辺りの枝に多くのイチゴの果実が実っているはずだ。射程距離は8m程だ。フェンスの東側の茂みを揺らしてやって来たイノシシと思われる動物はその茂みを揺らし始めた。カズはトリガーガードの根元にある安全装置のピンを押した。カチンと乾いた音がしてトリガーガードの左側に赤色の印の付いた部分が飛び出した。引き金が引ける状態になったのだ。カモ撃ちの時には気付かなかった安全ピンを外す音がひどく大きく聞こえた。イノシシの耳に届いたのではないかと心配したが、茂みは相変わらず揺れている。しかし姿は見えない。自分の心臓が爬龍船競争の銅鑼のように聞こえる気がした。イノシシは確かにいる。しかし標的は未だに絞り込めない。早くバライチゴの高い場所の実を食べろ。そうすればその胴体の位置が解る。カズは小さく息を吸っては吐き、イノシシの姿を待った。やがてバライチゴの葉の間からイノシシの鼻が見えた。小さな舌を出してイチゴを加えた。もう少し立ち上がれ、そうすれば胴体の位置が解る。照準を定めることが出来る高さまで背伸びしろ。カズは夢中で念じた。その時茂みが大きく揺れてバライチゴの茎葉の上にイノシシの顔が出た。牙が上唇からほんの少しのぞいていた。可愛い大きな優しい眼をしていた。動物園で見る肉食獣には無い草食動物特有の穏やかで人懐こい眼である。ヤギや馬、子牛に見られる大きな黒目であった。ほんの一瞬であった。茂みは再び下の方が揺れていた。イノシシは下枝のイチゴの果実を食べているようだ。しかし、バライチゴの上部には未だ赤い果実が多数残っている。奴はもう一度立ち上がるはずだ。カズは銃床から右手を離し、手のひらを広げて握り直す屈伸を2度して再び引き金に指を掛けてイノシシの立ち上がるのを待った。カズは学生の頃、那覇市内のエアーライフル射撃場に足繫く通っていたので両眼で射撃する習慣が身についていた。次の射撃のタイミングが来るまで右目が疲れることは無かった。やがて奴はバライチゴの枝に前足を掛けて上部の枝を引き寄せた。半立ちの状態のイノシシの姿が茎葉の上に現れた。首から上の部分がハッキリと現れた。カズは茎葉に隠れた前足の付け根の部分と思われるポイントに照星を合わせて引き金を絞った。エアーライフル射撃で幾度となく訓練した引き金は絞るのでは無く押すのだという標的射撃の基本を忘れていた。スラグ弾の威力は凄まじく、強烈な発射反動が右頬を叩いた。同時にイノシシはピーと言う甲高い悲鳴を上げてバライチゴの茂みを揺らした。カズは立ち上がり左手をスライドしてスラグ弾の薬莢を排出して次弾の9粒弾を連発した。イノシシが蹴散らしたバライチゴの茂みが開けて横たわったイノシシが断末魔の動きで後ろ脚をバタつかせていた。カズはすかさず4発目を至近距離から頭部に打ち込んだ。さらに5発目を打ち込むために引き金を引くと乾いた撃鉄の空虚な音がした。散弾銃の弾倉には3発のイノシシ用の弾を装填したことを失念していた。4発目の4号散弾すら想定外のはずであった。最初のスラグ弾のタンブリングで背筋を10cm程吹き飛ばされ、歩行が困難になってもがき、さらに数粒の9粒弾が体を貫通していき絶え絶えの状態に止めの4号散弾を打ち込まれたのである。若いイノシシは左目が潰れ、今しがた食べたばかりのイチゴを自らの血と共に口から垂れ流していた。カズは呆然と散弾銃を抱えたまま、蹴散らしたバライチゴの中に横たわって息絶えたイノシシを眺めていた。
カズは首筋に暖かい日差しを感じて振り返ると、安波集落の谷向の丘から朝陽が昇っており辺りが柔らかな茜色を帯びていた。レミントンM870散弾銃を右肩に掛けて左胸のポケットから愛用のタバコのセブンスターを取り出し、右端に咥えてオイルライターのジッポで火を着けた。大きく吸い込んで煙を吐き出した。朝凪が解け始め、煙がゆっくりとフェンスの向こう側の原生林に流れて行った。カズは車に戻り銃を助手席に置いてバックでイノシシの横たわるバライチゴの茂みに戻ってきた。後ろ脚を掴んでイノシシを引きずりながらトラックの横まで運んだ。イノシシの口から流れていた血は既に止まっていた。前足と後ろ脚を掴んで持ち上げた。30kg程の重さに感じた。荷台に放り込むと何かがパラパラと金属音を立てて荷台に落ちた。ピックアップトラックの波状の荷台の谷の部分に見慣れた鉛玉が数個落ちていた。指で撮むと4号散弾の粒である。カズが止めを差した最後の一発は装填した記憶になかった弾であったとこの時初めて知った。猪撃ちはカモ撃ちとは異なる狩猟である。これ程までに自制心を失う狩猟であると知った。朝日は安波集落の東の山林の上に姿を現して勢いを増していた。車内の日除けを立てて宿舎に向か車の中で、カズは大型狩猟獣のイノシシを倒した高揚感よりも、無心にバライチゴを食いちぎるイノシシの穏やかな瞳が脳裏に蘇っていた。農耕民族にとっての大型獣の狩猟は、身近な体験では無く、ゲームフィッシングとは異なる非日常の極致に近い異常な世界であると悟った。
しかし、人間とは節操の無い動物でもある。カズは果樹園のイノシシ被害が出ると国頭村の農林課に申請して有害鳥獣駆除の許可を取り、狩猟期間と関係なく猪撃ちを行った。何しろイノシシの下顎を持っていくと補助金が貰えた頃である。その年のミカンの収穫が終わる頃までに数頭のイノシシ撃った。猪撃ちとて馴れてしまうと単なる有害鳥獣駆除作業に変わってしまい、感傷の情が湧くことも無くなるのだ。カズは翌年の春に東洋果樹園を卒業した。
7、サロン・楓子にて
カズが2歳の娘を抱いてアパートの3階の階段を登り切ったところで、屋上から降りてきた男と出会った。
「カズ、今帰ったのかい」
「保育園でこいつを迎えてカカァが帰って来るのを待つところだ。サクラ兄はどうして上から」
「女房が家の中で煙草を吸うなとうるさいのよ」
「ベランダがあるでしょ。俺はそこで吸ってるぜ」
「俺は、お前と違って顔が知られているだろ。後で店に来た客があれこれ言うのよ」
「いわゆるベランダ亭主ですか」
「地元のババア共の噂が煩いのよ」
「俺は兄貴程有名人でなくて良かったよ、ハハハハハ」カズが冗談交じりに言った。
「カズ、今晩ヒマかい」
「ああ、一昨日仕事で指を怪我して2日ばかり休みだ」白い包帯を巻いた左手の小指を見せて答えた。
「そうかい、香港のヒロに泣き事があるらしくてな。お前も付き合ってくれ」
「レストラン香港のオーナー・シェフが泣き事ですか」
「まあ、訳ありだ。8時に下で待ってくれ。アイツがタクシーで拾ってくれるから。名護のみどり街に行こうぜ」
「解った。カカァが間もなく帰って来るから、付き合いますよ」
カズは階段から誰かの登って来る足音がしたので、何事も無かったように3階の一番奥の306号室に向かった。
6時過ぎに妻が帰宅した。いつもの様に夕食を済ませ、シャワーを浴びてタオルで頭を拭きながら妻に言った。
「隣のサクラ兄貴と一緒に名護街まで出かけて来る。レストラン香港のヒロが何か悩みの相談があるらしい。チョット付き合ってくる」
「貴方が相談相手になれる悩みなんてあるの。怪しい話に乗らないでね」
「サクラ兄貴の誘いだ」
「尚更、危ない話ね。ヤクザだか、薬剤師だか分らない人でしょ」
「よしなよ、俺の同級生のテツの兄貴だぜ、怖いのは顔だけで人情持ちだぜ」
カズは妻との会話が煩わしくなって着替えを始めた。小学校の教員をしている妻は2学期末の生徒の評価とクリスマスウイークが重なった忙しさで神経がピリピリしていた。妻の仕事上の立場や心境は米兵相手の臨時タクシードライバーで日銭を稼ぐ風来坊家業を善しとしているカズにとって理解できない存在であった。多分、妻にとっても学卒で風来坊家業を続ける夫を理解できない存在であっただろう。
紺色のスラックスに黒いポロシャツ、その上から濃いベージュ色にヒョウ柄の斑点のある綿毛のジャンパーを羽織った。妻は娘とお手玉で遊んでおり見向きもしなかった。アパートは伊差川三叉路に建っていた。近く走る国道58号の支線となっているので交通量は少ないが、救急センターを抱える県立病院への動線となっていて救急車が夜中まで通行した。何しろ名護市の旧羽地村、屋我地村。本部半島の今帰仁村、大宜味村、東村、国頭村からの救急車が通過するのである。アパートの向かいには給油所まであるので町はずれにしては騒々しい場所である。サクラの妻はその県立病院の外科病棟に勤務していた。
程無くしてサクラがやって来た。黒のスラックスに赤みを帯びたポロシャツを着け、その上から黒の革ジャンを羽織っていた。
「兄貴、先ほど救急車が通ったが奥さんは仕事でないですか」
「いや、今日は休みだ。それでヒロの泣き事を聞こうと思ったのさ」
5分ほどしてタクシーが二人の前に停まった。カズはタクシーのドアを掴んでサクラを先に乗車を勧め後から乗り込んだ。
「みどり街の楓子を知ってるか。そこにやってくれ」サクラが運転手に言った。向かいの給油所から出てきた乗用車を先に行かせてからタクシーが発進した。
タクシーは名護十字路を右折して、二つ目の交差点を左折して一方通行のみどり街の中心を進み、みどり街十字路から5,6件目の店の前で停まった。助手席のヒロが金を払って最後に降りた。赤い格子柄の派手なワイシャツの広めの襟を紺色のジャケットの襟の外に被せて出していた。淡いベージュのスラックスに白の革靴を履いていた。パナマ帽にスティックを持てばキャバレーの舞台でラインダンスの踊り子に混じってタップダンスを踊れそうな装いであった。只、タップダンスを踊るには体重オーバーの重量感で調理人特有の丸刈りであった。十字路の方角を振り返るとキャバレークイーン、クラブナイヤガラ、バー大倉、バーセブンスターのネオンが点滅していた。
サクラがサロン・楓子と書かれた薄ピンクの小さなサイン看板の店のドアを押して中に入った。ヒロ、カズと続いて中に入った。カズにとって初めての店であった。6人が何とか座れるテーブルが2台とカウンターの回転イスが5脚のこじんまりした店であった。ママともう一人のホステスで客の相手をするだけであった。ホステスを除けばアパートの1階にあるスナック銀河と変わらぬ店であった。3名は奥のテーブルに席を取った。カウンター席に3名の客が居た。
「俺のカティサークを出してくれ」サクラが言った。
ホステスがグリーンのボトルに白い帆船の絵がるカティサークと3個のグラスと氷を盛ったアイスペールを盆にのせてやって来た。ボトルに桜と書かれていた。「おひさしぶりです」ホステスがそう言ってグラスに氷を入れ、ミネラルウォーターで割って酒を作った。
「お疲れ様です」そう言って3名は乾杯した。カティサークは羽地仲尾次集落の地酒泡盛龍泉の味がした。ボトルの中身はサクラの好みの地酒に入れ替えられていた。カズはアパートの1階のスナック銀河で経験済みであり何の反応も示さなかった。
「おでん屋・味覚に足テビチの出前を3人前注文してくれ」ヒロがホステスに言った。
「ヒロ、お前夕飯を食ってないのか」サクラが言った。
「調理の味を見る度に少しづつ口に入れるので夕飯を食うことは無い。今日は店を早終いしたので腹が減っているのさ」
「だからオメエは腹が出るのよ」
「兄貴だって、薬局に座ってばかリでこのところ腹が出始めているぜ。ヤサ男のカズを見なよ」
「俺は仕事柄食事が不規則だから太らないのさ」カズが不愛想に答えた。
「お兄さんその指の包帯はどうしたの」ホステスが酒を注いでグラスを渡しながら訊ねた。
「こいつは不始末をしでかして組織のボスから小指を摘めさせられたのさ」
「ホント、ああ怖い」
「こいつは真面目な顔をしているが、ドンパチが専門の男だ。気負付けなお姐さんよ」サクラが笑った。
「ヨッチャン、チョット手を貸して」カウンターからママの楓子が呼んだ。ホステスが立ち上がって行った。
「カズ、その傷はどうした」ヒロが訊ねた。
「一昨日のことだが、キャンプ・シュワーブから普天間まで乗せたクロンボーがフレンドから金を借りて来る、とかなんとか言って料金を払わずに降りようとしたので、そいつの持っていた大きなラジカセを掴んで取り合いとなった時に小指を傷つけたのさ」
「それで金は取れたのかい」
「逃げ出すので追いかけて、道端に転がして腹を2度ばかり蹴ったら泣き出したのよ。騒ぎを聞きつけてやって来た普天間神宮前の駐在所の警官に渡したのさ」
「アメリカー兵相手のタクシー運転手は難儀な仕事だな」
「宜野湾署まで同行して調書にサインしてラジカセを運賃の代わりに取り上げて会社に飾ってある。ところが傷口が少し化膿してな、そこの中央外科病院で化膿止めの塗り薬と抗生物質の飲み薬を貰って2日間の休職中の訳ヨ」
「カズ、国立大学卒が風来坊家業をしているとカカァに逃げられるぜ」サクラが笑いながら言った。そしてヒロに向かって言った。
「ヒロ、お前、電話でカカァが何とか言っていたがどういう事だ。それで今夜の俺たちはお前に付き合っているのだぜ」
