9月24日(水)
午前5時、秦が友人の段と共に迎えに来た。ボルボのワゴン車の後ろに大きな段ボールが3箱積まれている。コタキナバルで開催されるIMBP蘭展示会で使うラン類である。出発時刻は午前8時であるが輸出手続きに手間取るので早めに出たのだ。段の運転するボルボは街灯で明るい台北の市街地を抜けて中山高速道路を南下した。段は秦の兵役時代の友人であり少し粗暴な運転をする。体が大きく無精ひげを生やした酒好きの男だ。「秦にお前のボディガードか」と訊くと笑って答えた。「あいつは確かに酒も喧嘩も強いがフランス語が話せるのだぜ」と言った。見かけによらずインテリな部分もあるようだ。40分ほどで空港に着くと段は荷物を運搬ワゴンに積み替えて直ぐに引き返した。「交通整理の警察官に酒の匂いを嗅ぎ付けられないように急いで引き上げたのだ」と笑いながら秦が言った。
空港のロビーで黄さんと劉さんが待っていた。黄さんはユニバーサル・オーキッドのマネージャーで180㎝近い長身である。劉さんは160㎝程度の小柄な男だ。黄は来年3月に台南市で開催されるAPOC(第8回アジア太平洋蘭会議)開催機関のスタッフであり、その宣伝を目的にコタキナバルに出向くのである。劉はラン栽培の趣味家である。本業は台北市内で内科医をしている。二人とも沖縄国際洋蘭博覧会で2度ばかり会っており、プライベートで食事や観光に付き合っている。劉の傍らには70歳過ぎの女性が付き添っている。秦の話では40過ぎの独身の息子の見送りに来ているのだそうだ。幼児の旅立ちを見送る母の眼差しにも似て何とも奇妙で微笑ましい光景である。黄とは台北に戻るまで行動を共にすることになる。
中世国際空港のチェックインカウンターは何度来ても混雑している。この国の活力が凝縮されている。秦の大きな荷物は私の荷物として分散したが重量オーバーの超過料金を取られた。出国手続きに手間取ることもなく通過して出発ゲートへ向かった。途中の軽食店に立ち寄ってモーニングサービスをとって出発ロビーに着いた。
マレーシア航空の中型機は満席であった。コタキナバルまで3時間半の旅である。一眠りして目を覚ますと乗務員が入国カードを配っていた。英語とマレー語のカードがあり、英語のカードをもらった。添乗員同行の団体旅行では旅行社が必要事項を記入しているので、せいぜい自筆のサインをするだけである。個人旅行では自分ですべてを記入する必要があり、旅行用の手帳に基本情報をメモしておく必要がある。それでもトラブルは発生するのだ。国によって記入事項が多少は異なるのだ。日本の海外旅行ガイドブックのマニュアル通りには行かない。DATE OF EXPIRY との記入欄がある。さて、何のことであろうか。秦に尋ねようとしても席が離れている。おまけに飛行機はランディング体制に入っていてシートベルト着用のサインで席を立てない。パスポートの記述を何度も見比べてみるとパスポートの有効期限と小さく書かれている。老眼の始まった視力では仕方がない。 滞在ホテルはハイヤット・ホテルにした。入国審査官が宿泊予約の確認をすることはないのだから現地あるホテル名を適当に記入すればよいのだ。ただし記入しないと入国審査でもめてしまう。
飛行機は雲の絨毯に潜り込んで降下していった。雲を抜けると美しい海岸線と小島が見えた。開発の跡が見えない緑の山並みが美しい。那覇空港の大きさと変わりない小さな海岸沿いの滑走路に飛行機は降りた。
イミグレーションに向かう途中で黄が私に尋ねた。
「仲村さん、ホテル名はどうしましたか」
「ハイヤット・ホテルと適当に書いたよ」
「ちょっと見せてください」
黄は私の入国カードを見て同じホテル名を記入した。秦も劉もそれに習った。黄は3名の中で日本語が一番上手である。
簡単な入国審査で到着ロビーに出た。IMBP蘭会議のメンバーが立ち会っているので特別の配慮がなされたようだ。黄と劉の持ち込んだ蘭を含めて5箱の段ボールがトラックに積み込まれた。ルイスが懐かしそうに握手を求めてきた。3年前の沖縄国際洋蘭博覧会でボルネオの自然植生とネペンテスについての講演をした男である。その折、ルイスが持参したボルネオのネペンテスの本を20冊ほど引き取ったのだが、英文の本は売れずに会社の書庫に積まれたままである。ルイスの他にゴメス・シムとジェリー・ウォンが我々を迎えてくれた。トラックは劉の荷物をルイスの家に降し、黄の荷物をウォンの家に降し、秦の荷物をシムの家に降した。蘭の梱包された荷物を解いてから僕らは市内のレストランへ出かけた。
シムのコレクション(山採りのバルボフィルム)
ルイスのコレクション(パフィオペディラムとファレノプシスの原種)