ヒロはうつむき加減で手にしたグラスも酒を一気に飲み干した。カズが酒を作っているとポツポツと話し始めた。
先週の水曜日の店の定休日のことである。休みの前の晩は下働きの若者や隣のペンキ屋の喜納と飲みに行くのが常である。飲み仲間は翌日の仕事の事を考えて、ポツポツと引き上げたが、ヒロは飲み屋を3軒ばかり渡り歩き、4時前に帰宅していた。子供が目を覚まさぬようにと気遣って一人で畳の部屋に横になり爆睡した。いつの間に夜が明けたのか知らぬが、閉じていた厚手のカーテンが開け放されて妻が掃除機をかけていた。二日酔いで頭がガンガンする中で窓の反対側に向いて寝がえりを撃った。ヒロが寝返りを打ったのを見て、妻はわざとらしくヒロの周りで掃除機をかけた。掃除機の排気がヒロの顔に吹きつけた。「たまの休みぐらいゆっくりと寝かせろ」そう言って怒りに任せて近くにあった目覚まし時計を掴むと投げつけた。目覚まし時計は襖にぶつかり小さくチリンと音を立てた。掃除機の音が小さくなっていった。妻は隣の部屋の掃除を始めたようだった。ヒロは再び眠りの中に落ちて行った。ヒロが目覚めたのは12時を過ぎてからである。喉が渇いたので冷蔵庫からペットボトルの冷や水を取り出してがぶがぶと飲んだ。食堂の椅子に座り溜息と共に両手で丸刈りの頭を前から後ろに搔き上げて首筋を軽く叩いた。台所の壁の時計を見ると12時40分を指していた。
「良子、何か食い物は残っていないか」くたびれた声で怒鳴った。しばらく待つも返事がない。「ちぇっ、買い物にでも行きやがったか」再びペットボトルの水を飲んで、両手で頬を叩いて辺りを見回した。テーブルの右端に白い封筒が置かれてあった。立ち上がりもせず体を伸ばして封筒を取った。宛名も差出人も書かれていなかった。ゴミかと思って握りつぶし、屑籠に捨てようとすると封筒の口が僅かに開いて中に紙が入っていた。取り出してくしゃくしゃの白紙を両手で伸ばしてひっくり返すと何やら書かれていた。
≪前略、広志殿。貴方とは十分に暮らしました。これ以上は共に暮らせませんので美香と二人で大阪の実家へ帰ります。貴方も健やかにお暮し下さい≫
草々 良子より
ヒロは慌てて立ち上がり寝室に行ってクローゼットのカーテンを開けた。中にあったはずのスーツケースの大小が消えていた。
ヒロは美香の通う保育園に電話した。園長に美香の事を訊ねた。10時頃お母さんがやって来て、大阪の実家のおじいさんの体調が急変したので急いて帰ると言って美香を引き取りましたと返事した。ヒロは市内の沖縄ツーリストに電話して大阪への航空便を確認した。午前8時30分、11時、午後4時であることを確認した。アイツが乗る飛行機は4時の便だけだ。ヒロは急いで空港に向かった。そして出発カウンターで2時半から待ち受けた。しかし、午後4時になっても二人は現れなかった。二人は午後1時発の福岡行で飛んでいたのである。そこから新幹線で大阪に向かったのであろう。昨日、大阪の良子からヒロ宛に郵便小包が届いた。預金通帳と印鑑と共に手紙が入っていた。当面の美香の養育費として大切に使わせてもらいますと書かれていた。現金800万円が引き出されていた。
「ヒロ、災難だったな。良子も内気な優しい女に見えたがやるもんだな」サクラが言った。
「カズ、お前も気を付けろよ。教員の女房と風来坊のタクシー運転手は不釣り合いだぜ。それによ、彼女のオヤジさんは県警本部の警視だと聞いたぜ」
「カズ、女はイザとなったら怖いぜ」ヒロが肩をすくめて言った。
「サクラ兄さんだってヤバいぜ。アパートのおばさんたち達の愚痴を聞いたぜ」
「何だよ、カズ」
「奥さんが夜勤の時はアパートの1回のスナック銀河でリョウ君を連れて飲んでいるだろ。子供の教育によろしくないと評判らしいぜ」
「ありゃーお前、出前を取って夕飯を食べさせているぜ。俺の作るインスタントラーメンより栄養満点だし、リョウの奴も美味いと喜んでいるぜ」
「カズも兄貴も稼ぎの良い女を嫁にしているからな。そのうち俺みたいに厭きられてな、逃げられるぜ」とヒロがしんみりと言った。
「辛気臭い話は辞めだ。カラオケにしようぜ」サクラが両手を叩いてホステスを呼んだ。ホステスは心得た様子でマイクと選曲パットを持ってやって来た。
店のドアが開いた。足元をふらつかせ肩を組みあった3名の若者が入って来た。既に居酒屋辺りで飲んで来たらしく随分と出来上がっていた。
「ママ、一昨日のキープ出してくれ」一人がそう言ってカズらの隣のテーブルに着いた。若者たちは席に着くなりジングルベルを唄い出して騒ぎ出した。
「兄貴、裕次郎の赤いハンカチから始めるが良いかい」
「ヒロさんは北国の春。俺は小林旭の明子はもう一度だ」
3名が歌っている間も隣の若者は大声で騒いでいた。カズはグラスに氷を入れ、酒を注いでいるホステスに訊いた。
「あの若者はこの店の馴染みかい。少しうるさいな」
「いえね、本土の大学に通っている子供達ヨ」
「へえ、そうかい。元気が良いが、行儀を知らないようだな」
「ママの姉の子供が混じっているの。あの背の高い子。ママは
姉の家に少しばかり借りがあるらしいの」
「金持ちのボンボンか」
「年上の旦那がチョットした不動産業をしていてね。この古びたビルもその人の所有なの」
「そうかい。誰かが行儀を教えないといけないな」
「ヨッチャン、チョット」ホステスがママに呼ばれて立ち上がった。
ヒロが「ああ北国の春~」と歌うと若者たちは合いの手のつもりか「ああ、北国の春」と一緒に歌った。ヒロがしかめ面をした。
カズが「明子はも一度一から出直します」と歌うと再び「一から出直します」
若者の騒ぎが気になったのかカウンター席の3人が席を立って勘定を済ませて出て行った。
「お待たせ」そう言ってホステスのヨッチャンがおでん屋「味覚」の足テビチを運んできた。
「今日の足テビチは少しばかり量が少ないな」ヒロが言った。
「隣の子たちに一切れずつ分けたのよ」代金は割り引くとママが言っていたわ。
「ほう、俺に断りも無くかい」サクラが澱んだ目で言った。
「すみません、御代は要りませんから」
「この二人は俺の客だが。隣の若造共を俺は知らないぜ。俺達をカラかっているのかい」
3人は黙ってテビチを食べ続けた。
「このテビチ美味いな」若者の声が聞こえた。
「ヒロ、足りたかい」空になった皿を前にサクラが言った。
「さあな」ヒロが小声で返事した。
「カズ、入り口のドアを閉めてきな。そしてカウンター席の端に座ってガキどもが逃げないように見張っていな。左手はポケットに入れておけ、お前の手を見てガキ共が逃げ出してはかなわん」
カズはグラスの酒を一気に飲み干し口元に楽し気で残忍な笑いを溜めて立ち上がった。カズはジャンバーのポケットに左手を押し込み、ガキどものに視線を送ることなく入り口のドアに向かって歩いた。一度ドアを開けて外を覗いた。通りは人影がまばらであった。ドアを閉めノブの下のピンを捻ってロックした。そしてドアの上部のピンロックを跳ねてロックした。ドアに一番近いカウンター席に座ってクルリと振り向いてヒロを見た。ヒロがサクラに何かを告げた。
サクラが席を離れて若者の後ろに立った。カラオケの選曲でパッドを操作している三名は気付かなかった。カラオケマイクで一人の頭をコツンと叩いて言った。
「兄ちゃんたちよ、俺達のテビチを盗み食いしたようだが美味かったかい」
丸坊主頭で薄い眉毛の細い眼の顔の半分がカラオケテレビの光に照らされていた。タコ入道のような顔に細い眼が光っているだけだ。サクラの目は人を看ているのでなく、屑籠の汚物を見ているような感情の無い眼で若者を見据えていた。若者が一斉に立ち上がって入り口の方角を見た。カズが醒めた顔でその場を見ていた。
「誰が立っても良いと言ったかな。座っておれ」ヒロが言った。
「ヒロ、こいつらが外に出たいなら行かせてやれ。2,3日前にクロンボー兵隊を蹴り倒したカズの前を通り抜けるか見てみようぜ」
「カズ、クロンボー兵隊ほど面白くも無いが俺らのテビチを黙って食ったドロボーだ。その顎を砕いて構わないぜ」ヒロが低い声で言った。
背の高い若者の目がカウンターの内のママの姿を探した。ママもホステスもグラスを洗ったり戸棚の酒を並べ替えたりしてその場を見ぬふりをしていた。カズは若者を見据えたまま左のポケットから煙草を取り出し、ジッポのオイルライターで火を着けた。若者たちの目がカズの左手の小指を見つめて狼狽えた。
「お前ら、ヒロさんと俺が歌っている時に邪魔をしたな。どういうつもりだ」そう言って長く煙を吐き出した。煙が若者たちの顔にかかった。3名は黙って煙の中に佇んでいた。嵐が過ぎるのを待っている街路樹のように黙って立っていた。
「楓子、包丁があるだろ貸してくれ」サクラが抑揚のない声でカウンターに向かって言った。
「何するのよ」
「詫びを入れさせるのさ。小指の先の1関節を切り離そうぜ」
「やめて頂戴よ」
「なら、お前が代わりに指を摘めるか。そのきれいな小指をな」
「それはもっと嫌」
「そこのチビから始めようか」ヒロが100kg軽く超える体をカウンターに寄りかかりながら右手の平を上にしてテーブルをタンタンと軽く叩き包丁を要求する仕草で言った。ハリウッド映画のマフィア物のシーンのようであった。そもそもヒロの今夜の服装はこの界隈で見ることが出来ない姿であった。
三名が一斉にテーブルに頭を擦りつけた。その肩が小さく震えていた。
「心配するな、何も痛いことは無い。この人がお前らを蹴って気絶させている間に切り取るから」
「カズ、この近くの外科病院の医者は何て言う名だ。アンタのガキの頃の同級生だろ」
「ああ、名嘉真トオルだ」
「急いで小指を持っていけば繋がるかもな」
「トオルの奴酒好きだから、晩酌で酔っているかもな」カズは小馬鹿にした笑いを口元に浮かべて言った。
若者は恐怖から泣き出した。三名ともテーブルに手を突いて米つきバッタのように何度も頭を擦りつけて泣きながら「ゴメンナサイ」と繰り返していた。
「チェッ、ガキ相手に辛気臭い酒になったぜ。カズ、入り口のカギを開けな。帰ろうぜ。楓子、又来るからな。今度はヒロに腹一杯テビチを出してやりな」
「横流しは米軍基地キャンプシュワーブの売店のバドワイザービールだけかと思っていたぜ」カズが自嘲気味に言った。カズはカウンターイスから降りて入り口のカギを開けて引き返してきた。サクラ、ヒロの後ろに続いて出入り口に向かう途中で一瞬立ち止まり、振り向きざまに両手を交差させてから両脇に手を引き付けて一気に掌底の両手中段撃ちを若者たちに突き放った。カズの体中から殺気が噴き出し、「ハッ」と鋭く短い気合が部屋に響いた。剛柔流空手の形の一つセーサンの両手掌底撃ちを若者に放ったのだ。ソファーから立ち上がり、3名の悪党を呆然とした表情で見送っていた若者が「ヒッ」小さく叫んで再びソファーに座り込んだ。カウンターの中でグラスが床に落ちて割れる音がした。
サクラとヒロは飲み直しだと言って別の店に向かった。カズは明日の朝に子供を保育園に送り、タクシー乗務員に戻ると二人に告げて一人で繁華街のネオンの下を歩き出した。みどり街の喧騒の中でクリスマスの気配が繁華街のネオンに絡みつき、カズは未だに明日の風景を夢想できずに軽い片頭痛を抱えたまま歩いていた。ネオンの明かりの中から酔い客が次々と湧き出てきてカズの影を容赦なく踏みつけて何処かに去って行った。影は見知らぬ誰かに踏まれても啜り切れることも無く、カズの後を素直にトボトボとついて行った。
8、由布島の水牛車
その日は本部町の海洋博公園で働く業者仲間で作るゴルフコンペ「ニライ会」が恩納村の大京カントリークラブで開催された。3パーティ12名のメンバーが参加して午後1時にスタートした。ゲームが終わると風呂に入ってクラブハウスで表彰式を行った。参加費1,000円で作った優勝、ニアピン賞、ブービー賞等の賞金が表彰式で分配され、新しいハンディキャップの改定を済ませるとこの日のコンペの終了である。ゴルフ談議の雑談が終わって散会となったのが午後5時半であった。名護市と本部町に住む8名のメンバーが帰宅途中で名護市内の居酒屋「大左衛門」に立ち寄った。本部町内のベルビーチゴルフクラブが毎月一度の定例開催コースであるが、3カ月に1度は別のゴルフコースに遠征しているのだ。カズを含めてベルビーチゴルフクラブの会員が数名おり、ニライ会以外の遊びと仕事絡みのゴルフコンペも同ゴルフクラブで毎月開催されており、誰もが厭きて来るのである。国営公園の総務部が2名、施設管理部が2名、公園内の植物管理部が4名であった。
馴染みの居酒屋「大左衛門」に着いたのが6時過ぎであった。掘り炬燵席を予約しており、直ぐに生ビールのジョッキを注文して雑談が始まった。料理は安くて腹の足しになる海鮮サラダ、トーフチャンプル、ゴーヤチャンプル、ソーメンチャンプルを2皿づつ注文した。雑談はどうしても仕事の話に移って行くのが常である。総務部と施設管理部は設備管理と営業店舗管理の話題を4名で愚痴っている。植物管理部は同じ大学の先輩後輩であり、国内各地の植物園の話題が多くなった。カズの1年先輩の花城が口を開いた。
「カズ、先月箱根のホテル小涌園で総会があっただろ。君と玉城君が参加していたが、総会終了後はどうした」
「花城さんとは小田原の駅で別れましたよね。アポック社の毛藤さんに誘われましたが、断って玉城と二人伊豆に回りました」
「俺は毛藤と一緒に東京都内の植物園を幾つか回った」
「新宿御苑や神代植物公園ですか」
「毛藤の作った樹木銘板を見て回ったのさ。うちの公園の樹木銘板の参考にするためだ」
「公園内の銘板はもう少し増やすべきですね」
「そうだね。君たちは何処を見て帰ったのかな」
「伊豆急で下って、熱川バナナワニ園を見て終点の伊豆下田に泊まりました。そこから西伊豆線をバスで廻って、石廊崎のジャングルパーク、堂ヶ島洋ランセンターを見て修善寺駅から三島に出ました。三島からは新幹線で名古屋まで行きました」
「伊豆の植物園はどうだった」
「熱川バナナワニ園は東伊豆の入り口で熱海からも近いので観客もそれなり入っていましたね。ただ、石廊崎から西伊豆は伊豆半島の過疎地で電車も無いでしょう。ゴールデンウイークが終わったこの時期は客足が少なかったですね。とりわけジャングルパークは苦戦しているようでした」
「ジャングルパークは持たんかもしれないな。堂ヶ島も相当苦戦していると聞いているぜ」
「温泉が無いので暖房のオイル代がかさむと嘆いていましたね」
「名古屋から帰ったのか」
「玉城君の姉が名古屋に住んでいるらしく姉の家に泊まったようです。私は一人で夜遊びしていました」
「名古屋のランの館の竹川さんには会ったのかい」
「さすがに都会の真ん中の植物園は繁盛していましたね。近隣の園芸業者の協力も大きいようですね」
「愛知県は園芸が盛んな地域だからね。沖縄からも観葉植物が安く大量に持ち込まれて商品化されているのだ」
「私たちは小牧空港から帰りましたが、花城さんはどうしました」
「それがよ、毛藤に誘われて新宿のサロンに行ったのさ。君も知ってる珍しい方に会ったよ」
「誰です」
「みやらびという名のサロンを知ってるかい」
「行ったことは無いですが、以前に元財団理事長の三好さんからの依頼でフクギの葉を100枚と2mのトウズルモドキのツルを10本ばかり送ったことがあります。時々沖縄芸能の歌や踊りを披露する店だとか聞いていますが」
「そんな店だ。そこで懐かしい由布島の映像が出るカラオケが流れ始めたのだ」
「安里屋ユンタですか」
「そう、《君は野中のいばらの花ヨ》と誰かが歌い出したのさ。聞き覚えのある下手くそな声だと振り返ると勝浦理事長だったのよ」
「三好先生だけでなく勝浦さんも隠れ家にしていたのですか」
「勝浦理事長に見つかってさ、八重山民謡のトラバーマを歌う羽目になったのさ。酔いが醒めたよ」
「由布島と聞いて思い出した」隣にいた安文がカズに向かって話しかけた。
「由布島にピンクの花が咲くデイゴがあるらしい。開花株が数本あるので1,2本貰っても良いと言っていた」
「赤花と白花種はあるがピンクは見たことが無いな」カズが返事した。
「多分、白花種に赤花種が交配されたのだろう。由布島の住民は立ち退いてリゾート施設が立っているはずだが、所有者は誰かな」八重山出身の花城が言った。
「ビニール袋を生産しているリューセロの上原社長が運営しているそうです。先日、本部町の青年会議所のメンバーとして参加した地域おこし講演会の後の懇親会で知り合いました。対岸の西表島に生えていた株を掘り取って挿し木で十数本に増やしたそうです」
「カズ、出かけて行って2本ばかり掘り取ってきなよ。但しあそこは海抜1mで砂地だぜ」花城が言った。
「デイゴは根鉢を付けずとも移植は簡単です。幹をぶつ切りにして地面に挿すだけでも発根しますから。石垣市には造園建設業協会員の南西造園の宮良さんがいますので、2名ばかり職員を借りて掘り取ってきますか。2泊三日で片付きますよ。掘り取って翌日の船便で送れば、3日後には公園内の熱帯ドリームセンターに植栽できますが」カズが答えた。
「安文、早速手配して手に入れろ。経費の決済は俺が許可するから」花城が言った。
「明日にでも上原社長に連絡してみます。カズさんの予定はどうですか」
「カズが不在でも会社は動いているさ。台風が来る前に片付けることだ」
「俺はいつでも行けますよ。県の農業改良普及センターに同級生の武原がいるので久しぶりに飲めるな」
大左衛門での飲み会は9時に終了して運転代行を呼んで散会となった。
カズは月が開けた7月の最初の週に八重山に向かった。大左衛門で飲んでから2週間後のことである。旧石垣空港は市街地から近く、タクシーで南西造園の事務所まで2区間のメーター料金であった。鉄筋コンクリート平屋の事務所で宮良社長が待っていた。5月に那覇市内の都ホテルで開催された沖縄県造園建設業協会及び沖縄県緑化種苗協同組合の総会で会って以来である。宮良社長は4業者からなる八重山支部の理事をしていた。海洋博公園植物課の内原課長と八重山農林高校での同窓生である。応接室に招かれ、那覇空港で買った土産を渡してコーヒーを飲みながら雑談となった。
「八重山の景気はどうですか」カズがあいさつ代わりに問うと
「新石垣空港の工事が始まると忙しくなるが、今は台風前の静けさだ」
「前に送ってもらったナリヤランは順調に成長していますよ」
「そうかい、あれは西表島では良く育つが石垣では良くないな」
「そうですか。植え込み材料を鹿沼土にすると上手く行きますよ」
「そうかい、さすがラン屋さんだな」
「新空港の工事に使う材料は何か準備していますか」
「オレンジ色の花が咲くカエンボク(アフリカンチューリップ)を見つけたので畑に200本ばかり植えてある。2.5m程度で咲くのだよ」
「ほう、赤でなくてオレンジですか。珍しいですね。帰ったら花城主任と内原課長に話してみます」
「二人とも元気かね」
「花城さんとは6月の植物園総会で一緒でした。彼に話して国内の植物園に売りこんだら良いですよ」
「そうだな、帰ったら話を付けてくれ。後でカエンボクの植えてある農場を案内するよ」
「社長、明日は由布島のデイゴを掘り取りに行くつもりですが、作業員を2名ばかり貸してくれませんか」
「ああ、手配してある。僕の会社の職員は国道390号の草刈り業務に出ていて動かせない。それで、西表島の人間に頼んである。西表島の大原に野底モータースという車やボートの修理工場がある。そこの社長と職員達で何でも屋さんだ。西表島の県道215号の維持管理工事の応援部隊だ。以前にそちら送ったナリヤランを採ってもらった男だ」
「それは助かります。掘り取って由布島から石垣の港まで持って来ますので、そこから那覇港まで送ってもらえませんか」
「ああ、いいですよ。由布島は砂地だから根鉢の土は着かないだろう。ハイタフで根を巻いてから那覇港行のコンテナに積み込むことにしよう。根巻きは私の職員がするから」
「すみません、お手数かけます。人夫賃、運賃、その他経費を加算して私の会社に遠慮なく請求して下さい。私は内原さんの海洋博公園管理財団に請求しますので問題ないです」
「由布島に行ったことはありますか」
「いいえ、無いですね。学生の頃仲間5人で大原の名嘉真川沿いの西表横断道路から入って、道路が途切れた場所から原生林の中で2泊して浦内川を下り、星立で1泊、白浜まで行って1泊しました。そこから先は道路が無いので船で鳩間島を経由して戻りました。10トン未満程度の連絡船でしたね。美崎町の港から大原まで1時間半ぐらいでしたね。白浜港からの帰りは2時間以上でしたよ」
「15年以上前のことですね。美崎町の前の海は埋めたてられて新石垣港となっています。今の美崎町から海は見えませんよ」
「そうですか。同級生に唐真君がいて、彼が西表島横断のガイドをしてくれました。当間でなく唐の付く珍しい苗字です」
「知ってるよ。彼のオヤジは石垣の郵便局長をしていたよ」
「那覇港から午後3時頃におとひめ丸に乗船して、宮古島経由で翌朝石垣に下船しました。石垣出身の同級生が4名いますよ。県農業改良普及所の八重山支所に同級生の崎浜則雄がいますよ。明日の晩に会う予定です。大学の恩師も多いですね」
「石垣・西表大原間は安栄観光の高速艇が定期便として出ているので40分程度で着きますよ。ただし掘り取ったデイゴは運べないので、帰りはサトウキビ運搬の貨物フェリーだね。昔と同じで1時間半ぐらいかな。那覇港向けの貨物ターミナルに接岸するから好都合だよ。大型船の船着き場は安栄観光の船着き場と別の場所だ。デイゴの輸送手続きは僕がするから那覇港で受け取ってくれ」
「すみません、お手数かけます」
「明日の午前10時に由布島の水牛車乗り場で待ち合わせとしますか。大原の船着き場の近くにレンタカー会社があるからそこで車を調達すると良いですよ。この時期は観光シーズン・オフだから車はあるしょう」
「水牛車ですか、カラオケの《安里屋ユンタ》に出て来る牛車ですね。子供の頃に馬車に乗ったことはありますが」
「水牛はおとなしくてバカ力があるが馬のようには機敏に働かないのですよ。水辺に浸かってばかりでね。暑さに強いのが取り柄だな」
「のんびりとした亜熱帯の西表島の風景に馴染む動物ですね」
「さて、私の農場を見てもらおうか。その後で船着き場に近いビジネスホテルに案内しよう。宿の予約をしてありますか」
「いえ、シャワーがあって2泊できれば十分です」
南西造園の圃場は事務所からピックアップトラックで10分の高台にあった。カエンボク、ヤエヤマヤシ、テリハボクが整然と植栽されていた。カズは海洋博公園におけるココヤシはキムネクロナガハムシやタイワンカブトムシの食害に弱く、ヤエヤマヤシが県内のヤシ類の緑化木としての主流になるだろうと話した。石垣の米原地区にはヤエヤマヤシの自生地があり、10cm程の苗が幾らでも入手できるのである。ただし、緑化木として使える樹高になるまでに10~15年の育成期間が必要である。
その日は石垣港離島ターミナル近くのビジネスホテル・やいま日和に宿を取り、近くの郷土料理店で夕食をご馳走になり、9時前に宮良社長と別れた。ホテルから武原に電話してやいま日和に宿泊しており、明日の夕方5時には仕事が片付いている旨を伝えた。ホテルのロビーの自販機で買った缶ビールを片手に窓から夜の港町の沖合を眺めると、石垣港の灯台の灯りと港への誘導ブイの灯りが点滅しているのが見えた。そしてはるか遠くに大原の集落の灯りが微かに見え隠れしていた。ふと闇の中から潮騒が聞こえて来る気がした。
翌朝、ホテルのモーニングサービスで軽い朝食を取り、フロントの係に教えてもらった路地を進むと直ぐに港に着いた。小さなセカンドバッグにオリンパスの一眼レフカメラOM-10を入れて肩からぶら下げ、黒のスニーカーに作業ズボン、会社のネーム入りの作業上着姿である。手には土産を入れた紙袋を下げていた。西表島へ何らかの建設関連の仕事をする男の服装であった。8時30分の安栄観光の高速船に乗った。30名乗りの船に10名足らずの客であった。今は観光シーズンがオフのようであり、地元の八重山の住民のようであった。カズも八重山の住民の一人となっていた。高速船は右に竹富島を見ながら浅いサンゴ礁の海を滑るように進んだ。海底の薄い緑のサンゴ礁がマダラ模様に変化する中を白く泡立つ航線を引きずりながら美崎町の港を離れて行った。やがて左手に黒島、パナリ島を見て進むと西表島の鬱蒼とした緑の山並みが迫って来た。高速船は減速して右手に仲間川の河口を見ながら大原港の細長い桟橋に停泊した。
大原の連絡船事務所でレンタカー会社の場所を尋ねると、そこの坂を登った辺りだと指差して教えてくれた。桟橋から直線に伸びたなだらかな坂を100mほど登り、県道215号線に面した場所にあった。大原レンタカー会社と真新しいベニヤ板を掲げたプレハブの事務所の前に5台の乗用車が遊んでいた。カズは由布島で3時間ほどの仕事を片付けて午後3時までに戻ると告げた。そして免許証を提示してトヨタカローラを借りた。車の鍵と一緒に西表島観光案内地図を渡してくれた。9時20分に大原から由布島に向かった。仲間川の長い橋を渡り、大富共同売店の前を通った。学生の頃売店の向かいの道路を山に登って行ったはずだ。その道路は西表横断道路として切り開かれたのであるが山中で突然途切れていた。建設省が開発の為に着工するも環境庁が西表島の貴重な野生動物の環境を破壊すると抗議して中断したと聞いていた。イリオモテヤマネコの発見と関連していたようだ。日本復帰後3年目のことであった。前良橋を渡り古見の集落に入った。点在する民家の間を抜けて林の中を進むと由布島水牛車乗り場の看板が見えた。県道215号線を右折して緩やかな下り坂を海岸に向かって進んだ。直ぐに海岸に出た。波打ち際が広くなっており右側に水牛車が2台停まっていた。御者が一人だけいて煙草をふかしていた。カズは駐車場と書かれた看板の前にレンタカーを停めて外に出た。水牛車に近づくと牛特有の牛糞の臭いが漂っていた。アダン林の中に水牛の排せつ物を放り込んであるのだろう。水牛車の近くに刈り取ったばかりの牧草の束が置かれていた。1m近い角を持った水牛がのんびりと刈草を食んでいた。