集まって来たのは、ルイスと弟のジョー、シム、ウォン、マレーシア・ジョホールバルのリー夫妻、サラワク州から来た植物ハンターのア・ウー・ヤンと台湾から来た我々だ。リー夫妻は2年前に沖縄国際洋蘭博覧会で会っている。マレーシアのチャーワンと共に桜祭りの案内や夕食会を共にした。ヤンは植物ハンターとしてヨーロッパの蘭収集家の間で名が知れているらしい。私以外の参加者はすべて中華系であり、広東語が共通語となっているようだ。私にはさっぱり解らないが、時折英語で話してくれる。マレーシアでは英語教育が熱心で英語を話せる人が多い。私の半端な英語力でも何とかコミュニケーションがとれるので助かる。
昼食が終わると私の宿さがしである。劉はルイスの家に泊まり、黄はウォンの家、秦はシムの家に泊まる。ホテルに泊まるのは私だけだ。彼らが入国カードに宿泊ホテルを書けなかったのはそのせいだ。シムが幾つかのホテルに電話してたどり着いたのがステラハーバーホテルだ。それも1泊だけである。明日の晩は別のホテルを探さねばいけない。秦には予約という概念が欠けている。私自身はホテルのグレードに拘ることはない。寝る場所があればどこでもよいと思っているので気にならない。
しかし、ステラハーバーホテルは高級ホテルである。料金も高くはない。客の入りが少ない時期なのだろうか。シムが上手に交渉してくれたようだ。
シムの車で秦と共にホテルに向かった。途中のスーパーマーケットの駐車場で小柄な若い女を拾った。白いショートパンツにストライプのノースリブシャツ姿で小さな化粧ケースを手にしたマッサージ嬢である。ホテルでチェックインを済ませると秦が女と共に部屋まで付いてきた。
「先輩、僕らは蘭のディスプレイをします。2時間マッサージです。6時に迎えに来ます。スペシャルサービス、OK! 後でチップを10ドル渡してください」そう言って出ていった。
女の年の頃は25歳位だろうか、強いフィリピン訛りの英語を話した。よく喋る女でマッサージ中も携帯電話でずっと何処かに電話をしていた。私は直ぐに心地よい微睡の中に落ちていった。
1時間半が過ぎたころであろうか、うつぶせの状態の私は息苦しさを覚えて目が覚めた。女は私の背中に立って踊りだしている。背筋のマッサージなのであろう。私は手を叩いて女にマッサージの終了を伝えた。スペシャルサービス無しで10ドルを渡すと女は嬉しそうに出ていった。私は立ち上がって窓から外の景色を眺めた。ステラハーバーホテルの名の通りホテルの横はヨットハーバーとなっていた。中庭は回遊式庭園の作りであるが日本庭園の趣には程遠い作庭である。
シャワーを浴びてしばらくすると秦から電話があった。夕食への誘いである。部屋を出てエレベーターホールの小窓から外の景色を眺めるとフィリピン人の住む水上集落が見えた。このホテルの背の方向である。サバ州の東の岬から小舟で往来が可能な距離にフィリピン領のバラワン島があり、以前から不法入国者が水上集落を形成しているのだ。掃き溜めと化した湿地の中に形成された集落は、サバ州政府にとって統治できない不法地帯となっている。ここに住む人々が治安上のトラブルを起こすことも少なくない。しかし、人間の往来や生活は、権力者による国境線の確定よりも早いのが歴史の常である。また、観光地に生活の糧を求めて集まる人々の生活にも陰と陽の部分が生じるは人間社会の常である。
シムが奥さんと3歳の息子を伴ってロビーで待っていた。奥さんの腹の中にはもう一人いるようだ。夕食は郊外の郷土料理レストランであった。リー夫妻が少し遅れてやってきた。ヤシの葉を重ねた屋根の木造の建物は、中央に舞台があり先住民の音楽と踊りを楽しむことが出来た。来客者が参加できる吹き矢による風船割りゲームやバンブーダンスなどもあって、十分に楽しめるステージであった。私も吹き矢で風船を3個ほど割って喝采を浴びた。
食事は地元の食材がふんだんに使われていた。マメ科の植物の新芽、サツマイモの新芽、エンサイ、ハヤトウリ等である。海が近いせいか魚介類と良くマッチした料理となっている。中華料理がベースとなった味である。野菜の風味も食感も十分に楽しめる料理である。
リーさんが明後日から一泊でテノムに行くので同行しないかと誘ってくれた。私はテノムの農業公園探索が目的の一つであり良い機会だと思った。しかし、「先輩は私のゲストだから行けません」と秦が勝手に断ってしまった。少し残念であったが秦のメンツを立てることにした。4年後の2,007年にリーの地元のジョホールバルで東南アジア蘭協会が関わる国際蘭展示会が開催されるので、その時に会う約束をして別れた。