「おはようございます。由布島まで乗せてくれませんか」
「おはようございます。仲底モータースの関係者の方ですか。後から仲間が来るからと話していましたので」
「そうですが、彼らは先に行ったのかい」
「デイゴの掘り取り作業があるとかで、2名の方が先に行きましたよ」
「そうですか。私が石垣の南西造園の宮良さんを通して依頼したのです。ところで事務所の管理責任者は出勤していますか」
「ええ、レストランやお土産店の職員は8時出勤です」
御者の出した踏み台に片足を乗せて荷台に乗り込んだ。御者がアダンの幹に繋いでいた引綱を外して乗り込み「ほーい」と声を掛けて引綱で水牛の尻を叩くと荷車が動き始めた。2トントラックのシャフトで作られた車軸がキィキィと音を立てて回り、ゆっくりと水辺に向かって坂道を降りて行った。午前9時30分、この日の干潮の時間帯とはいえ、小潮の日の海面は十分に干上がっておらず、青く濃い色をした深めの水深の場所が点在していた。水牛車は左に右にと進路を変えながら対岸に向かって進み始めた。荷台のすぐ近くまで水面がせり上がってくる場所もあった。右手に朝の光を浴びたさざ波がキラキラと光っていた。ふと御者の右上のトタンの雨除け屋根の軒に三味線が吊るしてあるのが見えた。御者に声を掛けた。
「そう言えば、カラオケで歌われる《安里屋ユンタ》は由布島の向こう側の竹富島が歌の発祥らしいですね」
「歌謡曲と地元の民謡は歌詞も歌の趣も随分と異なっていますがね。流行歌の歌謡曲は宮良長包先生が一般向けにアレンジしてヒットしたのですよ」
「先日会った大学の先輩で西表の北側にある鳩間島出身の方が言っていましたよ。先月の初めの東京出張の折、新宿のバーで取引相手と飲んでいると安里屋ユンタが流れていてびっくりしたそうです。歌っていたのは発音から本土の方だと言っていました」
「そうですか。本土でも流行っているのですか。八重山の人間としては嬉しいですね」
「私も飲み屋のカラオケで歌う時の映像に出て来る水牛車に乗るとは思いませんでしたね。のんびりとした風景の中で浜風にさらされると平和な気持ちになりますね」
「平和ですか、こんな風景の中でも変わったことも起きるのですよ。先日チョットした騒動がありましてね」御者が苦笑して言った。
「水牛車が転覆したのですか。私は泳ぎが得意ですから心配なさらないで良いですよ」カズは面白半分に笑いながら言った。
御者が淡々と話し始めた。
「この島の管理運営はリュウセロの上原社長です。観光園のプロモーションビデオを作成するために映像会社が2年前に入ったのです。当初、映像は観光関連の業界に流れていたのだが、その映像の水牛車の部分をカラオケ映像会社が利用させてくれと申し出てきたので、映像の何処かに由布島観光の文字を入れることを条件に権利を売却したそうです。ヒット曲のカラオケ画像なら由布島の宣伝にも役立つので了解したそうです。今では御者の誰もが三味線で安里屋ユンタを弾く業務を取り入れていますからカラオケの効果は大きいのでしょう」
「そうでしょう。私が歌うぐらいですから」とカズは相槌を打った。
「ところが騒動は思いもよらぬ所から発生したのです」御者が苦笑いしなら話を続けた。
「御者仲間に山本と名乗る他府県からやって来た男がいましてね。話が上手くて職場の人気者でした。顔中に髭を生やしていたので素顔は分かりませんでした。その山本がレストランのウエイトレスと良い中になりましてね。女がそのむさ苦しい髭を剃れとしょっちゅう小言を言っていました。そんな折、プロモーションビデオの撮影の話があったのです。上原社長が直接この由布島にやって来て、御者の制服、クバ傘、三味線迄全員に支給したのです。写真映りが引き立つように荷車も補修しました。水牛の手入れもしろとの気合の入れようでした。正装した御者を水牛車の前に並ばせて記念撮影をしました。その時髭面の山本を見て施設管理責任者の米盛支配人に命じました」
「あの髭面の男の髭を剃り落としてから記念撮影だ」
「上原社長の命令は絶対服従です。15分後に記念撮影を終了して社長は引き上げました。喜んだのは恋仲の女でした。ワシらは何のことも無く新しい制服で業務につきました。プロモーションビデオの撮影が始まったのは2週間後でした。その頃には山本の髭剃り後の青白かった顔も十分に日焼けして普通のオッサンになっていました。撮影はワシらの仕事に全く影響しませんでした。彼らは望遠レンズ付きの大きな機材で撮影していました。ワシは映画の俳優かモデルになれると少し期待していたが拍子抜けでした。二日間の撮影でスタッフは引き上げて行きました。米盛支配人と撮影会社のマネージャーが事務所で打ち合わせをしていましたがワシら現場の者とは全く接点がありませんでした。後で米盛支配人が話していましたが、素人相手の撮影は遠くから自然な状態の映像を撮るのが一番大切だと言っていました。当然出演料はありませんでした」そう言って高笑いした。
「それが大層な騒動の話かい」
「いいえ、本当の騒動は2年後にやって来たのですよ」
「何ですか、忘れた頃にやって来た騒動とは」カズが問い直した。
「先月のことです。東京の警視庁の私服刑事が5名やって来て山本を逮捕して連行しました。ワシらは何ことだか分かりませんでしたが、米盛支配人が事務所で詳しいことを知らされたそうです」
「東京の警視庁のお出ましとは大層な事件だね」
「東京の土地売買に関わる詐欺事件に関わっていたそうです。詳しいことはワシらには教えませんでしたが、警視庁の捜査網を潜り抜けて逃亡中の詐欺事件の最後の容疑者の一人だったそうです」
「失礼だが、こんな沖縄の最果ての由布島に潜伏しているのをよくもまあ見つけたものだね。警視庁の捜査網は素晴らしいね」
「いえね、捜査の起点は安里屋ユンタにあるのですよ。兄さんもカラオケで歌う時に水牛車が出て来るでしょう。その中に御者も何名か出てきます。ワシも山本も出ています。ほんのチラリですけどね。東京のカラオケバーで警視庁の捜査員の一人が見逃さなかったのです。米盛支配人の話しでは捜査員はカラオケテープを取り寄せて何度も確認して逮捕状を作成したそうです。なにしろ映像にはご丁寧に由布島観光と地名と会社名まで出て来るのですから、警視庁の捜査員は大喜びですよ。」
「上原社長の依頼したプロモーションビデオの撮影が起点となっているわけですか。そして記念撮影をするときに髭を剃ったことも素顔を晒した原因だな」
「話し上手の気の良い男と思っていたけどね。人は見かけによらないね」
「ところで、恋仲の女性は嘆いただろうね」
「いえね、女と言うのも恐ろしい生き物でね。山本が逮捕される半年前のクリスマスの前の週に一人で那覇の街に出て行ったよ。山本が忘年会の二次会でやけ酒を飲みながら泣いてワシに話したよ。女は山本の中に何か危ない気配を察知したのだろうかね」
「その山本さんも完治したと思っていた脛の傷が再び化膿して致命傷になったのだろうね。怖い話だ」
「兄さんは脛に傷を持っていないかい」
「傷跡は幾つかあるけど、傷が再発して化膿する様子は今のところ無いね。大小の違いはあるが脛の傷ぐらい誰でもあるさ」
「怖いね、ワシは年寄りだから枯れてしまって古傷のことなど忘れたよ」名も知らぬ御者は乾いた声で笑った。
午前10時少し前に対岸の由布島の砂浜に上陸した。カズが荷台から降りて御者に「ありがとうございます」と礼を言うと事務所の方角を指で示して言った。
「米盛支配人は既に出勤していますよ。仲底モータースの皆さんもいるはずです」
御者は荷車を固定して水牛を解き放した。水牛は心得たようにゆっくりと歩き出し、100坪程の池となった水場に向かって行った。池の中に4頭の水牛がへたり込むように体の半分を水没させていた。朝風に乗って牛特有の臭いが流れてきた。
事務所の中には50代半ばと思しきかりゆしウェア姿の米盛支配人と作業着を着た60代前後の二人の男が作業台のようなテーブルに向かい合って折り畳み式のパイプ椅子座って気軽な面持ちでコーヒーを飲んでいた。
「おはようございます」とカズが声を掛けると3名が同時に立ち上がった。
カズは海洋博公園から来た旨を告げて名刺を差し出して3名に渡した。名刺には沖縄熱帯植物管理(株)課長 一級造園施工管理技士と記されていた。米盛支配人から名刺を受け取ると持参した土産の菓子を渡した。米盛支配人は表情を崩して着席を勧めた。カズはショルダーバッグから熱帯ドリームセンターのパンフレットを取り出して渡し、女子事務員が運んできたインスタントコーヒーを飲みながら訪問の経緯を話した。既にリューセロの上原社長から連絡が入っていて作業の話は短く済ませた。国営海洋博公園のことに興味があるらしく色々と質問を投げかけてきた。
ひとしきり雑談を終えるとデイゴの植栽された圃場に案内された。樹高3m程のデイゴが20本ばかり3m間隔で植えられていた。その中から枝の幅が2mを越えない直立した樹木を2本選んだ。運搬に便利なように高さを2.5m、樹冠を1.5mに切り詰めるように指示した。根は根元から60cmの長さで切り取りハイタフを巻くように頼んだ。赤土であれば根鉢を作って藁綱蒔くことが可能であるが海抜1m地帯の砂地では無理である。カズは作業の段取りを説明してから米盛支配人に請われて観光農園の中を見て回った。由布島の面積は0.15㎢である。大戦後は150人ほどの住民が済んでおり、小学校もあったが昭和44年の台風で高波を被り住居が崩壊したことから対岸の古見集落に移動したとの説明であった。この島に人が済むようになったのは対岸の西表島ではマラリアの伝染病が流行しており、その感染媒体となる蚊がいないこの島に感染から逃れるために住居が建ったとの言い伝えがある。マラリアが撲滅された後もこの島に人々は済んでいたが、度重なる台風の高潮で島民は再び対岸に戻ったのである。現在は観光農園の管理スタッフが住んでいるだけである。米盛支配人はカズが海洋博公園の熱帯ドリームセンターの管理会社の職員で一級造園施工管理技士あることから、観光農園の管理についてのアドバイスを求めた。上原社長からもアドバイスを貰うように指示されていたようだ。カズは説明した。
「15年前の大学生の頃に初めて西表島を訪れて大原集落から星立集落まで横断したが随分と環境が変化しています。それでも観光客はそれ程多くはありません。しかし、新石垣空港が完成すると状況は一気に変わるでしょう」
「そうですね。我々もそれを期待しています」
「水牛車は面白い風物ですが、そんなものは他の島でも真似が出来ます」
「そうですね。水牛は西表島のどこにでもいますから。誰でも真似が出来ます。水牛による農耕が盛んな頃は荷車として利用していましたから」
「我々の管理する熱帯ドリームセンターのコンセプトは非日常的空間の演出です。この島も《水牛車で行く熱帯の楽園》のコンセプトで観光農園を演出すると良いでしょう」
「水牛車で行く熱帯の楽園ですか。何だかワクワク感がありますね。具体的にはどうしますか」
「海洋博公園は日本植物園協会に加盟しています。私も国内の有名な熱帯植物園は全て見学しました。客を呼び込むには熱帯の花と水辺の調和です」
「花と水辺ですか」
「国内の熱帯植物園はすべて温室です。しかしここでは温室は必要がありません。豊かな天然の熱量があります」
「確かに夏はもとより冬でも寒くはありませんね。でも海に囲まれていて水辺は海水ですよ」
カズは水牛を指差して言った。
「そこに水辺はあるではないですか。仲間川の広大な水辺は必要ないです。この池を少し整備して熱帯スイレンの花で飾るのです。睡蓮の向こう側に寝そべる水牛は絵になりますよ。熱帯ドリームセンターでもロータスポンドがありますが200坪程度ですよ」持参したパンフレットを開いて説明した。
「花はどうしますか。ブーゲンビリアとハイビスカスならありますが」
「花は赤色系と黄色系が一番です。ブーゲンビリア、ハイビスカス、アラマンダをアーチ、生け垣などに仕立てるのです。本土の観光客が写真を撮る場所はそこです。熱帯ドリームセンターの珍しい果樹の前で立ち止まる人少ないです」
「そうですか、何処にでもある植物ですから僕らにも出来そうな造園計画ですね」
「新空港が完成するまでに造成すれば良いですよ。新空港は大型のジェット旅客機が就航するので、この島にも毎日500~800人の来場者になるはずですよ。石垣から4時間以内の観光コースになるでしょう。飲食店やお土産店の施設は半年で整備できますが、花と緑は時間がかかりますよ。トップと相談して早めに着手すると良いですね」
「良い話を聞きました。早速、社長に連絡してスタッフで整備を始めてみます」
「沖縄本島に来るときは海洋博公園まで足を延ばして下さい。公園植物管理の責任者は前石垣市長の弟です。その下の主任も鳩間島の出身です」
カズと米盛支配人が敷地を探索して圃場に戻ると、既に掘り取り作業が終了して煙草を吸っていた。藁綱で枝が絞られており運搬が容易になっていた。
「ご苦労様です。大原港の貨物運搬船まで運んでもらえますか」カズが声を掛けた。熱帯農園のスタッフが手伝ってくれて水牛車に積み込んだ。3台の水牛車は米盛支配人に見送られて由布島を後にした。
対岸の古見の水牛車乗り場で仲底モータースの2トン車にデイゴを積み替えて大原港に向かった。そして12時半には貨物運搬船にデイゴ積み込み、仲底モータースの二人に別れを告げた。出航は午後1時30分であった。港の待合室の一角の食堂で昼食の沖縄そばを食べ、沖縄本島より3割増しの値段の缶ビールを3本とピーナッツの小袋を買ってショルダーバッグに押し込み板張りのタラップを駆け上がって船に乗り込んだ。船内の30畳程の客室には数名の乗客がいたが観光客の風体では無かった。窓辺の4人掛けの席に座った。潮風で窓ガラスの淵に塩がこびり付いたペンキの臭いのする窓から西表の古見岳が見えた。カズは奇妙な疲れを覚えてフゥーと大きく息を吐きだした。程なく船の機関音が大きくなり汽笛がなった。運搬船はゆっくりと大原港の貨物桟橋を離岸した。帰りの航路は高速艇と異なり、新城島とその隣のパナリ島の南側の外洋に出て石垣港に向かった。海の色は夏の陽光を受けて輝きながら変化する浅いサンゴ礁のグリーンではなく、光を吸い込んで跳ね返すことのない深海へと続く暗い紺青色であった。帰りは2時間近い船旅である。3本目の缶ビールを飲み干し、窓枠に左腕を寄せて目を閉じると、貨物船特有のゴンゴンと響く重たい振動が伝わって来た。船の機関室から伝わる振動はカズの中に遠い記憶を呼び起こしていた。あれは大学三年の終わりに国内の大学の研究施設を尋ねた帰りに東京晴海ふ頭から乗った客船の事か。それとも大学4年の夏休みに園芸サークルの仲間5人で西表島横断の旅行に出た時のおとひめ丸の船内で感じた振動であっただろうか。未だ心に無垢な部分が多く残っていた頃の事だ。あれから十数年の月日が経ち、企業人として利害関係の先端に立ってわき目もふらず前に進むことだけの日々を送って来た。或いは男のつまらぬプライドで誰かに足払いを食らわせたこともあった気がする。4名の子の親となり、40名余の職員の頭となり竹藪を切り開くことが自分の使命だと勝手な快楽に身を置いて来たのではないだろうか。誰かを傷つけることへの自己嫌悪感を忘れ、錯誤した優越感に浸っていたのではないだろうか。進むべき本通りを外れて何かに誘われて行く先の分らない山道に迷い込んだ気がした。水牛車の御者の言葉の中で見つけた数知れない脛の傷が運搬船の単調な振動で疼きだしてきた気がして、無意識に脛に手を伸ばした。焦りとも、不安とも、後悔ともつかぬ不可解な感触が船底の機関室からカズに向かって意図的に送られていた。
カズの不快な浅い眠りを運搬船の警笛が止めた。エンジン音が穏やかになり石垣港への到着を示していた。頭を二度三度と横に振って意識を現実に戻した。ペンキの臭いがする窓から石垣島の於茂登岳が見えた。カズは立ち上がり肩を廻し固まっていた体の筋肉を解して深く息を吸い込んでから長く吐きだした。甲板に出て外の桟橋を見ると荷台の枠に南西造園と書かれた2トンユニック車が停まっており2名の職員が車の横に立っていた。予定通りに進んでいることに安堵した。時計は午後4時を指していた。
板張りのタラップを降りて南西造園の職員に挨拶をした。宮良社長は所用があるらしくデイゴを受け取りにきたと答えた。船会社の職員が盤木に乗ったデイゴをホークリフト車で運んできた。それをユニックのクレーンで車に積みこんでこの日の作業がすべて完了した。
「明日の午後の那覇港向けの便に乗せるのはこちらでやります。ホテルまで送るように社長が言っていました。車へどうぞ」そう言って皮手袋を脱いで運転席のドアのポケットに押し込んだ。デイゴには棘があり、手慣れた庭師は手袋を使い分けているのだ。ビジネスホテル・やいま日和でトラックから降りて社員に礼を言ってホテルに入った。シャワーを浴びて5時半にロビーに降りると則雄が待っていた。
二人はホテルを出て美崎町の通りを200m程歩いて二つ目の交差点の市役所通りに出た。通りの道向かいの八重山料理の看板を掲げた居酒屋の紺色の暖簾をくぐった。日暮れには間がある6時前の店内には一組の男女の客が居るだけだった。則雄がカウンターの中の板前に手を上げると笑顔で片手を上げた。奥の4人掛けの席に座った。
「よく来る店なのか」とカズが尋ねた。
「役場の職員との打ち合わせの後で立ち寄る店だ」
40過ぎの女性店員がおしぼりを持ってやって来た。
「いらっしゃいませ。いつもの役場の方たちではありませんね。地元の方では無いですね」そう言った。
「大学の同級生だ。ビールと何かあり合わせの摘みを先に持ってきてくれ。刺身の盛り合わせと、近海魚の煮付けを頼む」
「小振りなミーバイ(ヤイトハタ)があるので煮付けにどうですか」
「それでよい、ビールをジョッキでたのむ」
おしぼりで手を拭きながら武原が言った。
「予定の仕事は片付いたのか」
「由布島でデイゴを2本掘り取っただけだ。大原の人間が二人ばかり手伝ってくれた」
「そのデイゴは持って来たのかい」
「ああ、南西造園の職員に頼んで明日の那覇行の船に積みこんでもらうことになっている。彼ら2トン車の荷台に乗っているさ」
「馴れたもんだな」
「大した仕事でもないさ」
生ビールのジョッキが2杯と小鉢に入ったタカセガイとモズクとキュウリの酢の物をテーブルに置いて「ごゆっくり」女将が言って戻って行った。
「カンパイ」ジョッキを合わせて飲み始めた。
「数年前に那覇市内の同級生会で飲んで以来だな」則雄が言った。
「そうだな、八重山支所の勤務は長いのかい。県職員は転勤があるだろ」
「5年に一度は沖縄本島での本所勤務があるが1年後には戻って来ている。八重山勤務を希望する人間は少ないからな」
「そうかい、失礼だがこんな八重山の田舎勤務では退屈しないかい」
「女房・子供も住んでいるし気軽なもんさ」
「奥さんは専業主婦かい」
「登野城小学校付属幼稚園の先生だ」
「アンタはどんなだ。民間の造園会社で海洋博公園の管理をしていると聞いたが」
「大学を卒業して、果樹園の管理、農業の真似事をしていたが30歳前から今の仕事だ。大学を卒業して20年近いな」
2杯目のジョッキと共に刺身の盛り合わせが出てきた。タマン、イラブチャー、アカマチ、ガーラ、などの近海魚である。
「会社の景気は良いのかい。どのくらいの仕事をしているのだ」
「海洋博公園の仕事が中心だ。1億5千万円程度の受注金額だ。下働きのおばちゃんたちをふくめて40名程度の人間を抱えている」
「アンタの立場は何だい」
「管理課長だ。但し、俺の上には海洋博公園からの天下りの専務取締役がいるだけだ」
「社長は誰だ」
「造園建設業協会の会長だ。今は沖縄庭芸の渡嘉敷社長が非常勤で名前だけを置いている」
「変わった会社だな」
「海洋博公園の業務を随意契約しているのさ。」
「それで、アンタの仕事の中身は何だい。デイゴの掘り取りが仕事でもないだろ」
「俺は一級造園施工管理技士で契約上の主任技術者だが現場は担当の現場代理人に任せてある。業務の受注契約、施工管理書類のチェック、従業員の採用、職員の勤務配置その他諸々だ」
「お山の大将か。親分の立場か」
「アンタはどうして八重山に居座っているのだ。同期の小橋川は本島内の勤務地を渡り歩いているぜ。奥さんは那覇の賑やかな街の出のはずだったな。都会が恋しいのじゃないのかい。アンタの結婚式の友人代表のスピーチをしたので奥さんのことも覚えているぜ」
2本目のジョッキが空になったので地元の泡盛八重泉に切り換えた、女将が泡盛の4合瓶とグラスと氷と水を持って来た。ミーバイの煮付けも同時に運んできた。
「豆腐をたっぷり入れたゴーヤチャンプルを一皿と握り寿司の竹の2人前を後で持って来てくれ」則雄が言った。
店内に少しづつ客が増えてきて人の声が大きくなってきた。本土からの観光客も混じっていたが地元の客が多いようだった。泡盛の水割りで再び乾杯してから、則雄が遠い過去から何かを引きずり出すように話し出した。
「学生のころ、桜坂の飲み屋街で俺の兄貴がやっている食堂とも居酒屋ともつかない店に遊びに来たことを覚えているかい」
「確かテツと小橋川、チカオが一緒だったかな」
「ああ、その店だ。俺はその店で働いていたのだ」
「お前からキャベツの微塵切りのレクチャーを受けたのを覚えている」
「俺は八重山農林高校を卒業して4年間はその店で働いていたのだ」
「板前になるつもりだったのかい」
「八重山の田舎から出ることが出来るなら何処でも良かったのさ。食い物商売は腹を空かすことは無いからな」
「なんでまた大学の農学部に鞍替えしたのだ」
「大学の非常勤講師に多本さんがいただろ。農林高校の陸上部での兄貴の先輩だ」
「あの人は長距離が得意だったな。声が太く熱血漢だったね」
「それで彼が俺の兄貴に言ったのよ。お前は弟を食堂の下働きにするつもりかい。大学は金がかかる場所では無いぞ。半年の授業料もたった15ドルだ。1年間だけ受験塾に通えば合格できるぞ。多分来年は本土復帰するので国立大学になるだろう。そうなれば他府県から成績優秀な子供たちがやってくる。八重山農林高校の卒業生が入学出来るチャンスは無いぞ。それで俺は琉大に行くことになったのさ。結局4浪生と言うことになった訳だ」
「確かに、僕らの30名の同級生で現役合格者は、小橋川、安田、伊礼の3名だけだったな。俺も唐真も2浪入学だ。良い兄貴を持ったな」
「俺は5人兄弟の末っ子だ。長男兄は那覇市内で税理士だ。姉は一人が地元で看護婦をしている。もう一人の姉は那覇市内で事務員だ。姉は二人とも結婚している」
「八重山で暮らす身内は姉さんと君と二人だけだか」
「僕らの家は戦争前に本部町から移住してきた一族だ」
「崎浜という姓は本部町に多いね。移住してきた者は多いだろ。ボクシングの元世界チャンピオンの具志堅用高だって両親は本部町からの移住者だろう」
「ところがさ、大学に行く条件として於茂登の農地、住宅、位牌、墓の管理一切を引き受けることだったのさ。農学科を選ばされたのも進学条件の一つだったのよ」
「そう言えば、大学時代の西表島横断キャンプの帰りに君の家に仲間で立ち寄った記憶がある。あまり手入れされていないパイン畑があったな」
「其処だよ。今はキビ畑に替えたけどな」
「県職員をしながら農業もしているのか」
「俺は、予備校で受験勉強をしている時は理工学部に行きたいと思うこともあったが、兄貴との約束だったからな。多本さんも兄貴の店に来ては俺を励ましてくれたから、進路変更は出来なかったのよ」
「公務員農業は大変だろ。感心するぜ」
「そうでもないさ。農業改良普及員と言う仕事柄、農業機械の情報は必然的に早く入って来るのだ。キビの植え付け機械、収穫用のハーベスターも県の指導との名目で自分の畑で実験的に導入したのさ。実際のところ新しい農業システムを農家は簡単には取り入れないのだ。生活がかかっているから収量低下を危惧して新しいシステムを取り込まないのだ。その点、俺の農業は単なる土地の有効利用に過ぎないから、沖縄県農業試験場のオペレーターをタダで使っているのさ」
「でもよ。沖縄の本所勤務があっただろ。畑の管理は出来たのかい」
「ああ、毎月2回の半日年休を取って里帰りしたのさ」
「何だい、その年休処理とは」
「金曜日の午後に年休を取って船で石垣港に着くのが土曜日の9時だ。日曜日の午後の便で那覇港に着いてそのまま出勤だ。1時間の年休処理だ。毎月5時間の2回の年休処理だ。畑仕事が忙しければ年休を1日延ばすだけだ。飛行機で通っていては出費がかさんで採算が取れないからな。その点、船賃は那覇市内のタクシー代みたいなものだ」
「働き者だな。俺には無理だ」カズは頬を擦りながら言った。
「馴れだよ、気分転換になるし、子供はオヤジが那覇に出張していると思っていたようだ」ハハハと笑ってグラスを突き出して乾杯を促した。カズは心底エライ奴だと感服した。自分が能天気に学生生活を送っている頃から則雄は避けることの出来ないしがらみを背負っていたのだ。カズの目に少しの影も見せることなくである。則雄は脛の傷をスラックスの中に隠して平然と農学部ビルを出入りしていたのだろう。
「カズ、お前のその拳のタコは何だ。空手をやっているのかい」
「造園建設業協会という世界は何かと縄張り争いと言うか。先輩業者の意見が通る世界みたいだ。正社員5,6名もいれば名のある会社だ。時には煩わしい出来事が起こるものだ。息抜きでやっているだけだ」
「お前は段持ちかい」
「まあ、そうだな」
「俺ら公務員には分からないが、民間の造園業者にとっての煩わしいこととは何だよ」
「俺の会社は随意契約だ。発注元の海洋博公園管理財団から専務取締役を迎えている。いわば天下りの席を開けておいて仕事を入札無しで受注するわけだ」
「随意契約は県でもあるが厳しい条件があって追加工事などの付加的業務に1度だけ行うのが原則だ」
「俺が入社した時は年間受注金額が4千万足らずであったが、現在は1億5千万前後だ。沖縄国体までは造園バブルがあったがそれが弾けて造園会社は厳しい経営にさらされているのだ」
「新石垣空港の建設が始まると地元の業者は多少潤うだろうな」
「それは土木業者が一番で造園会社の仕事はさほどでもないさ。それに土木業者も造園施工管理技士の資格者を育てて造園作業込みの土木工事を受注しているのだ。発注者も一括発注方式が経費削減になる」
「造園土木工事も熾烈な競争社会に入っているわけだ」
「仕事が少なくなると俺たちの公園管理業務に造園会社が不満をぶつけて来る訳だ。俺の周りが騒々しく煩わしい環境になっているのさ」
「造園土木業者は今でも昔のヤクザモドキの性格を残しているみたいだな」
「そうなのよ、それでストレス解消のガス抜きをする為に道場に通っているのさ。造園業界の面々と付き合いゴルフもするが、全く利害関係の無い道場仲間と約束組手や自由組手で汗を流すとスッキリすることが出来るのだ」
「俺達公務員の世界でも出世にエネルギーを向ける奴はいるが、俺はそれなりに生きれば良いと考えている」
「そうか、羨ましいね。俺らの世界は談合、引き抜き、足払いは当たり前の世界だ。それに俺が入社した時は常勤、非常勤が12名の小さな会社であったが、いきなり頭として入社したものだから古参の職員の中には多少の不満が常に燻ぶっているのだ。40名の人間を各部門に割り振ってそこに部門長を充てる訳だ。1千万以下の工事だと誰が現場代理人に就いても完工するが、8千万円ともなるとそれなりの力量が求められるわけだ。古参の職員が顔パスで務めるには荷が重いのだよ。力量の足りない奴ほど自信過剰でナ、自分が登用されなかったことへの不満が募って俺へ向くわけだ。刃物沙汰とまではいかぬが目がギラギラするのを見ることは何度も出て来るのさ。これは全くたまらんぞ」
「お前は学生の頃から他人に物怖じすることが無かったからな。学生運動を牛耳っていた革命マルクス派の学生自治会に怒鳴り込んで作物園芸クラブの部活費を分捕って来たし、手作りの部室を火災で焼いて始末書を大学の学生部に提出してサッサと西表島横断キャンプ出かけただろ。なんて奴だと同級生で噂していたぜ」
「気がつかなかったな」
「お前は、相変わらず昔の土建屋の組頭みたいな生き方をしているみたいだな」
「人間は変わったようでも根元は同じだ。多少の枝葉が繁った挙句に体に世間の水垢が付着しただけだよ」
「言えてるな、大学時代の無垢な心と体は世の中の人混みを渡り歩く間にいつの間にか脛に傷を作っているのだな」則雄がしんみりと言った
「ああ、酒を酔ってふと歩いて来た道を振り返ると、何時の間にか脛にいくつもの傷が付いていることに気付き、そしてその傷が疼くのよ。石原裕次郎が、《男と男の付き合いは、学生時代のままで行く》と歌っているがホントだな」カズが応えた。
「そうだな、裕次郎の歌の通りだな、何しろ俺たちは昭和の時代の卒業生だからな」則雄が笑いながら言った。
女将がグルクンの唐揚げを2匹持って来て言った。
「大将のサービスです」
店の中はいつの間にか賑わっていた。則雄が振り返って大将に手を上げて会釈して軽く頭を下げた。
カズと則雄は大学の同級生の消息をネタに杯を重ねた。20年間が長いか短いかは分からないが、消息の途切れた者もいた。人はゆっくりと霞の中に紛れ込んでいくものかも知れない。もはや水牛車の御者の山本の話題は酒の褄にもならぬ存在であった。否、カズにとって山本の話題は自らの脛の傷に塩を擦りこむような気がして酒の肴として話題に出来なかったのだった。
閉店前の午後11時に引き上げた。2本目の八重泉が4分の1だけ残っていた。
「島内を案内しようと思っていたが、明日は二日酔いで中止だな」則雄がゲップをしながら言った。
「ああ、それがいい、俺も少し朝寝をしてチェックアウトするよ。機会があれば那覇市内で飲もうか」カズがあくびをしながら返事した。
割り勘で精算して店の外で右と左に別れた。翌朝の10時にチェックアウトしてホテルから南西造園の宮良社長に電話した。デイゴの件を確認してお礼を言って電話を切った。ホテルのモーニングサービスの時間が過ぎており、朝食を取らずに外に出た。二日酔いの頭を目覚めさせるため、ホテルの前の路地を昨日のルートで歩いて高速艇桟橋まで歩いた。朝の光で明るくきらめくサンゴ礁の海の向こう側に西表島が明るい緑色で浮かんでいた。潮の香りを含んだ海風を大きく吸い込んだ。いつもの日常を戻って来た気がした。桟橋からターミナル内の食堂に入り、モーニングサービスのトースト、目玉焼き、刻みキャベツにマヨネーズドレッシングかけて食べた。お代わり自由の美味くも無いインスタントコーヒーの2杯目を飲んで港ターミナルの外に出た。退屈そうに煙草を吸っていたタクシー運転手に声を掛けて空港に行ってくれと言った。カズは意味を持たずに街の風景となって行きかう車の流れの中で、明日のデイゴの受け取りと植栽方法について考えていた。スラックスの中の脛は何処にも痛みは無かった。カズは特定の顔を持たない一介の造園技術者に戻っていた。
9、亀
鶴は千年、亀は万年という諺がある。古代中国の神仙伝説や淮南子の「説林訓」が日本に伝わった説であろう。しかし動物学的には鶴の寿命は25年程度だ。鳥類として長寿であるが千年も生きることはない。亀の寿命はもっと長くゾウガメの仲間は150~200年も生きると言われている。沖縄県には「鶴亀松竹梅」の舞という琉球古典舞踊があり、祝いの宴席での舞台舞踊として舞うことが多い。県内各地の豊年祭の定番舞踊だ。沖縄県への鶴の飛来は無く、鶴にまつわる伝説は無い。しかし亀は陸にも海にも生息している。陸亀ではリュウキュウヤマガメ、ヤエヤマセマルハコガメが国の天然記念物に指定されている。海にはアオウミガメ、アカウミガメ、タイマイ等が生息している。陸亀は小さくて人間との関りは少ないが、ウミガメは大きく、定期的に砂浜に産卵のためにやって来ることから人間との関りが深い。豊年祭では浦島太郎物語の組踊が演目に載っている地域も少なくない。海からやって来る果報の一つとして捉えられているのだ。
カズの実家は広い砂浜の続く名護湾の海岸に近く、少し海が荒れると潮騒が庭先の如く聞える場所であった。自宅前に砂地の芋畑が一筆あってその脇を県道が海岸線に沿って本部半島を周回道路として走っていた。防風林のオオハマボウに囲まれた門前に立つと、自然植栽アダンの防風林の途切れた空間を通して名護湾とその向こうの宜野座岳の山並みが見えた。この辺りは太平洋戦争の頃、米軍の偵察用軽飛行機の仮設飛行場があったらしい。カズの家の横から海に300m程の滑走路が伸びでおり、艦載機の見通しを遮る海岸線の防風林はブルトーザーでなぎ倒されていたらしい。カズが物心ついた頃にやっとアダンやモクマオの防風林帯が出来たのだった。カズが生まれた終戦後6年目には、未だ暴風林は形成されておらず、夜になると屋敷のすぐ外に波が打ち寄せるような潮騒が聞こえていた。台風ともなると広い砂浜を波が押し寄せて、海岸に沿って走る県道と砂浜を隔てる土手を駆け上がり、生えかけたアダンやモクマオをなぎ倒して県道を海水と砂で満たした。自宅と県土の間にある100坪のサツマイモ畑まで貝、小魚。海藻、木切れその他の芥を打ち上げた。台風が去り夏の強烈な陽光が降り注ぐと忽ち海産物は腐食して、異臭が浜風に乗って集落に漂った。それでも夏の通り雨のスコールが2,3度も通り抜けると1週間ほどで異臭は消えた。夏から秋の台風シーズンはそれの繰り返しであった。台風は災難だけでなく、時には果報ももたらした。カズが生まれて2週間後に大戦後最大級の台風・ルースが沖縄県の宮古島付近から北上して、九州鹿児島に上陸後、四国に抜けて数百名近くの死者行方不明者を出す被害をもたらした。カズが生まれた茅葺の家も傾いてしまった。台風通過後に雨戸が軋んで開かず、高窓から外へ出たのだった。父の宏が屋敷林のオオハマボウの折れ枝を片付けていると、地面に落ちた枝葉に埋もれて、甲羅の長さが70cmあるアオウミガメがうずくまっていた。宏は自宅の立て起しにやって来た村人に亀の料理を振る舞って大いに面目を立てたとのことだ。
沖縄には亀の字の付く姓がある。亀田、亀谷、亀川等だ。渡久地門中、福地門中、国吉門中はカメの肉を食べないと言われている。幸いなことに宏の傾いた家の立て起しを手伝った近隣の人々にその一門の者はいなかった。本島北部の本部町に渡具知姓があるだけだ。未だ豊かさに程遠い大戦後6年目の村人にとって、大いに元気の出る海からの贈り物であっただろう。
カズが高校生の頃の思いである。カズの家の隣に古宇利島から天久一家が越してきた。その家の3兄弟の三男に佐吉と言う30歳前後の男がいた。元自衛官でその頃は山林を開墾してパイン畑にするブルトーザーのオペレーターであった。空手の真似事をするカズの武道の先生でもあった。佐吉は沖縄拳法の仲村道場に通う黒帯であった。色黒で背丈はカズよりも低く160cmを超えた程度であった。しかしプロボクサーのように引き締まった体をしていた。佐吉がサンドバッグを蹴るとパーンと乾いた音がした。特に横蹴りが得意であった。カズの為に巻き藁を立てくれ弟のように付き合ってくれた。二人は砂浜で沖縄相撲を取ることがあったが、カズが全く相手にならないほど強かった。相撲の後で海に入って300m程先の岩場までしばしば泳いで渡った。平泳ぎだけはカズが早かった。多分手足が長い分だけ水をかく量が多かったのであろう。二人の共通の趣味は絵を描くことでもあった。カズはもっぱら風景や静物のスケッチであったが佐吉は風景に水彩絵の具で色付けした。彩色はゴーギャンのタヒチの女を題材にした絵よりも赤系の着色が強く出た。佐吉が外出中にその絵を佐吉の家の窓越しに見たカズの母は、佐吉の絵の中にある種の狂気を見出していた。カズに佐吉と遊ぶのは辞めなさいと何度も言った。しかし、カズにとって母の忠告は馬耳東風であった。佐吉に伴われて空手道場で汗を流し、銭湯で湯を使って帰宅することもあった。そんなある夏の日のことだ。夕食を終えた午後8時過ぎに1番座敷の自分の部屋で町営図書館から借りてきた小説を読んでいた。佐吉が窓からぬっと顔を出して言った。
「カズ君、亀を見つけた。チョット手伝ってくれ」
カズが草履をつっかけて外に出ると、天秤棒にモッコ吊るして懐中電灯を手にしていた。「チョット浜まで行って来る」家の中に声だけを投げかけて佐吉と共に門を出て行った。県道を横切って防風林の切れ目から浜に降りた。満月が海を照らし、穏やかな波間に煌めいていた。干潮の中半であろうか砂浜が広くなっていた。カズはグンバイヒルガオを踏みながら佐吉の後についていった。少し歩くと佐吉が懐中電灯で30m程先を照らした。ライトの先に豚の餌の芋を煮る丸い大なべを伏せた塊が浮かんだ。佐吉が「亀だ」と小さく言った。近づいて良く見ると甲羅の長さが80㎝程の海亀であった。亀はひれとなった後ろ脚で器用に垂直に穴を掘っていた。
「卵を産むための穴だ」佐吉が言った。しばらく待っているとポトリと卵を産み落とした。1個、2個、3個と次々に産んで言った。穴の中ほどまで卵が埋まった頃、「この辺で良いだろう」そう言って亀の甲羅に手を掛けてヒョイとひっくり返した。そしてモッコを広げてその上に亀を再びひっくり返した。モッコの端を括り付け背負い棒通した。亀はなすがままで暴れることも無かった。佐吉が足で砂を寄せて卵の入った穴に砂を放り込んで埋めた。
「時期が来れば子亀が卵から孵って海に出て行くだろう。親亀の役目は終わりだ」佐吉がそう言った。
懐中電灯に照らされた亀は粘着性のあるぬるりとした涙を垂らして泣いていた。カズは涙を流して泣く動物を始めて見た。奇妙な罪悪感がした。
「カズさん。天秤棒の端を担いでくれ」そう言って背中を向けて腰降ろして天秤棒を肩に据えた。カズも天秤棒を肩に据えて言った。「オーケーです」
立ち上がるとさしたる重量は無かった。しかし一人で担げる重量では無かった。
300m程担いで歩き、佐吉の家の貯水タンクの横に降ろした。
「明日の朝解体してお前の家に届けるよ。頭はお前にやるよ」そう言った。
「美味いかな」カズが言った。
「俺は食ったことは無いが、美味いらしいぜ」
「期待しています」そう言って自宅に戻った。
佐吉と二人で亀を浜辺から担いできたことと、明日の朝佐吉が亀の肉を分けてくれることを母に話して自分の部屋に戻った。
翌日、学校から帰ると亀は既に茹でられて刻まれた肉片に変わっていた。庭のゴーヤー棚の株元に亀の頭が転がっていた。既に亀の頭皮が剥かれて目の窪んだ骨だけの頭蓋骨となっていた。握拳2個を合わせた大きさであった。手にすると少し生臭い魚臭がした。カズは頭蓋骨が妙に気に入った。6ポンドパイン缶詰の空き缶に入れ、水を満たして洗濯用の漂白剤ブリーチを垂らした。そしてその缶を床下の人目の付かぬ場所に保管した。
亀の料理が夕食に出た。茹でてあく抜きした肉に大根、ニンジン、ジャガイモ、ニンニクの茎葉が入っていた。奇妙な獣臭が少し残っていたが美味かった。2週間ほどして亀の頭蓋骨のことを思い出して床下からパイン缶詰の缶を取り出した。缶の中の水の表面に灰色の泡が浮いていた。屋敷林のオオハマボウの根元に残った水をこぼして海に向かった。ズボンの裾をまくり上げ、干潮で浅くなった水の中に踏み込んで砂で亀の頭蓋骨を洗って磨いた。頭蓋骨は真っ白になった。カズはカメの頭蓋骨が気に入ってしまった。自宅と離れた風呂場のトタン屋根に1日乾すと頭蓋骨は更に白くなった。亀の頭蓋骨を勉強机の上に置いて飽きずに眺めた。海から新しい友人がやって来た気がした。しかしその新しい友人を殺す手伝をしたのは自分だと考えることは無かった。しばらくしたある日、帰宅すると亀の頭蓋骨が消えていた。カズは母の仕業だと解っていたが何も問わなかった。夕食時に母が言った。
「机の上に変な物を置くんじゃないよ。亀の罰が当たるわよ。今朝のゴミ収集車に出して捨てたわ」
カズは気に入っていた海からやって来た友人が母に追い出されたと思った。特に母に口答えをすることは無かった。亀の祟りか知らぬがその年の大学受験にしくじってしまい、翌年は自宅を離れて那覇市の予備校に通う浪人生活を送る羽目になった。18歳の頃の記憶である。
カズは結婚して3人の子供がいた。実家から1km程離れた父の土地を貰って新築して暮らしていた。実家は独身の兄と父母の3人暮らしであった。ある初夏の晩に兄から電話があった。釣り好きの兄は夜釣で北部農林高校前の浜にいるのだが、大きな海亀がグンバイヒルガオに絡まって身動きできないでいる。グンバイヒルガオの蔓を切り離す鎌を持って来きてくれとのことであった。屋敷の一角にある父の倉庫から鎌を取り出して妻に言った。
「北部農林高校前の浜にグンバイヒルガオに絡まっているウミガメがいると兄から電話があった。チョット行って助けて来る」
「ウミガメを助けるの、浦島太郎みたい」彩夏が妻の横から言った。紗香は幼稚園で浦島太郎の物語を絵本の読み聞かせで聞いたばかりであった。
「彩夏貴方もお父さんと一緒に見てきたら」妻が言った。
「うん、行きたい」彩夏が手を叩いて言った。
カズは居間のサイドボードの引き出しから懐中電灯とフジのコンパクトカメラを取り出して彩夏と共に自家用車で自宅を出た。半ズボンにTシャツ姿のくつろいだままの姿であった。誰かに会うことも無い車を横づけできる浜辺までだ。名護バスターミナル前の交差点を右折して北部農林高校の東側から県道に出て直ぐに浜辺に繋がる小道に車を入れた。浜辺近くに見慣れた兄の車が止まっていた。兄の車の後ろに車を停め、車から降りてカメラを首から掛け、懐中電灯と鎌を手に、彩夏の手を引いて浜辺に降りた。カズの懐中電灯の灯りを見て30m程離れた場所から兄が懐中電灯を回して合図した。グンバイヒルガオの蔓に足を取られぬように注意しながら兄の元に近づいた。兄の照らした懐中電灯に甲羅の長さが80㎝程のウミガメがいた。グンバイヒルガオに絡まってもがいたのか甲羅中が砂まみれであった。
「彩夏、浦島太郎みたいに亀に乗ってみるかい」カメラを手にカズが言った。
「うん」と紗香が言った。
兄が紗香の腰に手をやって持ち上げて亀の背に乗せた。両手を広げた紗香の片方の手を兄が掴んでバランスを取ってくれた。カズがフラッシュをたいて写真を撮った。亀はもがき疲れたのか或いはグンバイヒルガオに強く絡みついているのか身動き一つしなかった。紗香を亀の甲羅から降ろして兄に鎌を渡した。グンバイヒルガオはカメの首や手足に幾重にも絡みついていた。カズが懐中電灯で照らす中で兄が丁寧に蔓を切り離した。体の自由が利くと悟ったウミガメはゆっくりと海に向かって砂浜を下って行った。亀が通った後にはトラクターのタイヤの跡に似た模様が波打ち際に向かって続いていた。
「魚は釣れたかい」と尋ねた。
「亀騒ぎでこれから釣り始めるところだ。魚の食い気が出る満ち潮はこれからだ」
「釣果を期待しているよ。紗香帰るか」
「彩夏ちゃん浦島太郎になったみたいだね。亀の御礼があるかもね」兄が笑って言った。
「おじちゃん、バイバイ」彩夏がそう言って、二人は車に向かって歩き出した。
亀の恩返しは直ぐにやって来た。カズの車はバスターミナルの横で検問に遭った。週末の酒気運転検問である。
「酒気運転検問です。免許証を拝見します」
カズはポケットに手をやって気付いた。免許証は外出用のズボンのポケットの財布の中である。
「すみません。兄からの電話があって、グンバイヒルガオに絡まった亀を助けに飛び出して来たのです。運転免許証はこの先の自宅に置いたままです」
「何処の海だ」
「北部農林高校前の浜です。自宅は農協前です」
「お嬢ちゃん、亀を見たのかい」
「ウン、大きな亀さんだったよ。その上に乗ったのよ。お父さんと叔父ちゃんが助けてあげたの」
「そうか、よかったね。お父さん、慌てても免許証は持ってくださいよ」検問の警察官は苦笑いしながら懐中電灯を横に振って出発を促した。
カズは警察官に頭を下げてから車のギアを入れてゆっくりと発進した。不思議な亀の縁である。それ以来、野生の海亀を見たことは無い。
10、ダイナマイト漁
カズは父と二人で夕食を取っていた。九〇歳を超えた父母を五名の兄弟姉妹で当番を決めて介護をしているのだ。母は気管支の調子が悪く四日前から県立北部病院に入院していた。介護と言っても父はいたって健康であり、四本足の補助歩行器を使って広い家の中を歩き回っている。二年前まで同居していた兄夫婦が、仕事の都合で少し離れた隣町のアパートに引っ越したので、カズと四名の妹達が自分の家庭からやって来て一泊するのである。父は午前八時半にデイケアセンターの車が迎えに来て、午後四時半には自宅に送り届けてくれるのだ。父の夕食は、カロリーを計算された宅配弁当が届けられており、電子レンジで温めて父のテーブルに並べるだけだ。夕食後に父の定期薬の封を切って渡すのが大切な仕事であった。血圧剤、睡眠導入剤である。年寄りは錠剤のアルミ梱包材ごとのみ込むトラブルを起こすこともあるのだ。老眼と指先の機能の低下から、錠剤をアルミ製の梱包材から取り出せないのである。カズはスーパーマーケットで自分の為に買ってきたカツオの刺身のパックから数切れを父に取り分け、宅配弁当に付け加えるのが常であった。小さな巻きずしのパックと刺身を夕食にして、ビールを飲みながら六時過ぎのローカルニュースを見ていた。テレビでは那覇港での不発弾処理の様子が放映されていた。沖縄には第二次世界大戦の不発弾が相当数残っている。港の浚渫工事で発見されたアメリカ軍の大型艦砲騨であるが、サンゴの付着がひどくて信管の抜き取り作業が出来ず、自衛隊の爆発物処理班による水中爆破処理を行ったとの放映であった。テレビの画面では、爆破処理責任者の合図で、三、二、一、ゼロ、爆破開始の合図があり、海面から五m程の水柱が上がった。そして白い泡の波紋が広がった。食事の箸を止めて見ていた父がポツリと言った。
「あの爆発の周りの魚は死んだな」
「爆発の衝撃波は凄いだろうね。港の中だから、サンゴ礁の周りの様には魚はいないだろうよ」
「そうかもしれないね」と、父は言ってから汁椀を手にした。
カズは父の食事が終わったのを確認してから、曜日ごとに分別された1週間分の薬ケースから、この日の夕食後の薬を取り出して、水の入ったグラスと共に父に渡した。そして父の食器をキッチンのシンクに運んだ。宅配弁当専用の弁当容器を水洗いして専用のパックに納めて蓋を閉めた。オカズもご飯も汁物も中身がこぼれない様にパックされた便利な容器セットである。名護市の高齢者福祉助成金が使われており、一食当たり二五〇円である。カズの今夜の缶ビール1本の値段だ。
「戦争が終わって五十年も経つ今頃に不発弾処理とはね。沖縄の戦後処理は終わりが見えないね。それにしてもさっきの爆発は凄かったね」と、カズは言ってコップに残っていたビールを飲み干した。
「終戦直後の食料の乏しい時期のことだがな。ダイナマイト漁が流行ったそうだ」と、父が言った。
「ダイナマイト漁とは、あの砕石場で岩石を爆破する時に使われるダイナマイトを使った漁かい」
「いや、砕石採掘場でダイナマイトが使われるようになったのは随分後のことだ」
「では、何で海中爆発を起こして魚を獲るのだよ」
「日本軍が残した手榴弾を使ったらしい。俺は戦争が終わっても3年ばかり大阪で暮らしていたから良くは知らない」
「ふーん、手榴弾を使ったわけだね。確かにアメリカ映画のコンバットを見る限り、大した爆発力だな」と、カズは感心しながら返事した。
沖縄県は二期作米を生産していたが、種籾の不足や大戦で荒れた農耕地が復活するまで随分と時間がかかった。それまではアメリカからの食料援助に頼っていた。米国米、小麦粉、トウモロコシなどの炭水化物は支給されるも、タンパク質は容易に入手出来なかった。それで、目の前の海から魚介類を採取することも食料調達手段の一つであったようだ。
「お前、ウンチュー小屋(ウンチューグワーヤという屋号)の叔父さんを覚えているか」
「あまりよく覚えていないが、市会議員の神山マサキのオヤジだろ。俺の一つ年上のマサアキとは、子供の頃キャッチボールでよく遊んでいたな」
「当時は手榴弾を使った漁をダイ玉漁と言っていたらしく、神山の正次兄さんが時々やっていたらしい」
「ダイナマイト漁は、今では禁止された密漁だろ」
「ダイ玉漁は当時から禁止されていたさ」と、父は笑いながら言った。
カズの記憶にある正次叔父さんは浅黒い顔で髪が短く、あまり背丈は高くないが肩幅の広い、人懐っこい人であった。少しだけビッコを引いていた。一つ年上のマサアキの父であり、農業をしていたようだ。戦争中は海軍の兵士であった聞いていた。
1944年10月10日、日本海軍の潜水艦迅鯨は本部半島のすぐ横の瀬底島の沖で、米軍機B29の攻撃で沈没して、135名の死者を出した。その潜水艦の乗組員の生き残りの一人が正次であった。正次は右の尻に傷を負いながらも、名護湾の湾岸流に乗って5km以上も泳いで実家のたどり着いた強者であった。その傷がもとでビッコになってしまい、軍隊への復帰を諦めて自宅で養生するうちに終戦となった。ただ、その傷がもとで半年ばかりビッコひき、杖をついていたので、米軍の兵隊捕虜にならずに済んだのは幸運であった。正次は船から脱出する際に、手榴弾を1包み3個入りをズボンに差し込んで海に飛び込み、帰宅していた。手榴弾は水洗いして菜種油をしみこませたタオルに包んで、裏山の集団墓地の一族の墓の香炉の裏に隠してあった。幸いにも一家に戦没者は無く、墓を開けて納骨する機会はなく終戦を迎えた。手榴弾はそのままであった。羽地の捕虜収容所では、正次の傷も米軍の適当な治療のおかげで回復して帰宅できた。正次の家は宮里集落の西の外れであった。終戦の1年後には南洋群島に出稼ぎに出ていた近隣の人々も帰還して来た。生活が少し落ち着き、大戦前の10軒ほどの茅葺住宅が出そろった頃のことである。本格的な水田耕作は未だ始まっていない冬のことであった。種籾を確保するも来年の春の一期作の収穫は初夏の6月であった。誰もが米軍からの配給物資が生活の支えであった。そんな年の年の瀬のことである。名護の市街地に出て、配給物資を調達してきた青年が面白い話を持って来た。
港の裏通りで、魚を格安で物々交換している漁師がいたらしい。魚は中骨が折れており、痛みやすいからとの理由であった。漁師の立ち話を聞いているとダイ玉漁らしい。見知った男に小声で尋ねると、手榴弾を魚の群れに投げ込んで爆発させて爆死させる漁のことのようだった。沖のリーフで手榴弾を爆発させ、魚を爆死させたのちに潜って魚を回収したようだ。戦争で刺し網を失い、素潜り漁での漁獲量は知れたものであった。ただ、ダイナマイトは容易には手に入らず、何度もダイ玉漁をすると噂を聞きつけて、米軍のMP憲兵が出て来るらしい。それ故港の路地裏で魚を売り払っているのだと知り合いの男が話していた。
「ミジュンが沢山寄ってきているがな。投網も戦争で焼けてしまって手に入らないし、指を咥えて見ているだけだ」
「網があれば投網を作れるけどな。今時、網なんて城村の漁師でも手に入らないらしいからな」と、誰かがため息をついた。
「ヨシ坊、俺が魚を捕ってやるぜ。ミジュンが寄ってきたら教えてくれ」と、茶飲み話の席で聞いていた正次が言った。
「エッ、正兄さんどうするんです」と、ヨシ坊と呼ばれている青年が言った。
「俺が手榴弾をミジュンの群れにぶち込んでやる」と、正次が言った。
「正兄さん手榴弾を持っているのですか」
「ああ、潜水艦から脱出した時に自爆用に持って来たヤツを隠してある」
「危なくないですか」
「なに、一度は死にかけた命だ、どうってこともないさ」と、正次は小さく笑った。
1週間ばかりしてヨシ坊が正次を訪ねて来た。村はずれにミジュンの黒い集団が寄って来たとの知らせである。早速、二人で見に行った。確かに直径20m程の黒い塊がユックリと動いていた。
「明日の朝一番にダイ玉漁をやるぜ。手伝ってくれ」と、正次が言った。
「正兄さん、俺はどうすれば良いですか」と、ヨシ坊が言った。
「俺はダイ玉を海に投げて爆発させると直ぐに逃げて家で寝ている。アリバイ作りだ。お前は隣近所にダイ玉漁をしたから魚を拾いに行けと、おばさん達に連絡しろ」と、正次が言った。
「分った。おばさん達に竹籠をもって浜に行けと言うのですね」
「ああ、しばらく待って、ミジュンが上げ潮に乗って浜に打ち上げられたら拾うのさ」
「俺は連絡だけで良いですか」
「お前はゆっくり後で行け。おばさん連中が拾ったミジュンの籠を担ぐ役と、隣近所に家族の頭数で計算して届ける役割もしてくれ」
「そうですね、浜に行けない婆様もいるし」と、ヨシ坊が言った。
「俺はこれからダイ玉の準備をしておくから、お前は浜に行けそうなおばさん達に今から耳打ちしてくれ」
「わかりました」
「ああ、そうだ。誰か知らない人に聞かれたら、浜に魚が打ち上げられていたから拾いに来ただけと、おばさん達に口裏を合わせるように言ってくれ」
「分りました。せっかくの正月の食料ですからね」と、ヨシ坊が嬉しそうに頷いた。
「ヨシ坊、俺が捕まったら、お前も同罪で捕まるぜ」と、正次が脅すように言った。ヨシ坊が肩をすくめて小さく笑った。
翌朝早く、正次とヨシ坊は浜でミジュンの群れが浜に近づくのを待った。7時前になってようやく辺りが明るくなった頃、ミジュンの群れが50m程前方に現れた。群れは右に左に移動しながら近づいて来たが、浜に近づかないでいた。
「正兄さん、ミジュンが近づきませんね」と、ヨシ坊が言った。
「慌てなさんな。やがてガーラやシジャーの大型魚がやって来る。そうすれば驚いたミジュンは砂浜近くまで逃げて来る」
「正兄さん、遠くでシジャーが飛びました」と、ヨシ坊が言った。
「ヨシ坊、お前は下がってアダンの影に隠れていろ。ダイ玉が爆発したらお前はおばさん達に合図しに行け」と、正次が言った。
ヨシ坊はミジュンの群れに目を向けながら浜を登って行った。やがて、正次の予想した通りに大型魚がミジュンの群れを追い回した。ミジュンの群れは海面にジャンプしながら砂浜の浅瀬に近づいて来た。正次は手榴弾をポケットから取り出しピンの糸を引き抜き、手の平より少し大きなサンゴ石を左手に持って立ち上がった。ミジュンの群れが波打ち際近くに寄って来た。正次は右手に持った手榴弾の信管をサンゴ石に叩きつけた。プシュッと音がして雷管に火が付いた。正次は波打ち際から15m程離れた水深1m足らずのミジュンの群れに手榴弾を投げた。1、2、3、4、と数えたところでボンと音がして1m程の水柱が立った。
正次が振り返るとヨシ坊がアダンの影に立っていた。正次は手を振って追い返す仕草をして浜を上がって行った。
その日の午前10時過ぎにヨシ坊が60cm程のシジャー1匹と2kg程のミジュンをもってやって来た。
「隣近所に配ってきました。全てのミジュンを回収することは出来ませんでした。水の中に残したミジュンが浜に打ち上げられると、何らかの噂になるかもしれませんね」と、ヨシ坊が言った。
「この辺りで軍隊上がりは俺だけだ。警察が来るかもしれないが寝ていたことにするよ。誰も俺の姿を見た者はいないし」
「そうですね。おばさん達にも話してあります。ところで正兄さん、手榴弾はお終いですか」
「未だ1個残っているが、皆がミジュンの味を忘れた頃にやるとするか」と、正次は言って笑った。
「年が明けて2月頃になると、ミジュンは大きくなって卵を持っているでしょう。その頃が良いかもしれませんね」と、ヨシ坊が言って、大きく笑った。
2月にダイ玉漁を行って手榴弾は尽きた。3個持ち帰った中の1個は海水の中を持ち帰った影響で腐蝕が進んで廃棄した。正次の戦後は終了した。3月からは伝統のイルカ狩りが復活して町民のタンパク質の供給源が増えた。正次たちの隣組も海外からの復員男子が増えた。仲間で船をあつらえてイルカ狩りに参加した。ダイナマイト漁よりも大量の良質なタンパク質が補充できた。戦争の影が遠のき、アメリカ統治の世の中が世間を覆って行った。
正次たちの宮里村の隣の屋部村でもダイナマイト漁をする者がいた。この村には陸軍の管理する弾薬保管豪あり、そこに残っていた手榴弾でダイナマイト漁をする者がいたのだ。宮里村と屋部村は屋部川を挟んで東の宮里村、西の屋部村に別れていた。宮里村は広い水田に恵まれているが屋部川の西には水田地帯が少なかった。琉球王府時代の年貢米の査定は、宮里村は2等査定であり、屋部村は4等査定であった。屋部村は年貢米の収益が少なく、村民の生活も豊かでは無かったのであろう。豊かな水田を有する宮里村の住民の気質は穏やかであり、屋部村の住民の気質は荒いのはその生活の格差に起因していたのかも知らない。彼らの言葉使いは、誰彼となく挑むように、声高々に話すことから「屋部乱暴」(ヤブランボウー)と近隣の村々から脅威と蔑視の意味で呼ばれていた。
屋部村は宮里村の境界を流れる大きな屋部川と、嘉津宇岳からの谷間を流れて来る西屋部川に挟まれた扇状地に形成されていた。琉球王府時代時代には屋部間切りと区分されていた。西屋部川の河口から1km程上流の前田原に古い時代の貝塚と洞窟があり、前田原遺跡の洞窟に日本軍の弾薬倉庫があったのだが、1944年4月の米軍上陸に伴う艦砲射撃で弾薬保管豪が潰れてしまっていた。ほとんどの弾薬は日本軍の嘉津宇岳裏への撤収に伴って移動されていたが、砲弾を除く銃弾や手榴弾の一部が残っていたのである。戦時中は軍隊の下働きをする護郷隊と呼ばれた18歳未満の未成年者はそのことを知っていた。その者達がダイナマイト漁を始めたのだ。屋部川と西屋部川は河口で合流しており、川幅が100m程もあり、水深も深くイルカが迷い込んだとの琉球王府時代の記録があった。護郷隊で鍛えられたクソ度胸のある青年たちにとって、川に寄って来る魚の群れに手榴弾を投げ込むダイナマイト漁が流行るのは当然であった。食料の乏しい時代でもあったのだ。屋部乱暴の村人は警吏等を恐れることは無かった。警吏が密漁の調査に来ても、大勢の村人が警吏を取り囲んで罵声を浴びせるので、騒ぎが拡大するだけで取り締まりが叶うことも無かった。それ故に魚の群れが入る度にダイナマイト漁が行われた。そもそも敗戦によって日本軍の鬼の憲兵が解体され、敵国であった米国軍が認可した日本人の警吏に恐怖感を感じる訳が無かったのだった。危険な作業の事故は、その操作に馴れた頃に発生するのが人間の行動の常である。戦時中は貴重な武器であった手榴弾を、戦争で使ったことの無い連中がダイナマイト漁をするのだ。手榴弾の本当の威力や危険を知ることは無かった。手榴弾が水中で爆発しても、ボンというくぐもった音と1m程の水柱が立つだけであった。大戦中に護郷隊の青年部に所属していた、清吉という名の気性の荒い青年が手榴弾事故の犠牲となった。ある時、中々近づいてこない魚影の群れに苛立った、清吉青年が手榴弾をより遠くに投げるために、後方に大きく振りかぶった時に爆発した。清吉青年の右手の平が吹っ飛び、破片の一部が尻の筋肉の一部を貫通し、右頬にやけどを負い、右耳の鼓膜が破れた。破片が頭に当たらなかったのは不幸中の幸いであったのだろう。この事故を最後に屋部村からダイナマイト漁をする者が消えた。日本軍の残した手榴弾も尽きたのかも知れない。しかし10年を経ても余韻が未だに残っていた。
1955年、米国統治下の琉球民政府でも日本政府からの委託を受けて、戦争傷痍軍人年金の対象者の調査が始まった。各市町村の役場職員が調査員として参加した。屋部村でも調査が開始され、村役場のロビーで総務課職員が対応していた。従軍兵士や軍属として戦争に参加して体に障害を負った者が登録にやって来た。足を失った者、手を失った者、目や耳に障害を負った者など様々であった。障害の程度や所属部隊、負傷場所などを記入して、日本政府に申請したのだ。その中の一人にダイナマイト漁で手を失った清吉も混ざっていた。次々と申告を済ませて、清吉の番になった。清吉は担当者と向かい合って席に着き供述を行った。戦時中の状況通りに宇土部隊の屋部村護郷隊青年部所属、手榴弾の爆発による右手の損傷と記入させた。利き手の損傷は障害の等級は高かった。所属部隊は口述通りであったが、右手の損傷の原因は戦争によるものでは無かった。記入を終えて立ち上がると、ロビー前を通りかかった農林課の若い職員が清吉に声を掛けた。
「清吉兄さん、どうして此処にいるのですか」と、言った。
受付担当の職員が顔を上げて答えた。
「宇土部隊配下の屋部護郷隊員で、手榴弾の暴発による右手の負傷の申告です」と、答えた。
清吉は顔色を変えずに薄笑いを浮かべて言った。
「そういう事だ」
農林課の若い職員は申告書類を見て言った。
「清吉兄さんは確かに護郷隊に所属していましたが、その傷は戦後のダイナマイト漁で負傷したものでしょう。私はその様に聞いていますが、違いますか」
「ほう、君は確か義男さんの息子さんだな」と、清吉が言った。
「ええ、そうですが、何か」
「おい、若いの、俺の手を吹き飛ばしたのは宇土部隊の残した手榴弾だよ。違うかい」
「確かに、日本軍の手榴弾で密漁が流行っていたと聞いていますが、直接の戦争ではないでしょう」と、青年が反論した。
「バカ野郎、日本が戦争に負けるから、屋部村民は食い物も無くなって、手榴弾で魚を捕って食料にしたんだよ。俺達屋部青年会の仲間が宇土部隊の代わりに食料調達をして、その魚をお前ら親子も食べて生き延びたのだよ。違うかい」
「それは屁理屈でしょう」と、青年が真赤な顔で反論した。
「日本政府が戦争に負けなければ、俺の手も残っていただろうよ。日本政府に責任を取ってもらうのが当然だろうが。違うかい」と、言うが早いか、清吉の丸太のような右手が青年の腹にめり込んだ。「ウッ」小さく呻いて右手で腹を抱えてうずくまった。
「俺たちの手榴弾による戦果の魚を食って生き延びた奴が、一人前の口を利くんじゃないぜ」と、言って若者を見据えた。そして視線をゆっくりと調査を受け持っていた総務課の職員に向けて言った。
「こんな人情も無い非国民が増えて困ったもんだぜ。君たちは琉球民政府の職員ではなく日本政府の職員かい。戦争の犠牲になった沖縄人が、日本政府から弔慰金を貰うのは悪いことかな」
「いえ」と、引き攣った顔で返事した。
「そうだろ、俺達沖縄人は日本政府から少しでも多く負担金を引き出すべきなんだよ。手続きはこれでいいかな」と、清吉が手榴弾事故でアバタとなった右の頬を奇妙に引き攣らせながら薄笑いをした。まるで先の大戦で生まれた悪霊のような清吉の薄笑いに、近くで騒ぎを見ていた者達が背筋を凍らせて黙って見つめた。清吉は手の無い右手の先でテーブルを小さくコツコツと叩いて返事を促した。
「はい、手続きは完了しました」と、上ずった声で返事した。
「では、良しなにお願いします」と、清吉は慇懃に言って、ビッコを引きながら会場を去って行った。辺りからホッとしたため息が漏れた。
「あれは、屋部乱暴ではなく、戦争が生んだ鬼だな」と、誰かが囁いた。
この頃から、日米交戦の影は消え、米軍による朝鮮戦争、ベトナム戦争へと戦争の気配が変化して行った。ダイナマイト漁は完全に遠い過去の古傷となって忘れられて行った。4年後の1959年、傷痍軍人弔慰金の支給が始まった。清吉は弔慰金を貰う事とが出来たが、5年を待たずに交通事故に遭って、壮年期に世を去ってしまった。清吉にとっての弔慰金は、敗戦を受諾した日本政府への恨みの代償であったのだが、その代償を長く受け取ることは出来なかった。短気な屋部乱暴者の気質そのままの清吉の人生であったようだ。